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【創作小説】会津ワイン黎明綺譚(第1話)

(あらすじ)
 美しい日本の原風景、そして日本の心が残る福島県会津地方。日本ワインの産地として福島県会津地方はメジャーとは言えないかもしれません。しかし50年以上前からワイン用葡萄の生産が行われており、近年の会津ワインの品質の高さは国内外のワイン業界において注目されつつあります。
 会津という土地を愛し会津ワインの原料となる、高品質な葡萄作りに挑戦し新たな産地としての道を開拓した若者たちの始まりの物語。
 3年間という期間限定の職員として役場に採用された女性が地域の人たちに誇りをもたらし、頑なだった農家の青年に小さな奇跡を巻き起こします。
(あらすじ終わり)

プロローグ 青い春の時代

 校門前に佐藤智恵子の姿を見つけた熊田譲二は自転車から降り歩いて校門に近づいていった。高校一年生にしては大き過ぎる体を持つ譲二に智恵子はすぐに気がついて笑顔を向けた。夕陽の中で智恵子の長い髪が風に揺れていた。
「何かあったか」
とは聞かない。
 会津高校に進学してから四ケ月が過ぎ、校門前に智恵子がいた時には駅までの短い距離の間に智恵子の話を聞くことが、二人の約束事のようになっている。時には電車が来るまでずっと智恵子の話に付き合うことを譲二は楽しみにしていた。
「秋の演劇コンクールで主役に選ばれたの」
「先輩を差し置いてか、凄いなおめでとう。何枚かチケットを買うよ」
高校演劇コンクールでは部員にチケット販売のノルマがあることは既に聞いている。主役に選ばれたというのに智恵子の笑顔に影があるのは、そのノルマに不安なのかそれとも主役の重圧なのか譲二は考えた。
「ありがとう助かるわ。けど買うだけじゃなくちゃんと見に来てね。それとは別に譲二に話したいことがあるの」
「どうした、あらたまって」
智恵子の表情が少し強張る。子どもの頃から一緒に過ごしている譲二に対してあまり見せたことがない表情だった。
「譲二は……私のこと好き?」
「好きじゃなきゃ一緒に歩いたりしない」
唐突な質問に慌てることなく素直な気持ちが言葉として出た。
「私は譲二のことが好き。だからコンクールは幼馴染の友達じゃなくて、彼氏として観にきて欲しいの」
今度は譲二の表情が強張った。苦虫を嚙み潰したような顔になる。道行く人がその顔を見たら恐いと思うかもしれない。
「良樹に悪い。ママゴトの時から智恵子の相手役は良樹だ」
 譲二はもう一人の幼馴染であり、高校の同級生でもある菊地良樹の顔を思い浮かべた。子どもの頃から整った顔立ちをしている良樹と智恵子は、近所の大人たちがお似合いの二人だと話題にするくらいだった。そして譲二は、良樹が昔から智恵子を好きなことを感じていた。
「私たちもうママゴトするような年じゃないっしょ。それに良樹君は東京の大学に行きたいから、高校では誰とも付き合わないって言っているのよね」
良樹が高校入学後に数人の女子から告白された時に「東京の大学に行くから、誰とも付き合う気は無い。遠距離恋愛はしたくない」と断っていることは譲二も知っている。
(智恵子のことが好きだから、他の女の子と付き合わないんじゃないか)
と口にしたい気もしたが、自分が言うべき言葉ではないだろうとも考えた。
「私は親から地元の大学に行くように言われている。譲二は」
「俺は家を継いで農家になる、それ以外は考えていない」
 三人兄弟の長男である譲二は家業の熊田農園を継ぐことを決めており、弟たちの進学を視野に、自分は家計の負担を軽くするため通信大学で学ぶことを考えていた。
「私も東京には憧れるけど親は許してくれない。籠の中の鳥みたいなものよ。けど譲二はここで一緒に居てくれるでしょう」
信号で二人の足が止まる。
「俺なんか相応しくない。智恵子にはもっと格好いい彼氏ができる。良樹ならお似合いだけど、俺だと『美女と野獣』と笑われる」
「譲二、どうしてあなたは譲二なの。人に譲ることばかり考えるの、その名をお捨てになって。ちゃんと考えて」
智恵子は少し芝居がかった口調で譲二を責めた。舞台の役が入っているのかもしれない。信号が変わり再び二人が歩き出す。
「ちゃんと考えている。名前は捨てられない」
「そういう意味じゃないの。譲二の気持ちを知りたいの。こうして一緒に帰るのは平気なのに私と付き合うのは嫌なの」
「嫌なわけない」
智恵子のことを好きだと思っている。その気持ちは本当だった。ただ良樹のことも好きだ。子どもの頃から二人と一緒に過ごす時間が長かったためか、それは家族に対する愛にも似て、その関係を変えることに抵抗感があった。
「私が他の人と付き合っても平気?三年の柳沼先輩から交際を申し込まれたの。前から『好きな人がいるから駄目』って断ってきたけど『誰とも付き合っていないなら、俺と付き合おう』って言われて。私どうすれば良いの」
目に涙を浮かべた顔を見て「守らなければならない」という気持ちが譲二の心に湧いてきた。
「俺でいいのか。良樹と違い見た目も良くないし、勉強もスポーツも何の取柄もない」
「譲二がいいの。譲二のことは誰よりも良く知っている。不器用だけど、どんな時でも誰かのために一生懸命で頑張ろうとするところが好きなの」
「俺も智恵子が好きだ。俺を彼氏にして欲しい」
智恵子がコクンと頷く。
「あらためて彼女としてよろしくね。ちょっと無理に言わせたみたいで申し訳ないけど『君の小鳥になりたい』という気持ちは本気よ。もう電車が来るからまたね」
言い終わるとクルリと背を向けて改札へ向かった。スカートと長い髪が風に舞う。ホームへと向かう背中を見ながら、譲二は「これでいいんだ」と自分に言い聞かせながら自転車に跨った。
 智恵子のことが好きなのは間違いない一緒にいると安心できる。ただ今の自分にある気持ちが、恋というものなのかはわからなかった。ただ柳沼というチャラい先輩と智恵子が付き合うことを想像した時に、嫌な感情が湧いてきた。
(あの男を智恵子に近づけたくはない)
その気持ちに素直になることにした。

 なお長男であるにも関わらず名前に「二」の漢字がついていることを不思議に感じた譲二は、子どもの頃父親に名前の理由を聞いたことがある。
「田舎の農家と言えど、突然アメリカに行かされるかも知れないから、うちは代々世界的に通じやすい名前にしている。だから俺は「ダン」に吉をつけて団吉と名付けられたし、お前は「ジョージ」という名に合わせて譲二という漢字にした」
という全く中味が無い説明をされてガッカリしたことは高校生になった今でもトラウマになっている。
(名前を捨てられるなら捨てたいもんだ)
ペダルを踏みながら考えた。

1 冬の街

 大藤桃子が運転する白い軽自動車、ダイハツ・ミラは郡山インターチェンジで東北自動車道を降りた。自宅がある東京の調布市からここまで約200km。一人でこれだけの距離を運転したのは初めてのこと。料金所を出たところでドッと疲れを感じた。朝、早起きしたことも辛く目はシバシバしており肩はパンパンに張っていた。けれど、
(やっと、ここまで来た)
 これから向かう新天地を想うとワクワクする気持ちが溢れてきた。信号待ちとなったところでパンと両手で頬を叩いて気合を入れた。
(お婆ちゃん、私、今、会津に向かっているよ)
 1995年3月29日(水) 午前10時。
 鬼籍に入っている祖母への想いを胸に、大藤を乗せた車は西の山に向かってエンジンを吹かせた。

 郡山インターチェンジで降り郡山から国道49号線で会津若松に向かうことにしたのは、父からのアドバイスを受けてのことである。
「磐越自動車は、山の中を縫うように走るだけでつまらない。飽きて危険運転になる恐れがある。けどな国道49号線はいいぞ。
 郡山を過ぎて猪苗代町に入り暫くすると左手に猪苗代湖が見える。
 天鏡湖とも言われる美しい水面は青空の時なんかはもう、空と湖が競うように素晴らしく輝く。できたらそこら辺で少し休憩をとるといい。確か猪苗代湖を一望できる無料の駐車場がある。
 湖面の先遠くには山々が見えるんだけど、春は頂きに残雪が残るのがまた美しいのさ。そして空気も旨い。少し甘みを含むような良い香りがする。
 そこから少し走ると今度は正面右手に磐梯山が見える。これもまたいい。高さはそんなでもないが山が近くて雄大さが際立つ。写真には写らないような美しさがある気がする。まあその辺りは実際に見てのお楽しみだな」

 郡山を走る国道49号線沿いの山々は冬の風情が残る。葉が落ちている木々の姿は寒々とした空気を纏っていたけれど、その凛とした美しさは大藤の心を魅了した。中山峠という長い登り坂の途中では、すぐ隣にある線路を二両編成の小さな電車が奔る姿も見ることができた。
(確か磐越西線の電車ね)
 そんなことを思うだけでも、看板に会津という文字を見つけるだけでも楽しさを感じる。少しずつ確実に会津に近づいている。中山峠の頂上にあるトンネルをくぐると更に景色が変わった。
「トンネルを抜けると雪国だった」
 小説の一節を思い出した。
 冬から真冬に。暦の上では春分の日を過ぎて完全に春のはずだが、猪苗代町の景色は遠くの雪山に囲まれ道路沿いの影地には雪が残っていた。
 やがて目の前に大きな湖が現れた。父の言葉を思い出し無料駐車場に入る。
(ここからなら1時間くらいで着くはず。多少道に迷ったとしても、集合時間の午後1時にはかなり時間の余裕があるわ)
 車から降りて天鏡湖・猪苗代湖を前に大きく深呼吸をする。広大な湖を前にすると、大藤の小さな体がより小さく見える。身長を聞かれたら
「150センチはあります」
と元気に応えるものの、正確な身長と体重は内緒にしている。リクルートスーツを着ていなければ高校生と間違えられてもおかしくない小柄な体である。明るく染めたショートボブが童顔に輪をかける。
 大学時代に伸ばしていた髪は就職が決まるとバッサリと切った。少し丸みを帯びた体型もあってか、気が置けない友人からは「コロボックルみたいで可愛い」と言われたが、褒め言葉として受け取っていいのか納得はしていなかった。
 襟元を過ぎる風が冷たい。父が話した甘い空気を感じることはできず、ただ湖から吹く冷えた南風が火照っていた桃子の体から熱を奪っていく。
 陽光を受けて輝く水面は遠くにある雪山の白さを際立たせ、青空の美しさとのハーモニーを生み出す。この水が通ってきた郡山に流れこれから向かう会津にも流れる。この湖が命を育む源となる。
「んーーんっ」
と声を出しながら、二度三度と背伸びをして横にも体を動かす。誰も知る人がいない土地だと思うと、恥ずかしいという気持ちは起きなかった。
 車に戻り暖房の設定温度を少し上げる。助手席に置いていた地図を手にしてこれからの道程を再確認する。しばらくは道なりに進むだけである。会津若松市を抜けた辺りでもう一度休憩することにした。
 今は、西へ。ひたすら西へ。
 気持ちを引き締め直して国道49号線に戻る。左側に観光施設が立ち並ぶ湖畔を抜けると正面に会津磐梯山が姿を現した。
 思わずため息を漏らす。
 三つの頂きを持つその山は、これまで見たガイドブックの印象を大きく越える雄大さを持っていた。道路から山が近いので標高以上の迫るような大きさを感じる。
(今度あらためて会いに来るからね)
 裏磐梯、五色沼、檜原湖、土津神社、母成峠、ゴールドライン、行きたいところは山ほどあった。けれど今日のところは新鶴村役場に向かわなくてはならない。野口英世記念館を過ぎてしばらくすると、また峠を前にすることになった。
(この峠を越えたら、いよいよ会津若松市ね)
 ワクワクがドキドキに変わる。
(お婆ちゃんが好きだった会津。一緒に遊びに来ることは出来なかったけれど、会津で暮らすために会津で働くために来たよ)
 大学卒業と同時に会津で一人暮らしを始めようとする桃子に対して、父が反対をしなかったのも、お婆ちゃんの会津への想いを知っていたからだろうと考えていた。会津で仕事をすることを父は喜び母は心配した。
 峠を越えると急な下り坂になり桃子を慌てさせた。いくつかのカーブを過ぎると眼下に広がる会津盆地が飛び込んできた。予想以上に建物が密集していて会津鶴ヶ城を視認することはできなかった。オモチャ箱のような市街地を囲むように遠く高く銀色に輝く山々が連なる。車内の温度が少し下がったような気がした。
(あの西に見える山の麓に新鶴村があるはず。こうなったら休憩なんかしないで一気に新鶴村に行ってしまおう。役場の場所を確認してから、ゆっくり休憩しよう)
 会津若松の市街地を見て、眠気も疲れも吹っ飛んだ気がした。
(早く着きたい。車中とか休憩じゃなくて、ちゃんと会津の空気を感じたい)
 逸る気持ちが胸の鼓動を速くしているように感じた。本で何度も見た景色が、今は現実として目の前に存在していた。

 探すのに苦労するかもしれないと考えていた新鶴村役場は、すぐに見つけることができた。国道49号線を左折して南に10分ほど車を走らせると、村の集落から少し離れたところに新鶴駅、新鶴小学校と新鶴村役場があった。逆に言えば、目立つような建物は他になく迷うことが難しいとも言える。
 時間は11時30分。予定していた午後1時よりもかなり早く着いた。問題は、時間を調整できそうなコンビニとかスーパーが近くに見当たらないことだった。
 仕方なく役場の駐車場に車を停めて待つことにした。途中のコンビニエンスストアで昼食を準備しなかったことを後悔した。ザッと見たところ村内には食堂も無いように見えた。食堂を探して道に迷ったり遅刻したりすることを避けたかったので、このまま駐車場で過ごすことにしたのである。
(一食や二食抜いたところで問題無し)
鼓舞するように自分に言い聞かせ地図に手を伸ばした。
(今日は無理だけど、最初に何処を見に行くかイメージをしておこう。やっぱり会津鶴ヶ城かな)
 この時代カーナビゲーションシステムはほとんど普及しておらず、桃子の車にもついていない。頼りになるのは紙の地図だけである。携帯電話もあまり普及していない。もっとも携帯電話を持っていたとしても、新鶴村は圏外だった。
『コンコン』
 会津観光に想いを馳せていた桃子は、車の窓をノックする軽やかな音で現実に引き戻された。慌てて地図を閉じて窓に視線を移す。
「大藤桃子さんですか?」
 同い年くらいに見える男性が声をかけてきた。ツーブロックの髪型が少しヤンチャな雰囲気を醸していたが、ニコニコと笑顔を浮かべている。整った顔立ちでファッション雑誌に載っていても不思議ではないスーツ姿の男性がいた。
「菊地さん、ですか?」
 こんな顔をしていたんだ。
 これまではファクシミリと郵便で連絡をしていたため、担当者の名前は知っていたが、想像していた相手はくたびれた「役場のおじさん」だった。
少し驚きの顔を浮かべた桃子を気にすることもなく、菊地が続けた。
「はい菊地です。無事に着いて良かったですね。13時から打ち合わせの予定でしたが、差し支えなければもう始めますか。そんなに時間はかからないですから」
 駐車場にいた桃子に気づき、役場から出て声をかけてきたフットワークの良さに驚きながら頷いて車から出る。
 寒い、風が冷たい。
 トランクからコートを取り出したいと思いつつ、前を進む菊地を追って役場の建物に向かった。役場の中はかなり暖房が効いていたので桃子は安堵した。窓際にいる気難しそうな顔をしたおじさんを紹介され、簡単な挨拶をしてから片隅にある古びたソファーに座る。来客用にしてはみすぼらしい。
「あらためまして新鶴村役場 商工観光担当の菊地良樹です。「ふるさとサポーター」つまり、大藤さんの担当になります。まずはいくつか書いていただきたい書類があります」
ソファーの前にある小さなテーブルに、数枚の書類が置かれ、桃子は説明を聞きながら促されるままにサインをした。
「雇用条件等については既にお知らせしているとおりですが、正職員ということではなく「委嘱」、勤務時間の定めがない非常勤の特別職という位置づけで月額報酬となります。
 ただ基本的に月水金は、この役場で商工観光を中心とした業務に従事していただきます。とは言え小さな役場ですから、実質的には役場の何でも屋みたいな形で仕事をしていただくことになります。僕自身も若手なので何でも屋みたいな立場です。
 また火木は熊田農園での勤務になります。軽作業が中心になると思いますので作業着等についてはこちらでも準備しますが、何か足りない物がある時は、その都度相談してください。
 慣れてきたら、土日のイベント出展などの業務もありますが、残業手当がありませんので、申し訳ないのですが残業や休日出勤をした場合には、代休という形で時間調整していただきます。熊田農園での勤務も同様です。
 ざっくりとこんな感じですが、確認しておきたいことはありますか」
「勤務条件等は大丈夫です。ただ、こんなことを聞くのもどうかとは思うのですが、私、新鶴村のことをよくわかっていないのに、本当に私で良いのでしょうか。あと住宅も村で一軒家を借り上げていただくとのことでしたが、一人暮らしなので、ワンルームで充分だったのですが」
「こういう言い方はちょっとアレですが、隠すのも何なので本当のことを申し上げます。今回の事業は大藤さんにしか応募していただけませんでした。応募いただき本当にありがとうございます。危うく企画が没になるところでした。この「ふるさとサポーター制度」、概要としては
・都会から若者に期間限定(三年間)で移住していただく
・役場と農業の仕事をしながら、地域の魅力を発信する
ということになりますが、他の自治体も含めて前例が無い全て手探りの事業です。私も他の職員も『実際に来てくれる人がいるのか』ということが不安でしたから、応募いただいたことを感謝しています。
 実は企画の原点というのが、大藤さんに住んでいただく家の家主の奥さん、熊田佳代子さんから、
「家を空き屋にしておくのが勿体ない」
という話を聞いたからなのです。この辺りでは家の敷地が広いので、古い家を壊さずに家を新築することが多く、熊田さんもそうでしたが、古い方の家をそのまま空き屋にしておくと傷むばかりで勿体ない、家賃は要らないから誰か住んで欲しい。という相談を受けまして、
「じゃぁその家を村で借りて、住んでいただく人を募集して役場と熊田農園の仕事を手伝ってもらうのはいかがでしょう。何か作戦を考えてみます」
というノリで『地域活性化事業・ふるさとサポーター制度』が生まれました。そして熊田さんからは、
「若い女の子がいい。うちは男の子ばかりだから、男の子はもういい」
という声も非公式でいただいてましたので、大藤さんに来ていただいたこと、一軒家に住んでいただくことはこちらとしては大歓迎なのです」
 軽い口調だったが嘘を言っているようには見えなかった。
「そういうことでしたら良かったです。安心しました。後、もう一点お伺いしたいのですが、この辺りで昼食をとれる食堂はありますか」
想定外の質問だったのか、菊地の顔が曇った。
「ちょっと待ってください。今、確認してきます」
立ち上がり、自分の机に戻って電話をかけだした。
(定休日かどうかの確認をしているのかしら)
そんなことを考えているとニコニコしながら菊地が戻り、
「お昼ご飯、大丈夫とのことです。急で何ですが、大家さんである熊田さんの自宅でお昼ご飯をとってください。その後はそのまま家の片づけができますから、ちょうど良いかと思います。案内役もこちらに向かわせましたから、その車についていってもらえればと思います」
「大家さんのお宅でご飯ですか、急にお邪魔して大丈夫ですか」
「電話で聞いたところ、早く会えることを喜んでいました。すごく嬉しそうでした。で、まぁ迎えが来るまでにちょっと補足になりますが『ふるさとサポーター制度』、先ほども申し上げましたが前例がありませんので、ある意味では、大藤さんの視点で見て感じたことを基に行動をしていただければ、何でも良いと考えています。新しい風を吹かせて欲しいのです。不安はあると思いますが僕も全面的にバックアップします、御活躍を期待しています」
「ありがとうございます。お世話になります」
「余談になりますが、履歴書の写真の時から髪を切ったのですね。ショートカットも良く似合いますよ」
「農作業をするので短い方が動きやすいと考えました。駄目でしたか」
「全然駄目じゃないですよ。むしろ良い心がけだと思います。ただ大家さんに『長い髪の女性』と説明していたので、ちょっとギャップを持つかなというだけです。だからどうしたということでは無いんですけど。おっと、迎えが来たようです」
入口の方から土の香りが漂ってきて桃子に届いた。
「譲二、こっち!」
菊地は嬉しそうな笑顔を浮かべると、役場に入ってきた男に声をかけた。桃子も振り返り入口の方を見た。
 譲二と呼ばれた男は、大きな体をすぼめるようにしながら、のっそりと足を進めて窓際に座る男に軽く会釈すると、二人がいるテーブルへ近づき躊躇うことなく菊地の隣に座った。
 大きい。体も顔も手も足も全てのパーツが大きかった。
 角刈りに紺色のドカジャン長靴。この田舎の役場に良く似合う服装をしていた。服の上からでもわかる肉厚な体に、役場の空気が少し濃くなったようだった。日焼けした褐色の肌、太い眉、服がはち切れそうな体は小熊のような印象で、重々しいのにちょっと可愛らしさを感じる不思議な雰囲気を纏っていた。
「大藤さん、このデカいのは熊田譲二と言いまして、大家さんの息子であり勤務先である熊田農園の跡取りになります。見た目は恐いですが悪い男ではないです。老けて見えますが僕と同じ26才です」
菊地は失礼ともとれる紹介をしたが譲二は気にする素振りもなく
「熊田譲二だよろしく頼む。が、最初に言っておく。アンタは役場から預かる『大事な客』だと考えている。農園の戦力としては期待していない。手伝いをしてくれるのは有難いが絶対に無理をしないで欲しい。役場の仕事や他のやりたいこと仕事を優先していいし、休みたい時は休んでいい」
菊地の表情が険しくなる。
「譲二、いきなりそれはあんまりだぞ。せっかく東京から来てくれたのに。大藤さんあまり気にしないで、無理はしないということだけ聞いておいてください」
「アンタが良いとか悪いとかじゃないんだが、ここに根っこが無い人が来たところで良い実りがあると思えない。ヨソから持ってきた人で村を活性化しようなんていう良樹のママゴトみたいな安直なアイディアが悪い」
 桃子は譲二の挑発的な言葉にニコニコと笑顔で応えた。
「お世話になる身で恐縮ですが、最初はヨソモノでもちゃんと育てればお役に立てるのではないでしょうか。ここでは昔、御種人参という特産品を栽培していたと聞いています。高麗人参とも呼ばれていましたから高麗由来ですよね。熊田さんが栽培しているワイン用の葡萄、シャルドネもヨーロッパ原産ですし。ヨソ者だから土地に合わないとは言えないと思います。仏都会津とも言われていますが、仏教はインドから渡ってきたものですよね」
表情は穏やかだったが、譲二の言葉を全否定するような辛辣な内容だった。
 菊地は嬉しそうな顔を浮かべ、譲二を見た。物怖じしない桃子の態度に、少し驚きながらも拍手をしたい気持ちだった。
「そうだな、というかそのとおりだ俺が悪かった。良樹の企画でアンタが採用されたと聞いて、アンタも良樹みたいに信用できない人間かもと考えていた。失礼なことを言って申し訳ない、あらためてよろしく頼む」
「譲二ちゃんと大藤さんのことを信用して、村の活性化に貢献してくれよ」
「お前がそういう余計なことを言うのが悪い」
「いや僕は譲二みたいに、口が悪くて態度が悪い男とは違う。いい人間だ」
「確かにお前はいい男だよ『どうでも』とか『調子が』とかがつく「いい」だが。それはそれとして、農家の仕事、田舎の暮らしなんてものは苦労ばかり多くて、若い娘が楽しめるものじゃないと思うが……三年間よろしく頼む。母もアンタが来るのを楽しみにしている」
「譲二は元カノが東京に逃げてから、東京にコンプレックスを抱いているんです。それもあって東京出身の大藤さんに意地悪なことを言ったと思いますが、悪い人間じゃないですから安心してください」
「良樹、隠すような話でもないが初対面で話すようなことでもない」
譲二は良樹の言葉を軽くいなした。漫才のような二人の掛け合いに桃子は笑顔を浮かべた。
「お二人は仲が良いんですね」
「生まれてから今まで、大学以外、小中高校と一緒ですからね」
菊地が応え譲二が続ける。
「腐れ縁だな。生まれてから今まで、今回も含めいつも良樹の後始末をさせられる」
二人が笑顔を交わした後、菊地が仕事の顔に戻った。
「では大藤さん、長距離運転でお疲れでしょうから、今日はなるべく早く体を休めてください。譲二、道案内と佳代子さんへの紹介を頼む」
「あぁ」
 短い返事をすると、譲二はゆっくりと立ち上がり、窓際の男の前に行き、言葉を交わすと男は笑顔を浮かべた。譲二は二人の方に戻り
「じゃぁ行くか」
 出口に向かって二人に背を向けた。菊地は桃子に声をかけた。
「見た目は何ですが優しい男ですから安心してください」
「はい頑張ります」
 桃子は慌てて譲二の背中を追いかけた。役場の職員は二人を温かい眼差しで見送った。
(第1話ここまで)

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