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【歴史】良かったことが結構多い、鎖国政策の影響

17世紀初頭、徳川家康によって樹立された江戸幕府は、キリスト教の禁止と外国人の国内渡航規制を骨子とする鎖国政策を推し進めました。当初はキリスト教の封じ込めと将軍権威の維持が主な目的でしたが、約200年に及んだこの政策は、日本に様々な影響を及ぼすこととなりました。

国内安定と文化発展

鎖国政策により、宗教対立の火種が大きく抑えられ、西欧列強の介入もなくなったため、長期的な国内の平和が実現しました。都市や農村が発展し、経済は着実に成長を遂げることができました。

この平和な環境の中で、独自の文化が大きく発展しました。
能楽、歌舞伎、浮世絵など、日本の伝統芸能や文化が開花する素地ができあがりました。ただし、オランダ貿易や中国との交流を通じて、外国文化の影響は一定程度入り続けていました。

経済と産業技術の発展

鎖国下の経済は国内市場を基盤に着実に成長を遂げていきました。同業者組合による品質・価格管理により高品質な商品が生産・流通されました。

また、各地で活発な経済活動が行われたことで、農業をはじめ様々な分野で新しい生産技術が生まれました。新品種開発や効果的な肥料利用などにより、農業生産性が大きく向上しました。一方で、産業革命などの外部からの技術革新の波に遅れを取った面もあり、両面の影響がありました。

健康と疫病対策

外国との交流が制限されたことで、一定程度の感染症の流入が抑えられました。これはかなり大きなメリットだといえます。
というのも、世界を見てみると、病原菌の流入によって多大な被害を被った事例がいくつかあるからです。

たとえば、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸への病原菌伝播。
15世紀後半のコロンブスによる「新大陸」発見以降、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に持ち込んだ病原菌(天然痘、インフルエンザ、風疹、種痘など)により、先住民の多くが命を落としました。免疫を持たなかった先住民は、これらの病気に対する抵抗力がなく、集落ごと壊滅的な被害を受けました。
一説には、先住民人口の95%近くが失われたと指摘されています。

また、太平洋諸島へのマラリア、デング熱の侵入もあります。
16世紀以降、ヨーロッパ人の航海者や植民者によって、マラリアやデング熱がメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの島々に持ち込まれました。
これらの島では、かつて存在しなかったこれらの病気に対する免疫がなく、甚大な被害が出ました。

開国への流れ

徐々に外国との交流を求める機運が高まり、1853年のアメリカ黒船来航をきっかけに、鎖国体制に大きな変化が訪れます。アメリカからの開国要求は強硬でしたが、同時に鎖国の是非を問う内部の議論も活発化していきました。結果、幕府は1858年に欧米諸国と修好通商条約を結び、開国に踏み切ることになります。

おわりに

約200年に及んだ鎖国政策は、日本に多大な影響をもたらしました。長期に渡る平和と発展の一方で、外部の刺激を遮断し、一定の遅れを生んだ面もありました。しかしながら、この鎖国期間があったからこそ、日本は経済的基盤と独自の伝統文化を確立できたといえます。

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