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コミット社会

「コミットさせろ。」

そんな言葉をたまに聞く。

コミット、それは「結果を約束する」ことだ。

ひー、おっかねえ。

聞く度に、猫のように全身の毛が逆立つ。
毛は逆立っているのだが、身体は動かない。

お金を無理やり貸し付けられている気分だ。

絶対、返せよ。と。

比喩です。お金は返しましょう!

コミットを貸し付けられた人は
コミット債務者だ。

借りたコミットは
返さないといけない。

ただ、コミットさせるって
場合によっては、責任転嫁ではないか?

と、ふと疑問に思う。

彼が失敗した時に
貴方はどう振る舞うのであるか?

叱り飛ばすのか?

返せるように共に動くのか?

自身の責任の範疇を切り出して
押し付けているだけではないか?

恐怖でコミットを貸し付け返してもらう。

確かに優先順位は上がるだろう。

問題が解消した。期待通りに返ってきた。

良かったね。

ただ、恐怖でコミットをさせて解決をしても
根本の問題解決には至ってはいないと思う。

報告用のシートに
アクションアイテムと達成予定の期日を書く。

会社として解決が必要な事であれば
同時にボトルネックは追求しないのか。

どうせコミットさせるなら、
原因の追求まで含めているだろうか?

恐怖政治は視野を狭くしていく。

アクションアイテムをがむしゃらに
達成し続け、何とか解決に向かう。

恐怖政治が終わると
また同じ問題が起こるだろう。

ボトルネックが分かれば
組織のリソースを利用して
問題がそもそも起きなく出来ることを
考えうると思うのだ。

ただ、このコミット社会。

コミットの額が大きければ
大きいほど給料は上がっていく。

コミット対象の難度が高いほど
役職は上がっていくのである。

ただ、ある一定のラインに行けば
コミットさせられる立場から
全員にコミットさせる立場になる。

コミット債権者。

コミット債権者にも親元がいて
掛かる負担はバラバラに思える。

コミットは責任転嫁だ、と今までは言った。
が、全てを責任転嫁だ。と断定出来ない。

債権者も責任を負っている立場であれば
大事なコミットを他者に託しているのだ。

責任転嫁か共に解決する為の発奮か。別か。

人の姿勢によって判断するしかない。

返してもらう手段もバラバラである。

恐怖によって返してもらうか
信頼によって返してもらうか
人情によって返してもらうか
工夫によって返してもらうか

コミット社会は多様性に満ちている。

本当はコミットが社会から消えた方が
健全だと思っているのだが。

理想なのは知っている。

けど、出来るだけ少ない方がいい。

うん、貸さなきゃいけない時もある。

ただ、人が破産しないのだ。ない社会は。


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