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コーチ物語 クライアントファイル 9 疾走!羽賀コーチ その4

「あ、羽賀さん。今菅橋さんが私の自転車でそちらに向かったから。電話をかけられるようになったら、菅橋さんの電話番号を教えるね」
「ミク、ありがとう」
 ボクが出た後、このような会話が交わされていたことは知ることはなかった。
 「えっと、確かこの交差点は右だったな。
 そしてひたすらまっすぐ行けば隣町に行く道路だ」
 そして交差点を曲がったときにボクが見た光景。それは車の渋滞の列、列、列…。
「うわっ、これじゃぁ前に進まないよ。自転車で良かった。でもどこを走れば…」
 羽賀さんはこの状況の中を走ってくれたんだ。どこかに走れるところがあるはずだけど…。
 ここでボクが目にしたのは、中央分離帯。この道路の中央分離帯は、道路にペイントがしてあり、真ん中に自動車のライトで光るやつが埋め込んでいるだけ。車が走るほどの幅はないのだが、自転車ならば余裕で走り抜けることができる。
 なるほど、羽賀さんもここを通ったんだな。よし、それならボクも。交差点で右折する車にさえ気をつければ何とか走り抜けられそうだ。
 そこから先はとにかく必死でペダルをこいだ。ふと見るとハンドルに取り付けられている速度計が時速三十五キロを示していた。自転車でもこんなに速いスピードで走れるんだ。とにかく急げ、彼女の元へ…。
  しばらく走ると、突然携帯電話が鳴り出した。ボクはあわててイヤホンのボタンを探し、通話をONにした。
「はい」
「菅橋君、ボクだ。羽賀だよ」
「あ、羽賀さん、今どこにいるのですか?」
「指定された倉庫はもう目の前だ」
 ボクはこのとき時間を確かめた。腕時計は六時五十五分。なんと五分前にはあの場所に到着するとは。羽賀さんの脚力のすごさを感じた。
「菅橋君は自転車をこぐことに集中して、あまりしゃべらなくていいから。今からボクがいくつか質問するから、ハイかイイエで答えてくれ」
「ハイ」
 それは助かった。正直なところ、呼吸も乱れまともに会話ができない状態だったから。目の前にはまっすぐな道。今はその道の向こうにいる彼女の顔を思い浮かべながら、ひたすらペダルをこぐしかなかった。「菅橋君、まずは彼女について聞くね」
「ハイ」
「彼女の今日の服装はスカートかな?」
「イイエ」
「ではGパンのようなパンツルックかな?」
「ハイ」
「よし、では彼女はわりと活発なタイプかな?」
「ハイ」
「運動は得意な方?」
「ハイ」
「菅橋君から見て、彼女は頭の切れる方だと思うかな?」
「えぇ、おそらく」
「よし。最後に彼女は菅橋君のことを信頼してくれていると思うか?」
 羽賀さんのこの質問には、ボクは少し考えてしまった。彼女はボクを信頼してくれているだろうか?
 いや、きっと信頼してボクを待ってくれているはずだ。ボクは一呼吸置いて「ハイ」と力強く返事をした。
「うん、これでボクも安心して行動を起こせるよ。菅橋君、今からボクの言うことをよく聞いてくれ」
「ハイ」
 ボクの心臓はバクバクなっている。しかし先ほどの羽賀さんからの質問を受けて、ボクの目の前で浮かんでいる彼女の姿がより一層はっきりしてきた。
 ペダルをこぐ両足は、さらに回転力を増してきた。
「ボクは今から彼女をさらった男と交渉を始める。とにかく時間を稼ぐから、その間に菅橋君はなんとか到着してくれ。到着したらボクの携帯を鳴らしてくれないか。今着信しているこの番号だから。一、二回ならしてくれるだけでいい。そしたらボクは大声で男と交渉を行う。男の気をこちらに向かわせるから、その隙に彼女に近づいてくれ。あとはボクがなんとかするから、ボクの指示で動いてくれないか」
「ハイ、わかりました」
 そういって羽賀さんは一度携帯を切った。自転車についているメーターに目をやると、現在時刻が表示されていた。十九時五十九分。いよいよ指定の時間になる。今は羽賀さんを信じて、ボクはひたすら自転車をこぐしかなかった。
 ふと後ろに目をやると、赤いパトランプの点滅が。かすかにサイレンの音も聞こえる。どうやら白バイのようだ。
 でもそんなものにかまっている暇はない。今はひたすら自転車をこぐだけだ。早く羽賀さんの元へ行かねば。
 だが、その気持ちもむなしく、白バイからこんな声が。
「はい、そこの中央を走る自転車、止まりなさい。今すぐ止まりなさい」
 ちくしょう、ボクにはそんな時間はないんだよ。今は急がないと。白バイの警告を無視して、中央分離帯を走り続けるボク。だが、所詮は自転車のスピード。白バイに追いつかれるのは時間の問題。
 さて、どうすれば…。左右に目をやる。あ、ひらめいた!
 ボクはフルブレーキ。減速したのを見計らって、大型トラックの後ろから左の脇に入る。それと同時に、ボクが今まで走っていた中央分離帯を白バイが駆け抜けていった。
 ボクの減速に対応できず、そのまま通り過ぎたようだ。
 ボクは、左側二車線に二列になって並んでいる車の間を駆け抜けた。先ほどよりもスピードはダウンしてしまうが、白バイに捕まるよりはいいだろう。とっさのアイデアではあったが、我ながらいい案を思いついたものだ。
  確かもう少し進めば指定された倉庫のある方向へ曲がる道だ。とにかくそこまで行けば、白バイにも捕まることはないだろう。ボクはさらに左によって、歩道と車の間を駆け抜けることにした。
 歩道を走ってもいいかなと思ったのだが、段差が多いのと人が結構歩いているため、とてもこのスピードでは走り抜けない。
 時計を見ると八時五分。羽賀さんはうまく交渉をしてくれているだろうか? だが、その心配をする前にもっと自分のことを心配するべきだった。
「そこの自転車、今すぐ止まりなさい!」
 なんと、目の前にはさきほどの白バイが。先回りして、ボクの行く手を阻んでいたのだ。さて、どうすればいいんだ…。
 右に出ようにも、今度は車がのろのろではあるが進んでいるため、危なくて移動することができない。
 仕方ない、事情を話して行かせてもらうしかない。ボクは観念して、白バイの目の前で自転車を止めることにした。
 だが、白バイの警官からは予想外の言葉が飛び出した。

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