見出し画像

"The LE PLI" ARCHIVES-20-1/   「M.アズジン・アライアの凄さと、その真髄を忘れねために。」

 今回は、14年前のパリ・コレクションについての評論雑記です。
今は既に、亡くなられた M.A.アライアのコレクションの素晴らしさを想い出すが如く、彼へのオマージュも込めてのアーカイブです。
"The Great Show in A Paris Collection '08'09-A/W. was M.ALAIA."
初稿/2008-03-18 記。
再稿/2021-08-08/2022-03-03:
文責/平川武治: 

 今日のインデックス/
◯はじめに/もう一人の実力クリエーターであるM.H.エルバスが昨年春、
4月24日に"新型Covid-19"で亡くなられた悲劇。
1)"The Great Show in A Paris Collection '08'09-A/W. was         AZZEDINE ALAIA."/

◯はじめに/
もう一人の実力クリエーターであるM.H.エルバスが昨年春、"新型Covid-19"で亡くなられた悲劇;

 世界中で、何が起こっても仕方が無い、不条理な日々の表層が僕達の日本へも、当然のように訪れ始めている昨今、そして盛夏の渦中、お元気ですか? 巴里から遠ざけられて18ヶ月が過ぎ、この時間によって、モードへの想いも異質化し始めて来たのも確かな僕の"Covid-19"以後です。

 今回取り上げた、僕がリスペクトする数少ないモードクリエーターであった M.A.アライアが亡くなられて既に、4年が経ちました。その後、このパリの大御所どころと言われるデザイナーも数人亡くなられて、今後の"MODE la PARIS"を牽引してゆく代表的な個人クリエーターが見当たらない状態のままこの"Covid-19"以後が継続されています。

 そして、記憶に新しいところでは、この亡き、M.A.アライアにも関係するクリエーターであるM.H.エルバスが昨春、4月24日に"新型Covid-19"で亡くなられたことです。彼の死は、パリモードを愛する人たちにはとても哀しみ深く、今後のモード界にとって大打撃でした。
 台湾オーナーになっての"LANVIN"から突然、追放された彼へ再起の機会を与えたのが、リシュモングループでした。現存する実力クリエーターでは彼しか居なくなったこの街のモード関係者たちが彼、M.H.エルバスにその念いを懸け、彼個人のブランド"H.A"の最初のコレクションが立ち上がった矢先の出来事でした。

 このリシュモングループは彼に今後、クチュールを任せようとそのため、デザイナー亡きブランド、"アライア"をラグジュアリィ・プレタポルテにセッティングするべく、新たに以前まであのラフ シモンズの右腕として暗躍していたPieter Mulierをディレクターに据え、エルバスの"H.A"との新たなビジネスの差異を構築した矢先の、M.H.エルバスの死はパリのクチュールビジネスに大きな変革までをも齎らす彼の突然の死でした。

 多分、今後のパリのクチュールビジネスそのものは「より、特化した"クチュールビジネス"」と、後はLVMH社の如き"ラグジュアリー・プレタポルテ"にそのイニシアティヴがとって変わり、リシュモングループやピノグループも参入したそれぞれの企業グループの資金力によって展開されてゆく"ファッション・ディレクター型"構造のブランド・ビジネスがより、一般化してゆくでしょう。

 ここでは"Covid-19"以後のファッションビジネスも個人のクリエーション力に委ねるより企業の資金力がITを機能した5Gバーチャルで、より直接前面へ出る"データー•イメージング・ブランドビジネス"へと進化発展すると読むべきだろう。ここには、"データー&アルゴリズム"ファッションビジネスの今後があり、その全てがMD力であり、Eマーケットの根幹になるという時代性と読めるであろう。 

1)アーカイヴ/"The Great Show in A Paris Collection '08'09-A/W. was AZZEDINE ALAIA."/初稿/2008-03-18 記。 
 コレクションが他の街に移った後のこの街は一時の静けさ。
春の陽射しと風と雨とが1日の内に戸惑って遠慮している様は、新たな春が窓のすぐそば迄来ているのにこちらへ入って来ないもどかしさの毎日。

 今シーズンのコレクションで僕が兎に角、感動したコレクションを書き並べてみよう。その壱番バッターは矢張り、”AZZEDINE ALAIA.”だ。
 彼は今、現在は完全にインデペンデントな状況で此のモードの世界に君臨しているただ独りの僕がリスペクト出来るクリエーターです。彼の作るもの彼の会社組織そして、彼の顧客、その総てが僕流に言ってしまえば、『The Top of the World』。

 その彼のコレクションは彼の凄すぎる持ち味を充分に生かしての見事な迄のコレクションだった。着る女性たちを先シーズンに続き総て上質なフレッシュ&エレガンスに。先シーズンはその多くが日本素材を使ってのコレクションであったが、今シーズンはイタリー製の最高級な縮襦ニットに手工芸的な技を幾つも施したもの、アニマルプリントが表面に施されたイタリー製のハラコ皮革素材を使ったもの、そして同じように日本のいぶし銀的な光沢を表面に施した同じイタリー製の程よく鞣された皮革素材、これらがメインの素材であり、これらによって彼の世界がすべて『Everything So Special !! 』な世界をクリエートした。

 驚く事の最初が此の素材の選択眼である。その根底には自信ある彼が持ち得ている構築力としてのトワレ感覚であり、技術であろう。先ず、彼自身これらに自分のなすべき事のレベルと範囲と世界を見てしまっているのであろう。素材美をそのまま活かすもの、その上に施された装飾としてのプリントをバランス良く生かすものそして着た人の動きを生かす迄のシルエットの決めと構築。これらのバランスある調和力に脱帽。分量のある上モノとミニ・フレアーなボトムというシンプルで絶妙な分量バランスが着る女性をよりフレッシュに、エレガンスにセクシーにさばき、仕立て上げる迄の服を今シーズンも発表した。

 彼の企業形態も以前に”PPCグループ”から買い戻し、今では自分の会社にしているはず。これで自分の世界を自分の「義務と責任」で守れる状態にした事も、此の世界ではこのクリエーターの人間性が理解でき凄いこと。
 当然だけど、他のプレタポルテデザイナーは彼の足下には及ばない。あまりに彼が居る世界が違うのだろうか?多分、現在では、J・ガリアーノが一番彼にジェラシーを感じている唯一のデザイナーであろう。
 僕はこれらの彼の素材の選びに驚き、次は其れを仕立て上げる技術と勘とまとめ方の巧さ。そして最後には、”妖艶な、いい女”たちが着てみたくなる、エレガンスとセクシーさの絶妙なバランス。そして、着る女性たちが、よりエレガンスに、妖艶にメタモルフォーゼさせるまでのマジック。やはり、プレタのデザイナではありません。彼のこの勘とセンスと何よりも素材の選びと其れにあった技術の施し方は何処から学ぶのでしょうね。

 僕は彼を本当に腕のいい料理人に思ってしまうのです。
素材とそれらを料理する技術と言うか、腕前と勿論味付け。
そして、最後はまとめる盛りつけの感覚に似た美の世界の繊細さと上品さ。
其れを出されたご夫人たちはその見事さと匂いと盛りつけの美しさというより、エレガンスとセクシーというレディーが欲しい薫りが程よく、そしてみんな着たくなるもの、着てみたいもの。このほどの”ボン グゥ”のバランス感を熟知してしまっているクチュリエ。ご自分がいい女と思っていらっしゃる顧客である世界のトップ社交界のご夫人たちには当然でしょう。

 彼にとっての美意識とは理屈ではないのでしょう。勘と着る人を想うこゝろからのものでしょう。きっと、着るご夫人たちとの会話から、彼女たちのこゝろを読み取り、感じ拡げる臭覚とでもあるいは、治癒こゝろとでも言う感覚も日毎に研ぎすまされていかれる勤勉な人なのでしょうね。
 これが彼のコレクションのすべて。世界の名だたる上流階級のご婦人たちがこぞって、彼の顧客だと言う事が理解出来る迄の今シーズンのコレクションでした。

 『 Everything So Special, That's all !!! 』素材にも、クリエーションにも、技術にも、完成度にもそして、価格もが総て、自分の世界観で、『So Special !!』が今は必要な時代性であり、それが今シーズンのキーワードだったようです。当然、その造られた服の後ろに”作り手”の『異文化、教養そして、美意識』が熱く感じられるもの。

 今の時代はお金さえあればそこそこのものが、フラットなものが造れる時代です。此の波に乗って自らが、勘違いをしているのが今なお、多くの日本人デザイナーたちのようですね。
 出来れば、何処かのサイトででも(STYLE.COMですか?)何かの機会にAZZINE ALAIAさんの作品をぜひ、見て下さい。

 そして今、彼、アズジンを語るは、彼の作り出す世界でアシスタントを始めている日本人、瀬尾英樹君です。彼はアントワープを4年前に卒業した3Dが立派に造形出来た希な、卒業生でした。その謙虚さを持って堂々とこの世界でがんばっていらっしゃる数少ない、人間的にとってもチャーミングな人物。うれしいですね。こんな所でもがんばっている日本人がいらっしゃる事は。日本では、その大半が海外の学校を出れば其れなりのデザイナーになった様に大いなる勘違いと虚言で『虚飾の上塗り』作業ばかりしている”なりすましデザイナー”輩が多いと言う時代なのですが。 

 蛇足を言わせて頂くと、
昨今のプレタのデザイナーと称する人たちは、若い人程、"フラット"な張りボテ・プレタポルテ。トワレさえも自分で組めないお絵描きお芸術家デザイナーたちが、彼らたちの新しいおもちゃの一つ「ILLASTRETER」や「PHOTO SHOP」を使ってのものつくりとイメージ作りが普遍化してしまった時代だから、『簡単/イージー/容易い』見た目の世界へ其れが、それなりに見えるフラットなイメージングの世界であればの、水のごときに流れてしまう、此れを時代性ともいいうのでしょう。

 怖いし寂しいし、本当のただの『虚飾』あるいは、金鍍金の世界。
これにも世界があるのでその世界で喜べる人びとたちは其れでいいのでしょう。そんな世界の彼らたちが「作品」と称するものの後ろに『教養や文化や美意識そして問題意識』さえも感じられない、させないフラットなものつくりが多くなってしまった此のモードの世界。だから、誰が作ったかも自分の名札が無ければ判らなくなるものたちの世界観。ここでも、メディアが発達してよかったのでしょう、でもその根底は『ただ、消費社会へ』。
 何処迄、個人の欲望のみが肥大化し、表層の張りボテ人間になれば、いずれその無様さに気が付く時が来るのでしょうか。

 " Merci beaucoup !! Monsieur AZZINE ALAIA."
「 ありがとう!瀬尾君。」
 ありがとう、みなさん。

文責/平川武治:巴里市モントロイユ街55/57番地にて、
初稿/2008-03-18 記。
再稿/2021-08-08/2022-05-03:

#亡きM .A.アライアへのオマージュ#瀬尾英樹#辛口評論#ひらかわ たけはる#taque#LEPLI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?