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C-KDI-6/桑沢合同講義デジュメ; 「2015年版/ 巴里モードを25年見続けて来て、- 巴里モードとは? その現在と今後への考えられる視点。」 

文責/平川武治;
初稿/2015年;
写真/ ”Studio Berçot Paris"の卒業コレクション'18.

 「モードの巴里」の現状と現実の苦悩とは?;
1>嫌がる巴里;
 結論的視点は「今後」も「これからも」モードのキャピタルとしてのこの街、”巴里”は
彼らたちが築き上げて来たスタンダードとそのためのボキャブラリィーがあり、それらを
継続される為には余計なモノはいらないのである。 
 その背景には、この巴里のモードの世界とはユダヤ人たちによって構造化された「利権」
ビジネ スであり、完全に利権者が儲かるように構築されている世界なのだからだ。
2>死守したい世界統一性;
 当然だが、『モードのキャピトル、巴里』はいつも新しいものが好きである。 
この気質と気骨がこの街を世界の”文化のキャピタル”に築き上げて来た最たる由縁の一つだ。そして、この背景には”精神の自由”が存在しているからである。
この自由さは異質な文化にも物怖じせづ、自分たちが持ち得た自信と好奇心と勇気さえ在ればいつでもその時代時代に現われた”異質と異端”を喰って自分自らの滋養と肥やして来た強かさが此の国の文化の豊かさを醸造して来たのだ。
3>「文化は武器」という価値観;
 ここには’30年代迄、”世界のリーダー”であったヨオロッパ諸国が持っていた価値観である『文化は武器』がこのような時代になってますます、ビジネスコンテンツとしても歴然と
存続している。 (余談であるが、アメリカはこれに嫉妬をして、『文化を買い集めて来た』。
そして、僕たちの國は『文化を持て遊んで来た』のがこの戦後であった。) 
彼らたちの”精神の自由さ”が常に、革新性を愛し『異端と異系』を理解する心の広さと深さに由来もするだろう。 
 例えば、この彼らたちの自信と優越感から我が国のCdGが’80年代前半には認められたのだ。
しかし、その裏側には彼らたちが歴史を通じて持ち得た”文化価値/美意識”を武器にする
経済構造の大いなる,時には傲慢な迄の”自信”が存在する。 
 この彼らたちの自信とは、この街の歴史と美しさであり、シャンパンやワインであり、
そこに集まる階級ある裕福な男たちと美女であり、彼女や彼らたちが装いで競い合う
オージーな世界であり、宝飾品でありそして、モードである。
そして、これらを“武器”とする奢侈価値という名の、この国の一つの”国家的産業”の
スタン ダードである。これをまとめているのが、 ”コルベールシンジケート”の存在です。
4>美的生活に於ける美意識の自由さ; 
 これらの『創造性、品質、文化性、革新性、伝統』が先の ”コルベールシンジケート”の
本質である事。又、これらを自分たちの語りうるべき共通のボキャブラリィーとしておけば、現在のような低価格という異端が登場して来ても最終的には問題にならないと言う迄の階級の
”自信”である。 
 従って、巴里のモードのスタンダード・コードとは『創造性、品質、文化性、革新性、
伝統』である。 これらのスタンダード・コードを独自の世界観で継続させてゆく事が
”ブランド・エクイティ”の創生と継続そして、守ることなのです。
そして、自分たちのブランドのレベルと質によってビジネスのプライオリティが取れる事も
既に、彼らたちのこの奢侈産業のビジネスディレ クションには必需である事を熟知している。
5>1本のゆったりとした大樹観; 
 ここには自分たちのブランドという”一本の樹”が老い枯れずに、生い茂ること。
それにはブランドを育てる為の、”肥やしと情熱とケアーと資金そして、時代の技術”が
とても大切である事も知っている。
従って、或る意味で彼らたちのブランド-ロゴマーク産業とは、”ジャルダンデモード”に
於ける”庭師”仕事が大切なのである。
 豊かな敷地を持ち、ビジネスマインドを持った資本家の元で働く、今ではこの「庭師」の
役割が”ファッションディレクター”という名で表玄関まで出て来てしまった時代性。
しかし、所詮地主に雇われた「庭師」である事には代わりは無い。
6>時代性の歪み観; 
 ここで2つ程の事柄が既に、今世紀には時代錯誤を生んでいる。
一つは「文化は武器」という場合の文化そのものがブレ始めた事、時代の速度に追いつけなくなり始めていること。
即ち、ヨオロッパに於ける「西欧近代」文化とは旧世紀までのものであり、澱み始めている。そして、新たな21世紀の文化とはより、リアリティある路上からの流れとハイパー文化と
称される新たな文化の領域と”消費文化”であるがもう、既にこれらには立ち後れている事実と現状が巴里には在る。 
 例えば、21世紀になってのリアル文化とは、’90年代後半に於ける日本発のケイタイ、アニメ MANGA、T.V-GAME, デジ-カメ、アプリ等のハイテク機器による路上から誕生したハイパー文化。それに東京というコンシューミングデカダンスな都市に於ける高度な消費文化が静かにヨオロッパの日常性に広がりつつある現実である。
 /参照:「日本によるひそかな「植民地 化」-日常の中の東洋的記号」
(Marc Bosche著/ ル-モンド ディプロ ジャポン)http://www.diplo.jp/articles96/japon00.html
7>新たな価値観とスタンダードを;
 その現実の一つに、Pales de TOKIOの現実がある。
ここは変わらづ,日本のストリートカルチュアーを紹介し続けている最も新しい芸術の前衛を担っている美術館であり、当然であるが巴里の若者たちに人気あるリアルな美術館である。 HIP-HOPとGRAFFITI, SKATERSたちが毎日のようにここに集まって、それぞれが思い思いのプレーを愉しみに来る世界。
これはこの街の次世代たちのリアルで、新たな情報発信地であり、もう一方では、
次なるアーティストたちを誕生させるホットスポットでもある。
そして、セーヌを挟んで対岸には数年前に新設した「ケ ブランディ美術館」がある。
この最新美術館は嘗てこの国の植民地であった諸国 からの強奪品を中心に、時代を経て美術品化されたものを収集、展示している所謂、植民地美術館である。
かなり意識的で、面白いポリティカルな対比がセーヌを挟んでこの界隈には構築されている。   そう、ここは嘗てもそうであったように、110年前にはセーヌ川のその向こうにはエッフェルタワーがそびえた万国博のシンボルン地域であり、革新的な界隈であったはずだ。
 現在、彼らたちはここに新たな文化価値を孵化しようと試みている。
8>モードにおける、 時のNEW TECHNOLOGYとは;
 もう一つは、モードに於ける「庭師」も時の技術が必要である。 
これが無いと新たなモードのイノベーションのための手入れが出来難い。 
この”時の技術”とはその時代時代に於けるヒューマンテクノロジーとサイエンステクノロジーのバランス化を計る事でしかない。
 しかし、この“時の技術”であるテクノロジーのバランス化を素材にのみ委ねている現状は
今後のモードの世界に新たな革新的な自由さは求め難い。
この2つの歪みが現在のモードのキャピタル、巴里に大きく閉塞感を作っている原因である。
9>もう一つ、時代が変わっても、;
 いくら、時代が進化発展すれど、変わらぬものは人間の身体構造である。
 “身体つき”や”体型”は無数に変化をするが私たちの身体構造としての身体ディテールは
不変である。
これに人間の手作業による美と文化を主価値として着せること。
ここにモード産業の出発と基軸があった。
 ’70年代に入って彼らたちが生んだプレタポルテ以降では、
「着る人間がいる。変わらぬ身体。 そこに変わる”流行”価値としてのトレンド。」
この”三位一体”が、ビジネスコンテンツであった。
10>「時代の進化とは退化?」; 
 ファッションに関する世界での、時代が進化するという事は、
「着る人間の生きる為の価値から、生活価値の変化と多様化であり、体型は変化するが、
変わらぬ身体構造という現実」
そして、「基本的な社会構造の普遍化と生活の豊かさによる”時間のスロー化”。」という
新たに迎えた環境-社会変化に依って、以前よりも革新的で創造性豊かな商品としての服が
生まれ難くなる。その為に、モードが儲かる仕組みとしての”流行-トレンド”と言うビジネス
コンテンツの価値が低下し始め、順調に以前のようなスピードある回転がたいへん、
難しくなり始めたのがこの20世紀のエピローグであっただろう。 
11>巴里のモードの閉塞感; 
 モードビジネスのマニュアルの”世界統一性”を死守して行く、行かなければの
「モードのキャピタル、巴里」のジレンマ。
これが今の巴里のモードの閉塞感の大きな要因である。 
現実には、自分たちの築いた階級社会の伝統と文化を武器にして古い顧客から新たな顧客,
新興成金のイミグレーターたちへ、異国人たちへ一巡する為に構想した
「グローバリズム」とは実は「ネオ-コロニアリズム/新-植民地主義」である。
このグローバリズムの下にモードの世界もその生産背景がグローバル化し、嘗てのように、
“Made in Paris"や "Made in France"でもなくていい、「より安くて、巴里の香りがちょっと
香っているようであればいい、スロー になったトレンドでいい。」という”時代の気分”が
主流になり、現在ではこの現実から生まれた「ファスト-ファッション」の世界に負けられぬ
プライドとこのジレンマから新たに生まれた「プレタポルテのセコンドライン」ビジネスの
登場がある。この世界はその生産地はほとんどが「ファスト-ファッション」と同じ
中国である。 
12>本当の顧客は?; 
 
これ迄の「モードのキャピタル-巴里」の顧客は今何処に居るのだろうか? 
これからの顧客とは誰なのだろうか? 何処の國の人たちであるのか? 
もう、今迄のように総ての顧客に対応出来るだけの、或いは、対応するだけの魅力と個性あるキャパシティと経済的なエネルギィーが無くなり始めた巴里。 
そして、何よりも彼らたち当事者が迷い始めた自分たちの顧客が誰なのか? 
オートクチュールとプレタポルテそして、プレタポルテのセカンドレーベル。 
彼らたちのメゾン/館が ”1階建てから2階建てそして、3階建て”に見栄えよく改築出来るか? 
その為の資金と革新的な技術は何処にあるのか?
自分たちが持っているのか? 
もし、改築出来ても、浮気っぽい顧客が上手く得意客になってくれるか?
までの危惧を持ち得てしまった「モードの巴里」の現状。
13>今こそ攻めるチャンス到来;
 この様な状況が現実の「モードのキャピタル、巴里」へ新たな文化価値と、美意識を持って攻め込むには今が一つのチャンス。 
この機を逃すと彼らたち、ユダヤ人たちが考え生み出し、構築したスタンダードと彼らたちのビジネス-ボキャブラリィーによって世界が制覇され続けるしか無い。
 「新たな文化価値の構築と文化価値の多様化の確認。
イミグレーターたちや中国を始めとするイエローな新-消費者層の誕生。
戦後、初めての豊かさの揺らぎが地球を大切に考え始めるもう一つの社会環境が生まれ、
求め始められる、"SDGs"という新たな価値観。。
そして既に、「近代」のスタンダードが共有出来ないハイパー文化のバーチャルな現実化。」
 これら4つの新たな問題点を持ってしまった巴里で在るから今、彼らたちを”攻め込める、
攻め込むなら今だ!!”と言う最大の理由である。
14>まとめ、 「そのために考えなければいけない”趣旨とコンセプト&コンテンツ”など、」;
◯新たなテクノロジーを考えたファッションの世界を考える。/
 新たなテクノロジーとは、今という時代に於けるヒューマンテクノロジーとサイエンス
テクノロジーの”新たなバランス化”をいう。素材の新しいテクノロジーのみに頼らず縫製加工工程に於いても、新たな時代のテクノロジーバランスを用いて現代を表現し、地球環境も
考慮した新時代のための価値観をファッション化することを考える。
◯今後の生活者たちの”被服ギア”と考えたファッション性の高いパーツ-ウエアーを
工業デザイン 化する。/

 そのコンセプトは「The fashion Parts for a Beautiful & healthy Body」。
・着る人たちの身体とこゝろを「CARE&CURE」する機能性迄をも考えたコンセプトで
新時代の”日常着”をデザインする。
・新たな時代のファッション-コンテンツは、”見られる事と着る「安心」と「安全」そして
着る事で、日 常生活において「便利性」と「清潔感」が感じられる「心地よい」”服の提案。
・工業生産の可能性を感じさせる新たな価値によるテクノロジーを使った
”コスチューム/ユニフォー ム”を創造する。
・ファッションI.D.製品として、”コピーライト”が登録出来る価値を異素材とそれに見合った新-技術 を使ってデザインする。
・従来の「モードのキャピタル、巴里」と対峙する全く新しい発想とコンセプトによる、
新たなファッ ション-スタンダードを形態言語とした世界を新設する。
例えば、コスチュームとしての、”ステージ衣装”がラインアップできるような”コレクション・ハブ”の新設。
 そのソース オブ イメージのコンテンツは、「オペラからハリウッドとTVからゲーム、
アキバ-ワー ルドへ、」と、「クラッシック音楽からJAZZ,ROCKそして、HIP-HOP,RAPと
環境音楽へ、」である。
・文化価値と美意識の多様化と差異化としての「イエローカルチュアー/アジアン文化」を
モードの世界に於いても認識させ、差別化させる。
 その為に、この新しい価値と発想による、新たなモードのプレゼンテーションを東京や上海に於いて定期的にコレクションを行ない、新時代のコレクション-ビジネス構想を持って、
イエローカルチュアーによる「新たなモードのキャピタル」を東京や上海に誕生させる。
 そして、イエローカルチュアーを新しい時代の文化価値と美意識とした「利権ビジネス」をアジアを拠点に誕生させる。
15>終わりに、ある提案; 
 具体的案の一つとして、”ユニクロ”をスポンサー&デベロッパーの中心企業と考える。
今後のこの企業の現状の資金力、ビジネス規模とその存在価値を考えると、
このイエローカルチュアーを中心軸とした新たな21世紀のファッションの世界樹立を
”ユニクロ”に託するのが最適であり最短である。
 又、これは今後の”ユニクロ”がやらなければならない大切な新しい価値育成であり、
今後の関係性の拡大と安定化の戦略の一つでもある。 
 従来のユダヤ人たちが作った”ファッションスタンダード”の共存と継続だけでは
今後のユニクロには限界がある。そこで、例えば「FOUNDATION UNQLO」を設立させる。 この「FOUNDATION UNQLO」で新たなファッション産業の価値とそれを主軸にした
ビジネスの世界をアジアで構築する。その為に、世界中の誰でもが利用出来る
”アクティブ-アコモデーション施設”をアジアに開設する。
ここでは、教育システムを作り、技術革新を計り、新素材開発と生産環境を整備し、
新しいビジ ネス構造を開発する。
ここで、”コルベール委員会”も参考とする。
 そして、ユダヤ人たちに対峙出来る「利権ビジネス」とファッション製品の
”コピーライト登録化”の世界構造を確立する。
これにより、現在のファッションの閉塞感を打破し、若い世代の人たちが今後も、
ファッションに 「夢」を持ってこの世界の有用な人材になる可能性を開拓と開発そして、
啓蒙が可能になる。
 ”ユニクロ”が今後、あらたな商品開発に於いて考えなければいけないキーワードは
「安心 -清潔そして、便利性」をどのように具体的なアイディアで快適な商品へ落とし込み、時代の変化とともに、「新しい生活価値観」に対応した”新日常着=生活環境ユニフォーム”の
世界が開発できるか?であろう。
16>結論としてのアジテーション; 
 『20世紀のボキャブラリーを信用するな!  僕たちは21世紀を既に、10年間も生きて来た。
そう、”21世紀のボキャブラリィー”を創造しなければならない。』

 ◯参考/新しいテクノロジーをかいま見せてくれているデザイナーたち;
AGANOVICH:(E)
AMAYA ARZUAGA:(S)
ANTHONY VACCARELLO:(B)
IRIS VAN HERPEN:(D)
JAN TAMINIAU:(D)
JUN TAKAHASHI:(J)
そして、最近のNIKEのシューズ&ウエアーブランド。

文責/平川武治:
初稿/2015年春。 

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