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『人類史の精神革命』 伊東俊太郎


ひとり遅れの読書みち   第23回

    ギリシャ、中国、インド、イスラエルの4地域で、前5世紀頃を中として、哲学や普遍宗教の源点が定められた。ギリシャでの哲学の誕生、中国での儒教の成立、インドにおける仏教の勃興、イスラエルでのキリスト教の形成だ。なぜ東西の地で同時並行して人間の精神上の大変革が起こったのか。 哲学者ソクラテス、聖人孔子、覚者ブッダ、預言者イエスという4人の始祖の思索と行動を深掘りしながら究明していく。
    また、宗教と科学は長い間根本的に対立し拮抗してきたが、今日双方は共通項を導入して融和していくべきだと訴えている。著者渾身の啓蒙書である。

    精神革命はどうして起こったのか。著者はその条件として次の4条件を挙げる。第1に、青銅器時代を終えて鉄器時代に入ったこと。青銅器時代の貴族制が破綻して社会の平等化が進行して個人の台頭を可能にした。
    第2に、都市革命が極めて成熟した段階に達したこと。無数の都市国家が分立して互いに富と知を競いあった。第3に、この都市国家が内部から不安定化して動揺し、より大きな領土国家、さらには世界国家にまで統一され再編されようとしていたこと。人々はこれまでの伝統的な集団原理に安住できず、自ら生きる原理を根本から考えねばならなかった。「危機の時代」であり「(精神的)故郷の喪失」のときにあった。だからこそ新しい精神の変革者たちが登場し新しい生き方を指し示した。
    さらに第4として、こうした精神革命の土壌となるような思想や民族宗教、民族道徳が各地域に幅広く浸透していたことを挙げている。
    また外的要因としては、中央アジアの遊牧民が定住農耕に基礎を置く都市文明圏へ侵入したことを挙げる。「呪術的な宗教儀礼」からより「合理的かつ現実的に行動」する文化へと変容したと指摘する。
    
    著者はもともと東京大学で科学史を教えてきた。科学史と比較文明の研究者だ。その中で、科学も決して突然生まれたのではなく、ギリシャ哲学や宗教に深く根差しているのではないかという「問い」を考え始めたという。宗教は「この世界でいかに生きるべきか」を問題とし、科学は「世界がいかにあるか」を研究するもの。科学を知るために宗教も深く研究するようになったとのことだ。

    まず著者は、人類がこれまで5段階の変革期を経てきたと分析する。第1の人類革命(人類の成立)から始まり、農業革命(農耕・牧畜の開始)、都市革命(都市文明の出現)を経て精神革命(哲学と世界宗教の誕生)そして科学革命(近代科学の成立)に至ってきたとする。
    宗教と科学が「拮抗対立」してきたのは、第4段階の精神革命と第5段階の科学革命とがうまく接合されていないからとみる。

    注目すべきは、著者が今日、第6段階の「環境革命」の時代に入っているとし、宗教と科学の融合がこの新しい革命のなかで可能だと指摘していることだ。環境革命は、近代の科学技術の進歩が生み出した環境破壊や生態系の撹乱など「負の要因」を取り除き、これからの人類が生き抜いてゆくために、「人間と自然との根本的な再調整」を行おうとする「現在進行中の変革」だという。

    さらに著者は新しく「横への超越(水平超越)」と「縦への超越(垂直超越)」という考え方を提示する。精神革命は本質的に「対人関係の原理」であり、「他者に対するわれわれの生き方と行動」を示していると述べ、人と人、人と自然との相互関係を「自覚し創り上げる」ことが「横への超越」だと説明する。「縦への超越」は精神革命が生み出した「神」や「無」と人の関係だ。例えばキリスト教では「神が汝を愛したように、汝も隣人を愛しなさい」というふうに、人から神へと上がっていって人と人との関係に移る。仏教では、人が座禅などによって「無」の境地に下がって、そこから再び戻って人と人、人と自然とが結ばれる。「縦への超越」を媒介として「横への超越」可能になったという見解である。
    東西の宗教対立、科学と宗教の不毛な拮抗、さらには人と自然の危うい関係などを根本的に解消してゆく時代に今日入っていると著者は分析する。深く考察すべき考えだろう。


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