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自己紹介

はじめまして!
関根貴寛と申します。

何かのきっかけで、
わたしのnoteを訪問してくださり、ありがとうざいます。

早速ですが、自己紹介させていただきます。
(拙い文章で長文になりますが、読んでいただけると嬉しいです)

幼少期

わたしは、神奈川県川崎市の田舎町で3人兄弟の次男として生まれました。
父は寡黙だけどユーモアのある日本人、母は陽気で真面目なフィリピン人。
つまりわたしは日本とフィリピンのハーフです。

両親が共働きで自営業をやっていたため、家にいることが少ない上に、
家にいるときは「お金のこと」で言い争いや喧嘩も多い家庭でした。
日曜日の夜にやっていた”サザエさん”や”ちびまる子ちゃん”をみて「仲の良い家族っていいなぁ」と子供ながらに感じていたのを覚えています。

そんな両親の元で育ったわたしは、小さい頃から「寝る・食べる・ゲーム」が好きで、すくすくと成長した結果、小学校6年生で身長148cm・体重60kgオーバー(笑)ぽっちゃり系男子に。
また、当時は「フィリピン=パブ」というネガティブなイメージが世の中には強かったようで、ぽっちゃり系フィリピン人(正確にはハーフなんですが笑)で周りからイジメられたことも。

中学生になると、年子の兄の影響で野球部へ入部。
ポジションは三塁手希望でしたが、運動神経もないぽっちゃり系がレギュラーになれるはずもなく。。。
3年間ほぼベンチで応援に徹した結果、声が通るという理由で3塁ランナーコーチに抜擢(笑)※3塁ランナーをホームに進めるか判断する大事な役割。
それでも野球というチームスポーツは楽しかったですし、成長期もあって身体が標準体重まで絞れたことは何よりも良かったですね。

ここまででわかるように「お金」「家族」「見た目」にコンプレックスがある幼少期でした。

こんなわたしにも、これまでの人生で3つの転機がありました。

高校受験失敗

初めての大きな挫折が「高校受験」でした。
志望校の公立高校に、同じ中学から約20人が受験し、落ちたのはたったの3人。今思うと、落ちるほうが難しいのである意味すごいですね(笑)

結果的に学費が高い私立高校に進学します。
※ この時に東京デビューし、初めての恋人ができたことはまた別の記事で(笑)
当時から「うちにはお金がないんだから、公立高校に行きなさい」と散々言われていたので、学費を払うためにスーパーのアルバイトをはじめました。

時給800円でせっせと働き、2年間で100万の貯金を作りました。
毎月4万以上貯めていたことになりますが、時給800円でよくやったものです。当時の自分を褒めてやりたい(笑)
※学費は親が出してくれました。本当に感謝です。

高校生ながらに「自分でお金を稼ぐことの楽しさ」を知り、お金があることでできることの幅が広がったり、選択肢が増えたりすることを体感できた経験です。

父の他界

高校2年生の冬、元々ガンを患っていた父親の容態が急変して入院。
手術で取り除いたはずのガンが別の臓器にも転移していたみたいです。
入院から約2ヶ月間の闘病生活の末、2006年2月5日18時43分に他界
ちょうど家族みんなで着替えを取りに帰り、家に着いた瞬間、病院からの電話で告げられました。父の他界の瞬間は家族誰一人として看取れませんでした。
寡黙だけどユーモアがあって心優しい父親から
心配かけたくないから、誰にも迷惑をかけずに逝くね
そんなメッセージが詰まった最後だったのかなと今では思っています。そんな父親がまだ少し意識があるときに、手を握りながら約束したことがあります。

大学は私立ではなく、絶対に国公立にいくからね

経済的に決して貧しいわけではありませんでしたが、高校受験の失敗もあり、学費の安い国公立大学に進学することを決意しました。
父親の他界から1年。第一志望とまではいきませんでしたが、無事に東京都内の国公立大学に合格。
※大学受験は面白い話がたくさんあるのでまた別の記事で(笑)

1年間予備校に通わせてくれた母親、浪人して一緒に受験を乗り越えた兄、
思春期に父親を亡くしても明るく人気者の弟。家族はもちろん、支えてくれた皆さんに本当に感謝する瞬間でした。
※弟は後に不良になりますがこれも面白いのでまた別の記事で(笑)

今人生を振り返ると、最初にコミットメント(約束・宣言・誓い)の大事さ
を体感できた良い経験です。

親友の結婚

※大学時代のことはまた別の記事で書いていきます。

新卒では、シリコンバレーに本社がある外資系IT企業に入社。人生で初めて「第一志望」に行けたので”人生勝ち組(錯覚)”だと信じ、社会人生活をスタート。
最初の2年間は会社に泊まりすぎて、上司に怒られるくらい死ぬほど働きました(笑)深夜に椅子を3つ並べて仮眠をとったり、年越しは会社でどん兵衛を啜る生活でした。。。

社会人3年目の春、3つ目の転機がありました。

高校時代からの大親友「Y君」の結婚
「ぜひ2次会の乾杯の挨拶をやってほしい」と。
どうやったら笑いが取れるのかを考え、当時一世を風靡していた「8.6秒バズーカー」のモノマネを一人でやることに(笑)

「ラッスンゴレライ!」
「え?え?なんて?」
「ラッスンゴレライ!ラッスンゴレライ!」

このパフォーマンス(?)により、たくさんの人に覚えてもらいましたが、
その中の一人の女性「Mさん」と仲良くなったのが、実は人生の大きな転機となります。
同い年で同じ理系大学院卒の「Mさん」は不思議と人脈がめちゃめちゃある人で、仕事のことや将来のことを話すと本当にいろんな方を繋いでくれました。

その中の一人のとある経営者との出会いが人生の転機に。
後に知ったことですが、その方が実にすごい方でした。。。

・小売店や美容院や不動産経営など会社を3社経営
・地元の環境問題やアフリカの学校を作る活動などを支援
・毎月東京と大阪を行き来きしながらご家族や親孝行
(2021年には本も出版)

はじめてお会いした時のことは今でも鮮明に覚えています。
仕事のことや将来のことを話すと、こんな風に質問されました。

「今の仕事にやりがいはあるかい?」

私の回答はこうでした。

「はい!今の仕事には学びも多く、やりがいもあります。」

衝撃だったのは次の質問です。

「やりがいがあるのは良いことだね。では”生きがい”はあるかい?」

私は一瞬、何を聞かれているのかわからず「生きがいってなに?考えたことなかった。。。」わたしが返答に窮していると、一言。

「ぼくは今の仕事に生きがいを感じるよ。お金を払ってでも仕事がしたいし、目標に向かって仕事するのってむっちゃ面白いよ!」

このときに「こんな生き方をしたい!」と強く決め、経営者の道を歩むべく行動してきました。

現在(イマ)

ここまで読んでいただき、ありがとうざいます。
あともう少しで終わりますので(笑)

経営者との出会いにきっかけに、自分の道を決め、その方に弟子入りし、ご一緒させていただけることになりました。
横にいるだけでも一流の経営者の考え方や価値観が学べますが、時には具体
的なアドバイスもたくさんいただけました。

そして、事業の立ち上げで最も大事にしていることは「チームビルディング」です。チームビルディングとは「互いに目的やビジョンを分かち合い、目標達成のために行動する組織作り」のことで、簡単にいうと「チーム・コミュニティ・仲間作り」のことです。

大ヒット漫画ワンピースの「ルフィ」のように”海賊王になるぞ!”というビジョンや"人間的な魅力"にどんどん仲間が集まっていくイメージです。

世の中に”絶対に成功する事業”はありませんが、いいチームがあれば大抵どんな事業でもうまくいきます。そのくらい”チームの力”は絶大なのです。何より「同じ志を持った人がいることは本当に幸せなこと」だとわたしは思います。

まだまだ道半ばですが、知識もない、経験もない、人脈にないわたしが、現在は法人を設立し、複数の事業を扱えているのも、まさにチームビルディングをやってきたおかげです。
※ 事業の詳細はホームページをご覧ください。

今後の展望は「日本にシリコンバレーのような土壌・コミュニティを創ること」です。

熱く語ってしましたがこれで最後になります。「ヒト・モノ・場所との一期一会」を大事にこれからもコツコツ努力していき、わたしのように「人生をチャレンジしたい」「生きがいをもって楽しく仕事がしたい」という想いがある方々のお力になれる機会があれば幸いです。

今後ともよろしくお願いします。


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