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【原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち】と【後世への最大遺物】 ⑪


人が常に管理し続けなければならないということは
人が管理できないのと同義である

「私が原発を止めた理由」第1章 ハイデッガーのことば


これだけ危険な原発を止めないという
蛮勇ともいうべきものを
私はおよそ持ち合わせていません。

樋口英明「私が原発を止めた理由」より


バリアフリー版制作中だそうです♪

てんとう虫さんのnote 2023.11.10

⚠「東京地裁」ではなく「東京高裁」が正しいとてんとう虫さんより。
記事は訂正済みだそうです。

⇩繰り返される原発事故

政府をはじめ東電も原子力規制委員会も、あの人たちは、【核を扱う】ということを真剣には考えていないことがよくわかる被曝事故。自分以外は人間ではないくらいの認識障害を負っているのではないだろうか。
高みにいる彼らは、小さな箱の中で保身汲々。
【偉い私が被曝することはない。被曝するのは会うこともない、見ることもない、ウラン採掘鉱山労働者、地域住民、汚れ仕事をする現場の労働者などなど】──だということを頭がよくて目先が利く彼らはもちろんわかってるから。
ウラン採掘  人形峠   インド   アメリカ


こういう頭がよくて目先が利く人たちが、戦争できるようにと着々と足場を固めている──
アメリカが処分したい武器バンバン買ってやる、国産の武器もこれからスゴいのつくる、うるさい学者どもは兵糧攻めにして黙らせる、歯向かう奴らに邪魔はさせない、口を塞がないなら、貶めて辱しめれば、あとは喜んでそれを広める者どもが群がって、逆らう奴らの価値を徹底的に剥奪するために勝手に働く、そうなればまつろわぬ学者など誰も相手にしない、協力する学者たちとスゴい武器をつくる、大丈夫、戦争はなくならない、武器は巨万の富を生んでくれる、カロリーベースで賄えるのが4割弱? 大丈夫、武器を売って我々の分を買えばいい、あのとき同様飢え死にするのは我々ではない、大丈夫、原発がある、核兵器はつくれる*、再生可能エネルギーは、頭がお花畑の連中が騒いで面倒なことにならない程度にやらせてやる──
                      *SmartFLASH 2017.11.13

私はいかなる国であれ、経済性がないことが明白な使用済み核燃料の再処理には賛同できない。日本がなぜこの不経済、かつ危険で、無用な挑発的計画を続けているか理解できない。
          プリンストン大学名誉教授 フランク・フォンピッペル   

GLOBE+

雲居のヒトビトの中に立ち交じり、地面に足裏を着けて日々尽力されている方が、きっとぽつぽついらっしゃるのだと思う。


第3章 責任について

2 司法の責任
⑴問題はどこにあるのか

原発運転差止めの判決がめずらしいのは、判事をはじめ裁判所全体が権力に屈しているからではなくて、「どの組織でもそうであるように、良心的に自分の本分を尽くしかつ能力の高い人もいるし、」逆もまた然りと。「それらの裁判官の中で、必ずしも良心的で能力の高い人が最高裁に行くわけではないという点に裁判所の問題があるのです。」
「裁判実務経験が長い裁判官だと最高裁に行く可能性がグッと減るのが実情です。」
「最高裁は一番難しい裁判をするところなのに、最高裁の裁判官が裁判実務の経験が少なくてどうするのですかという問題です。」
「大病院の理事長は(天皇陛下の手術の)執刀しません。第一線で患者を診察し手術を成功し続けている医師が、天皇陛下の手術をするのが当然と国民も思うでしょう。」(135~136ページ)

最高裁長官の指命権を握る内閣─ブルーパージ「石田人事」─**

「例えば木谷明元裁判官*のような方が最高裁に行くべきなのです。さらに、最高裁が推薦した法律家を内閣が任命するという慣例が安倍政権下で破られ、(略)政権に近い法律家が最高裁裁判官に任命されるということになってしまいました。二重の意味で最高裁裁判官の人事がおかしくなってしまったのです。」(136ページ)

*木谷明元裁判官
「刑事裁判官として三〇件にも及ぶ無罪判決を出し、そのほとんどの判決について検察官が控訴することなく確定に至りました。我が国では有罪率が九九・八パーセントに達することや、検察官の有罪判決への強いこだわりからみても驚嘆すべき実績といえます。」(137ページ)

**「安倍色」に染まった最高裁判所
最高裁の裁判官15人のうち12人が安倍政権下の任命。

わずかな救いは山本氏。内閣法制局長官時代、集団的自衛権行使の容認反対した山本氏は安倍首相に更迭され、最高裁の裁判官に転じた。13年参院選の1票の格差訴訟でも「違憲、選挙無効」と明快。「権力を補完する裁判官たちとは違う」(ベテラン記者)という。

FACTA 2017.12 

**安倍政権「司法人事への介入」は過去にも、最高裁にも残るトラウマ
最高裁は日弁連の推薦を受け、「最適任候補者」を内閣に意見する。最高裁判事の任命権はあくまで内閣総理大臣にあるが、これまで日弁連の推薦した人物が任命され続けてきた。
 だが今回、日弁連の推薦外であり、事実上の学識者である山口氏が任命されたことで、長年の慣例が壊された形だ。背景に何があるのか。

「弁護士枠を減らせば弁護士会が反発するのは自明。そんなことを最高裁が自らやるはずがない。今回の人事は明らかに官邸の意向だ。弁護士出身の最高裁判事が政府をいら立たせる意見を書くから、官邸が最高裁に圧力を加えたのだろう」。現役判事はそう声を潜める。問題の本質は、官邸による最高裁への人事介入にあるとの指摘だ。

この数年間を振り返れば、衆議院選挙と参議院選挙の1票の格差を違憲状態とする一連の判断、婚外子相続差別の違憲判断など、最高裁の踏み込んだ判決が相次いだ。2006~12年に最高裁判事を務めた弁護士の那須弘平氏は、「裁判所が自由な発想で前向きに判断できた時期だった」と証言する。
 当時、法曹界で司法制度改革が進み、政界では自民党から民主党(当時)への政権交代が起きた。こうした時代の変化を背景に「最高裁も変わってきた」(那須氏)という。

ところが12年の発足以降、長期安定基盤を固めた安倍政権は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行い、安全保障関連法を成立させた。さらに共謀罪創設や憲法改正に意欲を示す。

DIAMOND 2020.5.17

有罪率のこと

刑事事件有罪率99.8%」(⇦幾つか読んだ中で「泉総合法律事務所」の解説がわかりやすかった。)ということに関して調べたところ、「例えば木谷明元裁判官のような方が最高裁に行くべきなのです。」という意見を無価値にしてしまう根拠にされかねないと感じた。数字に滅法弱いので、心許ないが、有罪が確実と考えられるばあいに起訴しているので99.8%という数字になる、ということらしい。その上で、冤罪が少なくないように思えるけれど***。
***「現職警部補二名が『捏造』を認めた国家賠償訴訟」
 書籍「明日はわが身?胸に刻みたい四大死刑冤罪事件」

木谷明元裁判官が「刑事裁判官として三〇件にも及ぶ無罪判決を出し、そのほとんどの判決について検察官が控訴することなく確定に至りました。」というお仕事をなさることを可能にした姿勢が重要で、あとがきからそれを推し量れそうな部分を引用するつもりだったが、木谷明元裁判官ご本人のことばを読むことができた。

泉総合法律事務所⇩


あとがき

3 私たちの責任

「原発の過酷事故が一度起きると、これらの社会問題(所得格差、教育格差、雇用問題、年金問題、コロナ問題等)を議論したテーブルはテーブルごとひっくり返ります。」
「原発の問題を正しく理解して、論理に従って行動してください。そして、ときには健全な怒りを示して下さい。」
「(原発の耐震性の)低さの根拠が不可能とされている地震予知に基づくものであることは、間違いなく電力会社が最も国民に知られたくない事実です。」
「国民に知られたくない事実を主権者たる国民が知り、すべての原発の即時停止を求める国民が半数を超えれば必ず全ての原発は止まるのです。」
「自分の責任が分かっている人は分かっていない人より遙かに幸せだと思います。」
「この本を読んでしまった皆さんにも責任が生じます。自ら考えて自分ができることを実行していただきたいのです。」
「知らなかった方がよかったとは思わないで下さい。」
「知ることによって初めて考えることができ、考えることによって初めて道を選択できるのだと思います。」(148~150ページ)


問題に対して沈黙を決め込むようになったとき我々の命は終わりに向かい始める。

キング牧師の言葉 第3章の結び 150ページ


大飯原発3,4号機運転差止請求事件
判決文(2014年5月21日)より抜粋
─パンフレット─

人格権

「我が国の憲法は間違いなく、命を守り生活を維持するという人格権(憲法一三条、二五条)が電力会社の経済活動の自由(憲法二二条一項)に優先すると定めているのです。(96ページ)

人格権と経済活動の自由】この基本的な考え方は、福井地裁判決要旨一五五頁の次の部分に示されています。
「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和的目的に限られているから(原子力基本法二条)、原子力発電所の稼働は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法二二条一項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在事態が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。」

96~97ページ

人格権に基づく差止め訴訟】訴訟物は人格権に基づく妨害予防請求であり、人格権(命を守り生活を維持する権利)が放射性物質によって侵害される危険の有無と程度が審理対象となり、規制基準に適合しているかどうかは間接事実に過ぎないことは用件事実教育を受けた法曹人なら理解できることです。また、仮に規制基準の合理性の有無を判断するとしても、人格権が放射性物質によって侵害される危険を防止できる内容に規制基準がなっておれば合理的、なっていなければ不合理という判断基準になるはずです。

144ページ


⑫へつづく


                    ⑪  

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