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短編377.『イェーイ!遺影』

短編377.『イェーイ!遺影』

 遺影は男が三歳の頃に撮られたスナップ写真を拡大したものだった。実際の葬儀は男が四十を迎えようとする年だった。まだあどけない顔へと律儀にコラージュされたスーツ姿の胸元。参列者は戸惑いと誘い笑いを隠し切れず、事実何人かは下を向いて笑いを堪えていた。男は孤児からの成り上がり者であり、かつ写真嫌いだった為、この世に現存する唯一の写真が結果的に遺影に使われることになった。ただ、それだけのことだった。

 

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短編376.『百かもしくは零』

短編376.『百かもしくは零』

 集団の中の私は無個性ですが、個人としての私は異常です。

 学期初の自己紹介でそう述べた級友は確かに無個性かつ狂人だった。学生服に身を包んでいれば一ダース一塊の中学一年生にしか見えない。しかし、その異常性はトンボ製消しゴムのカバー内面にシャープペンシルの先端で彫られた担任の横顔として顕されていた。遠目にはアニメでネズミが後生大切に抱えるチーズのような穴の空いた塊でしかないのだが(それにしても異常

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短編375.『疲労困憊ン』

短編375.『疲労困憊ン』

 疲労は水に似ている。形なく忍び寄り、私の四辺に隙間なく収まる。やがて表面にあったそれは身体の深い部分に至るよう浸透し、芯をゆっくりと侵食する様にその深まりを認める。
 ーーー疲れている。
 ただそれだけのことで人生全般億劫になってしまう。仕事は粗雑になり、家庭は(熱きシチュー鍋をひっくり返した時のような)混乱の淵にあり、健康はーーーまぁ、言わずもがな、である。

 人間ドックが差し出した血液検査

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短編374.『人生童貞』

短編374.『人生童貞』

 未だまだ人生の本番が始まっていないように感じる。練習期間、修行時間、本編への移行期間。あるいは(スマホゲームで云うところの)チュートリアルのようなものをプレイしている気分で生きている。三十七年も生きてチュートリアルも何もあったものじゃないが、実際そのような気分が”抜けない”ので否定のしようもない。
 とかくまぁ俺はまだ人生に挿入すらしていない訳だ。謂わば”人生童貞”だ。今が前戯の真っ只中なのか、

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短編373.『仔犬日和』

短編373.『仔犬日和』

 道の真ん中に仔犬が落ちていた。私はそれを拾い上げ、路肩に置いた。そしてまた原付に跨ると目的地に向けアクセルを捻った。数分走った頃だろうか、また道の真ん中に仔犬が落ちていた。どこかの老犬が産み散らしたのだろうか。私は原付を止め、仔犬を脇にどかした。そんなことが三、四回続いた。そろそろ本当に奇妙な気分になってきた頃ちょうど仕事が終わった。原付を店に返し、自転車で家路を急いだ。通い慣れた道、乗り慣れた

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短編372.『ありあまる無為の呼吸』

短編372.『ありあまる無為の呼吸』

 煙草を吸う、という行為が心地良い訳でも、気持ちが良い訳でもない。でも、一本の煙草にすら縋らなければとてもじゃないが生きてはいけない。仕事を辞めるべきではなかった。あんなにも煩わしかった仕事も、忍び寄る孤独からの防波堤の役割くらいは果たしていてくれたらしい、どうやら。何もすることがない。朝起きて夜寝るまで無為の呼吸をしているだけ。呼吸の役割は生の維持だがその生に価値たるものは見出せていない。故に無

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短編371.『人生なんて煙草』

短編371.『人生なんて煙草』

 これが俺の人生だなんて信じられないし、信じたくもない。

 仕事場の傍にある鉄製の階段に腰を下ろし煙草に火を点ける。白いペンキが剥げ果てた階段は冷たく、座られることすら拒否しているように感じられる。灰を落とし、もう一度肺まで煙を送り込む。ーーー 一体全体、人生って何なんでしょうね。先程まで客と交わした会話を思い出しながら吐くともなしに吐いた煙は闇夜に吸い込まれるようにして消えていく。所詮その繰り

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短編370.『存在不義』

短編370.『存在不義』

 私がその場にいることで多くの人間が不幸になる。事実、両親の顔は常に曇り、恋人は去った。普通のことが出来ないからこそ普通からはみ出したのに、それが故に笑い者となり、また厄介者と化す。一体、どう生きればこの世界の片隅にでも居させてもらえるのだろう。テレビのニュースで所謂【無敵の人】が犯罪を犯す度、自分と重ね重ね溜飲を下げる日々。「次はお前だぞ」の声なき声を逮捕送検される犯罪者の一瞬の目つきから聞き取

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短編369.『刺殺の作法』

短編369.『刺殺の作法』

 鮎村啓司は野原栄太を刺殺した。理由は感情のもつれによる。適宜簡単に云えば喧嘩である。町中にありふれた酒の席での喧嘩。それで片方の命は取られ、もう片方は刑に服することとなった。二人は赤の他人であり、それまでに接点らしい接点は半紙一枚分の厚さも無かった。

 鮎村は獄の中で理不尽さを噛み締めていた。鮎村は売られた方だった、喧嘩を。それまでの華々しい経歴は逮捕と同時に地に堕ちた。地、どころか穴蔵の底で

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短編368.『乾杯が恋しい』

短編368.『乾杯が恋しい』

 孤独を紛らわせる為だけにテレビをつける。つい見入ってしまうDVDやYouTubeと違い、”流しているだけ”という作法が通じるテレビとは昭和からの長い付き合いとなる、かけがえなき友だ。同棲を始めた夜も、父が死んだ朝も、親戚を訪ねて訪れた本州の先端でも、テレビは流れていた。離婚についての話し合いをしている時ですら、我関せずの態度を装いながらもテレビはそこにいて、明るい世界をこちらに向かって差し出し続

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短編367.『グローイングアップ午後』

短編367.『グローイングアップ午後』

 とても気持ちの良い午後だった。スマホの充電は残り数パーセント、充電用コンセントは断線し、そもそも大元の電気が止められている。部屋はゴミで溢れ、冷蔵庫の中では野菜が腐っていた。宅配便の指定到着時刻は既に過ぎ、外では道路補修工事のドリルが唸り、おまけに無職だった。最高に気持ちの良い午後。簡素にして最底辺の地盤を割った更なる地底に存在する、ありきたりの午後。モグラ的ライフ。ファック。
「クソッ。気持ち

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短編366.『過去の思い出』

短編366.『過去の思い出』

 Facebookが過去の思い出として、九年前にアップロードした数枚の写真を提示してきた。このSNSが自動的に行う振り返り行事をどこかしら楽しみにしている自分がいる。それを眺めることは大都会、隣人との挨拶もまばらな身としてはささやかなる毎朝の日課として定着した感がある。

 ーーーへぇ懐かしいな、夏祭りか。
 写真をタップしてスライドする。どれもこれも私が撮った神社境内のお祭りの様子で、そこには屋

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短編365.『特級呪物:首折れる』

短編365.『特級呪物:首折れる』

 それは雨の日だった、と思う。もう随分と前のことなので、その日の天候のことなど覚えてはいない。でもそれがその後二十数年に渡る不幸の始まりであったとするならば、雨であることが相応しい。多分に今の私の心が反映されていようとも。

          *

 家の近くのごみ収集場にそれはいた。ネックが真っ二つに折れた、レスポールタイプのエレキギター。私は一度その前を通過し、五分後にまた自転車で戻ってきた

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短編364.『未承認新薬ジロリアン大飢饉〜脂肪遊戯篇〜』

短編364.『未承認新薬ジロリアン大飢饉〜脂肪遊戯篇〜』

 私は今、一粒の薬を作っている。ビーカー、フラスコ、メスシリンダー。小学生の理科の時間を思い出すような古典的かつ簡素な道具立てで。体重が五十キロを切ってしまった。ことは急を要する。

          *

 最近、電車内では医師(のような人物)が白い塊を持って「ほら、これが脂肪三キロ分ですよ」と脅すダイエット広告が目につくようになってきた。流行りなのだろうか、あちこちで見かける。人が目を背け続

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