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異教徒たちのハラスメント 篇

歴史は繰り返す

というが、なんとなく21世紀がその前の100年、つまり20世紀をナゾっているような感覚に陥ることがある。この感覚を共有してもらうためには、20世紀がどんな時代だったかを、ぼくなりに定義しておかねば不親切と言われかねない。

 大まかに捉えていくと、1900年代は、19世紀中盤に始まった産業革命が一巡。2周目に入り工業が高度化していく時代である。ヘンリー・フォードフォードモーターを設立し、ライト兄弟が人類初のフライトに成功する。

 10年代は、第一次世界大戦の時代、と言って良いだろう。第一次世界大戦では、それまでの工業の発展を受けて、戦車、戦闘機が初めて実戦に投入された。戦争形態も、それまでの軍隊と軍隊の戦いから戦線を大幅に拡大し、国民の生命、生活、経済全体を巻き込んだ総力戦となった。だが、それが故に、10年代末にスペイン風邪(インフルエンザ)がパンデミックを起こすと各国は戦争継続が困難になった。

 ここからローリング・トゥエンティーズ(狂乱の20年代)と言われる20年代に突入。第一次世界大戦が終わり、1920年に行われたアメリカ大統領選挙で、ウォレン・ハーディングが選挙のスローガンで使用した「ノーマルシー(Normalcy-通常に戻れ)」は、コロナ禍が明けた現代にも通ずる。

 戦後の高揚感から、芸術、文化は力強く花開いた。ジャズ・ミュージックが勃興し、アール・デコが流行した華やかな時代。1929年のウォール街の暴落がこの時代の終わりを告げて世界恐慌の時代に入る。

 すなわち30年代は大恐慌の時代である。

 続いて第二次世界大戦の40年代を経て、ミッドセンチュリーの50年代が訪れる。ミッドセンチュリーとは文字通り「100年の中間」という意味だが、第二次世界大戦中に、アメリカを中心に各国は軍事産業によって新しい技術を生み出していた。FRP(ガラス繊維強化プラスチック)やプライウッド(成型積層合板)といった素材が開発されると、これらを活用して曲線的なデザインいわゆるミッドセンチュリーデザインが流行した。

 また、戦争から帰還した兵士たちが家庭を持ち、家を建てるようになり、家具の需要が高まると、それまで主流だったアール・デコのように手間のかかる製造方法は生産量を一気に増やせるシンプルでデザイン性の高いミッドセンチュリーデザインに取って代わられた。

 そしてサマー・オブ・ラブの60年代がやってくる。この、1967年の夏に始まるヒッピーが主導したカウンターカルチャーは、世代を超えて広く認知され、それまではマイナーな存在であった新しいライフスタイルがオープンなものとなっていった。そこにはまったく知らない他人との共同生活や、自由恋愛ドラッグフリーセックスなども含まれていた。

 音楽史的に言えば、70年代以降、ポップス(主流)と言われる音楽はジャズからロックへと移行していく。ジャズはローマ教会から悪魔の音楽と言われていたが、ロックもまた異教徒であった。ちなみに、90年代に入りジェームス・ブラウンがローマ教皇、ヨハネス・パウロ2世に謁見したときギターを贈呈し、ヨハネス・パウロ2世がそのギターをその場で弾いた、という話を聞いたとき、こうした歴史観を持つぼくは驚愕した。

 かなり乱暴に区分けすることが許されるとすれば、60年代までは、人間社会を構成していた要素は、宗教科学戦争であった。ニーチェの言葉を借りるともっと以前になるが、音楽史的に言えば、このとき人間は神を殺した。

 異教徒が愛する音楽は、その後も変貌を遂げていく。70年代中盤にディスコ音楽が流行り、後半にはニューウェイブと呼ばれる音楽が台頭する。メロディーラインがどんどん強力になってきて、80年代は「くっきりした」時代と言えるだろう。音楽はあげぽよ系になり、眉毛もくっきり。肩パッドでボディラインもくっきり。

 90年代に入るとこうした「くっきり」としたライフスタイルに疲れて、社会全体がダレていく。ニルヴァーナに代表されるグランジは、「汚れた」、「薄汚い」という意味の形容詞 "grungy" が名詞化した "grunge" が語源である。また、ポップスとラップの融合などもこの時代に起こっていく。

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