田代睦三

美術家、編集者、デザイナー、その他

田代睦三

美術家、編集者、デザイナー、その他

最近の記事

「アメリカ美術の30年」。

『カール・アンドレ 彫刻と詩 その間』展(DIC川村記念美術館)を観てきた。ここを訪れるのはサイ・トゥオンブリー展以来か、美術館入口脇のフランク・ステラの屋外作品は、錆がきて苔も侵食し始め、凄みを増していた。館内ではアンドレと同郷でひとつ違い、スタジオを共有していたこともあるというステラのコレクションとアンドレの作品を一室に収めた企画展示も行われていた。 カール・アンドレの作品を初めて観たのは今から50年近く前、西武美術館で開催された『アメリカ美術の30年』展であった。この

    • 神田川とお茶の水周辺、そして東京。

      NHKの朝ドラは見るつもりがなくても見てしまう時間に流れる。現在放送されている『虎に翼』は女性裁判官の草分け三淵嘉子をモデルにしているため、彼女が通った明治大学があるお茶の水聖橋の映像をCG加工し、当時を再現した画像がよく流れる。 いまでも本郷台地の底から現れた地下鉄丸の内線が、聖橋の下を通ってJRお茶の水駅の下に潜り、神田の地底に入って行く姿(※1)は、『ザ・ガードマン』のオープニングで流れる赤坂見附首都高速の立体交差映像とともに、起伏に富んだ東京を象徴する映像だ。64年東

      • 数学的思考が苦手で長期集中が続かないぼくについて。

        一時期、建築家になりたいと思った時期があった。都市を変えたいと思っていた。大学の絵画科を出たら、建築科の大学院に進むか学部の建築科に入り直すかしようと思ったこともあった。 だがぼくは数学的思考ができない。建築科の友人から、構造論の話や構造計算の話を聞くだけで(彼も構造計算の単位がなかなか取れず苦労していたが)、チンプンカンプンだった。 同じ理由で作曲家になることも諦めた。短3度とか長4度とか、和声法とか、よく分からなかった。中学生のころ、いまキーボードミュージシャンとして生活

        • 囀り240502。

          前回囀りの末尾に豚肉と筍のカレーでも作るかと書いて思い出したことがある。今世紀の初頭、何年か神田猿楽町の古いビルにオフィスがあった。神田といえば「カレー激戦区」。今では「神田カレーグランプリ」なるイベントも行われ、S&Bがグランプリ受賞店のレトルトを売り出したりもしている。 駿河台交差点をちょっと神保町方向に進んで右に入る、猿楽町と神保町に挟まれた通りにも当時からカレー専門店が数件あった。もっとも有名だった店は、一度入ったがあまり気に入らなかった記憶がある。まだあるだろうか。

        「アメリカ美術の30年」。

          囀り240501

          食卓に何がのぼるかは、スーパーでの出会いによることも多い。わが家の近所には、八百屋も肉屋も魚屋もない。たった一軒あった肉屋が一昨年閉店して居抜きで唐揚げ屋になった。 先週末、スーパーで出会ったのは天然の鰤かま2個(まあ対だ)。安かった。その日食卓に塩焼きが乗ったが二人暮らしのわが家では1個がせいぜい。もうひとつは塩してペーパータオルでくるんでラップして冷蔵庫に入れた。同居人はそれほど魚好きでもないから、二日連続というわけにもいかない。 今週はじめ出会ったのは生筍。先週テレビで

          囀り240429

          10代の終わりころ、黒澤明の『どですかでん』を観た。 黒澤が、東宝と20世紀フォックスの巨額を投じた合作映画『トラ!トラ!トラ!』の監督をノイローゼを理由に降ろされ(実際は作品編集の最終権限をめぐるプロデューサーとの対立だったと後年明らかになったが)、数年後に独立プロ(四騎の会)で制作された黒澤最初のカラー作品だ。 原作は『赤ひげ』と同じ山本周五郎の『季節のない街』。山本にしては珍しい、現在東京ディズニーランドと化した浦安の埋立地を舞台にした、現代ものである。 ぼくが観た当時

          ちょっと長めの囀り、あるいは食卓の上の小さな混沌(by四方田犬彦氏)。

          知人のFacebookにこんな投稿をした。 「銀座のナイルレストランで『混ぜて食べてください、混ぜたほうが美味しいよ』というウェイターや二代目(ときには初代も)の言葉を無視して、ムルギランチを混ぜずに口に入れていた、そんな丼もの文化に侵されたある関東人は(ぼくのことだけど)底意地の悪いインド人から野蛮人と思われていたか。だが鰻丼でも親子丼でもカレーライスでも、混ぜずに口に入れる口中調味の醍醐味に馴染んでしまったら抗うことはできない。ビビンバだって混ぜない。唇と上顎と舌と喉の入

          ちょっと長めの囀り、あるいは食卓の上の小さな混沌(by四方田犬彦氏)。

          囀り240422、あるいは記憶の縄釣瓶petit: テーブル。

          佐藤時啓君の連日の取り組みの足元どころか足底にも及ばないので恥ずかしい限りだが、まあ囀りだからいいか。 気に入りのテーブルを修理している。厚さ20ミリ、900ミリ正方程度の天板が20ミリ角程度の4本の脚に支えられた、高さ400ミリ程の低い正方形テーブル。下から100ミリ程のところに補強のためのやはり20ミリ角の角材4本が足の構造を支えている。修理終わったら写真をアップするが、会社の景気が良かった80年代だろうか、新宿三丁目の伝説のダンスバー「サザエ」に向かう路地の入口付近にい

          囀り240422、あるいは記憶の縄釣瓶petit: テーブル。

          集合den。

          そろそろ記憶も怪しくなってきたので、集合denについて書き留めておこう。
 集合denは、東京教育大学のデザインの教授だった勝井三雄さんが、講談社が科学大辞典を編纂する際、学生たちを集めて大塚伝通院(新選組がはじめに集まった場所だ)の裏手の一軒家で作業を始めたのが母体になっている。印鑑は「傳」、ロゴは赤い正方形が二つと長方形が二つ、等しい隙間を置いて並んだデンマークの国章だった。 
ぼくは芸大を出て美術家として生きていくつもりで、かといって美術家としてのしあがろうという意欲も

          記憶の縄釣瓶petit: 笠置シヅ子。

          朝ドラ『ブギウギ』も終わったようなので、笠置シヅ子について書いておこう。NHK大阪は10年に一度くらい、印象に残る朝ドラを制作する。 テレビ草創期に幼少時を送ったぼくにとって、笠置シヅ子はほんの10年前まで大スターだったなどとはまったく感じられない、ブラウン管でよく目にする明るいおばさんだった。「東京ブギウギ」が終戦直後の大ヒット曲だったことを知るのはもっと後のことだ(*1)。ドラマの最終週では、1950年代後半の歌手引退に至る経緯が描かれていた。 もう1人、バラエティでよく

          記憶の縄釣瓶petit: 笠置シヅ子。

          記憶の縄釣瓶petit: リチャード・セラの輪っか。

          リチャード・セラが亡くなった。85歳だという。ということは1970年、54年前は31歳か。冥福を祈る。すでにどこかに書いた記憶もあるのだが、この機会に改めてアーカイブしておこうと思う。 1970年に東京都美術館で開催された「第10回東京国際美術展(東京ビエンナーレ)『人間と物質』」では、上野公園の遊歩道全てを覆うというクリスト(34)のプロジェクトは実現しなかった。彼は旧東京都美術館の大展示室の床を布で覆った。リチャード・セラは、カメラを持って記録を撮りまくっていた安斎重男(

          記憶の縄釣瓶petit: リチャード・セラの輪っか。

          記憶の縄釣瓶petit: 舟越桂さん。

          舟越桂さんが亡くなったというニュースが届いた。これから書こうと思っていることを記憶として共有している人はまだ多いと思うが、みんな60後半以上の年齢、最年少者のひとりとして書き留めておきたいと思う。 僕が芸大の油画科に入学し春の終わりにラグビー部に入ったころ、桂さんの父、舟越保武さんは彫刻科の教授でラグビー部の顧問だった。保武さん(と呼ばせていただく)は、戦後日本の美術界で中林忠良氏とともに塑像彫刻の第一人者とされた人。ぼくらも東京国近代美術館に行けばまず目にするロダンやブール

          記憶の縄釣瓶petit: 舟越桂さん。

          囀り240328: 薬。

          2020〜2023は、体調のさまざまな急変により「薬漬け」の日々だった。 と言っても合法的な「お薬」のことだ、念のため。 医者の指定通りの量や回数は守らなかったが、 50年間「薬」というものを嫌ってほとんど口にしない生活を送ってきたから、そんな自分にしてみればほぼ毎日「薬漬け」だった。日々、なんという「薬」をどれだけ呑んだか記録もつけた。 「薬」というのは、呑んだ自分と呑んでない自分を比べることができないから、実際効いているのか効いていないのかもわからない。医者や病院はデータ

          囀り240328: 薬。

          記憶の縄釣瓶petit: わが家のテレビ。

          わが家のテレビはたぶん1980年代製の、ブラウン管テレビである。 日本ビクター製、おそらく4代目に当たるかと思う。テレビの下の棚には何枚かのDVDとCDが乱雑に突っ込まれている。DVDプレイヤーはあるがもうずいぶん起動していない。CDプレイヤーはもうない。 このテレビの初代は、1人暮らしをはじめて何年かたったころ買ったものだと思う。そのころテレビの下には、ベータマックスに勝利宣言したばかりの、日本ビクターが誇るVHSのダブルデッキレコーダー&プレイヤーがいた。 このVHS

          記憶の縄釣瓶petit: わが家のテレビ。

          記憶の縄釣瓶petit: 相撲中継の音。

          大相撲大阪場所が開催されている。 こどもの頃、夏休みに街を歩いていると、密閉性の低い家々(というよりエアコンなどないから風が抜けるようみんな開け放っていたのだが)から、夏の甲子園中継の音が聞こえてきた。相撲中継の音もそんな外を歩いて聞こえてくる音のひとつだった。 内容に興味がなくてもあの音は好きだった。 当然そのころの僕は「巨人・大鵬・卵焼き」(本当は卵焼きよりカレー)だったので、野球といえば王・長嶋、相撲といえば大鵬、その後登場する北の富士を理由もなく贔屓にしていた。 6

          記憶の縄釣瓶petit: 相撲中継の音。

          記憶の縄釣瓶petit: 本の話。

          同居人がシラスというサイトで「書棚探訪」というシリーズをやっている。さまざまな人の自宅や仕事場を訪ね書棚を見せてもらい話を聴くというものだ。発想としては30年前によく雑誌で行われていた企画ではある。その中で必ず最後にする質問を彼女は用意していた。「あなたの人生を変えた一冊は?」と「あなたの座右の書は?」というものだ。 彼女は人ん家行ってそんな質問してるのに、同居人の僕にはそんなこと訊いたことがない(そもそも僕は彼女の百分の一も本を読まないのだが)。で、ちょっと考えて本棚から古

          記憶の縄釣瓶petit: 本の話。