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(小説)異・世界革命 空港反対闘争で死んだ過激派が女神と聖女になって 03

 国王ら王族と高位貴族を中心とした高官。それに参考人としてレオン・ド・マルクスを知る者を集め、明日の謁見にそなえた非公式の会議が開かれた。
 王宮に女神セレンの関係者が滞在している⋯⋯。聖都ルーマですら、聖女マリアが昇天して以来二十年も経つ。フランセワ王国にこのような前例はなく、失態は絶対にゆるされない。女神の眷属顕現は、名誉なことだが頭も痛かった。
 謁見の名目は、王族の命を救ったことへの褒賞である。褒賞金は、あまり安いとみっともない。王族の値段はそんなもんかと国民に笑われる。前例を踏襲して二千万ニーゼに決まった。
 授章は無しとした。本来なら勲章くらい下賜するものなのだが、数日後にどこかの古道具屋に『王族守護一級勲章』が並んでいたら、もう目も当てられない。
 レオンに対する爵位授与に関しては、かなり揉めた。
 フランセワ王国は、領邦封建国家から中央集権王政国家への移行期にあった。それは地方の領主貴族が王都に集まり、数世代かけて官僚化しつつある緩やかな変化であり、血が流れるような政変はまだ起きていない。セレンティアでは、『ファルールの地獄』はあっても百年近くも大国間の全面戦争はなかった。
 フランセワ王国の政治は、王家と有力貴族間のバランスで成り立っている。それを崩すおそれのある『授爵』や『陞爵』(爵位が上がること)は、戦功か王族救命ぐらいでしかなされず、新たに王家寄りの貴族をつくることになる授爵は、領主貴族どもから歓迎されない。
 王族の救命は、二階級特進となる。レオンは、マルクス男爵家の三男であり一応は貴族であるが、爵位を継いだわけではない。無爵なので、新たに爵位を賜る『授爵』となり、無爵→男爵→子爵。賜るのは子爵位であろう、と決まりかかった。
 それに猛然と反論したのが、レオンに救われた当の本人であり、当事者ということで一応その場に呼ばれたジュスティーヌ第三王女だった。
 レオン様のマルクス家は男爵なのですから、男爵→子爵→伯爵。伯爵位に『陞爵』というかたちであるべきです。「わたくしの命の価値は、子爵程度なのですか?」。
「ワタクシの命を助けたんだから、レオンをもっと昇進させなさい」というジュスティーヌ王女の理屈は大概なのだが、父王には、娘の内心が読めた。王女が貴族家に降嫁することは、しばしばある。しかし、ほとんどの場合は、降嫁先は公爵家か侯爵家といった上位貴族で、まれにラヴィラント家などの名門伯爵家に降嫁することがあるくらいだ。子爵家に王女が降嫁した前例は、ない。
 五十歳も年上の大臣や高官に囲まれながら、レオンを伯爵にするべきだと説く十九歳の娘。優しくて誠実な男ならいくらでもいるだろうに。あんな得体の知れぬ男のどこが良くてジュスティーヌは、惹かれているのだろうか? 父王には理解できなかった。実際にレオンに会ってみれば、「なるほど。ジュスティーヌは、こういう男が好きなのだな。たしかに王宮には、こんな男はおらぬ」と納得したのだが。
 しかーし、今のジュスティーヌなら、駆け落ちくらいは敢行するだろう。相手に全くその気がないのが幸いだった。あまりに意志力が強く決断力と行動力に優れているのも考えものだ。⋯⋯ううむ。
 その場に居合わせた貴族の多くも、ジュスティーヌ王女の気持ちに感づいた。若い王女の恋をほほえましく思ったし、いつも快活で貴族に愛想のよい(⋯演技をしている)ジュスティーヌに好感を持つ者は多かった。この美しいジュスティーヌ王女をめぐって派閥間でいさかいが起きたり、王家と有力貴族家が婚姻で結びついて宮廷政治の秩序が乱れるより、よほど良いのではないか?
 ジュスティーヌとレオンが結婚したならば、フランセワ王家と神殿勢力が繋がることになる。それは王家と神殿・民衆の間に太いパイプができることと同じだ。その危険性に、その場にいた貴族はだれも気づかなかった。この場にいた高位貴族の多くは、その報いを受けて滅びることになるだろう。
 ジュスティーヌが本当に幸せになれるのか大いに不安に感じつつ、娘王女に甘い父王が介入した。「女神セレンの関係者である」という意味の分からない理屈で、レオンは『マルクス伯爵』ということになった。

 王サマとの謁見ということで、レオンは翌日の朝から風呂に入れられたりピエロみたいな服を着せられたりした。ピエロ服は、断固拒否! そこらの貴族の旅装みたいな服に替えた。この服ひとつでも大騒動があったらしく、国王の勅許を受けてどうだとかこうだとか、いちいち面倒で恩着せがましい。
「この謁見は、王女救出の際の戦闘行為に対する褒賞の授与が目的である。これは戦闘の結果による功績であり、軍功と同列にみなされる。軍功による軍装での謁見は当然であるのだから、旅行中であった者の旅装もまたこれに準ずる」
 この変な理屈をひどく恩着せがましく感じたのは、レオンだけである。その他の全員には、国王陛下は、ジュスティーヌ王女殿下とレオンには、おそろしく甘いと感じられた。

 謁見の間は、正面に入口があり、奥行き五十メートルほどの長方形のでっかい大広間だ。奥が何段か高い王族の席になっており、国王と王妃を中心にして、王族らが座っている。貴族らは、五十メートルの両側にずらんと並んで立つ。
 日本の村の寄り合いでは、御神体の前に神主が座り、その斜め後ろを村長と村の有力者らが座布団に座って順番に陣どる。御神体に近い所にいる者ほど地位が高くて発言力が強く、女子供やヨソ者は座布団なしで土間にそのまま座る。
 たぶん高位貴族ほど王サマに近い所にいるのだろう。「猿山の猿のような序列づけはドコも変わらねぇな」と、ひどくおかしくなった。
 入り口で剣は取り上げられてしまった。謁見の間に招き入れられ、スタスタスタと王サマの前まで四十メートルほど歩いていった。王女救出騎馬隊の若手で、帰りに一緒に乱痴気騒ぎで遊んだフォングラ侯爵家の嫡子ジルベールが付き人になってくれた。やけに気が合うと思ったら、ほん数年前までは庶子で、下町で不良少年をしていたそうだ。
 王サマの前に着いたら黙って跪く。階級的に屈服したみたいで忌々しいのだが、そうしないと殺されてしまうので仕方ない。上から王サマの声が聞こえた。
「面を上げよ。直答を許す」
 国王アンリ二世にとって、レオンの顔を見るのも口をきくのもこれが初めてだった。娘のジュスティーヌが焦がれる豪傑が、どんな男か興味もあった。どんな鬼のような大男かと想像していたが、体格は良いにしても所作は貴族のそれであり、黒神黒目の容姿はいたって普通に見える。金髪碧眼の美形ぞろいの王宮貴族の中では、醜男ではないにしても、まあ下の方だろう。ボサボサ頭と不精ヒゲが似合いそうだ。娘王女は、面食いではないらしい。
 アンリ二世が感心したのは、初めて数百人の貴族に囲まれ一国の君主の前に立っているのに、この男からは緊張も気負いもまったく感じられなかったことだ。そこらの役所で手続きといった風情である。
 国王が台本の言葉を暗唱する。
「⋯フランセワ王国第三王女の生命の危急に際し、自らの危険もかえりみず⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
 明らかにレオンは退屈している。
「⋯⋯⋯⋯によって、レオン・アルフォンス・ランソワ・ド・マルクスに、フランセワ王室より褒賞を与え、伯爵位を授けるものとする。異議ある者は、今この場にて申し述べよ」

 シ─────────────ン⋯⋯⋯⋯

「異議あり!」
 ドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨ⋯⋯⋯⋯
「異議ある者は申し述べよ」うんぬんは、儀礼的なものだ。本当に異議をとなえる者が出るとは想定していない。
 ジュスティーヌに幾度か求婚していた侯爵家のセガレが、前に出て吠えた。失恋の痛手で、少しおかしくなったらしい。
「このような得体の知れぬ者に爵位を授けるなど、王室と貴族界の汚れになりましょう。おそれながら、反対にございます」
 ドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨドヨ⋯⋯⋯⋯
 レオンの実家のマルクス家は、男爵という末席とはいえ立派な貴族だ。その三男であるレオンは、爵位はないが貴族名簿に記載されている。決して「得体の知れない者」というわけではない。
 レオンは、カネだったら欲しいが、爵位なんぞ欲しいと思ったことはない。クレクレとねだったこともない。トンチンカンなくるくるぱーの姿がおかしくって、笑ってしまった。
 笑ったのを見て、侯爵家のセガレ、激高!
「なにがおかしいっ!」
 手袋を投げつけてきた。レオンは、もうおかしくってしょうがない。こっちの世界でも手袋を投げつけるのが、貴族の決闘の申し込みなのかぁ。手袋を拾ってセガレくんに放り返してやった。   
「フフフ⋯ワハハハハハハハ! ジルベール、あの剣を持ってきてくれや」
「おう、センパイ」
 侯爵家の子息にふさわしくない返事をして、一分も待たず面白そうに長短二本の剣を持ってきてくれた。長い剣が百センチ、短い方が七十センチほど。日本刀に似ている。軟禁が解けてすぐに王宮の武器庫をあさって持ち出した。王室蔵だけあって、よい剣だ。
 剣を立てて、これ見よがしに長さを比べる。
「長い方を使わせてやるよ」
 当たり前のように長剣を渡した。受けとってしまったのが、セガレくんの生涯の不覚となった。
「じゃあ、決闘。プッ! やろうか。死んでも文句いうなよ。ププッ!」
 短い刀の刃が上を向くように鞘ごと腰ベルトに差し、柄に手を当てて近づく。三メートル⋯⋯二メートル⋯⋯一メートル⋯⋯。
「どうした? ホレ、抜けよ」
 玉座の前で刀を抜いて斬り合ったりしたら、その場で拘束される。ひとつ間違えたら死刑だ。いや、それより、抜いたら間髪入れず斬られるだろう。レオンの剣は、鞘に入っているのに?
 思わず一歩後ずさると、レオンは間合いを広げず中腰で追ってくる。腕に覚えのある貴族は、なにが起こるかは分からないが、セガレくんは死んだと思った。
「おやめなさいっ!」
 ジュスティーヌ第三王女が、王族の席から立って、色をなしている。白いドレスをひるがえし降りてくると二人の間に割って入り、レオンに向かった。
「無益な殺生は、なりません。これでは、ただの人殺しではありませんか!」
「ケンカを売ってきたのは、こいつだろ。ケガするぞ。どけ」
「おねがいです。おねがいですから⋯⋯」
 レオンは、鞘ぐるみで剣を腰から引き抜いた。鞘でグリグリやるか、ひょっとしたら殴りつけて王女を排除しようと考えたようだ。さすがに多数の貴族の面前で王族にそれをするのは、まずすぎる。今度はジルベールが、二人の間に入ってレオンの腕をつかみ、どうにかこうにかなだめようとする。
「まあまあまあまあまあまあ⋯⋯ねっ? たのむよ、センパイぃ。王女様のお気持ちも考えてさぁ⋯⋯」

 その場で腰を抜かしてしまったセガレくんは、王宮親衛隊の騎士に引っ張られていった。
 二人の親しい?やりとりを聞いた貴族の多くは、レオン・ド・マルクス伯爵とジュスティーヌ・ド・フランセワ王女は、もう男女の関係にある、と見た。しかもレオンの方が上位に立ってる? ⋯⋯それは誤解なのだが。国王の前で痴話喧嘩するほどなら、二人の結婚は間近だろう。ならばレオンは、準王族扱いだ。だれもレオンが連行されないことを不思議には思わなかった。
 血を見ないで済んだことに、レオン以外の全員がホッとした。最後に国王夫妻のお言葉を賜って終わりである。おとなしい性格で公的な場ではほとんど口をきかない王妃が、母親らしい気遣いを見せた。
「ジュスティーヌが、救われた礼にと、そなたをお茶に招待したいと申しておりました」(*訳 ジュスティーヌは貴方のことを好きなようだけど、貴方はどう思っているの?)
「私のような無骨者が、招待されるなど⋯⋯。ご遠慮申し上げます。王女殿下のお茶会なら、もっとふさわしい方がおられるでしょう」(*訳 いやなこった。もっといい男を探しな)

 国王は、レオンが権力目当てで娘に近づいた男ではないことに安堵したような、これほど出来た娘に目もくれない男に腹が立つような、複雑な気分だった。
「貴下は、これからなにを望むのかな?」
「当初の目的である聖都ルーマを訪れ、それからセレンティアの聖地巡礼の旅に出るつもりです」
 健気なジュスティーヌが、口をはさむ。
「わたくしも、ルーマ巡礼の途中でしたの。今度は、マルクス伯爵が同行してくださるから、安心ですわね」
 娘のなりふり構わずすがりつく必死の姿に両親ともに、これはもうなにもこの子を止められないと観念した。「この粗暴な男のどこが良いのか?」。レオンは心底嫌そうな顔をしている。付き人のフォングラ侯爵家のセガレが肘でつついているのが王座から丸見えだ。
 レオンだって冷静になれば親の前で、「まとわりついてくるなよ。うぜぇな」などと言うわけにもいかない。黙って聞き流すことで、お断りの意志を示したつもりだったが⋯⋯。相手は権力者の娘だから、断るのも大変だ。
 とにかく、なんとか謁見の儀は終わった。国王の面前で斬り合い寸前の決闘騒ぎを起こした男として、レオンはフランセワ王国の貴族界で話題になった。

 レオンは、なにもわざとジュスティーヌを苦しめているわけではない。現世の空港反対闘争の敗北的なありさまに怒って荒れているうえに、弥勒の手で踊らされるのが気にくわないのだ。なにが狙いだよ? 弥勒の野郎は「人の心を操ったりしない」とか言ってたくせに! 
 オレなんぞと関わったら、だれであろうと不幸になる。新東嶺風は、三度連続でひどい死に方をした。一度目焼死、二度目めった刺し、三度目めった刺しの首チョンパ。どうせ四度目もそんな死に方だろう。
 あの子は、王女サマなのに度胸があって性格が良いらしいから、なおさらだ。さっきも手袋決闘野郎の命を助けてやった。優しいよね。顔面を斬られて大怪我した直後なのに剣の間に割って入るなんて、なかなか出来ることではない。巻き添えを食わせたら、気の毒だもんな⋯⋯。
 徒歩で聖都ルーマまで行きたかったのだが、王宮は、なにがなんでも絶対に馬車で送り届けてくれてしまうつもりだ。旅は歩きで、観たり聞いたり話したりが面白いんだけどなぁ。
 旅支度という名目で王都パシテをうろつき回ることにした。護衛兼監視役にジルベールが同行する。自分で「スパイですよー」とか言って笑っている。傍目には、貴公子をレオンが護衛しているように見えただろう。
「王サマのくせに、みみっちいよなぁ。二千万ニーゼだってよ。借金を返したら、千五百万ニーゼしか残らねーや」
 一週間で五百万ニーゼも飲んだり食ったり抱いたりしたのかよと、ジルベール君は、苦笑い。
「そういう前例らしいですよー。王子を助けたんだったら、五千万ニーゼになったんですけどね」
 この世界は、階級社会なので男女差別も当たり前にある。フランセワ王国は、まだマシな方だ。
「性差別で損こいた! でもよぉ、二千万ニーゼで伯爵家を立てろったって、そりゃあ無理な話しだぜ」
「ですよねー」
「王サマが職でも世話してくれるのかなぁ。⋯⋯つまらない仕事なら、辞退するけど」
 そんなことを話しているうちに『山みち宿本店』に着いた。野盗騒動で焼いちまった宿屋の本店だ。


「失礼。ご主人にお会いしたい」
 初対面の人に会う時には、外見は大切。どう見ても上位貴族のジルベールと、貴族に見えなくもないオレの二人組。立派な応接室に通してもらえた。
 ジルベールは、『?』になっている。出てきた菓子をボリボリ食っていると、番頭がやってきた。やはり、『?』だ。
「レオン・ド・マルクスといいます。焼けちまった日に『山みち宿』に泊まってました」
「それは、大変なご迷惑をおかけしまして⋯⋯」
 かなり警戒しとる。当然か。
「野盗と斬り合った時に火がついたのは、オレにかなり責任があるんですよ」
「かなり責任がある」どころか、オレが火をつけたんだけどね~。うははは⋯⋯。付け火しなければ殺されてたし。
「弁償金を持ってきました。受け取って下さい」
 ドーン!
 千五百万ニーゼ分の金貨を入れた袋をテーブルに置く。十五キロ。
 驚いた番頭がなにか言ってたが、さっさと出てきてしまう。
「やれやれ、肩の荷が下りたぜ。ルーマまでは、タダで連れていってもらえるからなあ。あとは隊商の用心棒でもして、セレンティアを巡るさ」
 ジルベールは、なんだか真面目な顔をして見ていた。どうした? そのまま案内を頼み、王都パシテの名所を観光する。
 どこにだって、うまくて安い店はある。子供のころは下町貧乏庶民で今は貴族のジルベールは、そんな店を知らなかった。でも、店構えと客層を見たら、なんとなく分かるんだよねー。良さそうな店に入り込み、夜中まで飲み食いした。ジルベールのおごりだ。カネは、もう残ってない。まぁいい。安くて旨い酒を呑んで、店仕舞いで追い出されて、二人で馬鹿笑いしながら夜中に王宮に戻った。

 翌日王宮では、『あの』マルクス伯爵が国王陛下から賜った二千万ニーゼを一日で使い尽くしたと評判になっていた。その話を聞いて一人だけ喜んだ者がいる。
 ジュスティーヌ王女は、「レオン様が、おカネを全部使われたのでしたら、もういやらしいお店には行かれませんわね。うふふ」。そう言って噂を持ってきた侍女のアリーヌに、にっこりしたのだった。


 持ち金は使い尽くしてしまっても、王宮では三食寝床つきなのでレオンは、なんの不自由もなかった。楽チンである。とはいっても常にゴロゴロしてるのは、よろしくない。せっかくなので、王宮親衛隊の連中に剣術を指南したりもした。
 軍隊じゃなく護衛隊なんだから、大太刀はやめろ。屋内で突発事が起きることが多いのだから、取り回しのよい短い剣を予備で持て。敵が大剣を力任せに打ち込んできたら、初太刀は受けずに外せ⋯⋯。
 意外にも貴族の子息騎士や女性騎士たちは、強くなりたいという意欲が旺盛だった。喜ばれると嬉しいので、毎日寄って先手とスピード重視の現代日本の剣道を指導して強くしてやった。竹刀を真似た模擬刀を工夫して打ち合わせた。打ち合いは、ずいぶん楽しいようだ。しかし、ちゃんとした防具が無いので、改善されたとはいえ怪我が絶えない。骨折などはどうしょうもないが、切り傷などは、例の『女神の光』で治してやる。毎日二名にしか使えない傷治しだ。周囲の反応は、ちょっと異常だった。どんな熱心に稽古していても『女神の光』を使うと止まる。そこにいる全員が取り囲んで、光が傷を癒してゆくのを畏怖の目で見るのだった。
 第五王子の怪我を治したこともある。子供が転んで怪我するなんて当たり前だ。お付きの侍従や侍女を罰さないことを「女神との約束な」と、勝手に宣言してから治した。この件で『女神の光』は、王室公認になったらしく、ずいぶん評判が上がったようだ。
 王宮親衛隊は、百五十人の中隊が四つで六百人が交代で勤務している。女性王族や貴族も多いので、軟禁中に鞘でやり合ったエレノアちゃんみたいな女性騎士も五十人ほど在籍している。王宮だけあって見栄えも重視されるらしく、みんな美人だっ! 女の子に剣を指南すると尊敬されたりチヤホヤされたりで、すこぶる気分が良かった! 気分いいぞお!
 手袋決闘野郎と、謁見の間でどのように戦おうとしていたのか訊かれ、居合いを見せた時は大ウケだった。映画で観て格好良かったので一年くらい居合いの道場に通った程度の未熟な技なのだが、こちらの世界の人たちには神業に見えたようだ。
 巻き藁の代わりに倉庫の奥に転がっていた古カーテンを巻いて立てた。武器庫から持ち出した日本刀に似た剣を刃を上にして腰ベルトに差し、柄に手を置き、中腰でつつつつ⋯⋯カーテンに近づいて⋯⋯
「たっ!」
 鞘走りで抜きざまに、下から上に逆袈裟斬りにした。巻きカーテンが二つになって落ちた。

 シ─────────────────ン⋯⋯

 しばらくは水を打ったような静けさで、それから拍手喝采となった。貴族の子息とはいってもまだ若い。それに今は騎士だから血の気も多い。こんな芸が大好きみたいだ。『女神の光』の定員は一日二人までなのに、真剣で居合いの真似ごとをして大きな切り傷をつくる者が続出した。ひとつ間違えると一生腕が動かせなくなる大怪我をしかねない。危険なので居合い遊びは禁止にした。
 そんなこんなでいつの間にやら王宮親衛隊の剣術指南係みたいになり、『達人』『剣神』『十四人斬り』などと呼ばれるようになった。
 次世代の官僚貴族の中心になる若い王宮親衛隊騎士たちとの師弟関係は、後に生きてくることになるだろう。

 レオンと直接に言葉と剣を交わしている王宮親衛隊騎士たちは、レオンの凄まじい(ように見える)剣技はまだ人間業としても、『女神の光』には強烈な畏れを感じていた。国王陛下が勅令で『女神の光』に関する情報を国家機密に指定して、外部に漏らすことを厳重に禁じているほどなのだ。なのにレオンは、下働きのメイドが厨房で指を切ったのを見つけて、『女神の光』でホイホイと癒したりする。レオンにとって、王子も下女も関係ないようだ。
『女神の光』の神力を持っているからには、女神セレン様に近い方に間違いない。セレンティアにおける女神セレンといえば、輝くばかりに美しく気高い絶対の存在であり、絶大な神力を持って万物を癒し、豊穣をもたらす美と光と癒しの女神だ。でも、あまりに不敬を働くとお怒りになって、『女神の火』で一国くらいは吹きとばしたりする。めったにないことだが⋯⋯。
 女神セレン様の昇天後に顕現された聖女マリア様は、女神セレンに仕える神殿の神女だった。静かに微笑む美しい栗色の髪の優しい女性で、女神セレンの昇天の際にお供して神界に昇られ、癒しの神力を授けられて下界に戻られた。慈愛と自己犠牲の聖人だ。裸足で貧民街をおとずれてあばら屋に住まい、迫害されながらも貧しい者のために寝食を忘れて尽くし、全てをなげうち癒しを行った。
 ⋯⋯⋯⋯レオンさんは、ぜんぜん違う~。男だし、女と暴力が好きだし、大酒飲みで浪費家で、人を殺したし⋯⋯。

 稽古の怪我の『癒し』の最中に、騎士の一人が勇気を出してたずねた。
「あの、それは、どうやって⋯⋯?」
 ゴクリ⋯⋯。皆がききたかったことだ。
「ああ。オレは、一度死んでなぁ。あの世でセレンにもらったんだよ」
 本当は女神セレンではなくて菩薩になった弥勒五十六がよこしたんだけど、セレンを創ったのは弥勒だ。同じことだろう。
 そこに居合わせた皆は、足のふるえを止めることが出来なかった。女神と会った? 女神セレン様の眷属なのか? この人はいったい⋯⋯?
 その夜には国王より、「レオンに、女神セレンや女神の光の質問をしてはならぬ」という禁令が下された。

 軟禁が解けた後の王宮は、レオンにとってなかなか居心地がよかった。普段はきりっとした美人騎士の女の子たちにチヤホヤされて楽しい。このまま王宮に居着こうかな~、と思っていたら、急に聖都ルーマに出立することが決まった。
 なぜだ?

 ジュスティーヌ王女付きの侍女であり、いっしょに野盗に襲われたアリーヌは、意外にもなかなか地位が高かった。名前も偉そうだし、職名も偉そうに聞こえる。常に王族に関わる仕事なので、王宮の警備部と保安部に、こっそり行動を確認されているほどだ。
 アリーヌ・ルイーズ・ド・スタール 伯爵令嬢
 パシテ王宮一級侍女職王家担当第三王女付第一侍女
 王宮警備部要警護対象:B(担当係官による定時所在確認)
 王宮保安部要視察対象:A(担当係官による行動範囲及び交友関係の定期点検)

 ちなみに『王女』の場合は、こんな感じである。
 ジュスティーヌ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネ・ド・フランセワ 第三王女殿下
 フランセワ王国王家アンリ二世陛下及びカトリーヌ陛下御息女。王位継承権六位
 王宮警備部重要警護対象:S(担当係官による常時所在確認)
 王宮保安部重要視察対象:S(担当係官による行動範囲及び交友関係の常時点検)

 余談だが、侍女や女官は王宮警備部に定期的に所在確認をされている。なので騎士などとデキるとたちまちバレる。のちにレオンが出世して警備部の記録にアクセス出来るようになると、侍女たちの行動記録を引っ張り出し、「うはははははっ! アイツとアイツがー♡」と、大いに楽しんだ。

 伯爵位くらいの中級貴族にとっては、自家から王宮や王家と直接繋がりが持てる王宮侍女を出すことは、本人だけでなく一族にとっても大きな利益になる。特に王族付き侍女の採用には、コネは通用しない。忠誠心を第一に、容姿をも含むあらゆる能力を考慮し、実力本位で選び抜かれるのだ。おそろしく狭き門である。
 ところが当時九歳のアリーヌは、ジュスティーヌ王女に会った瞬間に、出世や家のことなんかどうでもよくなってしまった。「なんと美しく気高くお優しい素晴らしい方なのかしら。ジュスティーヌ様にお仕えするために、わたしの人生はあるんだ」。それ以来アリーヌは、ほとんど実家のスタール伯爵家に帰らず、ジュスティーヌ王女の側で仕えてきた。
 最も優れた少女が王家付きの侍女になり、侍女の中でも地位が高い。アリーヌは、中位貴族家令嬢出身の侍女たちのリーダー的存在でもあった。その人脈を使いアリーヌには、ちょっとしたスパイの才能があった。王宮を巡っては、ジュスティーヌのために情報を仕入れてくる。ジュスティーヌのための情報といえば、想い人であるレオンについてだ。正直なところ、「あんな男は、ジュスティーヌ様にふさわしくないっ!」とは思っていたが、「ジュスティーヌ様がお望みになるなら、手足となって働くまでです」。
 あの男が毎日出入りしている王宮親衛隊の騎士たちには、レオンはイヤになるほど評判が良かった。畏怖されていると言ってよいほどで、とても悪口を言える雰囲気ではない。いつの間にやらローゼット子爵夫人騎士とも関係を修復しており、若い女性騎士たちにチヤホヤされて喜んでいる。やっぱりフケツな男だった。
 中下位貴族令嬢出身の侍女の間では、⋯⋯やはりレオンの評判は良かった。だれにでも愛想が良くて侍女が大荷物を抱えて困っていたりすると、ニコニコしながら手伝ってくれたりする。ちょっとお高いエリート侍女のアリーヌがレオンの悪口をふれ回ろうとしても、冷たく無視され嘘つき扱いされるありさまだ。侍女にまで取り入ったりして、イヤらしいやつなのだった。
 王宮の実務を担う女官たちにも、レオンはウケが良かった。毎日一度くらい女官の仕事部屋に顔を出して、嬉しそうに書類仕事を手伝う。「レオン様が手伝って下さると、アッという間に仕事が仕上がるわ」などと評判は上々だ。あの男は、女官たちまで抜け目なく籠絡してゲレツな正体を隠しているのだった。
 極めつけは、レオンが下階に降りていくのを見かけて、あとをつけた時のことだ。アリーヌには下賤な下女に見えるメイドたちに囲まれて女神イモ、⋯女神様が下されたからジャガイモを女神イモと呼ぶ、その女神イモの皮なんかをむいてメイドたちに愛嬌を振りまいて喜んでいる。下働きのメイドとはいっても、そこは王宮勤めだ。平民でも、だいたいが良家の娘である。年頃の可愛い少女ばかりだ。
「もうっ! 伯爵さまったらぁ♡」
「ふははは! 三個いっぺんに女神イモをむくよ~」
「きゃー! 伯爵さまぁ。すごぉーい♡」
「カワイイなぁ。もっと女神イモむくから、およめさんになってくれー」
 やだー♡ キャッ♡ キャッ♡ キャッ♡ キャーン♡♡
 アリーヌは、地団駄踏みたくなった。
「この男はぁぁぁ⋯⋯っ!」
 このイヤラシくてイヤラシイィっゲレツな男は、王宮中の女を引っかけようとしてるんじゃないのっ? きっと人目につかないフケツな所で、フケツなことをしてるんだわ! ヒドイ!

 アリーヌのスパイ情報は、全てジュスティーヌ王女の耳に入った。レオンが王宮中の女の間をうろつき回り、メイドの仕事部屋にまで入り込んで愛想を振りまいていると聞いたときには、さすがにしばらく考え込んだ。やがてツイと立ち上がると、父王に謁見を申し込んだ。

「国王陛下。いえ、お父さま。お願いでございます。わたくしがルーマに同行することを、どうかお許し下さいませ。わたくしは、レオン様から離れたくないのです。レオン様のお側で、ずっとお世話させていただきたいのです。お父さまは、女神セレン様の眷属がこの国に顕現されたことを、どのようにお考えになってらっしゃるのですか? レオン様は、この国に必要とされる方です。わたくしが、かならずフランセワ王国に連れて帰ってきます。ルーマなどには渡しません」
 これがあのジュスティーヌの言葉なのか? 父王は、王女である自分の娘がこれほど情の深い性格を潜ませていたことを知り、驚き、とうとう諦めた。
 その夜には、数日後にレオンが聖都ルーマへ出発することが正式に決まった。
 ジュスティーヌが、レオンのルーマ行きに同道すると耳にしたアリーヌは、仰天した。事実上の家出にすら黙って従うほどジュスティーヌを無条件に肯定するアリーヌだったが、こればかりは納得できない。十二年の王女付き侍女人生で、初めて姫様に意見した。
「姫様、あの男はふしだらです。そのようなことは、おやめなさいませ」
 ジュスティーヌは、苦しそうだ。
「⋯知っています。でも⋯一緒にいられるなら⋯我慢します」
 我慢って⋯⋯。そんな、ひどい! なんで姫様がっ、こんなことをっ。
「あの男は、いやらしくて、乱暴で、大酒飲みで、人殺しですっ! いっしょになっても、絶対に幸せになれませんっ!」
 命を救ってもらっておいて、「あの男は人殺し」もないものだが。
「あのね、アリーヌ。あの人は、わたくしの持っていない⋯いいえ、想像もできないものを、たくさん持っているの。だから好きになってしまったんだわ」
 姫様が持ってないものなどない、と固く信じるアリーヌには、納得できない。それに、それに、あの男は、あろうことか姫様を嫌っている。
「あの男は、ひ、姫様をきらっ⋯⋯愛していません。卑しい魂胆があるんです。お分かりにならないのですか?」
 侍女に言われなくても、本人が一番分かっている。悲しそうだが、ジュスティーヌは、強かった。
「今は。でも、いつかは愛されるよう努力を⋯⋯」
 そんな、ひどい⋯⋯。姫様は幸せにならなければいけないのに。きっと心がお疲れになっているのだと思った。
「お心が乱れてらっしゃるのです。どうか、しばらく落ち着かれてお考え直し下さい。あの男とルーマなどと⋯⋯」
 七歳から一緒だったアリーヌにすら分かってもらえないことが、ジュスティーヌには、さびしかった。
「わたくしは、ほとんど王宮から出ることもままならない王女です。あのような人と会えることは、二度とないでしょう。⋯あの人を失ったら、わたくしはきっと死んでしまう⋯⋯」
 その後、体調が悪くなってしまったアリーヌは、自室に下がるとベッドの中で一晩中泣いた。
 

 なんか知らんけど、急にルーマ巡礼の日取りが決まった。ようやくかぁ。
 出発はありがたかったけど、ジュスティーヌ王女サマが同行すると言い出した。女についてこられても迷惑なので、面と向かって苦情を言った。まあ、貴族的な婉曲話法を使ったつもりだけど、それでも標準よりは直接的だったらしい。アリーヌににらまれた。
「マルクス伯爵がルーマに行かれることがご自由なら、わたくしがルーマを巡礼することも自由ではないかしら。ふふっ」
 ジュスティーヌ王女は、こんなことを言ってウフフと笑い、話を聞かないであっちに行ってしまった。さすがは生まれながらの権力者王女サマ。まるで運輸省や空港公団だ。聞く耳を持たねえなぁ。
 徒歩は無いと思っていたが、なんだか⋯大名行列みたいだ。小型馬車一台を用意してくれればありがたいくらいなのに、でっかい馬車が五台も行列して、護衛の騎馬隊騎士が二十人くらいついてくる。税金をこんなことに使っていいのか? しかも、面倒くさい女三人と同じ馬車に入れられた。とてつもなく気が重い。
 ジュスティーヌ第三王女
 アリーヌ第一侍女 伯爵令嬢
 マリアンヌ第二侍女 伯爵令嬢

 第二侍女のマリアンヌの名前は、正式には、マリアンヌ・ジェルメーヌ・ド・ヴァルクール伯爵令嬢。職掌は、パシテ王宮一級侍女職王家担当第三王女付第二侍女。アリーヌもそうだが、なんだかすんごく偉そうだ。しかもこいつは、アリーヌよりたちが悪い。腹に一物抱えていやがる。
 うあ~。息苦しい。いやだ。
「メイドの女の子たちと同じ馬車がいい」。そうジュスティーヌ王女に言ったんだけど、「まあ、伯爵ともあろう方が、メイドと同じ馬車が良いなんて。うふっ、ふふふっ⋯⋯」。
 一笑に付されてしまった。だいたい、オレのルーマ行きのはずなのに、ジュスティーヌ王女の馬車列になっている。それは別にかまわないんですが⋯⋯。八日もこいつらとカンヅメかあぁ⋯⋯。
 アリーヌは、ちょっとキツネ顔の長身の美人なんだが、常にオレをにらんで敵意むき出し。
 ジュスティーヌ王女は、容姿言動すべてにわたって『ジ・お姫さま』というオーラを発している。姿勢良く座り、ずーっと黙ってすましている。無駄口を叩かないのは、王族だからだろうか?
 第二侍女のマリアンヌは、ちょっとタヌキ顔の愛嬌美人⋯⋯。胸はデカいが身長は普通ぐらい。まあ、王宮侍女に、背の低い娘はいない。こだわりがあるのかな? たまにさりげなくオレの様子を窺うそぶりを見せる。
 マリアンヌは、ルーマ無断巡礼事件でジュスティーヌの出奔を国王に通報した。ジュスティーヌに無条件にしたがい、腰を抜かしながらも命がけで主人を護ろうとしたアリーヌとは違うベクトルで忠誠心が強いのだろう。
 こんな三人に囲まれてしまっては、面白くない。面白くねえよ! キャッキャッウフフのメイドちゃんたちの馬車の方が、楽しいのにぃ!

 臭いので窓を開けたら、アリーヌに怒られた。
「閉めなさい。風で姫さまの御髪が乱れます」
 女臭くて、もう耐えられないのだ。
「いやだね。なぜ臭い液をなすりつけてる? 鼻が落っこちそうだ!」
「無礼者っ! 閉めなさいっ! これは香水というんです。⋯知らないのですか? フフン!」
 なんぼなんでも香水くらい知っとるわ。嫌われてるなぁ。
「ジュスティーヌ⋯サマが、窓を閉めろって言ったかよぉ。おまえらは臭いんだよ。臭い! 臭い! もうガマンできんっ!」
 タヌキ侍女が割って入ってきた。
「姫さまの御髪が乱れないように、もう少し窓を閉めましょうね。姫さま、多少開けてよろしいですね?」
 まったく動じていないジュスティーヌ。あいかわらずシュッとして姿勢がよい。
「ええ⋯」
 マリアンヌは、ちょっぴりだけ隙間を残し、さっさと窓を閉めてしまう。
「このぉ~。タヌキがぁ⋯⋯」
 唇に手先を当て、タヌキが上品に微笑む。
「イヤですわ。わたくし、マリアンヌという名前ですのよ」
 お品が良いよなぁ。「ですわ⋯」「ですのよ⋯」だとさっ! うまく化けやがって。
 相手が男だったら、どうとでもなるんだが。女をブン殴るのは気が引ける。てか、王女をぶっ飛ばしたら死刑になるかもしれない。女三人対オレ一人で、どうにも分が悪い。八日もこの調子かと思うと、心底ゲンナリした。

 夕方、高級宿に着き、二番目に良い部屋をあてがわれた。一人でボンヤリしていてもつまらないので、小銭を持って安居酒屋や宿場町につきものの売春宿を探しに行く。⋯全部閉まってやがる。なぜだー?
 大勢で行ったら店を開けてくれるかもしれない。護衛騎士の詰め部屋に行ってみる。王宮の剣の稽古で、もう皆とは顔見知りだ。
「うほーい。遊びにきたぞー」
 最初はお高い貴族の子息だったのだが、最近いい感じに崩れてきた。みんなで囲んで、「どーでした?」「どーでしたか?」などときいてくる。どうやら王女馬車同乗の件で、うらやましがられているらしい。いやいや、辛いぞ。ずーっとあの三人と馬車に乗っているのは辛い。
 ジュスティーヌは当然だが、アリーヌとマリアンヌも男どもに人気がある。同世代の貴族娘の中では出世頭で、容姿でも目立つ存在だとか聞いた⋯⋯。キツネとタヌキがかあ?
「へー。でも、アリーヌはオレを嫌っていてにらんでくるし、マリアンヌは腹黒タヌキだぜい。二人ともジュスティーヌ⋯サマ中心で、一緒にいても面白いことはなーんにもないぞー」
「でも、ジュスティーヌ殿下は、レオンさんのことを、えっと、お好きなんでしょ?」
「王女サマには興味ない。迷惑だ」
 これにはそこにいる全員が、あきれかえった。
「なぜ、ジュスティーヌ殿下が、レオンさんの巡礼旅行に同行されたか。意味は、お分かりになりますよね?」
「聖都ルーマに行きたかったんだろ。でも、オレがジュスティーヌ⋯サマに同行させられているみたいだ。軒を貸して母屋をとられる⋯⋯」
 皆は再び驚いた。剣の達人で、人を見る目も人間的魅力もある。末席とはいえ貴族の生まれだ。なのに貴族同士のやりとりの機敏は、この人にはまったく理解できていない。
 周囲に大勢仲間がいるので、気が大きくなっていた。親切にも親衛隊騎士たちは、噛んで含めるように教えるつもりになった。
「男性の旅行に未婚の貴族女性、まして王族の女性が同行するなどということは、結婚直前か十年来の婚約者でもない限り、あり得ません」
 ええっ? 結婚直前? 気づかぬうちに、変なところに追い込まれている?
「おまえらが、ついてるじゃんかよ⋯⋯」
「貴族社会は、そうは見ません。王女殿下のご同行には、特別な意味があります。国王陛下のご裁可が必要です。つまり、国王陛下から結婚せよと下命されたのも同然なんです。現に社交界では、ジュスティーヌ殿下とマルクス伯爵のご結婚は既定の事実として⋯⋯」
 オレは、聖都ルーマに行きたかっただけなのだが~。
「勝手に他人の結婚を決めるなよな⋯⋯」
「え? ジュスティーヌ殿下と結婚するのが、イヤなんですか?」
「ああ、イヤだ」
 これには、全員がたまげた。
「だ、だって、王族ですよ? 王女殿下ですよ? 結婚したら準王族あつかいで、大出世できますよっ⋯?」
「女に頼って出世なんか、したくねぇよっ」
 弥勒の手の上で転がされるのは、腹が立つしな。
「だいたいオレは、だれにも結婚を申し込まれたり、つき合ってくれとか、好きだとか言われてもいない。なのに藪から棒に結婚とか、おかしいじゃねぇか」
「えっとですね。⋯⋯フランセワ王国に帰ったら、すぐ内々に『問い合わせ』があるはずです」
「断ればいい。断るっ!」
「これほど表に出てしまったら、断れませんよ~」
 ⋯それって、『問い合わせ』じゃなくて強制だろ。なんで結婚を強要される? おっ、名案を思いついたぞ!
「ああ! フランセワ王国に帰らなければいいじゃないか! しばらく行方をくらませてもいい。存在しない者とは、ケッコンできない。王女サマの気まぐれにつきあってられるか! すぐに熱が冷めるだろうよ。はっ!」
 げえ─────────っっ!!!!!
 一同はさらに驚愕した。マズい。これはマズいっ。この人なら本当にやりかねない。いや、必ずやる。
「どっ、どこが? ジュスティーヌ様のどこが気に入らないんですかっ? 王族で、性格が良くて、あれほどの美人ですよっ? フランセワ王国で、一番美しい方ではないですか?」
 顔については、考えなかったなー。どうせ皮を剥いじまえば、みんな同じだし。
「一度死んで、あの世で女神セレンに会った話しはしたよな。セレンに会ったことがあるヤツはいるか?」
 !
 みんなギョッとした。レオンに女神セレン様の話を聞くことは、国王から禁じられている。
 セレンティアでは十五歳からが成人。二年の訓練や見習いを経て、親衛隊騎士は、十七歳から二十二歳の者が中心だ。女神セレンの昇天が二十一年前だから、ここにセレンを見た者が一人もいなくても不思議ではない。
「お姿を拝したことがある。二十三年前だ」
 ラヴィラント伯爵だ。野盗騒動の時には、ジュスティーヌ王女救出に駆けつけた騎馬隊の隊長だった。帰りの道中で遊ぶカネを貸してくれたっけ。国王の信頼が厚く、今回の巡礼団の隊長に指名されたらしい。
「でしたら分かると思うんですけど、セレンのあの美しさは⋯⋯」
 セレンの造形は、セレンティア人の美意識を抽出して結晶化させたものだ。神々しく見える神力のたぐいも放出させている。人間離れした美しさは当然なのだ。⋯人間じゃないし。
「ううむ。しかし、セレン様は人を超えたる美神。女神とお較べするのは、あまりにも酷⋯⋯」
「ええ。セレンの美しさは、ケタ違いですよね。そんな女神と対面して長時間話したものだから、人間の美しさにあまり心が動かされなくなったと言いますか⋯⋯」
 正しくは、前々世の自分がセレンの中に入って超絶美少女神になったせいで、基準が自分の顔=女神セレンの顔になってしまったのだ。容姿でレオンの心を動かせるような人間はいない。そうはいっても、女自体や女を抱くことは好きなのだから、奇妙だ。
 女神セレン様と長時間話した! そのせいで美人が美人に見えなくなった? 親衛隊騎士の一同は、レオンの王家に対する尊敬の念が少なく感じられることや、常識のない変人なのも仕方ないと納得できてしまった。
 親衛隊騎士の中にアリーヌ侍女の手の者が、まぎれこんでいた。レオンにエロ見世物小屋に連れて行かれて迷惑したローゼット子爵夫人騎士である。レオンとは仲直りしたものの、アリーヌとは友達だった。ローゼットからアリーヌを通して、レオンの言動は全てジュスティーヌの耳に入った。
 ジュスティーヌは、優しい女性であるが、常に王族としての矜持を保ち気位は高かった。生まれてからずっと彼女は、臣下にかしずかれてきたし、それが日常であり当然でもある。王族であるとともにジュスティーヌは、たぐいまれな美しさによって父王からさえ特別あつかいされてきた。なので比較相手が女神セレンだとはいえ、容姿に関して「どってことない」とレオンに切って捨てられたことに衝撃を受けた。
「王女なんかと結婚するのがイヤだから、フランセワ王国に戻らない」というレオンの言葉は、本音に違いない。ジュスティーヌは、そう長くもないこの旅で、なんとかレオンを振り向かさねばならない。それができなければ、レオンとの結婚話は消える。男に逃げられた王女と笑われることは我慢できても、レオンを失うことだけは想像するだけで血の気が引く思いがした。
 今までのように『王女サマ』の態度では、レオンは、うんざりしてしまう。では、どうしたらよいのか? 相手は、神界で女神と話しをして神力を授かるような男である。ジュスティーヌには、見当もつかなかった。ジュスティーヌに相談されたアリーヌとマリアンヌも途方に暮れてしまった。特にアリーヌはレオンのことが大キライだったが、姫さまのために知恵を絞った。

 翌朝、状況が改善されていた。
「おおっ。臭くないぞ。たすかるなぁ」
 マリアンヌが、満面の笑みで述べる。
「ええ。マルクス伯爵様のご要望にお応えして、わたくしたち、香水を自粛することにいたしました。いかがですか?」ニコニコ。
 アリーヌは、顔を背けている。「たかが成り上がりの伯爵風情が、偉そうに王女殿下に指図するなんてっ」。アリーヌの実家も伯爵家なのだが⋯⋯。
 アリーヌとマリアンヌは、姫さまのため健気に朝から情報収集にはげんだ。年の功でラヴィラント伯爵、既婚者のローゼット夫人騎士、レオンといっしょに遊びまわっていたジルベールたち。
 彼らの意見を総合すると、
「レオンがジュスティーヌ王女に関心も持ってないのが、最大の問題点だ。なんとか結婚に持ち込んだとしても、レオンの気性では自宅に居着かず、どこでなにをするかも分からない。蒸発する可能性すらある。不幸な結婚になることは目に見えている。まずは、両者に会話がなければ、文字通りお話にもならない。ルーマまで七日もあるのだから、二人きりで共通の話題や関心事を⋯⋯⋯⋯」
 そこまできて、詰まってしまった。「共通の話題や関心事」だって? レオンとジュスティーヌほど、生まれと育ちと性格が異なる男女は、なかなか無いんじゃなかろうか? 実際には、とてもよく似たところのある二人なのだが。

 馬車の中では、レオンは、ほおづえをついて外を眺めている。常にイライラしているようだ。斜め向かいのジュスティーヌは、シュッと背筋を伸ばし姿勢よく座ったまま黙っている。レオンの隣に座ったマリアンヌは、侍女仕事をしようにもすることがない。アリーヌは、レオンに対する嫌悪の念を隠せず、顔を見ないように背けている。
 本当はジュスティーヌは、レオンに話しかけたい。このままではダメだと焦ってもいる。しかし、なにを話題にすればよいか分からない。王族であるジュスティーヌには、もうじき二十歳になる今まで他人の気を引くために話しをした経験はない。王宮一級侍女の二人も、いつも王女の前で粘る者を剥がす役をしてきた。会話を盛り上げるような仕事なんかしたことはない。
 必然的に馬車内は、『墓場の沈黙』とでもいいたくなるような状態が続いた。ようやく昼になり宿場町に着いた。その宿場町で一番の高級宿の前に馬車列が止まる。レオンは、一刻も早く外に出ようと馬車が止まる前から扉を開け、飛び降りようとしている。
「レオンさま。あの⋯⋯あの⋯⋯」
 普段は立派に王女様を演じているのに、レオンの前で王女のペルソナを脱ぐとジュスティーヌは、うまく喋れなくなってしまう。
「お食事を、ご一緒に、ぜひ⋯⋯」
 なに言ってんだ、このオンナ?という顔で、レオンはチラリとジュスティーヌを眺め、馬車から飛び降りる。
「食事は、女性陣だけで心おきなくどうぞ。ワタクシは遠慮させていただきます」(*訳 いやだね。自分らだけで食いな)
 レオンは、腹を立てていたのだ。昨日の夜、小銭を持って居酒屋や見世物小屋や売春宿を巡ったのに、みーんな閉まっている。なんでも、「高貴な方が宿泊されるので、本日は悪所を閉じよ」とかいうお達しがきて、そろって臨時休業となったのだそうな。
 今日体を売らなければ明日メシを食えない娼婦だっていることを、レオンは知っていた。それに、こいつらのせいで酒が飲めない。遊べない!
 とてもジュスティーヌたちと一緒にメシを食う気にはなれない。権力を振りかざして細民の生活を圧迫するようなやつは、大キライだ。殺しちまいたい!
 売春宿にウキウキと女を買いに行くような男が、偉そうにそんなご立派なことを言えるのか?なのだが、とにかくハラが立ったのである。ストレスが溜まり、遊ぶこともできないレオンは、ひどく怒りっぽくなった。
 けんもほろろのレオンの態度に、今度はアリーヌが、カンカンに怒った。
「お待ちなさいっ! 姫様に無礼ではないかっ!」
 言いながらツカツカと近づき、レオンの顔を張り飛ばそうと手を出してきた。そのままおとなしくビンタされるレオンではない。パシッ! 難なくアリーヌの手首を受け止めてつかむと、ギリギリと握りつぶした。

 もう、いい加減に本気でハラが立ってきたぞ。同行を許してやったから、ケッコンしろだあ? ふざけんな!
「いっ、痛いっ! 放しなさいっ!」
 ギリギリギリギリギリギリギリギリ⋯⋯
「あっ、ああああ。いっ痛いっ! いやっ。放してっ!」
 この権力者の子分のキツネ女、どうしてくれよう。このまま腕をへし折って、王女もろとも殺しちまうか。野盗から命を助けてやったんだから、オレが殺しちまったってもいいよな!
 ギリギリギリギリギリギリギリ⋯⋯
 アリーヌの腕に、激痛が走り、麻痺してしびれてきた。
「ひっ。ゆるし⋯ご、ごめ⋯⋯」
 アリーヌは、その場に座り込みたくても、手首をつかまれなにもできない。「そうだわ。コイツは、野盗を十人も斬り殺した恐ろしい人殺しだった。なんで忘れていたんだろう?」。
 手首が痺れて消えてしまったような感覚と恐怖のあまり目がかすんできた。ポロポロ涙が出る。
 気づくとマリアンヌが、目の前に立っていた。アリーヌの手首を握っているレオンに慇懃に頭を下げた。
「どうか、この者の無礼をおゆるし下さい。おわび申し上げます。格段のお慈悲を下さいませ」
 深々と頭を下げている。どういうわけかマリアンヌを見たレオンは、ますますいきり立った。
「タヌキがっ。イヤだね。権力の女スパイがっ! こいつの泣き声でも聞いてなっ」
 普通の女なら震え上がるところだが、マリアンヌは動じない。スッと伸ばしたマリアンヌの手指が、ズブリとレオンの腕の筋肉にめり込んだ。
「てっ! ちっ!」
 脊髄反射のようにレオンの手が飛び上がり、腕を放した。その場でへたり込むアリーヌ。
 マリアンヌを見てレオンは、ニヤと笑った。
「へへ⋯⋯やるなぁ。さすがは王族担当保安員暗殺係。権力の手先だな? 公安か?」
 言うと同時にレオンは、躊躇なくマリアンヌの懐に入り当て身を食らわす。つまり腹をぶん殴った。
 ドスッ!
「うっっ」
 素早く背後にまわり、片手で腕を決めて締めあげた。
「かわいいアンヨが丸見えだぜっ」
 王宮で軟禁されていた時と同様に、侍女服のスカートをまくり上げる。なのにマリアンヌは、ほとんど抵抗できない。露わになった白い太股に、バンドで短刀が取りつけられているのが見えた。
「いただきぃ!」
 素早く短刀を引き抜いたレオンは、間髪入れず刃をマリアンヌの襟首に当てて侍女服に差し込み、うなじから腰まで一気に服を切り裂いた。
 ピ────────────ッ!
「あっ! いやっ!」
 マリアンヌの背中のブラジャーのホック部分にも細工があり、小型の短刀が取りつけられている。そいつも素早く取りあげる。
「おーっとっとっと、危ないなぁ。女スパイどもは、いつもこんなとこに光り物を隠してやがる。殺し屋がっ!」
 そう言うなりマリアンヌのブローチを鎖を引きちぎってむしり取った。少しブローチをいじくると、パラパラと灰色の粉が落ちてきた。
「毒か。てめえに食らわせてやる。死ねっ」
 転倒したマリアンヌに二本の短刀を投げ返した。結構な速さで顔面に飛んできた短刀を、似合わない素早さで受け取めるマリアンヌ。続いて毒入りブローチが飛んできて、口のあたりにぶつかった。
「短刀の二刀流⋯⋯。至近距離から投げても面白いし、斬り込んでもいい。こいよ。イヤならその毒を飲んで、死ねっ!」
 親衛隊騎士なら皆が知っている中腰で前のめりの姿勢で、マリアンヌにすり寄る。
「てめえ、オレを殺せと命令されてたよな? ん? 女殺し屋。イヌっ! いやな目つきでチラチラ窺いやがって。殺す機会を探ってやがったな」
 侍女に偽装した武装保安員のマリアンヌに、「どうにも手がつけられなければ、レオンの処分もやむなし」という内示があったのは事実である。とはいえレオンの暗殺は、国王が命令した場合のみ許される。暗殺命令が発せられる可能性があると聞かされただけで、マリアンヌがレオンの命を狙っていたわけではない。それでも暗殺準備命令にマリアンヌは、激しく動揺した。
 レオンは、マリアンヌの傍目からは分からない動揺とわずかな殺気から、暗殺されることもあり得ると判断していた。自分を殺そうと計画しているやつと同じ馬車に毎日十時間も乗るのは、いくらなんでも気が滅入る。
 これまでのわずか数年でレオンは、三度も死んでいる。三度とも気が狂うほど痛かった。神経がちぎれて性格が変わったんじゃないかと思えるほどの凄まじい激痛である。仏典では、死ぬ時の痛みは七本の剣で同時に貫かれるほどと書かれている。実際はそれ以上だった。二度と御免だと思っていたら、「今度は毒殺か?」である。神経毒で窒息してのたうち回って死んだり、腐食性の毒で内蔵を腐らせて血を吐いて死ぬ姿を想像したら、文字通りおぞ気立った。冗談じゃない!
 実際には賢明で穏健な国王は、今までに一度も暗殺命令など出したことはない。しかし、レオンはそんなことは知らない。ただ、マリアンヌが自分を殺す機会をうかがっていた事実があるだけだ。
「なにがケッコンだ。ふざけんなよっ。いつ毒を食らわされるかとヒヤヒヤしたぜ⋯⋯。おらっ! かかってこいよっ。殺すつもりだったんだろうが! 叩き斬って返り討ちにしてやるっ!」
 マリアンヌが背中を向けて逃げても、野盗の時のように脚を斬られて動きを止められ、とどめを刺される。女だからといって容赦する男ではない。
 このままだったらマリアンヌは、死んでいたはずだ。そこに天の助けがきた。今まで固まっていたジュスティーヌ王女が、二人の間に割って入ってきたのだ。
「申し訳ございません。わたくしどもが悪かったのです。どうかお怒りをお収め下さい。うっ⋯⋯」
 青緑の目がポロポロ泣いている。よほどマリアンヌが死ぬのがイヤなようだ。
「なにを権力者がしおらしげに。毒殺しようとしたくせに。おまえがこれを飲めっ!」
 激高したレオンは、地面に転がっていた毒ブローチを拾ってジュスティーヌに投げつけた。
「そんなことは決してありません。でも、レオン様の自由を⋯束縛してしまい、誤解を招いたことを⋯⋯」
 それでこれほど怒ったら、ただの異常者だ。毒殺に脅かされた以外にも、怒る理由はあった。
「だったらどうなるか飲んでみろっていってるんだよ! あんたの侍女は、いつもいつもいつもいつもオレの後をつけて嗅ぎ回り、盗み見し、盗み聞きし、ネタを集め、密告しやがってっ! そのうえ殺す機会を窺ってやがったっ! 遊び場所まで潰しやがったな! スパイ風情が偉そうに殴ろうとしやがったっ! おまえが指揮したのかっ! もう、ガマン、できん、殺すっ! 死ねっ!」

 現代日本の公安警察は、反体制的とみなした集団に組織的にスパイを潜入させる。情報を取るだけでなく、スパイに組織をかき回させたり、弾圧の口実をつくるため挑発行為をさせたりもする。新東嶺風の組織にも、スパイ・挑発者の潜入があった。スパイに売られて投獄された同志さえいる。
 アリーヌとマリアンヌは、害がないとはいえスパイみたいなことをしていたのには違いない。新東嶺風は、仲間を裏切って売るスパイが殺意を感じるほど、大大大大大大っ嫌いだった。
 ジュスティーヌは、その場から動こうとしない。
「二度とそのようなことは、させません⋯⋯決して。ですから、どうかゆるして下さい」
「どけっ! スパイと殺し屋を殺すっ! おまえは毒でも飲んでろっ!」
「どっ、どきませんっ」
 レオンの口調が、急に優しくなった。これは、かえって危険な兆候だ。死ぬ気になっている。
「ふぅ⋯⋯。あんたがどかなければ、親衛隊騎士が巻き添えを食らって大勢死ぬことになる。あんたもオレも死ぬ。なぁ、あんたは、前にバカやって護衛と馭者を三人殺してるよな?」
 だんだん激高してきて再び声が大きくなってきた。ここが王宮なら、とっくに斬り合いになっているだろう。
「王女だからって、なんでも思い通りになると思ったら、大間違いだっ! どけっ!」
 騒ぎにあわてて駆けつけてきた二十人の親衛隊騎士たちが、レオンとジュスティーヌを取り囲んだ。遊び仲間のジルベールや実直なラヴィラント伯爵の顔も見える。
 レオンが例の居合いを使ったら、ジュスティーヌは、〇・一秒で斬られて死体になるだろう。戦闘になっても、巻き込まれてやはり斬られる。
 囲んでいるのは、王宮騎士の二十人だ。一斉に斬りかかれば彼らが負けることは考えられない。しかし、あのレオンが本気で暴れたら、十人以上は殺されるか、腕を斬り落とされるぐらいの怪我は覚悟しなければならない。
 それに、王女が殺されたら⋯⋯このままでは殺されそうだが、護衛騎士は厳罰に処せられる。よくて投獄と家門断絶。最悪の場合は、死刑もあり得る。
 王女殿下。どうかおどきになって、マリアンヌとアリーヌを見殺して下さい。騎士たちは祈る思いだった。伯爵を殴ろうとした侍女や毒殺を謀った侍女が、その場で斬られても文句は言えない。

“そ こ ま で ”

 レオンの脳内に声が響いた。弥勒の声だ。やっぱり見ていやがったか。
 その場で王女を斬り殺しても不思議ではなかったほどのレオンの殺気が、瞬時に消えた。ガバと顔を上げ、空の一点を凝視している。数百メートル先の空中に、人の姿に似た『女神の光』が、銀色に輝いていた。
 その『女神の光』に、レオンが苦情を申し立てた。
「スパイだらけだ。暗殺される。どこにも行けん。なにもできん。なんの自由もない。これでなにしろってんだっ!」
 その場にいる者たちには、レオンの声しか聞こえない。しかし、眼前の『女神の光』は、明らかにレオンの声に反応していた。
 この光は、女神セレンが顕現される直前に現れる人の型の光の集合体であろう。ジュスティーヌ王女や手首を痛めたアリーヌ侍女まで、レオン以外のすべての者がその場に平伏した。

“そう、短気を起こすな。ルーマは面白いぞ。マリアが死んだ後に『ファルールの地獄』がどうなったか、見たくないのか?”

「ふん⋯⋯。だがこの様子じゃ、ルーマでも権力者どものペットにされる。家畜同然だろっ」
 ジュスティーヌ王女をはじめフランセワ王家は、レオンをペット扱いしたつもりはない。もちろん、よほどのことがない限り、殺す気もない。しかし、反権力意識が強い過激派出身の新東嶺風=レオンは、今の自分の状態を『権力者に飼い慣らされたブタ』と自己規定し、そんな自分にまで腹を立てていた。

“ルーマの大神殿は、押さえておく必要があるんだ。マリアの時はそれで失敗しただろ”

「ルーマの大神殿? じゃあ、フランセワでの仕事はどうする?」

“おまえの自由にして良いといったろ? でも、フランセワの方が仕事しやすいだろうな”

「もう面倒くせえよ。また、『女神の火』を使ってビビらせればいい」
 平伏しているすべての者が、ゾッとした。最も恐ろしいとされる神罰『女神の火』。その神罰を下されたら、地上の全てが焼き尽くされ地獄に堕ちるという。

“脅迫では、だめだ。人間の自律性を損ないたくない”

「権力で他人をしたがわせるのだって、変わらんだろうが」

“人間性に内在する権力性や暴力ならば、なんの問題もない。人とは、権力や暴力なしでは生存できない存在だからな”

「女神の『ドカン』はいけないが、組織で活動するのは問題ないというのか?」

“そうだ。フランセワ王国は、セレンティア世界で最も進んだ大国だ。利用すればいい”

「国家なんぞ階級支配の道具にすぎない。利用するのにこだわりはないが、貴族生活が性に合わないんだよっ」

“貴族なんかやめて、軍人になれ。軍隊は、国家権力の最大最強の暴力装置だ。使い勝手がいい。おまえは、トロツキストだろ。赤軍を創設するなり、革命戦争を始めるなり、世界革命を目指すなり、好きにすればいいぞ”

「⋯⋯ふーん。面白いな。あぁ、ちょっと短気を起こしちまった。癒しを頼む」

 ついさっきまで本気でアリーヌとマリアンヌを殺すつもりだったのだから、「ちょっと短気を起こした」どころではないのだが。ガタガタふるえているアリーヌの手をつかんで持ち上げた。
「いっ、いたいっ!」
 手首は腫れ上がり、かなり痛みそうだ。
 数百メートル先の女神光体から光線が照射され、正確にアリーヌの手首に当たる。瞬時に腫れが引き痛みが消えた。アリーヌは、畏怖のあまり地面に倒れると、再び平伏してしまった。

「こっちも頼む」
 マリアンヌを指差した。

“洋裁店じゃないんだからな~。こんな奇跡のたぐいはもう二度とないぞ”

 女神光線が照射され、引き裂かれたマリアンヌの侍女服が、元通りに直った。ちなみに王宮侍女服は、一般人の年収分くらいの値段がする。

“慈善活動をする必要はない。剣となり、望むようにこの世界を変えろ。いくら人が死んでもかまわない。どうせ二度も『ファルールの地獄』をやった連中だ”

 菩薩のくせに、ファルールの地獄をかなり根に持っている。

「剣か。そりゃあ、いいね!」
 前触れもなく瞬時に女神光体は消えた。レオンの機嫌は、すっかり良くなっている。
「赤軍かぁ。ふふふん⋯⋯。赤軍総司令官。国防人民委員。軍事革命委員会。武装蜂起。プロレタリア独裁。赤色テロル! 暴力革命! うん! いいね、いいね! やるかぁ!」
 気がつくと、騎士の連中とアリーヌ、マリアンヌ、それにジュスティーヌまでもが消えた女神光体に向かって跪拝している。
「あれ? どうしたんです? もう消えちまいましたよ。さあ、食事に行きましょう。ジュスティーヌ様、さそったのはあなたでしょう?」
 レオンだけ、すっかり素に戻っている。しかし、目の前で女神の奇跡を見せられた者たちは、だれも動こうとしない。動けない。
「ああ。あれは、オレを止めにきたんですよ。ここで斬り合って死のうと思ってましたから。でも、解決したんで、もう気にせんで下さい」

 レオンは、女の子を相手に血を見る寸前の騒ぎを起こした。いつものことだが、もちろんこれはレオンが悪い。
 レオンは、常にスパイされていると激怒していた。アリーヌやマリアンヌだけでなく、王宮の内外で常に複数の者がレオンを監視していたのは事実である。なにをするか分からない人物だし、聖都ルーマのバロバ大神殿長とフランセワ王国の国王が、二十年ぶりに顕現した女神の眷属らしい者のルーマ訪問に関して折衝している最中だ。万一にでもレオンが行方をくらませたら、大問題になってしまう。
 なので、どこにいてもレオンをつけてくる者が、視界の隅にチラチラする。新東嶺風だった時に、公安警察から公安調査庁、はては自衛隊の情報保全隊やら警務隊とかいうわけの分からない連中にさんざん尾行された経験があるので、レオンは王宮保安部の素人くさい尾行に容易に気づいた。一週間も監禁された後にそんな尾行が続くと、レオンはもう実に鬱陶しくてたまらなくなった。
 マリアンヌ第二侍女が、要人の警護にあたる保安員であることにも、初日に気づいていた。訓練を受けた姿勢や身のこなしを見れば、ひと目で分かる。
 王宮育ちのジュスティーヌ王女の周辺で、身元がたしかでない『あやしい者』といえば、レオンしかいない。どうしてもマリアンヌはレオンの身辺を洗うことになる。それはレオンから見れば立派なスパイ行為だった。さらに出発してからのマリアンヌの挙動不審な態度は、どんな命令を受けてきたか容易に想像ついた。表面上はにこやかで慇懃なスパイ暗殺者(とレオンは判断した)マリアンヌの偽善は、レオンに思い出させた。笑顔ですり寄ってトロツキーの息子セドフを毒殺し、トロツキーをピッケルで虐殺したスターリニストの手口だ!
 忠僕・アリーヌの情報収集は、スパイなどといえるものではなく、結婚前の娘のために行う身上調査に近いものだろう。王宮侍女が二十日も特定の貴族の情報収集をしたとバレたら、もちろん問題になる。しかし、軍事スパイではないのだから、処分はせいぜい左遷といったところだ。ぶっ殺すなどという物騒なものであるはずがない。
 実のところレオンは、ジュスティーヌの人格に関しても深い疑念を抱いていた。ジュスティーヌが野盗に襲われた際に、馭者だけでなく護衛の女性騎士二人が強姦されたうえに殺されている。レオンには、ジュスティーヌはこの件をまったく気にもかけていないように見えた。「権力者王女サマは、下々の者が殺されようがどうなろうがお構いなしか? けっ! そんなやつは大嫌いだ」。
 新東嶺風だった時の光景。屈強な機動隊員が十人がかりで頑として用地買収に応じない七十歳の婆さんを殴りつけ歯をへし折って小屋から引きずり出し、ブルドーザーで小屋をぶち壊して見せた国家権力と二重写しに見えた。無関心を装いつつジュスティーヌに軽蔑と憎しみの念すら抱いていたのだ。その権力者王女サマが、どんな気まぐれなのか知らないが、やけに自分に執着してハエのようにうっとうしい手下のスパイを差し向けてくる。これもレオンを激しく苛立たせた。
 実際のジュスティーヌは、非常に明朗活発ではあるが、賢くて優しい女性である。本物の人殺しであるレオンに人殺し呼ばわりされるまでもなく、自分の軽率な行動のために従者たちが三人も殺されたことを後悔し反省し、深く傷ついてもいた。アリーヌだけは、気づいていたが、他人の見ていないところでジュスティーヌは、しばしば泣いた。しかし、国の代表である王族が人前に出る際に、そんな感情を面に出してはならない。このことは、第二の人格としてジュスティーヌ王女の精神に固着していた。それがレオンから見ると、「遊びに行くために人を殺しておいて、いい気にスマしていやがる」となってしまう。
 右から左まで、政治に関わるような者は、大抵が権力亡者だ。例外が、過激派に少数存在する徹底した反権力主義者だろう。過激派だって権力獲得を目指す集団なのだから大抵は権力亡者であり、アナーキストじみた反権力主義者が混じっているのは奇妙なのだが、実際にかなり存在する。過激派がもっとも熾烈に反権力闘争をたたかっていたので、そんな反権力主義者を引き寄せるのかもしれない。新東嶺風は、そんなタイプの反権力人間だった。
 王宮で二十日も待たされてようやく出発したら、スマした権力女とスパイ女と暗殺女どもに囲まれて一週間も虚飾の馬車に押しこまれることになった。ようやく宿場町に着いてスパイ女どもから逃げ出し、気晴らしに外に出てみれば『悪所』は、全て閉じられている⋯⋯。しかも巡礼を終えてパシテ王宮に戻ったら、結婚がどうだとか? オレの意志は? ふざけていやがるのか?
 もともと過激派の武装闘争の特別行動隊で大暴れし、全身火傷で死んだような過激な男である。この『権力の横暴』に、とうとうレオンの怒りが爆発した。憎悪されている『権力者』の側は、レオンをいささか持て余してはいても悪意は無いのが、また不幸だった。
『悪所』の閉鎖は、もちろんジュスティーヌのしわざではない。当たり前だが、好きな男が売春居酒屋で大騒ぎしたり、売春宿にしけこむのを喜ぶ女はいない。しかし、レオンとジュスティーヌは赤の他人なのだ。レオンの立場で見れば、勝手についてきた連中だ。あれこれ文句をつけられる筋合いはない。皮肉を返されるか、返事もせずそっぽを向かれるのが関の山だ。
 しかし、レオンは気づいてないが、彼らは非公式とはいえ王族を戴いている国の使節として聖都ルーマに向かっている。レオンの乱行は、あまりにも外聞が悪い。困り切って、「どうにかならないかしら」と頭を抱えたジュスティーヌ王女の様子に、随員が動いたのが真相である。でも、そんなことはレオンの知ったことではない。「ついてくるな」としか言いようがない。自分にまとわりついてくる権力を振りかざした悪が、体を張って日銭を稼ぎ生きている弱い立場の人たちを踏みにじったようにしか見えない。それに自分の気晴らしも、できなくなってしまった。

 多くのすれ違いがあり激怒していたとはいえ、レオンの行動は、やはり常軌を逸している。それなりに親切にしてくれていた王女や侍女。顔見知りになり、かなり親しくもしていた護衛の親衛隊騎士たち。そんな彼らを死ぬまで暴れて殺せるだけ殺し、道連れにあの世に行くつもりだった。
 この時のレオンは、強度のストレスからくる適応障害にやられていた。今回のひどく攻撃的な行動は、その症状である。
 ①過激派・焼死・闘争敗北 ②女神・惨殺・祭り上げ ③聖女・裏切り・惨殺・祭り上げ ④王宮・監禁・陞爵 ⑤馬車に軟禁・命を狙われ?・王女と結婚???
 このセレンティアでは二十数年経っているが、新東嶺風としての感覚では過激派時代を加えても六年程度だ。レオンに限らず、こんな短期間でのこれほどの環境の激変に人間の精神は耐えられない。
 女神セレンだった時に、三百万以上の人たちの病を癒したレオンが、ストレスで精神のバランスを崩して病んだのは皮肉だった。さすがに菩薩の弥勒も看過できず、しぶしぶ介入してきた。『女神の光』でアリーヌの腕やマリアンヌの侍女服を治しただけではなく、レオンの適応障害も一瞬で完治させた。
 しかし、「奇跡はもう二度と無い」と引導を渡されてしまったのだった。

 (続く) 01 02 03  04  05 06

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