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【テキスト】初顔合わせを終えて|2024.3.28|羽原康恵

 2024/3/20-21、TAP25周年公演にむけた初回の顔合わせを終えた。

 ここまで8年間、断続的に過去TAPに関わった人の話をずっと聴き続けてきたと思うんですけれど、そこで一番長く一緒に聞いてきた羽原さんは、それをどう感じていらしたのか、聞きたくて。 
 
 ミーティングの2日目、阿部さんからの問いを受けて、私はTAPは単なる器だったんだと気づいた、ということがあります、とまず答えた。

 この公演の仮称を名づけるとき、あしたの郊外をもじってあたしの郊外、そんでもってそれって「あたしはこうがいい、だね」というのをまさに家庭の食卓でやりとりして、よいじゃないの、となった。そこから今回のキャスティングにあたっては、私はこうがいい、というのを投げかけながらこれまでTAPに関わった人びとと、そして、「私はこうがいい」と、この先言っていってほしい未来の人たち、という軸がきまった。

 そこで未来の人を思い浮かべるにあたり、久しぶりに声をかけた10代のメンバーがいる(正確には、まだ出演するかどうかは、未確定)。以前サンセルフホテルというプロジェクトでキーパーソンだった彼。最後の回の時は中学一年生だった。プロジェクトがTAP事情の強い引力で閉じた後、ほぼ会うことはなく、でも勝手にずっと、元気かな、と思い浮かべていた彼に、今回思い切って声をかけたら、顔合わせに来てくれた。久しぶりに会った彼に対する私のやりとりを眺めていたちょり(富塚絵美・この日から制作チームに参加してくれることになった)から、らっちょ(羽原のこと)は母性が強いんだね、と言われて、はて、まったくそんな意識はなかったが……、と振り返って、気づいたことがあった。

 もしかすると、私はTAPそのものに対しても、母性と表現されるような執着を押し付けてきたのかもしれないな、と。母性って、自分の曲解かもしれないが、対象が生き延びていくことを最優先するような気がする。

 いつやめてもいいねんで、という言葉を念頭においているふりをしながらも、私は勝手に母性を発動して、見るべき範囲をシャットダウンして、いろいろなものを飲み込んできたのかもしれない。というか、まさにそうだな、と思った。

 さてそれで、問いを受けて考えたのは、飲み込んできたことがなんだったのか、を、平らに眺め直してみるということだと思っている。


 それと並行して、ものすごくさまざまでたくさんの「私はこうがいい」が転がしてきたTAPという活動の25周年という機会を借りて、地域社会で、かつ郊外というなりたちの街で、自分のありかたを、時にわがままに、摩擦や軋轢を生みながら生きてきた、どこにでもいるわたしたちの日常的な闘争や葛藤、普通の歴史には残らない情動が、まちを実はうごかしていくことを、洗い出すことになるのだろうと考えている。

羽原康恵(TAP包括ディレクター)


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