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"The LE PLI" ARCHIVES-26/   昔,一生懸命に読み耽った 『アウトサイダー』を巴里で再読て、    『或る友への手紙-2』

初稿/2010年01月25日:
文責/平川武治:

異国にいる、”或る友への手紙”の続編です。
また、最近、本当に昔に一生懸命に読み耽った『アウトサイダー』
(c.ウイルソン/英)という本をこちらで読み返し始めてしまって、もしかしたら此の本が僕の人生の方向性を、あの時、潜在的に決定してくれた1冊ではなかっただろうかと、再読しているうちに思える様になり始めたのが今の僕の心境です。
 昔、読んだ本を時代が変わって又、年老いて再読することも必要な時代性かも知れませんね。きっと、僕たちの世代の多くの人たちが此の本を読んで好奇心やエネルギィーや影響を享けたのでしょう。
 そして此れ位の教養も今の若い世代の人たちに通じるのだろうかとも疑問視してしまったのですが?
 もし、興味を持たれたなら、通読するにはしんどい本ですが一度読んでも
悪くない本です。

 今年で僕の此の様な馬鹿げた、自分勝手な生き方ももう、25年目になります。
 『 僕がこの街へ来て25年。
モードを通じて知り得た事は結局、人間が作り出せる創造とは、持ち得た人間性の元、個人の学習と経験に基づいた自由のひらめきと深さと勇気でしかない。
 その持ち得た人間性と自由のセンスの良さと知的レベルのバランス観が、創造の本質なのでしょう。従って、その本質に触れられるようなコレクションに出会うと僕はとても幸せな気分になります。
 これはその創造者の世代や国籍や性別、そして時代を無視したところの根源的な事でしょう。
 これは人間としての確実に仕合せな行為の一つでしょう。
合掌。』/平川武治:

 こうした僕なりの眼差しの内に君のIT’Sでのコレクションは不思議と覚えています。君の人間性のチャーミングさがあの世界の中には自由奔放に存在していたのです。その耀きの幾つかが今も残っています。ありがとう、Tくん。

 これからの可能性を考えると、無理してカッコ付けて売れるかどうか判らないものを、与えられたトレンドのフレームの中だけで今迄のようにデザイナー気取りでデザイナーに成ることよりも、本当に自分の好きな服を着てもらえる人の為に造ることが出来る、造れる環境としての『工房』を持つことでしょうか?
そこでは出来る限りのことを自分一人でやることです。素材から部品、染色、パターンメイキングそして縫製、勿論最後の『服』という消費財を他者へ委ねること迄。この世界は君が成しえる世界であり、大袈裟に言ってしまうと、或る意味で自分の魂の分身を作り出す為に必要なことは総て、自分一人で楽しんで苦しんでやってゆくこと。
自分で何から何迄やること。 
そのためのこゝろと根気と技術と想いが必要です。
そうして一人でやっている行為を他人は見てくれ近づいてくれ、本来の『関係性』の広がりが世界規模で出来るでしょう。これが総ての始まりであり、それそのものがしあわせであると想う謙虚なこゝろの在り方も大切な『人間へのがんばり』への扉を開くのでしょう。
 そうしてゆけば、自分の得意なこと不得意なこと、不足していることや出来ないところが解ります。それからでも人と組むことを考えていいでしょう。最初から自分がデザイナーであるという発想の基での服作りはもう案外と旧くカッコ悪い構造かもしれません。会社にして人を雇って、コレクションをやって展示会もやる。これらのコストを考えると売れることを考え過ぎてしまいますね。
 案外、自分一人の『アトリエ』構造がこれからは本来の造り手としての生き甲斐に、心地よさに通じるものになるのではないでしょうか?
 余りにも今の若い人たちや海外で学んだからというだけで気負っている人たちの、馬鹿げた旧いカッコ悪い、不自由な自己満足だけでセンスの無いコレクションを、他人に頼み他人を使って、人の時間と公金を平気で使いデザイナーぶっている人が多過ぎる世界になってしまいました。
 そんなことをやっている自分とその周りのお友達関係でありたい連中たちと業界人ぶっている連中だけの変な世界観が出来てしまって、その中に閉塞感が満ち溢れてしまうという状況が読めますね。
 今の『東コレ』の現実は手遅れてしまった、此の状況ではないでしょうか?

改めて、『クリストファー-ネメス』の”クールさ”が、
新たな商業施設としての時代性を見事にコンセプトとしたあの『TRADING MUSEUM CdG』ショップで彼の造ったものを見て、僕は改めて『クリストファー-ネメス』の変わらぬファッションに対しての想いと凄さ、強さを、偉大さを、”愛”を知ってしまいました。
 多分彼も、今年は東京での此の様な姿勢を持ち続けて25年目になるでしょう。やはり彼も『人間へのがんばり』を持ち得て、続けている人なのですね。大抵『自分へのがんばり』と『男や女へのがんばり』しか持っていない人が多いのですが、僕の未熟、無知さが今やっと彼の世界観の灯りに気が付いたのです。君も好きでしたよね!!

 あの『TRADING MUSEUM CdG』ショップという環境の中に混ざっても決して見劣りもしないで実に堂々とした顔つきを作っているC.ネメスの
デニムライン。そして、あのプライス感。総てが見事ですね。”カッコいい”とはこういうものだと思うのですがどうでしょうか?
 なぜ、彼があのような堂々とした態度とセンスとであのデニムラインがあの値段で売れるか?また売っているのかの僕なりの答えが前述の『自分の作りたい物は総て自分のリスクとコストで自分がやれること総てを、責任持って自分でやる。』という此の、余りにも当たり前な態度がネメスらしく、潔く突き通されているからの結果だと考えたのです。どうでしょうか?

 提灯持ちスタイリストたちやジャーナリストと称する太鼓持ちたちへ、喋らないでいいことを出しゃばって、べれべれ喋りまくる二流のデザイナーたちはどのようなこゝろで見ているのでしょうね?
 含羞の念いは無いのでしょうか?(含羞という言葉も知らないでしょう!)
社会の、世のためにならないことばかりしたいのであればせめて、自分の存在が地球を汚すことはしないで欲しいですね。

昨年の秋の終わりに開店した、『TRADING MUSEUM CdG』は、
流石、お見事な,新しいコンセプトショップでした。
 僕が以前から喋っていた此の様なコンセプトが実際に現実化した事は楽しく嬉しいこと。此れからのファッションビジネスも或る意味ではアートビジネスと寄り添って行く術を採るでしょう。その視点で読むと此のショップは時代に乗っ取ったお見事な発想とリアリテと命名です。これが現実化出来るところが今のCdGの強みと頭脳でしょう。
 例えば、アートの世界の『オリジナルタブロー』と『ポストカード』の関係性が消費構造のエンディング即ち、完結性の一つ。
 『オリジナルタブロー』の価値ある本物で強い創造性と深いコンセプトと可能なる手法と技術に依って創造されたものだけが出来る『関係性』。

 僕が今、いいクリエーションとは、『It's so special, so original & everything so more.』と発言している根拠性はここへ行き着くのです。
それを自分たちの世界観の中心軸として総てが『スーベニア』感覚の元に、構造をよりオリジナルにスペシャルにそして,キッチュに,スーベニックにそして、『博物学』的にまとめあげた空間がこれからの新たな”エモーショナル空間”。そこでは使えるものは総て使う事によって生まれる新たな一つの世界観とそこからの関係性。自分たちの在庫室に置いておくと仕掛借り在庫であり課税対象品、それを場所を変えるだけでその価値観も変革してしまうことを読んだ此の手法はユダヤ人たちのマジックの一つでもあります。
 在るべき、アーカイブと在るべき本質とイメージをどのように再構築して新たな価値を産み落としビジネスへ昇華させるか?

 今後,アートの世界が、アーチストたちがCdGのコレクティブな世界へ順応されて来るシステムとその動きが痛快ですね。そして、これが理解されているブランドは日本では未だ無く,流石のCdG.ですね。これを現実のビジネスとして考えられるのは”ミックス-スタンダード発想”の一つですね。
 そして、CdGしかこのような事を考え行動へ移せることが出来る日本企業は無いでしょう。ここには、「強烈なクリエーション力」と「十分な資金力」そして、「ユダヤ発想」が揃っているからでしょう。

 いまだに、まだあの「merci」がこれからの手本と称している輩が今の日本の業界人の現実レベルでしょう。ここで言っておきますが、「merci」は当然ですがショップコンセプトも立派ですが、あのショップはあの地域の
多くのユダヤ人クリエーターやデザイン関係者たち、レジデンサーたちをメインの顧客と考えるイベントを毎週末に催して所謂、”地域住民還元型”の手法を実施していることが他店との差別化であり、MDであり、より成功を継続させている秘訣なのです。
 新しい店を創ってもそれをいつも新しさで継続させてゆく為の差別化の手法が必要。それを此の『merci』は地域住民とのコミットを一つのアイディアとしてやり始めたから今も人気が在るのです。ここにも今後への新たなショップがどう在るべきか、”地域住民との関係性”というアイディアがあります。
 従って、現在時点で考えると今後の日本のファッションテナントビジネスの新たな手法としては此の『T.M.CdG』タイプか、『merci』タイプのレジデンサーを巻き込むMD手法と環境を作ってゆくタイプかの、何れかの二極化が新鮮さを生むでしょう。

この眼差し的に現在の「大衆消費社会の森」へ紛れ込んでしまった日本の小売業を見ると、
 例えば、出来れば,苦難の時期を迎えているデパート業,”伊勢丹”でも此の様な視点とアプローチでフロアーの幾つか作り,”会員制システム”にするか,”入場料を取るデパート”として出発すれば,世界で初めての『入場料を取るデパート/ミュージアム デパートメント』として世界レベルへ発信出来る事でしょうね。
 それこそ,CdGがプロジュース為さっておやりになればより,世界レベルでしょうね。

ありがとう、Tくん。
ご自愛とお励みを:

『或る友への手紙-2』終わり、
文責/平川武治:

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