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国際知識検定 国旗 公式テキスト後編のまとめ

始めに

どうも!たんたどです。初めましての方は初めまして。早速ですが、自己紹介と親記事と前編のまとめは以下で、特に読んでいただきたいのは1つ目です。

留意点を中心にお読みください。

執筆した結果重くなったので、分離記事や子記事や、その他の記事を作ることに致しました。

Q79まである前編のまとめです。

留意点(前編からのコピペを含む)

・公式テキストから私なりに重要と感じられた所をまとめた記事となり、重要としたところは太字です。Wikipediaのように詳細に述べたいところはリンクを埋め込んでおります。国名にリンクが埋め込まれているところは、テキストに載っているバージョンの国旗に飛びます。
・テキストに記述がない所を、独自に調べてもいます。
・Q60まであります。
・「筆者」は、私ではなく編者の吹浦忠正氏のことです。
・まとめた部分の口調は、こことは異なります。
・世界史、日本史、問いによっては数学的要素があります。
・宣伝のつもりはありませんが、参考文献でも示している公式テキストの後編をもとにしておりますので、それを見ながら閲覧されるとより理解が深まるのではないかと存じます。
・体感、前編の1.5倍以上は情報量が多いように思います。参考文献、ウェブサイト抜きで51000文字あります。

では、まいります。

Q1~10

Q1

・国旗に黒い帯が出てくるのは、ヨーロッパではエストニアドイツベルギーのみである。この3カ国の国旗を図1~3に示す。

図1.エストニアの国旗
図2.ドイツの国旗
図3.ベルギーの国旗

・この問いは最初に「黒の帯」が出てくる国旗を挙げているが、次の本題では「黒い部分」がある国旗を問題の選択肢に挙げていて、ガーナジャマイカ東ティモール南アがある。4カ国の国旗を図4~7に示す。

図4.ガーナの国旗
図5.ジャマイカの国旗
図6.東ティモールの国旗
図7.南アの国旗

・テキストに載っている、カリブ海諸国でを使用しているものを正式名称で五十音順にすると、アンティグア・バーブーダ(ATG)ガイアナジャマイカセントルシアドミニカ国トリニダード・トバゴ(TTO)バハマが挙げられる。
・イスラム圏の国ではアフガニスタンアラブ首長国連邦(UAE)アンゴライエメンイラクウガンダエジプトエスワティニ(3種類)ギニアビサウクウェートケニアサントメ・プリンシペ(STP)ザンビアシリアジンバブエスーダンタンザニアブルネイボツワナマラウイ南スーダン(2種類)モザンビークヨルダンリビアレソトが挙げられるが、どこまでをイスラム圏とするかは解釈が分かれるところではある。一応固定記事でまとめてはいるが、一例である。
・テキストではアフリカ大陸54の国連加盟国中、19カ国に黒が用いられているとあるが、どこまでをアフリカとするかが論点である。島であるカーボベルデコモロ連合STPセーシェルマダガスカルモーリシャスを加算してスエズ運河から切り離したアフリカ大陸を複数回にわたって数えたが、53カ国しかなかった。そして、黒を用いている国は20カ国もあった。私がアフリカと認定したのは、図8の大陸の、楕円を含むところにある国である。コモロ連合はマダガスカルと大陸の間にある。黒はカーボベルデ、赤はSTP、紫はセーシェル、オレンジはモーリシャスの大まかな位置である。

図8.アフリカ大陸と島々

・図8のモロッコの南西に西サハラが見えるが、筆者はアフリカの国連加盟国と明記しているので、それを果たせていないこの地域はカウントしていない。西サハラの旗を図9に示す。

図9.西サハラの旗

私のカウントした国連加盟国をここで述べるとあまり見た目がよろしくないので、別途のメモの該当するリンクを示す。
・他の地域、オセアニアでは図10と図11に示すPNGやバヌアツ、アジアでは前述の東ティモールに黒が見られる。東ティモールはノーベル平和賞を共同受賞したCarlos Felipe Ximenes Beloカルロス・フィリペ・シメネス・ベロ司教と後の大統領のJosé Ramos-Hortaジョセ・ラモス=ホルタがカトリックだったように、ポルトガルに統治されていた時代からキリスト教が浸透している。図6の黒は「乗り越えなければならない反啓蒙主義=古い体質を乗り越えていこう」という意欲を示している。

図10.PNGの国旗
図11.バヌアツの国旗

・他の黒い部分がある国旗は、概念が曖昧すぎるので深く調べていない。一応国章は抜きとしてカウントしたら49カ国あり、検定の出題範囲の少なくとも24.74%の国は黒を国旗に用いていることになった。深く知りたい方は下記リンクを参照されたし。固定記事でも名前を出している。

Q2

前編記事のQ8でも名前は触れているが、大砲と砲丸、太鼓、軍用ラッパ(bugleビューグル)が出てくる国旗は、ハイチである。図12、図13に国旗と国章を示す。

図12.ハイチの国旗
図13.ハイチの国章

・図13には上記で列挙した他にも(ダイオウ)ヤシ、赤旗、白い縄付きの黄の錨、フランス語で「団結は力なり」と書かれた帯、赤と青のフリジア帽子、銃剣付きライフル、ハイチ国旗と旗竿、斧などが描かれている。文献とネット上の画像は少し違っていて、文献では帯の奥のスペースにオーストリアの国章のような切れた鎖が描かれているものがある。イメージとしては図14である。

図14.ハイチの切れた鎖付き国章

・フリジア帽子は古代ローマで開放された奴隷が被ったもので、1789/07/14に始まったフランス革命で王政に抵抗した人たちが被った「自由の帽子」のことである。
ハイチの公用語の1つがフランス語ということからもわかるように、元はフランスの植民地であった。アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちが1804年の元日に独立を宣言し、青白赤のトリコロールから白人のイメージに繋がる白を削除して、上から青と赤の2色旗にした。

Q3

国王がいない共和制の国でありながら国旗に冠が描かれている国は、サンマリノセルビアタジキスタンモンテネグロ。国旗を図15~18に示す。

図15.サンマリノの国旗
図16.セルビアの国旗
図17.タジキスタンの国旗
図18.モンテネグロの国旗

・王冠が描かれた国旗は、固定記事で紹介済みである。
前編などでも述べているが、イタリアをブーツに例えるなら、それのふくらはぎ側に位置していて、世界遺産であるティタノ山の西斜面にあるのがサンマリノである。301年に、クロアチアのダルマチア地方出身のマリーノ(マリノ)というキリスト教徒の石工がローマのキリスト教への迫害から逃れるためにティタノ山に隠れ、自身の宗教の教えに従い人々のために小さな共同体(コミュニティ)を作ったのが始まりという言い伝えがある。サンマリノという国名はマリノから来ている。この国は一時は王政だったため、その時の王冠が今でも残っている。
・タジキスタンの国旗の冠には諸説あり、この国の公用語のタジク語で「toj(taj、タジ)」が王冠を表すという説が有力である。
・セルビアは1881/10/14にアメリカから王国と承認され、第二次大戦終了までこの制度が続いたが、王冠はそれの名残である。
・モンテネグロも上記のセルビアと同じく、王国としての歴史を民族として大切な歴史の遺産と認識していることから、王冠を残している。1878/07/13のベルリン条約で独立し、1910年に王国になった。その後、ユーゴスラビアになった。
・筆者は日本がモンテネグロの独立時に早々に国家承認をして、記念にモンテネグロから贈られた象牙のワシの像を、モスクワのクレムリン歴史博物館と旧王城の門の中で見たと述べているが、日本大使館が調べた限りでは現在は行方不明である。

Q4

三日月とともに星が5つという国旗は、シンガポールトルクメニスタンである。それぞれの国旗を図19、図20に示す。

図19.シンガポールの国旗
図20.トルクメニスタンの国旗

・国旗に星はよく登場し、検定の範囲の198カ国で◯芒星(◯の中の数字は5~24)の個数をこの記事この記事を使って数えたら、全部で311個あり、約36.87%73カ国で星と言えるものが登場していることが分かった。内訳と主な国々は次の通りである。
5芒星:285個、アメリカクック諸島ブラジル
6芒星:15個、イスラエルブルンジ
7芒星:6個、オーストラリアヨルダン
8芒星:2個、アゼルバイジャンモルドバ
9~11芒星はなし
12芒星:1個、ナウル
13芒星はなし
14芒星:1個、マレーシア
15~23芒星はなし
24芒星:1個、マーシャル諸島
このリンクのようにエクセルでもまとめたが、あまり美麗でないのはご容赦願いたい。検定に出されると考えられる国章に星が描かれていないものは入力していない。
・図19の月と星はそれぞれ隆盛する若い国家と、民主、平和、進歩、正義、平等を表すと言われている。

Q5

・図21~23に示すエクアドル、コロンビア、ベネズエラの国旗は、元は1つの国だったので似ている。

図21.エクアドルの国旗
図22.コロンビアの国旗
図23.ベネズエラの国旗

・スペインの植民地だった、図24に示すViceroyalty of New Granadaニューグラナダ副王領が図25に示すGran Colombia大コロンビアになり、大コロンビアの図26に示す最初の国旗に手を加えて各々の国旗にした。

図24.ヌエバ・グラナダ副王領
図25.大コロンビア
図26.大コロンビアの国旗

・上記の大コロンビアは1819/08/07のBattle of Boyacáボヤカの戦いで、Simón Bolívarシモン・ボリバル率いる独立軍が宗主国のスペイン帝国軍と戦って最終的に勝利を収め、スペインから独立して誕生した。8/7はボヤカ戦勝記念日で、コロンビアの祝日である。シモン・ボリバルの名は、ベネズエラの正式な国名、ベネズエラ・ボリバル共和国の由来でもある。
・大コロンビアはその後、図21~23のそれぞれの国に分離した。
・図27に示すホンジュラスの国旗の中央にある5つの星は、左上、左下、中心、右上、右下の順にグアテマラ、エルサルバドル、この国、ニカラグア、コスタリカを表すが、コスタリカを除いてこの国々は中米連邦としてスペインから1821/09/15に独立。この日付は図28に示すグアテマラの国旗の巻物にも書かれている。その後2年間は独立に反対する勢力、メキシコ帝国に抑え込まれ併合されるが、1823/07/01に中米連邦共和国として独立し、そこからそれぞれの国として独立した順が早い順に並べると、図29に示すニカラグアが1838/04/30に、ホンジュラスが1838/11/15に、グアテマラが1839/04/13に、図30に示すエルサルバドルが1841/02/22(諸説あり)に分離した。

図27.ホンジュラスの国旗
図28.グアテマラの国旗
図29.ニカラグアの国旗
図30.エルサルバドルの国旗

・パナマ地方もコロンビアの領土だったが、1903/11/03からの紛争に介入したアメリカが1905/05/04からパナマ運河を掘り、その周囲を1999/12/31まで支配していた。パナマの図31に示す国旗が図32の星条旗の色と同じであるのはそのような理由もある。

図31.パナマの国旗
図32.アメリカの国旗(星条旗)

Q6

・主に中南米の公用語はスペイン語だが、ハイチはフランス語、ベリーズは英語、スリナムはオランダ語、ガイアナは英語、ブラジルはポルトガル語、パラグアイはスペイン語で、いずれも旧宗主国の言語である。
・メキシコ以南の中南米には33の独立国があり、大陸部のパナマ以北で英語が公用語なのは上記のベリーズのみで他の7カ国はスペイン語である。カリブ海には13の独立国があり、キューバやドミニカ共和国がスペイン語、上記のハイチがフランス語、他の10カ国は英語が公用語である。南米大陸には12カ国の独立国があり、上記のガイアナ、スリナム、ブラジルを除く残りは全てスペイン語が公用語である。
・国連では英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語が公用語だが、南北アメリカではこのうち英、仏、西が用いられる。IOC(国際オリンピック委員会)では英仏が公用語である。テキストではオリンピックの入場順について述べられているが、前編のQ37でほぼ同じことを執筆しているので省略する。

Q7

・ロシアの国旗は図33に示すように、上から白、青、赤の横3色旗である。この影響で同じスラヴ人系の東欧の国々にはこの3色の国旗が多い。その中でも、図34と図35に示すスロバキアとスロベニアの国旗はよく似ている。

図33.ロシアの国旗
図34.スロバキアの国旗
図35.スロベニアの国旗

・スロバキアはチェコの東隣の国で、1992年まではチェコスロバキアという1つの国だったが、ビロード離婚によって1993年の元日に分かれた。首都はブラチスラヴァである。スロベニアはかつてのユーゴスラビアを構成する国の1つだったが、1991/06/25に独立した。首都はリュブリャナである。混同されやすいものとして、スロベニアにおける12/26は独立と統一の日である。
・図36、図37に国旗を示すニジェールとナイジェリアの公用語はそれぞれフランス語と英語だが、意味は同じ「ニジェール川のほとりの国」であり、ニジェールの南にナイジェリアがある。

図36.ニジェールの国旗
図37.ナイジェリアの国旗

・2012/07/27に開幕したロンドン・オリンピックでは、ナイジェリアの選手を讃える表彰式で図36のニジェールの国旗が掲揚され、国歌が演奏された。無論、気づく人がおり、表彰式はやり直した。

Q8

前編のQ12などでも触れているが、国旗に南十字星が登場するのはオーストラリアサモアニウエNZPNGブラジルミクロネシア連邦である。図38~44に国旗を示す。

図38.オーストラリアの国旗
図39.サモアの国旗
図40.ニウエの国旗
図41.NZの国旗
 図41.PNGの国旗
図42.ブラジルの国旗
図43.ミクロネシア連邦の国旗

・オーストラリアには有名な先住民、アボリジニと、NZには図44に示すこの国の国章にも描かれているマオリ族という先住民がいたところにイギリスが植民地として入り込んでできた国である。

図44.NZの国章、右サポーターがマオリ族の男性

双方の国とも、ベトナム、中国、東欧の移民を1970年代から広く受け入れてきており、移民国家となっている。カントンにユニオンジャックが入っていることからも読み取れる通り、イギリスとは非常に親密で、故エリザベス女王は2つの国の国家元首であり、その代理として総督が任命されていた。なお下記のリンクは記事執筆時点(2024/04/09)では、新しいニュースである。

・中国の海上進出が進む中、日米両国とインド、そしてこの2つの国を合わせた外交上の連携が近年急速に深まりつつある。

Q9

前編のQ56でも述べたカダフィ大佐のような独裁者の国でもない限り、国旗の変更は簡単ではないNZで2016/03/30に行われた国旗変更に関する国民投票で、首相のJohn Keyジョン・キーはこれをマニフェストにしたが過半数を得られず、辞任した。
・国旗を変えたいという人たちの本音は、「イギリスの植民地時代を思わせるデザインなので変更したい」というのが本音のようだと筆者は述べている。
・変更に対抗する勢力の主張としては、「我々も父も祖父もこの国旗のもとに命がけで戦ってきた」という在郷軍人会(軍人OB)の保守派が主であった。
・テキストと完全一致する国旗の提案の一覧を図45に示す。

図45.5つに絞られたNZ国旗変更案

・投票結果は引き続き今の国旗を維持すべきという人が56.6%、新しい国旗にすべきという人は43.2%であった。これを受け、首相は「これからは、これまで苦労をかけてきた家族のために」として突如辞任、政治の世界から離れた。

Q10

・三日月のついた国旗は親記事でも述べているが、イスラム教徒の多い国の国旗である。テキストで述べられている図46に示すトルコの国旗の起源については様々な説があり、自分で見つけたものは別途のメモで5つほど述べているので、そちらを参照されたし。

図46.トルコの国旗

1453/05/29のコンスタンティノープルの陥落で有名なオスマン帝国は、図47に示す通りアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる広大な領土を持っていた。

図47.時代別のオスマン帝国の領土

・第一次世界大戦で敗戦してこの巨大な帝国は分散したが、図48に示すトルコの初代大統領、Mustfa Kemal Atatürkムスタファ・ケマル・アタテュルクによってトルコ革命が起こり、1923/10/29にトルコ共和国は建国を宣言した。10/29はトルコ建国記念日である。

図48.ケマル・アタテュルク(ムスタファ・ケマル)

・図49に国旗を示すチュニジアは2つの説がある。

図49.チュニジアの国旗

1.19世紀、この地方の英雄のベイ・アフマド(亜:Abu al-Abbas Ahmed Basha Bay、テキストではベイ・アメッド表記)が用いた。

1837 年、フサイン朝の君主として即位 したアフマド・ベイは、対外的な危機に対処するため、改革に着手する。

19世紀のフサイン朝チュニジアにおける危機と改革(1) : アフマド・ベイの統治と対外関係
桃井 治郎

2.古代のフェニキア人がカルタゴを築いたときに女神、タニト(Tanit)のシンボルとして三日月の旗を用いた。図50にタニトのシンボルを示す。

図50.タニトのシンボル

・双方の国の国旗はよく似ていて取り違えをしてしまいがちである。三日月の国旗はマレーシアからモーリタニアまで、世界に16カ国あるとテキストには書かれているが、私が調べたところ19カ国あった。内訳はアゼルバイジャンアルジェリアイランウズベキスタンクロアチアコモロ連合シンガポール、チュニジア、トルクメニスタン、トルコ、ネパールパキスタンブルネイマレーシアモーリタニアモルディブモルドバモンゴルリビアである。

Q11~20

Q11

・Q10の三日月の国で触れたアゼルバイジャンの図51に示す国旗には青が使われているが、これはテュルク系の民族であること自由カスピ海を表している。

図51.アゼルバイジャンの国旗

・ソ連は前編のQ38でも述べているが、正式に解体されたのは1991年の大晦日である。解体とともにアゼルバイジャンは独立した共和国となった。青は広大な果てしない空を通して現れるこの国の自由の象徴とも、世界最大の湖のカスピ海の青とも言われる。赤はこの国の人々の現在の生活、緑は自然環境に現れているこの国の未来、三日月はQ10でも述べたイスラム教の象徴、8芒星は下記のリンクを参照すればわかる通り、何世紀にもわたって生まれた8つのテュルク民族のアナトリア人、ジャガタイ人、トルクメン人、タタール人、カザフ人、キルギス人、アゼリー人、トルクメニア人を表す。民族の数を表す8芒星はこの国旗のみである。

・この国は1918/05/28ハサン=ベイ・アーエフ(アゼルバイジャン語:Həsən bəy Ağayev)が議長を務める国民評議会が独立を宣言した。そして同年の11/9にアリ=ベイ・ヒュセインザーデ(アゼルバイジャン語:Əli bəy Hüseyn oğlu Hüseynzadə)の考案した国旗が採択された。この2つの日付はそれぞれ独立記念日と、国旗の日としてアゼルバイジャンの祝日になっている。しかしながら、1920/04/28の赤軍の侵攻により、24カ月にも満たずに図52の国旗になった。

図52.アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国の旗

・慶應義塾大学教授の廣瀬陽子は、「アゼルバイジャンの国旗の色については諸説あり、はっきりしない。なぜ原色を並べたのかも不明。」と述べている。
・今は中国の支配下にある図53に示す新疆ウイグル(東トルキスタン)は、46%がウイグルで、多くがテュルク系であり、独立運動の旗は青の地に、白の三日月と傾きのある5芒星である。下記リンクは中国政府のウイグルに対する弾圧記事である。

図54.東トルキスタンの旗、キョウクバイラク(Kökbayraq)

Q12

前編のQ15でも述べたが、赤十字の図55に示す旗は、図56のスイスの国旗の色を反転したものである。スイスは世界に2つある正方形の国旗の1つである。

図55.赤十字の旗
図56.スイスの国旗

・国際的な人道支援組織である赤十字のマークは、創立者アンリ・デュナン(Jean-Henri Dunant)の祖国であり、組織の設立にあたって多大な貢献をしたスイス政府に敬意を表したものである。当時の加盟国はイギリス、イタリア、オーストリア、オランダ、スイス、スウェーデン、 スペイン、フランス、 ロシアのほか、統一前のドイツを構成していたヴュルテンべルグ、ザクセン、バーデン、ハノーバー、 ババリア、プロイセン、 ヘッセといずれもキリスト教徒の国や地域であったため、赤十字は十字で良かったが、1877/04/24に始まり1878/03/03のサンステファノ条約で終わった露土戦争に際し、トルコではこの旗ではキリスト教のイメージが強く、兵士の士気に関わるとして図57の赤新月を用いることをジュネーヴのICRC(International Committee of the Red Cross赤十字国際委員会)やロシア側に通告した。この委員会はそれで効果的な戦時救護ができるならやむを得ないと考え、一時的な対応として図57を容認したのが赤新月標章の始まりである。

図57.赤新月標章

・しかし、イスラム諸国でもトルコやアラブの国々のようなスンニ派主体でなく、圧倒的なシーア派の国であるイランの加盟に際し、図58に示す当時の
イラン国旗の中央にあった赤獅子太陽(黄獅子太陽?)を標章にしたいと提案し、これも1929/07/27のジュネーヴ捕虜条約で赤新月とともに公認された。この時点で3種類の標章である。図59に赤獅子太陽を示す。

図58.イランのパフラヴィー朝の国旗
図59.赤獅子太陽

前編のQ29でも述べている「イラン革命(イスラム革命)」は1978/01/09コムの暴動に始まり、翌年2/1にイスラムのルーホッラー・ホメイニー(ホメイニ師)が帰国したことにより革命が成就した。この革命の結果、イランの同組織が他のイスラム諸国と同じ赤新月の標章を受け入れた。現在はインドネシアを除くイスラムの国の34カ国がこの標章で活動している。ちなみに公式テキスト19pでは34カ国だが、次ページでは32カ国との表記である。
・イスラエルの宗教人口の74%はユダヤ教のため、この国の赤十字と同じ活動をしている組織は建国以前の1937年以来、標章として利用している「ダビデの赤盾(Magen Davidマーケンダビド)」を国際的に公認してもらいたいと運動し、2005/12/08になって、レッド・クリスタル(赤水晶)そのもの、またはそれに自由にマークを付け足してよいということになり、イスラエルは国内的には図60のダビデの赤盾を、国際的には図61のレッドクリスタルを用いるということで妥協した。

図60.ダビデの赤盾
図61.レッドクリスタル入りのダビデの赤盾

・アンリ・デュナンの誕生日、1828/05/08(5月8日)は世界赤十字デーである。

Q13

・Q12で触れた赤十字だが、日本赤十字社の前身は博愛社であり、そのマークは図62、図63に示す、日の丸の下に赤の線を1本入れたものである。2枚のテキストと完全一致する画像を貼付する。

図62.西南戦争時の博愛社の救護活動
図63.博愛社の社旗

・日本では1877/01/29~09/24の西南戦争時に、大給恒おぎゅうゆずる佐野常民が図り、有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるしんのうを戴き、日の丸の下に赤い帯を入れた標章で博愛社を設立したのが始まりである。
・赤十字と名乗れなかった理由は、太政(だじょう)大臣の三条実美さんじょうさねとみが「赤十字の標章は耶蘇やそ(キリスト教)の印」と言って反対したためである。江戸時代と違い、この宗教を信仰することは基本的に認められていたが、広く国民に受け入れられている時代でもなかった。
・西南戦争では、敵味方関係なく救護した。筆者は自身の著書、「捕虜の文明史」を参照するように述べている。
・国連やオリンピックの旗は世界中で同じものが使用されているが、同じように赤十字の旗や名前そのものを統一するのは非常に難しいというのが筆者の見解である。

Q14

前編のQ16でも述べているが、日本が鎖国していた時代、長崎の出島に商館を開くことが認められていた欧州の唯一の国はオランダである。
・オランダは1581/07/26のユトレヒト同盟によってスペインから独立したが、世界各地で盛んに貿易を行って発展していった。今のインドネシア地方はオランダの東インド会社の拠点となり、鎖国中の日本でもその発展ぶりから特別許され、長崎の出島の商館から欧米の情報を知らせてくれる西洋の唯一の国であった。
・オランダの国旗は初め図64に示す上からオレンジ、白、青の横3色旗であったが、遠方からではわかりにくい、色褪せやすいという理由で次第に赤が勝っていき、1937/02/19のウィルヘルミナ女王の勅令により上から赤白青となった。しかしオレンジ色は今でも五輪、サッカー、ラグビーの国際試合でこの国のチームがユニフォームに使用している。2024/04/13閲覧の下記ニュースを参照されたし。

図64.プリンス・フラッグ

・テキストに載っている絵画は「阿蘭陀舩入津ノ圖おらんだせんにゅうしんのず」と言い、完全一致するものは図65である。

図65.阿蘭陀舩入津ノ圖

Q15

・筆者は10年以上前、大阪のABCテレビに出演した際、「ロシアの国旗はピョートル大帝オランダで見た国旗が素晴らしいと、これを自国でもと考えたことが始まりだという伝説がある」と述べたところ、お笑いタレントのブラックマヨネーズ・小杉に「ピョートルがパクったっちゅうことやんけ」と返され、上手いことをいうと感心した。
・ピョートルは1697/03/09~1698/09/04まで250名以上の使節団を欧州に派遣し、自らも偽名を使いその一員となった。使節団にはノヴゴロド総督ル・フォール将軍(仏:François Lefort、在位1656年~1699年)がいた。シベリア総督で職業外交官のフョードル・ゴロヴィン(Fyodor Alekseyevich, Count Golovin、在位1650年~1706年)も採用された。大使館の残りのメンバーは、貴族、秘書、通訳、料理人、音楽家、ピョートルの友人、造船やその他の航海技術を学ぶために選ばれた人々で構成されていた。この使節は派遣先で造船から抜歯まで当時の様々な先端技術を吸収した。
・ピョートルは1697/08/07~1698/01/07までオランダに滞在して、この海洋国家の諸制度や技術に飽き足らず国旗までも取り入れようとしたが、それでは自国がオランダの領土になってしまうので、図66に示すオランダの国旗の色の順番を変えて、図67に示すロシアの国旗とした。

図66.オランダの国旗
図67.ロシアの国旗

Q16

・ロシアの国旗はQ15で述べた通り、ピョートル大帝のオランダ訪問に由来するデザインである。図67の国旗は帝政時代、つまり1917年のロシア革命まで続いた。ロシア革命は西暦1917/03/08に始まったので3月革命と呼ばれるが、ロシア暦では2/23に始まったので2月革命とも呼ぶ。
前編のQ38などでも触れているが、ソ連は1922/12/30に成立し、図68に示す工場労働者を表す槌、農民を表す鎌を組み合わせた印の上に、黄色で縁取られた赤の星の国旗となった。

図68.ソビエト連邦の国旗

・ソ連を構成していた15カ国を図69に示す。

図69.ソ連の15の構成国

・ベラルーシは独立回復当初は図70に示す白赤白の横3色旗だったが、1995年にルカシェンコが政権を取るや、1995/05/14にソ連時代の図71に示す白ロシアの旗から槌、鎌、星を取り除いた図72のデザインに変更した。図73に国旗の色を示す設計図を示す。下記リンクはスクリーンショット撮影元である。

図70.ベラルーシの独立回復当初の国旗
図71.白ロシア時代の国旗
図71.ルカシェンコによって変更された国旗
図72.ベラルーシの古い国旗の設計図

・設計図を貼付したので、図71の織物模様(ルシニク)も図73として貼付する。単体ではWikipediaになかったので、スクリーンショットである。設計図があるので図74のように作ってみたが、図72の赤のRGBは204-0-0だと考えられる。255-0-0では明るすぎる。

図73.ベラルーシの古い国旗のルシニク
図74.手作りの古いベラルーシ

・ルカシェンコは欧州最後の独裁者とも呼ばれており、これに反対する人が現在までかつての図70の国旗を掲げてデモを展開している。ロシア国旗の3色はスロバキア、スロベニア、ひっくり返して紋章を付けたようなセルビア、同じスラヴ人である東欧諸国の国旗に多大な影響を与えている。

Q17

1853(嘉永6年)/06/03に神奈川の浦賀に図74(1)に示すアメリカのマシュー・ペリー提督率いる黒船がやってきた。その時、星条旗の星は図75に示すとおり、31個であった。

図74(1).ペリー提督
図75.ペリーたちがやってきたときの星条旗

・ペリーたちは黒船4隻を率い、上記の星条旗を掲げて鎖国下の日本に来航。日本側は会津忍(おし)川越彦根の4つの藩がそれぞれの幟(のぼり)を立てて迎えた。日本の藩の幟の歴史は詳しくないが、見つかったものを図76~79に示す。

図76.会津藩の幟
図77.忍藩の幟
図78.川越藩の幟
図79.彦根藩の幟

・翌年の1/16にペリーらは7隻の黒船を率いて再来し、幕府は苦渋の開国をした。急いで自国の国旗を定め、初めは徳川家の祖とされる新田家の図80に示す家紋「大中黒」としたが、図81の薩摩第11代藩主の島津斉彬、図82の水戸第9代藩主の徳川斉昭の猛反対でペリーが去って4日後に、「日本聰船印ハ印白地日之丸之幟にほんそうふなじるしはしろぢひのまるののぼり」と決定し、太陽暦7/11に公布した。聰船印とは国旗のことである。

図80.大中黒
図81.薩摩第11代藩主の島津斉彬
図82.水戸第9代藩主の徳川斉昭

図83にテキストに載っている老中首座、阿部正弘の画像を示す。1853年に浦賀に上陸したペリー艦隊の絵画は見つけられなかった。

図83.備後国福山藩第7代藩主、阿部正弘

Q18

・「日の丸」が何を象徴しているかをサンフランシスコのグランドホテルで堂々と演説して説明したのは伊藤博文で、のちの総理大臣である。
・筆者は都内の公民館で小学校3年生から「太陽が国旗の真ん中にあるので、日の丸は正午の太陽を描いたものですか?」と聞かれ、「特に法律で決めたものではないが、明治天皇が詠まれた和歌(御製)に「朝日の旗」とあり、初代内閣総理大臣になった伊藤博文も日本からの訪問使節の副団長として、スピーチで「封筒の かんをする赤い蝋ではなく、rising sun日の出だと紹介していること、そして世界中でこの国旗を日の出の太陽と呼ぶこと」から」と説明した。
・以下に記す短歌は日露戦争(1904/02/08~1905/09/05)の終わった年の明治天皇の御製であり、つまり当時の主権者が図84に示す日の丸を「朝日の旗」であると示している。

図84.日の丸

・さらにその34年前、岩倉使節団戊辰戦争(1868/01/03~1869/05/18)からまだ年数の浅い、旧暦明治4年11月12日(1871/12/23)に、図84を掲げて横浜港を出港した。旧暦(太陰太陽暦)は1873(明治6年)/01/01に太陽暦に切り替えられた。
・伊藤は最初の訪問地である前述のホテルで開催されたWilliam Alvordウィリアム・アルヴォード市長主催の歓迎晩餐会の席上で、上記の「日の丸演説」を身振りを交え英語で行った。テキストでは太陽暦12/14となっているが、横浜の波止場を出発した段階で1871/12/23のため、日付に矛盾が見られる。
・以上の例は日本の要人が自国の国旗について解説した初めてのものと考えられる。伊藤はまず、日本が封建制度からの脱却に成功し、近代化に向かっていると述べた後、日の丸に言及して演説を締めくくった。

Q19

・太陽を白で表している国旗は、図85に示す台湾(中華民国)である。この旗は青天白日満地紅旗せいてんはくじつまんちこうきとも呼ばれ、かつては中国全土に翻っていた。この国旗を掲げる中華民国は約15年間日本軍と戦争をし、国連の創設に関わり、最初から国連に加盟し、1949/12/09に中国で国共内戦こっきょうないせんにおいて共産党に敗れ、台北に遷都した。

図85.台湾の国旗

・遷都後は30年近く国連の最重要機関である安全保障理事会の常任理事国であったが、1971/10/25アルバニア会議において、大陸の中華人民共和国がその継承国家として国連に加盟、台湾は国連から追放された。
・台湾は2024/04/15現在、2342万の人口を持ち、日本の南の隣国として我が国にとっては安全保障、経済、感染症の貿易などの面で重要な国である。しかし日本は1972/09/29に台湾と公式な外交関係を断ち、中国の一部とみなすことにした。現在台湾と正式な外交関係を持っているのはエスワティニ、グアテマラ、SKN、SVG、セントルシア、ツバル、ハイチ、バチカン、パラオ、パラグアイ、ベリーズ、マーシャル諸島の12カ国である。テキストでは2021/08/01の時点で15カ国あったらしいので、約3年で3カ国減ったことになる。
・図85に示す青天白日満地紅旗はその名の通り、「青の空に白の太陽、その他は全て赤の地の旗」である。1928/10/28蒋介石によって中華民国の国旗に採択されたものだが、今では台湾、澎湖島南沙群島最大の島である太平島だけがこれを掲げられることになっている。
・筆者は先年、パラオに行った。この国はサラエヴォ事件でおなじみの第一次大戦勃発(1914/07/28)の約3カ月後の1914/10/08から、日本の無条件降伏による第二次大戦終結の1945/08/14までの約31年間(30年10カ月6日)、我が国の委任統治下にあった。人口が台湾の1/1000にも満たない小さな島国でありながら、国連加盟国である。台湾はパラオに日本と同規模の経済協力を進め、日本と同じように大使館を設置し、多くの台湾人が旅行に訪れていた。
・中国は台湾を国家承認する国とは国交がない。他方、台湾は2002年の元日に「独立関税地域」として世界貿易機関(WTO、World Trade Organization)に加盟し、経済協力開発機構(OECD、Organisation for Economic Cooperation and Development)の競争政策委員会にオブザーバー参加が認められた。
・また台湾は2007年4月に、台湾の名称でWHOの正式メンバーとして加盟申請を行うと発表したが、翌月に行われたWHO総会の採決で議題として取り上げられなかった。同年9月の国連総会で台湾の友好国が台湾の国連加盟を議題にすべきという提案をしたが、議題にすべきでないという意見が多数を占めたため正式な審議はできなかった。
・台湾は他の多くの国際機関からも追放されたり、加入を認められないまま現在に至っている。
・国際赤十字では早くから南北朝鮮、南北ベトナム、東西ドイツの赤十字社を認めてきたが、台湾については1957年の11~12月にインドのニューデリーで行われた赤十字最高会議の席上、中国紅十字会の加盟が決定されるや退席、以後復帰を果たしていない。筆者は人道的な見地から早急に解決されるべきと考えている。ちなみに赤十字最高会議の日付はテキストでは1958年だが、このPDFの8pでは1957年なのでこちらを採用した。
・IOC(国際オリンピック委員会)ではChinese Taipeiの名で、国花である梅の花に図85の白の太陽を入れた図86の旗で参加し、国旗の掲揚を認められていない。図87に示す旗はパラリンピックで用いるもので、五輪の部分を3本の曲線にしている。これは図88に示すパラリンピックの旗が由来である。

図86.梅花旗(メイファーチー)
図87.台湾のパラリンピックの旗
図88.パラリンピックの旗

・台湾からの留学生や台湾出身の人たちは中華民国政府発行の独自の旅券パスポートを携行しているが、日本で外国人登録をするときには国籍欄に中国と記載させられる。これは日本が台湾を独立国家として承認していないことに基づいている。
・また、台湾の独立を目指す人達は図89に示す、両側が緑で中央に台湾の地形が描かれた旗を掲げる。見ての通り正確な3分割旗ではないが、緑と白の比率は不明である。

図89.台湾独立運動の旗

・TOKYO2020でのロシア(IOCでの略称はROC)は、「国を挙げてのドーピング容認」によるパニッシュメントとして国旗も国歌も使用不可で、国名も名乗れないという決定であったにも関わらず、IOCから組織委員会への指示で、サンマリノとシエラレオネの間に「ロシア選手団」が入った。その理由はROCは仏語で「COMITE OLYMPIQUE RUSSEコミテオリンピークリュース」と言い、COMITEのCを仏語の「セ」でなく英語の「シー」と読んで、五十音順ならここというものである。国旗が使えないので、オリンピックには図90、パラリンピックには図91を使った。

図90.ロシア・オリンピック選手団の旗
図91.ロシア・パラリンピック選手団の旗

Q20

・国旗に太陽が描かれているのは、テキストの選択肢ではATGカザフスタン北マケドニアキルギスナミビアニジェールバングラデシュボリビアモンゴルである。
・他にも図84の我が国、日本やアルゼンチンウルグアイエクアドル、エルサルバドル、キリバスコスタリカ、図85の台湾、ニカラグア、ネパールフィリピンマラウイルワンダがある。
・テキストでは赤、白、黄、オレンジに区分けされている。上記の国を4色に分けると以下のようになる。
:日本、バングラデシュ、ボリビア、マラウイ
:エルサルバドル、台湾、ネパール
:ATG、ウルグアイ、エクアドル、カザフスタン、北マケドニア、キリバス、キルギス、コスタリカ、フィリピン、ボリビア、モンゴル、ルワンダ
オレンジ:アルゼンチン、ナミビア、ニジェール、ボリビア
・ボリビアが3色あるのは、Wikipediaの国章が3種類あるからである。図92~94に示す。

図92.赤の太陽が描かれているボリビアの国章
図93.黄の太陽が描かれているボリビアの国章
図94.オレンジの太陽が描かれているボリビアの国章

・ニカラグアが分類されていないのは、図95に示す国章の太陽そのものの色がフリジア帽に隠れて不明なためである。太陽の光線は白いが、私の見解では太陽は隠れている。

図95.ニカラグアの国章

Q21~30

Q21

・アメリカの大統領就任式は4年に1回、1/20に議事堂前で行われる。星条旗はアメリカの州が増えるに従って星の数が増えるので、その時点での国旗を中央に、同じ2種類の国旗を両脇に掲示する。この同じ2種類の国旗とは、1783/07/04の独立宣言を発した当時、星条旗が2種類あったからである。
・独立時の国旗を掲示するのは、建国当時の理想を忘れるなという人々の思いが託されているからである。
1776/07/04に、当時の13州(ヴァージニアコネティカットサウスカロライナジョージアデラウェアニュージャージーニューハンプシャーニューヨークノースカロライナペンシルベニアマサチューセッツメリーランドロードアイランド)の代表は、大陸会議で独立を決意し、Thomas Jeffersonトーマス・ジェファーソン(後の第3代大統領)起草の独立宣言を採択した。ラファイエットらフランス軍の支援を得て、1783/09/03のパリ条約でイギリスはアメリカの独立を承認した。
・図96に示す5枚並んでいる国旗の、両端の星が円形に並んでいるものは別途のメモでも述べているが、ベッツィー・ロス氏の「Betsy Ross Flagベッツィー・ロス・フラッグ」と呼ばれ、1777/06/14に正式に制定された。この日は旗の日として祝日になっている。この本の85pとほぼ完全一致するベッツィー・ロス氏の肖像画を図97に示す。

図96.トランプ大統領就任式での星条旗
図97.ベッツィー・ロスの肖像画

George Washingtonジョージ・ワシントン初代大統領の説明では「星は天を、赤は母国イギリスを、それを白の縞で分離させているのはそこからの独立を意味している」とのこと。
・考案者が本当にベッツィー・ロスかは諸説あるが、1776年5月下旬(テキストでは6月)にPhiladelphiaフィラデルフィアArchアーチ通りで家具と旗作りをしていた本人のもとに、ワシントンとRobert Morrisロバート・モリスと、ベッツィーの夫の伯父のジョージ・ロスが訪れ、国旗の試作を依頼した。そして当初の案にあった六角形の星を五角形にし、丸く並べた星を数日後に縫い合わせたというのが一番有名な話であると筆者は述べている。1952年にはベッツィーの生誕200周年を記念して図98に示す切手も作られた。

図98.ベッツィー・ロス生誕200周年記念切手

・ただ、同時期に13個の星を横に3・2・3・2・3と並べた図99に示す国旗もあり、図96では双方が掲げられている。

図99.13個の星が円形に並んでいない星条旗

Q22

2024/07/03から日本の新五千円札に肖像が描かれる津田梅子はアメリカに2度、計14年間留学した。その間に見たのは、図100~103に示す4種類の星条旗である。

図100.ネブラスカの州昇格で37個の星になった星条旗(1867/07/04~1877/07/03)
図101.コロラドの州昇格で38個の星になった星条旗(1877/07/04~1890/07/03)
図102.5つの州の誕生で43個の星になった星条旗(1890/07/04~1891/07/03)

図102で昇格した州はアイダホサウスダコタノースダコタモンタナワシントンである。

図103.ワイオミングの州昇格で44個の星になった星条旗(1891/07/04~1896/07/03)

・津田塾大学の創立者として知られる津田梅子(元治元年12月3日〜昭和4年8月16日(1864/12/31〜1929/08/16))は、女性の自立を目指した女子教育のパイオニアで、Q18で触れた岩倉使節団に随行した5人の女性の一人である。他の4人は図104に示す女子留学生たちで、左から上田悌子うえだていこ山川捨松やまかわすてまつ永井繁子、津田梅子、吉益亮子よしますりょうこである。

図104.岩倉使節団に随行した5人の女性

・梅子は最年少の満6歳で米国に渡り、Bryn Mawrブリンマー大学を卒業し、1882年の11月に帰国するまで約11年間、アメリカに滞在し、その間見た星条旗は図100と図101であった。
・11年もアメリカに滞在した梅子は、帰国したばかりのときは日本語もおぼつかなく、通訳が必要なほどであったが、自らの学問に対しての情熱に従って1889(明治22年)年9月に再びブリンマー大学に入学し生物学を専攻した。訪米してからの星条旗は1年ほどは図102だったが、その後に図103になった。

Q23

・これまでに何回か言及している通り、アメリカには現在50の州がある。最後に州に昇格したのはHawaiiハワイで、その前はAlaskaアラスカである。前者の州昇格は1959/08/21で、後者は1959/01/03である。
前編のQ12で述べている通り、1959/07/04から翌年の独立記念日前日まで図105に示す国旗は続いた。

図105.アラスカ州昇格の49個の星の星条旗

図106に州旗を示すアラスカ州はアメリカで最大の州である。下記に州の面積のランキングを示す。

アラスカは西のBeringベーリング海峡を隔ててロシアにも近く、筆者の友人は早稲田大学探検部員として1960年代初めに、この海峡を歩いて渡った。人口は2021年時点で73万人(テキストでは8万人)で、州都はJuneauジュノー、最大の都市はAnchorageアンカレッジである。図106にアンカレッジの位置を示す。

図106.アンカレッジの位置

・1960年代末まで日本から欧州に行くには、飛行機はアンカレッジで給油してからロンドン、パリ、フランクフルトなどに向かった。前編のQ67で述べている通り、標高6190mのMcKinleyマッキンリー(現在のDenaliデナリ)を雲の上に眺めながら着陸態勢に入っていた。
・このアメリカ最大の州はもともとはロシア帝国の領土であった。毛皮を求めてロシアは東へと進み、前述のベーリング海を越え、アメリカ本土最大のテキサス州の2倍もの面積を所有するようになった。しかしCrimean Warクリミア戦争で財政難に陥ったロシアは1867/04/09に720万ドルでアラスカを手放した。
・720万ドルには諸説あり、このQ23が載っている39pではこの数字だが、前編のQ12、19pでは780万ドルとなっている。780万ドルとの数値が出ている文献やウェブページは見つからなかった。テキストでは第16代大統領、Abraham Lincolnエイブラハム・リンカーンの後を襲ったAndrew Johnsonアンドリュー・ジョンソン大統領のWilliam Henry Sewardウィリアム・ヘンリー・スワード国務長官の歴史的大手柄と述べられている。
・現在のアメリカにおいては、安全保障上、決定的に重要な場所となり、また石油を初めとする資源の採掘と漁業のため日本からの漁船も多数出航している。

Q24

・これまでに何回か言及しているが、アメリカの国旗に星が増えるのは州ができた最初の7/4、つまり独立記念日である。
・元々ハワイは独立した王国として、日本とも友好関係にあった。しかしアメリカが強引にこの国を自国の領土にし、軍事要塞化し、特に海軍の拠点とした。1941/12/07のPearl Harbor Attack真珠湾攻撃で壊滅的な被害を受けるも、再構築に努め、戦後は太平洋域全体の安全保障に大きく関わった。巨大なリゾート開発もなされ、欧米や日本からの観光客が多く訪れている。
・1952/12/09~1954/05/17のアメリカ最高裁判所においてのBrown v. Board of Educationブラウン対教育委員会裁判で、最高裁は「分離しかし平等」という法理は公立学校教育の分野に適用されないとし、「白人と黒人が分離された教育は本質的に不平等である」との判断を下した。この判決を契機に、テキストで述べられているCivil rights movement公民権運動が活発になり、1963/08/28のMarch on Washingtonワシントン大行進でピークを迎えた。
・上記の公民権運動に便乗する形で、ハワイとアラスカでは州昇格を目指すという「立州化運動」が盛んになり、1959/03/11に連邦上院で賛成76、反対15で可決、連邦下院で賛成323、反対89でこれが認められ、同年8/21Dwight David Eisenhowerドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー第34代大統領の署名で、ハワイは正式にアメリカの50番目の州になった。この国はハワイとアラスカを除く「本土」を「lower 48ロワー48」と呼ぶことがある。
・図107に示す48個の星の星条旗は1912/07/04~1959/07/03までで、今の50個の星が描かれるまでは、一番長い48年続いた星条旗であった。現在の図32に示した50個の星の国旗は1960/07/04から今日に至るまで60年以上変わっていない。

図107.48個の星の星条旗

・テキストに載っているHawaiian Kingdomハワイ王国の国旗は1種類のみで、1854~1959に使われたとの表記があるが、Wikipediaの該当ページにその期間と一致する国旗は見つからなかった。ハワイ王国の国旗の隣に載っているハワイ州の州旗の制定年も、文献では1845/05/20だがテキストでは1959年となっている。1959年という数字はハワイの州昇格年と考えられる。
・Wikipediaに載っている国旗、情報と、CRWFの該当ページの情報をできる限り照らし合わせた結果を並べると図108~114のようになる。

図108.1793–1800?
図109.1801~1816年?
図110.1816~1843
図111.1843/02/25~1843/07/31
図112.1845/05/20~?
図113.1893/02/01~1893/04/01
図114.1894

・以下の年表は前述のCRWFのそれを訳して、再編集したものである。
1794~1816年、ハワイはユニオンジャックを国旗として掲げた。
1816~1843年、ハワイは現在の旗の初期版を掲げた。
1843/02/25(15?)~1843/07/31、イギリスに占領された。Lord George Pauletジョージ・ポーレット卿によるPaulet affairポーレット事件が起きる。
1843/07/31、カメハメハ3世は、ハトとオリーブの枝が描かれたハワイ国旗が掲揚される中、有名な感謝の祈りを捧げた。
1845/05/20、現在のハワイ国旗が採択される。
1893/02/01から1893/04/01まで、ハワイの旗は米国旗であった。
1894年、ハワイ共和国がハワイ国旗を再採用した。
1898~1959年、ハワイ準州はハワイ国旗を使用していた。
1959年~現在、ハワイ州は現在の旗を使用している。
以下のサイトなども活用した。

Q25

・色を問わず国旗に大きな5芒星が1つの国は、どのくらいから大きいと判定するかにもよるが、テキストに載っているものの基準で捉えればエチオピアガーナ北朝鮮ギニアビサウキューバCODジブチジンバブエスリナムソマリアチリブルキナファソベトナム南スーダンミャンマーモザンビークモロッコリベリアが挙げられる。
カメルーンセネガルCAFトーゴは大きいとは言えないが星1つが目に付く。
・Q10で述べている国の国旗には星がついているものがたくさんある。一つ星は「統一」や
・図115に示す、テキストで述べられているミャンマーの国旗は、Thein Seinテイン・セイン代表率いるUnion Solidarity and Development Party連邦団結発展党による軍事政権が2010/10/21に変更したものである。
・黄、緑、赤の横3色旗はかつてその中央に孔雀を描いた「建国の父」Aung Sanアウンサンが図116、図117に示す国旗としたものに由来し、反軍事政権の最高指導者Aung San Suu Kyiアウン・サン・スー・チーも変更することはなかった。筆者は2021/02/01のクーデターで、どうなるか見通しが立たない状況と述べている。

図115.ミャンマーの国旗
図116.ミャンマー(ビルマ国)の1943/08/01~1945の国旗
図117.1945~?

・ミャンマーは多民族国家であり、Burmaビルマ族が人口の7割弱を占める。ビルマ語が公用語ではあるが、テキストに載っているだけでもKarenカレンKachinカチンKayahカヤーRakhineラカインChinチンMonモンShanシャン、中国系のKokangコーカンなどがおり、独自の言語を持つ民族も多く、図115の白の星が示すような統一や団結は難しいものとなっている。図118に135の少数民族を示す。人口比ではビルマ族68%、シャン族9%、カレン族7%、ラカイン族4%、中国人3%、インド人2%、モン族2%、その他5%となっている。

図118.ミャンマーの135の少数民族

Q26

・国旗に青の星と赤の星がついているのは、図119に再掲するパナマである。

図119.パナマの国旗(再掲)

・赤、青、星はそれぞれ単独の要素とすれば世界の国旗に多数登場し、国旗の主役とも言える。198カ国でこれらの要素が1つもない国旗は数え間違いがなければラトビアを入れても12カ国しかない。アイルランドインドカタールキプロスコートジボワールサウジアラビアジャマイカスリランカナイジェリアニジェールブータンが該当する。
・国旗に赤と青があって、白の星があるというのは図51のアゼルバイジャン、図32の星条旗、ウズベキスタン、図38のオーストラリア、キューバクック諸島コスタリカコモロ連合サモアチリベネズエラリベリアが当てはまる。太陽と月は星にカウントしていない。カウントするのであれば図85の台湾やネパールも当てはまる。
・赤、青、白が使われていて星が1つというのは、北朝鮮、キューバ、チリ、リベリアの4カ国のみである。
・図119の原案は1903/11/03に、María de la Ossa de Amadorマリア・デ・ラ・オッサ・デ・アマドール初代パナマ大統領夫人(1855/03/02~1948/07/05、ファーストレディ)によって考案された。考案された国旗は理由は不明だが、図120のように上下の部位が入れ替わっていた。この旗は同年12/20まで使用され、その後、図119になった。

図120.パナマの1903/11/03~12/20の国旗

・パナマと言えば運河である。1869/11/17Suez Canalスエズ運河を拓いたフランスのFerdinand de Lessepsフェルディナン・ド・レセップス1881/03/03に一心に期待を受けて開発に着手した(会社を設立した)ものの、想定以上の難工事とマラリアの蔓延に遭遇して断念した。その後1903/11/18のHay–Bunau-Varilla Treatyパナマ運河条約によってアメリカがパナマ地峡の支配権を握り、第1次大戦が開戦した1914年の8/15にパナマ運河は開通した。そしてアメリカは1999/12/31PM0:00を持って管理権をパナマに全面返還し、運河地帯の要所に並んでいた図32の星条旗は図119のパナマの国旗になった。

Q27

・星が上向き(☆)でない国旗は、テキストの選択肢ではアルジェリアチュニジアリビアが上げられる。各国の国旗を図121~123に示す。

図121.アルジェリアの国旗
図122.チュニジアの国旗
図123.リビアの国旗

星は世界中で図115のミャンマーのように、1点が直立しているのが普通であるが、中には横向き、斜め向き、下向きもある。というのは図124に示す通り180°-108°五角形の内角=72°、つまり左右どちらかにこの角度だけ回転させれば直立するのでどれがどの方向に斜めかは断言しにくい。断言しにくい例を図125に示す。

図124.ベトナムの国旗で示した5芒星の例
図125.ツバルの国旗の斜めか下向きか判断しにくい5芒星

テキストで右上の隅に向いていると述べられているパキスタンの国旗と、それがその向きに向いているという2枚のconstruction sheet設計図を図126~128に示す。

図126.パキスタンの国旗
図127.パキスタンの国旗の設計図の1つ
図128.パキスタンの国旗の設計図の1つ

パキスタンの設計図に不記載の、星の角度を三角比で求める。まずは三平方の定理より、底辺11.25、高さ10の三角形の斜辺の長さを求める。図129では、数値を100倍した。

図129.それぞれの数値を100倍しての斜辺の長さ

次に、cosコサインの数値を出すために、底辺/斜辺を求める。

図130.コサインの数値

そして、この数値を下記サイトに入力して、図131のように角度を求めた。

図131.パキスタンの国旗の星の傾いている角度

よって約41.6335°、傾いている。
・テキストではチュニジア、トルコ、東ティモール、南スーダン、リビアが左に傾いているとされている。しかし、前述のように5芒星というのはどちらの向きに傾いているかが人によって異なると、私は考えている。図6の東ティモール、図123のリビア、図132と133に示す南スーダンは左に傾いているように見えるが、図122のチュニジア、図46のトルコは図134、135にて線を引いた通り、図126と127のパキスタンのように右上隅に向いているとも捉えられる。

図132.南スーダンの誤っているとされる国旗
図133.南スーダンの合っているとされる国旗
図134.チュニジアの星が右上隅に向いていると言えることの証明
図134.トルコの星が右上隅に向いていると言えることの証明

1977/06/27にジブチは独立したが、日本の外務省は図135に示すこの国の国旗の5芒星がホイスト旗竿向きだとして、多くの出版社などが「天下の外務省がこれなのだから間違いはない」と従順に従っていた。筆者は何度もこの機関に対し再確認するように言ったが、訂正まで10年もかかった模様。間違っているジブチの旗は見つからなかった。
・星が斜めのいろいろな方向に向いている国旗は図135に示す中国、斜めは図136に示すSKN、下向き(斜めにも見える)は図137のトルクメニスタン、全部外側に向いているのは図138のミクロネシア連邦、図125で示したツバルは上向き4つと下向き5つということに、テキストではなっている。図139のクック諸島は環状に丸く15の5芒星が全部外側に並び、図140のヨーロッパ連合EUは12の星が直立して並んでいる。

図135.中国の国旗
図136.SKNの国旗
図137.トルクメニスタンの国旗
図138.ミクロネシア連邦の国旗
図139.クック諸島の国旗
図140.EUの旗

・図125のツバルを図141のように縦に掲揚すると、国を構成する島々の配置になる。ツバルの地形を図142に示す。

図141.縦に掲揚したツバルの国旗
図142.ツバルの地形

Q28

・星の角の数が6個、つまり6芒星になっている国旗は、図143に示すブルンジが挙げられる。この3つの6芒星は、HutuフツTutsiツチTwaトゥワの主要3部族を表す。

図143.ブルンジの国旗

・Q4で既にExcelのファイルを貼付して述べたが、表から読み取るに図38のオーストラリアは198カ国で唯一、国旗に複数種類の星(5芒星と7芒星)を用いている国である。カントン下部の大きな7芒星は6つの州(VictoriaヴィクトリアWestern Australiaウェスタン・オーストラリアQueenslandクイーンズランドSouth Australiaサウス・オーストラリアTasmaniaタスマニアNew South Walesニュー・サウス・ウェールズ)と、特別地域(Northern Territory北部準州Australian Capital Territoryオーストラリア首都特別地域Jervis Bay Territoryジャービス湾特別地域)を表している。
・オーストラリアは1901/09/03に国旗を初掲揚したが、その時のカントン下部の星は図144に示すような6芒星であった。1908/12/19に7芒星になった。9月3日はオーストラリアの国旗の日であり、図144では5、6、7芒星が使われている。

図144.初掲揚時のオーストラリアの国旗

・マレーシアの図145に示す国旗は、「Jalur Gemilang栄光の縞模様」と呼ばれているが、イスラム教徒が多いことから三日月と星もついている。この14芒星は、1963/09/16Federation of Malayaマラヤ連邦 ができたときの11の藩王国(KelantanクランタンKedahケダJohorジョホールSelangorセランゴールTerengganuトレンガヌNegeri Sembilanヌグリ・スンビランPahangパハンPenangペナンPerakペラPerlisペルリスMelakaマラッカ)と、SabahサバSarawakサラワクSingaporeシンガポールを表すと説明されてきたが、1965/08/09にシンガポールが離脱してからも、国旗はデザインを変更されないまま、政府直轄地の首都、Kuala Lumpurクアラルンプールを含めての14本であると説明されてきている。
・前述の9/16はマレーシアデイである。
・図145に示すヨルダンの国旗の7芒星は、イスラムの教典のKoranクァラーン(コーラン)の冒頭部分(Shahādaシャハーダ)がアラビア語で7音節から成り立っていることを表している。

図145.ヨルダンの国旗

Q29

・1945/08/15の終戦で、現在のソウル(当時の京城けいじょう)にあった朝鮮総督府前では図84の日の丸が図146に示す韓国の国旗、太極旗てぐきと正式に交代したが、連合軍の指示により時期をずらして行われたため、大きなトラブルはなかった。

図146.韓国の国旗(太極旗)

・日本では8/15は終戦記念日だが、韓国では光復節クァンボクチョルとして祝う。1910(明治43)/08/22桂太郎首相による日韓併合条約から、終戦までの34年11カ月24日にわたり日本は韓国を併合していた。戦争が終わったこの日は敗戦の混乱の中、朝鮮半島の各所で日の丸が殆どの場合丁寧に降納こうのうされ、即席で調達された図146と入れ替わった。テキストと完全に一致する写真を図147に示すが、もう1枚の太極旗が掲揚されている写真は見つからなかった。

図147.降納される日の丸

Q30

・Q29で触れた図146の太極旗は漢籍かんせきと呼ばれる中国の古典の易経えききょうに由来している。
大韓民国テハミングクは日本から最も近い国であり、第2の都市である釜山プサンは長崎の対馬から図149のようによく見える。距離は参考値ではあるが、図148に示す分しか離れていない。

図148.釜山-対馬間
図149.対馬から見える釜山

・韓国はQ29で述べた日韓併合から終戦まで、地理上から消えていた。1948/08/15に韓国と北朝鮮ができて分断し、1950/06/25の北朝鮮の侵攻で朝鮮戦争が勃発し、1953/07/27に休戦協定がまとまるまで続いた。
・韓国はさまざまな問題を抱えながらも1970年代初めから経済発展を遂げている。歴史教育と竹島(韓国では独島ドクト)の帰属を巡って藩日行動が盛んである。
・韓国の国歌は「愛国歌エグックファ」であり、日本に併合されていた頃は蛍の光のメロディーに今の歌詞をつけて、反日運動の歌だったこともある。
・図146の4隅の印は乾坤坎離(☰☷☵☲)と言い、3500年ほど前にできたとされる中国の教典の1つ、易経に由来するものである。中央の円は万物の根源である太極で、赤は陽、青は陰を表している。乾坤坎離をまとめると下記のようになる。
乾:左上にあり、天、父を表す。
坤:右下にあり、地、母を表す。
坎:右上にあり、水、冬、北などを表す。
離:左下にあり、火、夏、南などを表す。
下記のリンクなども参考になると考えられる。

・昔の写真を見ると乾坤坎離の形やともえの色が必ずしも同一でないこともあるが、その後の何度かの調整を経て今の形になっていった。
・筆者は忠清南道天安の独立記念館の正面玄関前にある展示で、国旗デザインの変化を見られると述べているが、私は行ったことがないので今も展示が続いているかは不明である。この地は1919(大正3年)/03/01に起こった3.1万歳事件で民衆を率い、「独立烈士どくりつれっし(独立運動に身を捧げた人)」と称揚されている女学生、柳寛順ユグァンスン(1902/12/16?~1920/09/28)の出身地である。生誕年月日は旧暦も含め複数見つかっており、はっきりしない。よって正確な享年も不明
・筆者は世界が軍事力を背景に戦力を拡大しようという帝国主義に揺れる時、内ゲバや内戦を繰り返して混乱していた朝鮮半島において、朴泳孝パクヨンヒョ金玉均キムオッキュンは現在の韓国で言われるような「売国奴ばいこくど」ではないと考えている。国民を守る最終手段として日本と折り合いをつけようという選択だったに違いないが、朝鮮半島の人々のその後の苦労を思う時、その努力は冷静に見てどう評価すべきかと問いかけている。
・スポーツに政治に関わる主張や場違いの旗を持ち込んではならない。筆者は東京オリンピックなどスポーツの国際大会の観覧席に海上自衛隊の旗である図150の旭日旗や竹島を描いた図151の統一旗ドンイルキを持ち込むのはやめるべきと考えている。戦後最悪と言われる日韓関係で両国民が大人になるというのはそういうことで、そうでなくては平和のための大会が政治宣伝の場になってしまうと危惧している。

図150.旭日旗
図151.竹島の描かれた統一旗

・オリンピックの開閉会式で入場行進するときには、IOC国際オリンピック委員会が承認し、組織委員会が制作する旗しかトラックやフィールドには持ち込めない。よって2018/02/09開催の平昌オリンピックでは韓国と北朝鮮の旗手は朝鮮半島と済州島チェジュドのみを空色にした図152のIOCが認める統一旗を持って行進した。しかし観覧席では、それとは別の竹島や鬱陵島ウルルンドをも描いた図151を金正恩の妹、金与正や女性の応援団「美女軍団」が韓国のサポーターとともに振りかざした。筆者は前述の通り、ふさわしくないと述べている。

図152.竹島や鬱陵島の描かれていない統一旗

Q31~40

Q31

前編のQ56でも触れたが、単色の無地の国旗が34年も続いたのはリビアである。イタリアの植民地だったリビアは1951/12/24に独立を果たした。その当時の国旗は現在と同じ、図153に示すものである。「イスラムの4色」と「月と星」というイスラム諸国の典型のような国旗である。

図153.リビア王国及び現在のリビアの国旗(再掲)

・しかし、1969/09/01にmuʿammar ʾabū minyār al-qaḏḏāfīムアンマル・アル=カッザーフィー、通称カダフィ大佐(1942/06/07?06/25?~2011/11/20)が起こしたリビア革命Idris Iイドリース1世の王政が倒れ、大佐はエジプト、シリアとアラブ共和国連邦を結成して同じ国旗を掲げたが、政治統合に至らぬうちに1977/03/02に大佐は国名を世界一長い「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」に変更した。
・一方、エジプトのMuḥammad Anwar al-Sādātムハンマド・アンワル・アッ=サダト(1918/12/25~1981/10/06)大統領は1977/11/11に、8日後の11/19に「宿敵」イスラエルを訪問すると発表し、立腹した大佐は一夜にして自国の国旗を、図154に示すようなイスラム教の預言者・ムハンマドのターバンの色である緑1色に変えた。

図154.大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の国旗

・しかし、サダトは1981/10/06の軍事パレードでイスラム過激派のjihādジハード団に暗殺されてしまった。Muhammad Husnī Mubārakムハンマド・ホスニー・ムバーラク(1928/05/04~2020/02/25)副大統領が後継となった。
1984/10/04にムバラクは図155に示す現在のエジプトの国旗を採択した。第3回十字軍(1189/05/111192/09/02)でサラセン帝国軍を率いた英雄サラディンに由来する「サラディンのワシ」のマークの付いた赤白黒の横3色旗である。

図155.エジプトの国旗

2011/12/17のチュニジアの焼身自殺事件を発端に、中東諸国にはアラブの春と言われた政治運動が連鎖的に盛り上がった。そうした中、ムバラクが国民の支持を失って2011/02/11に辞任し、国外に逃亡すると、リビアでも大佐の独裁政権が倒れ、国旗は42年ぶりに王国時代の国旗に戻った。
・ただ内戦は未だ続いており、トルコが支援する暫定政府軍とエジプト、フランス、ロシアが支援するKhalifa Belqasim Haftarハリファ・ベルカシム・ハフタル将軍麾下きかLibyan National Armyリビア国民軍(LNA)が基本的な対立をしている。政治のブランク空白をついて過激派が勢力を拡大させ、また図156に示す東部のCyrenaicaキレナイカ地方は独自の自治政府により治められており、更には様々なイスラム過激派が勢力を拡大、anarchy無政府状態となっており、シリアやイラクでの戦闘要員リクルートの場、またはその逆にもなっている模様。

図156.リビア東部のキレナイカ地方

・リビアは国も国旗も決して安定してはおらず、またエジプトの国旗は失脚して国外逃亡したムバラクが定めたものなので、筆者はまた変更という話になってもあまり驚かない気がすると述べている。

Q32

Hans Christian Andersenハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805/04/02~1875/08/04)はデンマークの代表的な童話作家、詩人である。代表作は「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「雪の女王」等が挙げられる。約170点の作品を遺しており、子供から大人まで幅広く愛されている。
固定記事の3.9.5でも述べている通り、デンマークの国旗は世界でも歴史の古い国旗の1つである。しかしながらそのデザインは「人魚姫」ではなく「スカンディナヴィア十字」である。固定記事でこの名前が最初に出てくるのは3.12.1のアイスランドである。
・筆者が子どもたちに「自分の好きな国旗を描いてごらん」というとよくハートが返ってくる模様。ただし国旗にこのマークが描かれているものはない。
・ハートマークは図157に示すデンマークの国章に描かれている。

図157.デンマークの国章

・図157の原型となったライオンの紋章は、図158に示す1190年のCanute VIクヌーズ6世の紋章にまで遡れ、13世紀にはライオンに王冠がつくようになり、16世紀にはハートの数が9個と定められた。なお、画像は非常に信憑性が薄いものとなる。13世紀のものは図159に示す。

図158.1190年のクヌーズ6世の紋章
図159.13世紀のライオンが王冠を被っているもの

・テキストでは図157は1819年に考案されたものとあるが、具体的な月日は不明。Frederick VIフレデリック6世の元、考案された。
・他方、ハートは図160のオランダにある12の州の1つ、Frieslandフリースラントの州旗にも描いてある。この州の場所を図161の2に、州旗を図162に示す。

図160.オランダの12の州
図161.2番がフリースラント州
図162.フリースラント州旗

Q33

・実際には存在しない架空の動物も国旗には出てくる。双頭の鷲が代表的で、アルバニアセルビアモンテネグロの国旗に登場する。アルバニアの国旗を図163に示す。残り2カ国は図16、図18を参照のこと。

図163.アルバニアの国旗

・中世の欧州ヨーロッパには神聖ローマ帝国という大きな国があった。図164に示すように最大の勢力を持っていたときでは現在のイタリア北部、オーストリア、オランダ、カリーニングラード、クロアチア、スイス、スロベニア、ドイツ、フランス東部、ベルギー、ポーランド西部と広くまたがっていた。8~9世紀に成立、やがて分裂し、多くの領主の名ばかりの連合王国になり形骸化、1806/08/06ナポレオン1世によって解体、最後の皇帝のFrancis IIフランツ2世は退位した。

図164.最大の勢力を持っていた頃の神聖ローマ帝国の領土

・テキストに載っている東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の国章、神聖ローマ帝国の国旗と国章の一例を図165~167に示す。

図165.東ローマ帝国の国章
図166.神聖ローマ帝国の国旗
図167.神聖ローマ帝国の国章

・双頭のワシは東ローマ帝国(ビザンツ帝国、1395~1453)の国章に由来し、
神聖ローマ帝国の国旗に引き継がれたもの。2つの頭は東西に目配りし、警戒を怠らない国であることを示している。
・「双頭のワシの旗の下に」という有名な行進曲がある。オーストリアの行進曲マーチ王、Franz Wagnerフランツ・ワーグナーが1880年代(1902年という説も)に作曲した。以下に動画を示す。

・上記の曲は当時のオーストリアがハンガリーとの二重帝国になって、ワーグナーが軍楽隊長であったときの曲である。
・オーストリアの国旗、特に政府が用いる国旗には双頭のワシの紋章がついていた時期もあった。だが第二次大戦後(敗戦後)は、政府旗には頭が1つのワシが用いられるようになった。敗戦国になって、領土を広げる意志がないとの言われがある。双頭のワシを用いている国旗を図168に、現在の政府旗を図169に示す。

図168.1934~1938のオーストリアの政府旗
図169.現在の政府旗

・テキストに載っている架空の生物を描いている国旗は、過去のものを含め3つある。清国、ブータン、ウェールズである。清は1862~1889まで三角形の図170に示す国旗であった。

図170.清国(1862~1889)

・図170は1911/10/10に始まった辛亥革命までは長方形になった。図171、172にブータンとウェールズを示す。ブータンは19世紀末に採択されたとテキストには書いてあるが、一致する情報は見つけられなかった。

図171.ブータンの国旗、1969年採択
図172.ウェールズの国旗、1959年採択

Q34

前編のQ13やこのページのQ9と同じ内容なので、そちらを参照されたし。

Q35

・オリンピックの7人制ラグビーで優勝したので、表彰式で掲揚された国旗の変更を取りやめた国は、フィジーである。この国の国旗を図173に示す。

図173.フィジーの国旗

・この国は南太平洋の中央にある333の島からなる共和国で、イギリスの植民地であった時代にサトウキビのプランテーションとするため、インド人労働者を多数移住させ、近年は多数派である先住民と関係が不安定になる模様。
・図173はオーストラリアやNZと同じく、植民地時代の名残で時代遅れという声が上がり、ユニオンジャックのない太平洋地域の国家をイメージした新デザインとする方針を公表した。Josaia Voreqe Bainimaramaジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ首相は2015/02/03にユニオンジャックのない国旗を公募し、真の独立国家の象徴となる新国旗を選定すると発表した。最終的には23の案を検討し、同年10月10日の45回目の独立記念式典で新国旗を掲げる予定だったが、中々結論が出なかった。有力候補だったものを図174に示す。

図174.フィジーの国旗の変更案

2016/08/05に始まったリオオリンピックでは、オリンピックというものに初参加した。結果、男子7人制ラグビーで金メダルを獲得した。バイニマラマ首相は国民が図173の現在の国旗を振って歓喜する姿に強く心を動かされ、変更を取りやめた。
・図173の紋章には固定記事で触れている通り、サトウキビ、ヤシ、バナナ、ライオンが持つカカオが描かれている。いずれもこの国の特産品であり、平和の象徴としてオリーブを咥えた鳩も描かれている。これはノアの方舟に由来するが、前編で詳しく述べているのでそちらを参照されたし。
・ドミニカ共和国の国章下部には「REPUBLICA DOMINICANA」と書かれた帯があるが、2010年以前の国章は図175に示す通り帯の両端が下向きであった。現在の国章を図176に示す。筆者は東京オリンピック直前の2021/07/20に、駐日同国大使館から情報を手に入れた。直ちに同国の憲法、国旗法を調べ直したところ、10年以上前に変更されていたことが明らかになった。筆者はテキストの中で読者にお詫びしている。

図175.ドミニカ共和国の2010年以前の国章
図176.ドミニカ共和国の国章

・今回のオリンピックでは、組織委員会は2年前、各国NOC国内オリンピック委員会にデータを送って確認し、更に同年8月に東京で開催した選手団長会議で個別に再確認して了承を得たものだった。調べたところ、2010年のロンドン、2016年のリオデジャネイロでも古いデザインを使用していた。筆者はグアテマラ、パラグアイ、ボリビアのようにいつの間にか変わって、それを後から確認するということがしばしばあり、ハラハラすると述べている。

Q35

・旧ソ連の図68の国旗を連想させる、現在も使われている国旗は、アンゴラである。国旗を図177に示す。1975/11/11からのデザインである。

図177.アンゴラの国旗

・冷戦時代1950年代から1991年の大晦日まで、ソ連はアフリカ大陸へ様々な支援を行い、この大陸の政治情勢を作っていく中で大きな役割を果たしてきた。アンゴラ、エチオピア、エリトリア、コンゴ共和国、ソマリア(イタリアから独立)、ソマリアのアフリカ北東部3カ国(SomalilandソマリランドPuntlandプントランド、連邦政府)、ダオメ(現ベナン)、チャド(旧フランス領)、モザンビーク(旧ポルトガル領)、Rhodesiaローデシア(旧イギリス領、現ジンバブエ)などを巡る地域紛争や内戦に関わり、その遺恨は未だ続いている。アフリカ北東部3カ国の地図を図178に示す。

図178.分断されたソマリア

・上記の国への影響力はソ連崩壊とロシアの経済的混乱から急速に減ったが、最近ではCAR中央アフリカ共和国(テキストではRAC)に積極的に関わっていると報じられている。
・アンゴラの2003年に提案された旗の案を図179に示す。そしてデザインは少々異なるがconstruction sheet設計図があったので、それを図180に示す。

図179.アンゴラの新国旗案
図180.アンゴラの新国旗案の設計図

Q37

・日本でも1958/05/25の女子走り高跳びのアジア大会で図85の台湾(中華民国)の国旗を間違えて逆さまに掲揚してしまった。
・筆者がまだ学部の学生だったときに1964/10/10開催の東京オリンピックに国旗担当専門職員として招かれたのは、他に代わりがいなかったというのと、上記のミスによるトラウマがあったからである。
田畑政治たばたまさじ(1898(明治31年)/12/01~1984/08/25、日本水泳連盟会長)、松澤一鶴(1900(明治33年)/09/07~1965/01/10、元都教育長)の2人はアジア大会でも組織委員会の事務総長、事務次長のコンビですべての準備にあたったが、筆者を組織委に呼んだ時、数分だが面接試験のようなことをした。
・田畑が筆者にユニオンジャックを取り入れているオリンピック参加国や地域の旗はどこか?と訪ねたところ、筆者は図38のオーストラリア、カナダ北ローデシア、図41のNZ、バミューダバハマ、図114のハワイ州旗、バルバドス香港南アフリカローデシアを挙げた。
・この2人は、前述の1958年の1件に際し、中華民国チームの宿舎だった新橋第一ホテルに向かい、団長に土下座して謝った模様。
・さらに2015/11/22、マレーシアのクアラルンプールでの安倍晋三首相Narendra Modiナレンドラ・モディ首相による日印首脳会談の席上、図181に示すインドの国旗が逆さまということも起こっている。安倍首相自身が気づき、写真撮影をやり直した。言うまでもないが、国旗を逆さまに掲揚したり、妙な色になるのは失礼である。

図181.インドの国旗

2016/04/10開催(テキストでは2016年6月)の広島の外相サミットは伊勢志摩サミットに合わせて開催されたものだが、有名なイタリアの図182に示す国旗の赤が図183に示すようにポスターではオレンジ色になっており、図184のアイルランドと同じに見えるという事態が起きた。外務省が指摘を受けた後、印刷し直させた。

図182.イタリアの国旗
図183.アイルランドのようになったイタリア
図184.アイルランドの国旗

・筆者は2016年のリオデジャネイロオリンピックでも、チェコやロシアの国旗の逆掲揚を見つけた。テキストに載っている写真は3枚で、図185は前述の逆さまの青天白日満地紅旗、図186も前述の2015/11/21でのクアラルンプールでのインドの逆掲揚でテキストとほぼ一致、図187はテキストはモノクロだが、カラー写真が見つかった。これは1992/10/17に開催された大リーグでのカナダの国旗の逆掲揚である。アメリカ第41代大統領ブッシュ大統領がテレビのトークショーで平身低頭、謝罪した模様。

図185.逆掲揚の青天白日満地紅旗
図186.逆掲揚のインドの国旗
図187.逆掲揚のカナダの国旗

Q38

・Q37で逆掲揚ミスについて触れたが、図188に示すタイの国旗は絶対に逆さまにならない国旗を考えよという国王の命令のもと考案された国旗である。

図188.タイの国旗

・タイでは全国の国旗掲揚台でAM8:00に国旗を掲揚し、PM6:00に降納する。その時には以下に動画を示す国歌が放送され、国民は起立して敬意を表すると法律で定められている。

・国旗の赤は上記の国歌と国民の団結、白は仏教、青は国王を表しており、1917/09/28に制定された。それまでは図189に示す赤の地に白い象が描かれたものだった。1916年に起こった洪水の被害を視察した当時のRama VIラーマ6世が、図189が逆さまに掲揚されているのを見て、上下左右対称な国旗に変更した。この国王はタイの王朝史上、初めて海外の大学へ留学した。

図189.タイの1917/09/28までの国旗

・我が国の図84の国旗もそうであるが、世界の国旗で絶対に逆さまにならない国旗は全部で14ある。これに関しては下記の記事を作って、結論でExcelのファイルを貼付しているので、詳しくはそちらを参照されたし。国章を抜きとしてカウントすると、イスラエル、オーストリア、北マケドニア、コスタリカ、ジャマイカ、ジョージア、スイス、タイ、日本、ペルー、ボツワナ、ミクロネシア連邦、ラオス、ラトビアが上下左右対称である。

Q39

・Q38で触れたタイの他、国旗に象を描いていた国は、今のベナンとラオスである。ベナンは1625~1894年までDahomeyダホメ王国(テキストではダオメ)で、図190に示す国旗の国であった。ラオスはラオス王国時代の1952~1975/12/02まで図191に示す国旗であった。

図190.ダホメ王国の国旗
図191.ラオス王国の国旗

・国旗ではなく国章では、象が描かれたものがある。エスワティニ、CIVコートジボワール、コンゴ共和国、CAF中央アフリカである。図192~195にそれを示す。

図192.エスワティニの国章
図193.CIVの国旗
図194.コンゴ共和国の国章
図195.CAFの国章

Q40

・国旗を縦長に掲揚するとき、時計回りに90°回転させるものと、一度裏返して(鏡像)左に90°回転させなければならないものとに分けられる。
・図96の星条旗は、後者の一度裏返して左に回転させるものに当てはまる。その他、テキストの選択肢ではイギリス中国が前者で、ドイツオーストラリアが後者に当たる。それぞれの縦掲揚を図196~199に示す。星条旗はカントンが常に左上に来るように規定されてい

図196.縦掲揚のイギリス
図197.縦掲揚の中国
図198.縦掲揚のドイツ
図198.縦掲揚のオーストラリア

・テキストに載っているブッシュ(Jr.)大統領の一般教書演説の画像を図199に示す。カントンが左上に来ている。

図199.アメリカ上下両院総会で一般教書演説をするブッシュJr大統領(2004/01/20)

・他にアルメニアエストニアフィリピン南アなどが上記のドイツやオーストラリアと同じ方式で縦掲揚する。フィリピンに至っては一度縦に掲揚されたものを左に回転、つまりそのまま横に戻すと赤が上、戦争させることになる。
・アルバニア、エジプト、カンボジア、北朝鮮、スロバキア、モンテネグロ、リヒテンシュタインなどは図200~206に示すように国旗の中の印が常に上向きになるように特別仕様の国旗を用いる必要がある。

図200.縦掲揚のアルバニア
図201.縦掲揚のエジプト
図202.縦掲揚のカンボジア
図203.縦掲揚の北朝鮮
図204.縦掲揚のスロバキア
図205.縦掲揚のモンテネグロ
図206.縦掲揚のリヒテンシュタイン

・特別仕様の旗を用いるのはガーナ、ドミニカ共和国、チュニジア、ブータンであった。すべての画像は見つからなかったため、リンクにて示す。以下は東京オリンピックの国旗のマニュアルである。比較用にロンドンオリンピックも貼付する。

・「図説 国旗の世界史」49pにて上記のブータンが縦掲揚が禁じられているとの記述があるが、他にもテキストにはオランダ、サウジアラビア、ブラジル、公式参考書90pではケニア、他にはパキスタン、CRWFではスリランカが挙げられている。
・しかし、今回のオリンピックでは国立競技場幕張イベントホールのように建物の構造上、そのまま横に掲揚すると参加国の国旗が小さくなるため、各国NOCの承認を得て縦長に掲揚する場合もあった。
・縦掲揚の国旗に関しては参照文献がかなり少なく、またウェブ上にあるものは間違っているものが多数あり、かつ全ての縦掲揚の国旗をここで紹介するわけにはいかないので、記事を作る。出来上がり次第載せる予定。

Q41~50

Q41

・図181のインドの国旗の中央には図207に示す法輪チャクラがついているが、建国の父とも言われるMahatma Gandhiマハトマ・ガンジーが最初にこの国旗を考案したときには、図208に示すように糸紡車チャルカが描かれていた。この旗は1931/10/31に初掲揚された模様。

図207.インドの国旗の中央のチャクラ
図208.ガンジーが考案し、1931/10/31に初掲揚された旗

・筆者は宗教が近代的であるかどうかは、寛容性の有無が要点であると述べている。
・インドは長い間、イギリスの最大の植民地であった。1947/07/18に独立し(テキストでは1948年)、今では「世界最大の民主主義国」と言われ、図209に示すように様々な宗教が信仰されている。Sikhシクはシク教の教徒のことで、全世界で1900万人に信仰されている。Jainジャイナジャイナ教の教徒。

図209.インドの宗教人口

・昨今ではIT大国に変身し、世界最大の人口の国に2023年になった。この国には様々な民族もおり、図118のミャンマーの118の民族を優に超える461の民族が指定部族として位置づけられている。これは一部の民族の数であり、全部で635とも言われる。
・図210と示すインドの紙幣の表の面には英語とヒンディー語で、図211に示す裏面にはAssameseアッサムUrduウルドゥーOdiaオリヤKashmiriカシミールKannadaカンナダKonkaniコンカニGujaratiグジャラティSanskritサンスクリットTamilタミルTeluguテルグNepaliネパリPunjabiパンジャブBengaliベンガルMarathiマラティーMalayalamマラヤラムの計17もの言語で金額などの記載がされてある。表の面の右上にあるのは図211に示す、インドの国章である。

図210.インドの1ルピー紙幣の表の面
図211.インドの1ルピー紙幣の裏の面
図212.インドの国章

・現在の図181の国旗は上からサフラン色、白、緑の横3色旗。中央には図207の、仏教の象徴シンボルであるチャクラがある。これは図212の国章にも描かれており、紀元前3世紀のAshokaアショーカ王(BC紀元前304~BC232)仏教の経典を集め直した(結集けつじゅう)ことを記念している。
・図208は前述のようにガンジーが考案したもので、インドから輸入した綿花を使って機械で綿布を大量生産し、それをインドに売りつけていたイギリスに講義する意味が込められていた。しかし1947年の独立に際し、ガンジーの盟友であり後継者でもある図213のJawaharlal Nehruジャワハルラール・ネルー(1889/11/14~1964/05/27)首相などが、「チャルカのような貧相なものを国旗の中央に置きたくない」と言って、図181のデザインになった。筆者はこのあたりの動静はいかにもインドの上層階級らしい話と述べている。また、ネルー首相の誕生日、11月14日はインドのこどもの日である。

図213.ネルー首相

・ネルー首相は古代インドのMaurya Empireマウリヤ朝の第3代アショーカ王とその統治を崇敬した人物である。チャクラ(テキストではチャルカ)はSarnathサルナート遺跡から出てきたもので、この地は仏教の開祖である仏陀が最初に法を説いた「初転法輪」の地としてインド仏教の4大生地の1つになっている。残り3つはKushinagarクシナガラBodh GayaブッダガヤLumbiniルンビニーである。
・サルナート遺跡に隣接するサルナート考古学博物館には図212の国章と完全に一致する図214~216の「アショーカ王の獅子柱頭ししちゅうとう」が展示されている。4つの方角を向いた4頭のライオンの像が刻まれた岩石で、古代には14mもの石柱の上に据えられていた。

図214.アショーカ王の獅子柱頭
図215.アショーカ王の獅子柱頭
図216.アショーカ王の獅子柱頭

・アショーカ王は紀元前276年に図217のKalingaカリンガを征服し、インド南端を除くインド亜大陸を統一した。統一にあたり多くの犠牲者を出したので初めは「暴虐のアショーカ」と恐れられていたが、カリンガ国征服時に後悔し、仏教に改宗し、暴力に訴えない「ダルマによる統治者」を目指した。

図217.カリンガ国

・図181の国旗の色は図209の各宗教の色であり、少数派への寛容さを示している。少数派としてはシク教で、インドのPunjabパンジャブを中心に世界中に2400万人の信者がおり、世界では5番目の教徒数を誇る。印僑いんきょうとして欧米諸国や東南アジア、アフリカ東部で暮らす教徒も多く、日本には2000人ほどおり、コミュニティが存在する。
印パ分離ではパンジャブ州も東西に分離し、パキスタン側にいた教徒は東パンジャブに移住した。図218がパキスタンのパンジャブ州で、図219がインドのパンジャブ州である。今でも過激派はいる。

図218.パキスタンのパンジャブ州
図219.インドのパンジャブ州

Q42

・図126のパキスタンの国旗はホイスト側の1/4が白い帯になっているが、これはイスラム教以外への宗教の寛容さを表すものである。
・この国旗はSabz Hilali Parchamサブズ・ヒラリ・パルチャムと呼ばれ、1906/12/30に現在のバングラデシュの首都ダッカでAll-India Muslim League全インド・ムスリム連盟が発足したときに掲揚された、図220に示す旗に白の帯をつけたものがパキスタンの国旗である。

図220.全インド・ムスリム連盟の旗

・イギリス統治時代には1つになっていたインドから分離・独立する3日前、1947/08/11の憲法制定会議で、現在ではこの国の「国父こくふ」と仰がれ、初代大統領になったQuaid-e-Azamクアイデアザム(建国の父)、Muhammad Ali Jinnahムハンマド・アリ・ジンナー(1876/12/25~1948/09/11)がデザインしたとされる今の国旗を議場に提出し、Liaquat Ali Khanリヤーカト・アリ・ハーン(1895/10/01~1951/10/16、テキストではカーン)首相がこの国旗のもとに新国家の建設に務めると演説した。8/14はパキスタンの独立記念日で、12/25はジンナー生誕記念日である。図221にテキストと完全に一致するアリ・ジンナーの写真を示す。

図221.「建国の父」アリ・ジンナー

・パキスタンの国旗の緑は繁栄、月は発展、星は知識と光、白は国内の他の宗教を信仰する国民への寛容さを表す。
・筆者は1971年、パキスタンから東パキスタン(現・バングラデシュ)が分離独立する時、国際赤十字の代表として図222に示すNoakhaliノアカリにいた。ダッカ大学、メディアの多くがこの1つの県の出身者という珍しい県で、前述のガンジーが印パ分離の直前の半年をこの県で過ごし、インドが何とかムスリムと分裂しないまま独立できないかと説得し、その道を探った。結局はジンナーたちの主張を認め、パキスタンは独立、多数の人々が互いに移住し、その過程で多くの人命が失われた。今でも宗教的対立が原因の大小さまざまなトラブルがある。

図222.ノアカリ県

Q43

・図223に示すスリランカの国旗はこの国で大半を占める、上座部じょうざぶ(小乗しょうじょう)仏教徒の菩提樹の葉固定記事の3.10.9で触れたKasthaneカスターネを持つ金色のライオン、イスラム教とヒンドゥー教をそれぞれ意味する緑色とサフラン色の帯から構成されている。

図223.スリランカの国旗

・紅茶、Ceylon teaセイロンティーの産地であるスリランカは、仏教の盛んな国である。多数派の仏教徒、Sinhaleseシンハラ族と少数派のヒンドゥー教徒、Tamilタミール族Black July黒い7月と呼ばれる虐殺に始まる内戦は1983/07/23~2009/05/18まで続き、タミール族の軍事組織は壊滅した。
・以下リンクのスリランカ南部に伝わる伝統的「竹馬漁」をはじめ、この国には珍しい文化や観光スポットがたくさんある。

・19世紀頃から、赤地に金のライオンとカスターネの印が、シンハラ族のシンボルとされてきた。1948/02/04に独立して1951/03/01まで、図224に示す国旗であった。この時の国旗の四隅には、仏教の尖塔せんとうがあった。図225に示す1951/03/02~1972/05/21までの旗には各宗教の色の帯が加えられた。2/4はスリランカの独立記念日である。1972年には国名がセイロンからスリランカになった。菩提樹の葉は、仏陀がこの木の下で悟りを開いたことに由来する。

図224.1948/02/04~1951/03/01までのスリランカの国旗
図225.1951/03/02~1972/05/21までのスリランカの国旗

・筆者は宗教的な寛容は今のスリランカ国内では行き渡っていないと考えている。宗教家に「宗教対立が原因の戦争はあまりにも多いが、宗教で納まった戦争は思い出せない」と述べたところ、「宗教があるからこの程度で納まっていて、人類は滅亡しなかった」との返答が来た模様。どう捉えるかは人それぞれである。

Q44

・Q20でも少し触れているが、太陽に顔が描かれているのは、図226に示すアルゼンチン、図227に示すウルグアイ、図21と図228に示すエクアドル、図92のボリビアが挙げられる。

図226.アルゼンチンの国旗
図227.ウルグアイの国旗
図228.エクアドルの国章の別バージョン

・図226の太陽は「5月の太陽」と言われ、Inca Empireインカ帝国の太陽神Intiインティのシンボルである。独立運動が始まるきっかけとなった1810/05/25は雨が多かったが、独立戦争に勝利した1816/07/09は快晴であった。兵士たちは太陽を見て勝利を確信したという。アルゼンチンには五月広場があり、7/9はアルゼンチンの独立記念日である。
・ウルグアイはアルゼンチンの支援でブラジルと直接接しないようにするための国、つまり「Buffer state緩衝国」として、Cisplatineシスプラチン戦争後の1825/08/25に独立を宣言し、1828/08/27にブラジル帝国とUnited Provinces of the Río de la Plataリオ・デ・ラ・プラタ連合州間の予備講和条約によって承認された。8/25はウルグアイの独立記念日であり、国旗でアルゼンチンに強い親近感を持っていることを示している。

Q45

・2024/04/30現在で、198カ国の国旗で矩形くけいでないものは、図229に示すネパールのみである。

図229.ネパールの国旗

・古くは図170の清の国旗が三角形であった。他にもアイスランドノルウェーデンマークState flag政府旗エストニアスウェーデンドイツフィンランドポーランドNaval ensign海軍旗(軍艦旗)は燕の尾、つまりswallow-tailed燕尾旗になっている。
・198カ国のうち、197カ国は矩形で、比率は様々である。これに関しては記事及びExcelのファイルを作ったので、そちらを参照されたし。

・スイスの国旗は正方形だが、船舶で用いる場合は図230のような2:3が多い。

図230.船舶に用いられる比率2:3のスイスの国旗

・オリンピックや国連では、国旗は2:3のものを用いる。多国間の首脳会談では図231のように、交互に林立させている。

図231.交互に林立した国旗

Q46

・図232に示すオリンピックの旗は左から青、黄、黒、緑、赤の輪で構成されているが、これは「近代オリンピックの父」と言われるPierre de Coubertinピエール・ド・クーベルタン男爵が考案したものが、1914/05/16Sorbonne Universityソルボンヌ大学の入口に掲揚されたものが始まりである。第1次大戦直後の1920年のベルギー・Antwerpアントワープで開催されたオリンピック競技大会から使用されている。当時はこの5色で世界の国旗が概ね間に合っていた。

図232.オリンピックの旗

国際知識検定AIKDの範囲では198カ国、つまり約200の国が世界にはある。それぞれの色の好みもあり、濃淡も増えてきている。インクジェット方式の普及により、自由に各国旗の色を出せる。
・図233のカタールの国旗は海老茶だが、これは元が赤い旗だったものが日焼けしてこの色になり、これも他の国旗と区別できて良いと国王にも受容されたからである。

図233.カタールの国旗

1960年のアメリカの有名な雑誌、「TIME」にはマダガスカルの高官が「こんなに国が増えるとどこも使っていないデザインを考えるのが難しい」と冗談とも本音とも取れる発言をしたという記事が出ているらしい。なおTIME誌は2冊見つかったが、雑誌自体が入手困難なためその発言は確認できていない。表紙は図234、235に貼付できる。

図234.1960/09/05のTIME
図235.1960/09/19のTIME

・リオデジャネイロオリンピックでは、図236と図237に示すマダガスカルとベナンの国旗の縦の部分の幅を取り違えていた。後に修正された。

図236.マダガスカルの国旗
図237.ベナンの国旗

Q47

固定記事でも取り上げているが、ワシとライオンは昔からよく国旗に取り入れられてきた。百獣の王・ライオンはテキストで紹介されているのは図238に示すヴェネツィア、図223のスリランカ、図173のフィジー、図18のモンテネグロである。

図238.ヴェネツィアの国旗

・他にライオンが描かれる旗章は、イングランドスコットランドフィンランドのそれぞれの政府旗パラグアイの国旗の裏イギリス領ケイマン諸島の域旗である。2024/05/02現在では未完成だが、国名は示しているので国章に出てくるライオンは記事を参照されたし。なおテキストではいくつかという表記であるが、ライオンが出てくる国章を持つ国は44カ国ある。
・テキストに示されている選択肢のうち、アルパカは図92~94のボリビアの国章に、ウシは図239のアンドラの国章と図240のモルドバの国章などに、ビクーニャは図241のペルーの国章に、ヤギは図242のクロアチアの国章にそれぞれ出てくる。シマウマは図243のボツワナの国章、図244のザンビアの国章にそれぞれ描かれる。

図239.アンドラの国章
図240.モルドバの国章
図241.ペルーの国章
図242.クロアチアの国章
図243.ボツワナの国章
図244.ザンビアの国章

・テキストで紹介されているバヌアツの国旗にはイノシシの牙が描かれている。文献によっては豚の牙である。これは固定記事でも取り上げているnameleナメレというシダの葉とともに描かれている。私が気になるのは、この植物の葉の枚数は39枚でバヌアツの議会の議席数を表すとWikipediaに描かれているが、何度数えても44枚あるということである。図245に示すナメレは左右対称である。

図245.バヌアツの国旗のナメレの葉

・ベネズエラの国旗は前編のQ71でも述べているが、1806/03/12(諸説あり)に制定された。そして200周年目の同日に独裁者のHugo Chávezウゴ・チャベス大統領の「馬が突然止まらされ、振り向かされている。ベネズエラは常に前を向いて進む」との一声で国章が図246に変更になった。現在の国旗の日は8/3に変更になっている。

図246.ベネズエラの国章

・図242のクロアチアの王冠を被っているライオンは、テキストでは豹となっている。筆者の著書で私が確認しているものは全部、豹である。

Q48

・図247のガンビアと図248のラオスの国旗には、川が流れている。

図247.ガンビアの国旗
図248.ラオスの国旗

世界4大文明であるIndusインダス文明、Egyptエジプト文明、Chinese中国(黄河)文明、Mesopotamiaメソポタミア文明は、いずれも川の周辺が発祥である。インダス文明はIndusインダス川、エジプト文明はNileナイル、中国文明はYellow、メソポタミア文明はTigrisティグリスEuphratesユーフラテスの流域から始まり、農耕や生活、経済の基盤とあった。
・ガンビアはかつてフランス領であったセネガルと大西洋に囲まれた、図249に示す地形がそのまま国旗になった国である。

図249.ガンビアの地形

・答えとしては合っている選択肢のラオスがテキストで言及されていないので述べると、図248の青の帯はMekongメコン川で、白い円はこの川に反射して浮かぶ満月である。写真は公式参考書の222pに載っている。ちなみに参考書のガンビアの72pでは国旗の中心に川があるのはこの国だけとなっているが、ラオスもあると私は考えている。
・図250に示すガボンの国旗は、この国で数十年間医療活動を続け、ノーベル平和賞を受賞したAlbert Schweitzerアルベール・シュヴァイツァー(テキストではシュワイツァー)博士の著書、「水と原生林のはざまにて」から着想を得たとも言われている。
・ガボンの国旗の緑はこの国の主要な経済を成り立たせる森林を、黄色は太陽や赤道を、青はOgoouéオゴウェが社会活動の中心であることを意味している。川は国旗の中心ではないので問題の答えにはならない。

Q49

・前編のQ60Q62で触れているが、三角形が決め手の世界遺産が国旗になっているのは図250に示すセントルシアの国旗である。これはPitons Management Areaピトン管理地域を表したものである。テキストと完全に一致する写真を図251に示す。

図250.セントルシアの国旗
図251.世界遺産に登録されている双子のピトン山

・ピトン山はCaribbeanカリブ海に浮かぶLesser Antilles小アンティル諸島に位置する島国セントルシアにある2つの小さな火山である。Petit Pitonプチ・ピトン山Gros Pitonグロ・ピトン山から成り、標高はそれぞれ743mと770m(テキスト及びWikipediaでは798m)である。
・国旗の青は空、大西洋、カリブ海、黄色は太陽の色、金色の海岸、繁栄、黒と白は白人と黒人の調和をそれぞれ意味している。
・図252に示すレバノンの国旗にはレバノン杉が描かれているが、旧約聖書に77回も出てくる。ただ、独自のカウントはできていない。

図252.レバノンの国旗

Q50

・図253に示すボツワナの国旗に青が描かれている理由は、国土のおよそ7割が図254の濃い茶色の領域のKalahariカラハリ砂漠に覆われ、乾燥地帯ゆえに雨乞いの意味があるからである。

図253.ボツワナの国旗
図254.カラハリ砂漠

・ボツワナは図255に示すように人口が260万程度とはいえ、安定した政治の情勢や高い教育水準を基盤に、ダイヤモンド金属などの天然資源、手堅い経済政策が1966/09/30の独立以来続き、多くのアフリカ諸国とは異なり1994年に「世界最貧国グループ」から脱し、一人あたりの国内総生産GDPはテキストではモンテネグロやドミニカ共和国クラスの「中所得国」に分類され、HIVの問題はあるがアフリカの優等生と言われるようになった。

図255.ボツワナの人口の推移

・歴史を振り返ってみれば、日本は元は農耕国家であり、温暖で多雨ということは農作と森林に適していたというのは周知の事実である。これに対し、ボツワナは図254のカラハリ砂漠はもとより、国中が乾燥地帯である。東京の年平均気温は15.8℃、年平均降水量はおよそ1500mmであるのに対し、ボツワナのKasaneカサーネ地方は熱帯気候で、雨量が国内最多の500~700mmだが、東部の首都Gaboroneハボローネは半乾燥・亜熱帯気候で4~500mm、南西部の砂漠は250mm未満である。
・大使館の広報官は、「雨は11~3月の夏に降り、5~7月の冬には年平均降水量の1割しか降らない。冬は乾燥して寒く、特に夜は2℃まで下がる。カラハリ砂漠では氷点下も記録される。」と言った。
・図243のボツワナの国章には3本の波型の縞、PULAプラと書かれているが、図256のようにプラはツワナ語で雨を意味する。そしてボツワナの通貨である。

図256.雨のツワナ語翻訳

Q51~60

Q51

・筆者は国旗は国家の象徴なので、むやみに日用品に貼付するのは如何なものかと述べているが、きちんとデザインされれば美しくなると考えている。特に国内外で広く注目され、好評だったのはエストニアを訪問されたときの美智子皇后と、来日された当時のダイアナ皇太子妃である。エストニアの国旗を図257に示す。

図257.エストニアの国旗

2007/05/21~05/30にかけて、天皇・皇后両陛下はエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国を訪問された。エストニアの首都Tallinnタリンでは、何千人もの人々がスタジアムに集まり、エストニア第2の国歌「我が祖国、我が愛」と日本の「さくら」を歌って、歓迎された。以下に国歌を示す。

・テキストと完全に一致する写真は見つけられなかったが、代わりにテキストより詳しい情報が載っている写真を見つけたので、図258に示す。旧ソ連圏を両陛下が訪問なさったのはこれが初めてである。筆者のブログも下記に示す。

図258.国旗の配色にしたデザインの服装をした皇后陛下


・筆者は関係者から「皇居では、各国大使がお見えになるときはできるだけその国の国旗の色の花を飾る」と聞いたと述べている。
・イギリスのチャールズ皇太子ご夫妻が1986/05/08に来日したときも、動画に示すようにPrincess Dianaダイアナ皇太子妃が、日の丸のデザインの服装をしていた。

Q52

・日本と韓国は歴史問題や竹島の帰属などをめぐり、近年では戦後最悪の関係とも言われている。しかし、平和の祭典のオリンピックでは2018年、平昌にて小平奈緒選手李相花イ・サンファ選手によって素晴らしい光景が見られた。
・2018/02/09に開催された平昌オリンピックでの女子スピードスケート500m決勝で、小平奈緒選手と李相花選手が大接戦を展開した。この大会まで五輪を2連勝している李選手であったが、小平選手にわずかに及ばなかった。2人は大の仲良しで、図84の日の丸と図146の韓国の国旗を持ちながら互いに健闘を讃え、観衆とテレビで見ていた人々を感動させた。テキストと完全に一致する写真は見つけられなかったが、似たものはいくつも見つかった。一例を図259に示す。

図259.健闘を讃え合う小平奈緒選手と李相花選手

Q53

・国旗を焼いたり、踏みつけたりするのはその国を侮辱することであるからやってはならない。しかし、スポーツの大会などで国旗を様々な形で表現して応援するのは、相手への敬意を保ちながらであれば、やって良い。
・国旗を焼く例は、昨今ではパレスチナのガザ地区で図32の星条旗や図260に示すイスラエルの国旗を図261のように抗議の意味で行うものが挙げられる。

図260.イスラエルの国旗
図261.焼かれる星条旗とイスラエルの国旗

・オリンピックでは各国のサポーターが、国旗を額や頬、顔全体に描くフェイスペインティングが大いに流行った。国旗がファッションになったということかも知れないと筆者は述べている。
・リオデジャネイロ、前述の平昌、日本でのラグビーW杯と、国旗が友好と協調の象徴のように筆者は感じられた。残念ながらTOKYO2020では無観客だったのでペイントは見られなかった。
国旗に文字は書いてはならない。テキストと一致する写真は見つけられなかった。

Q54

固定記事でも少し触れているが、船にはどこにどんな旗を掲揚するかが決まっている。船の一番うしろの船尾(とも)には、その国の国籍を表す国旗を掲げる。日本の船であれば当然、図84の日の丸である。船の一番前のへさきには、その船を所有する会社の社旗しゃきが掲げられる。図261に船の各部位の名称を示す。

図261.船の各部位の名称

・船にある一番高いメイン・マスト(レーダー・マスト)に掲げられている国旗は「行先旗」といい、その船が出港して最初に向かう港の国旗を示している。
・民間の船舶では、船尾に商船旗を、軍艦では艦首に艦首旗、艦尾に所属を示す軍艦旗を掲げる。自衛艦の場合は、船首旗は日の丸であり、原則として港に停泊しているときの日中にのみ掲揚される。艦尾には旭日旗が用いられる。
・海上保安庁の場合、船首に図262に示す海保旗、船尾に国旗を掲揚する。

図262.海上保安庁の旗

・世界の国章で船尾に国旗を掲揚した船が出てくるのは、エクアドルとコスタリカである。エクアドルは2パターンあるため、図263~265に示す。エクアドルの船には固定記事でも述べている通り、Guayasグアヤスという名がついている。

図263.グアヤス船のバージョンの1つ
図264.グアヤス船のバージョンの1つ
図265.コスタリカの国章の船

Q55

・公式な場で国旗と出会ったら、軽く会釈する。
・図266に示す首相官邸の正面玄関の向かって左には、国旗掲揚塔に日の丸が掲げられている。少々の降雨でも日の出から日の入りまで掲揚したままである。

図266.首相官邸の正面玄関に掲げられる日の丸

・総理大臣の執務室、記者会見会場などにも国旗が室内用の掲揚台に掲げられている。毎日記者会見をする内閣官房長官は壇上に登る際、国旗に向かって会釈している。これは国際的なマナーであり、外国でも通用する。動画を以下に示す。

・ボーイスカウト、ガールスカウトでは心臓に近い左手で敬礼するように指導している。

Q56

・この記事の元になっている後編テキストが出版されたのは2021年8月だが、その時点で過去10年の間に国旗が変更されたのは、図267に示すマラウイ、図268に示すモーリタニア、図123のリビアである。

図267.マラウイの国旗
図268.モーリタニアの国旗

・リビアはQ31で述べているとおり、カダフィ大佐が緑1色に変更し、マラウイは2010/07/29~2012/05/28まで図269のデザインであった。

図269.マラウイの2010/07/29~2012/05/28の国旗

・モーリタニアは1959/04/012017/10/12まで図270に示す国旗であった。この後赤、黄、緑の汎アフリカ色の入った図268に変更された。

図270.モーリタニアの1959/04/01~2017/10/12までの国旗

・1990年代は前編のQ7でも少し触れた東西ドイツ再統一やQ16のソ連、Q7などで触れているユーゴスラビアの解体などもあり、とても多くの国旗が新しくできたり、変えられたりした。
・2000~2010年では、イラクコモロ連合CODジョージア、トルクメニスタン(比率の違い、これこれ)、バーレーンベネズエラミャンマールワンダレソトなどの変更が続いた。「など」ということは、他にもあると考えているが、他国は調べられていない。
・その後はアフガニスタンが国旗を変更している。現在のこの国の国旗は国際的に認められていない。

Q57

・国旗は同じでも国名が変わったり、日本での呼称が変更になったという例は、現在のエスワティニ北マケドニアジョージアである。それぞれの国旗を、エスワティニはテキストに載っているものを図271、北マケドニアは図272、ジョージアは図273に示す。

図271.エスワティニの国旗
図272.北マケドニアの国旗
図273.ジョージアの国旗

2015/04/22に日本政府が使う外国名の根拠法となる「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律(在外公館設置法)」の改正案が衆参両院の全会一致による可決を経て、この日付で交付・施行された。これによりロシア語に準じていた「グルジア」は「ジョージア」になった。
・これは1964年の東京オリンピックで「Ivory Coastアイボリーコースト」と呼び、1970/03/15開催の大阪万博では「象牙海岸」としていた国を、2003年にフランス語で同意義の「Côte d'Ivoireコートジボワール」に統一して以来のことであった。
・南部アフリカの「Swazilandスワジランド」は、2018/04/19Mswati IIIムスワティ3世が自身の誕生日と独立50周年を祝う式典で、「今日から国名をスワジ人の土地という意味のエスワティニとする」との宣言をしたのを日本が認めてのことであった。
・北マケドニアは、ギリシャが「マケドニア」と名乗ることに反対してきた。ギリシャの言い分は、古代ギリシャ史の英雄Alexander the Greatアレクサンドロス大王の生誕地を含む古代マケドニア王国の主要部分が今のギリシャ共和国内にあることから認められない、というものである。四半世紀に及ぶ交渉の末、2019/02/12に両国議会でも承認を得て、国連での呼称もNorth Macedoniaに変わった。筆者はこれでEU加盟に光明が見えてきたと述べている。EU加盟には満場一致が条件となるからである。

Q58

・これから国旗が変更になりそうな国、独立しそうな地域は、筆者と私を含め、誰にもわからない、誰も何も言えない。そして筆者は占い師ではない。
・独立しそうな地域はテキストの選択肢だと、BougainvilleブーゲンビルKurdsクルドTibetチベットスコットランドCataloniaカタルーニャXinjiang Uygur Autonomous Region新疆ウイグルInner Mongolia内モンゴル、台湾である。
・旗があると判断したものを以下に示す。ブーゲンビルは図274、クルド(クルディスタン)は図275、チベットは図276、スコットランドは図277、カタルーニャは図278、台湾は図85である。

図274.ブーゲンビルの旗
図275.クルド(クルディスタン)の旗
図276.チベットの旗
図277.スコットランドの旗
図278.カタルーニャの旗

・図278はSenyeraサニェーラと呼ばれ、カタルーニャが独立したらこれが国旗になるとテキストでは述べられているが、私の見解ではサニェーラ自体が旗という意味なので、「サニェーラの旗」とすると重複表現となる。
・カタルーニャ語でEsteladaアスタラーダカタルーニャ独立運動の旗であり、テキストに載っているものを図279とする。

図279.アスタラーダ

Q59

・大事なお客様を迎えるときや一緒に何かをするときには、門やステージに向かって左に、「上位」の旗を掲げる。
・一流と言われるホテルでは外国からの大事なお客様を迎えるときは、玄関前や国旗掲揚塔に客人の国の国旗を掲げる。その国旗を見れば、どこからのお客様かが分かる。
2009/11/14にオバマ大統領は東京のサントリーホールで講演をしたが、いつもコンサートが開かれる舞台の奥に、同じサイズの日米両国旗がたくさん並べられていた。双方の国の友好と協力のシンボルである。テキストと完全に一致するものを図280とする。この国旗も国旗掲揚台も全てアメリカ製とのこと。

図280.左の最初は星条旗

・2010/09/01に、同じサントリーホールで開催されたチャリティ・コンサート「1+285本のトランペット大集合!」でも、国旗が向かって左に掲げられた。テキストと完全に一致する(と思われる)写真を図281に示す。

図281.チャリティ・コンサート「1+285本のトランペット大集合!」

・学校での演奏でもこの形で掲げるが、左が日の丸で、右が各々の校旗となる。

Q60

・青、白、赤の理髪店(床屋)のサインポールは上記、図281左のフランスの国旗に由来している。
・この世界的な標識は、戦場で傷ついた人たちが手当を受けているところにトリコロールが掲げられていたということが影響している。英語ではBarber's poleバーバーズポールと呼ばれ、世界共通である。
・3色ポールは、理髪店が外科医を兼ねていたときの名残である。
・昔は瀉血しゃけつ、つまり悪い血を抜くことが友好な治療法と考えられており、頭痛の患者から痛風患者までが理髪師のもとに足を運んだ。
・瀉血では患者は静脈を浮き立たせるため、立ったまま棒を強く握らされた。それがサインポールの始まりと言われている。


今後の課題

・サンマリノが一時的に王政だった正確な年月日はいつか?
・Q3、筆者が行ったモスクワの旧王城とは?
・ヌエバ・グラナダ副王領は2回復活したが、それの正確な年月日はいつか?
・南米の年表は?
・南米の国境が、太平洋戦争をしていた時期は現在と比べれば曖昧だったというのは本当か?
・メキシコ連邦国の独立日は?
・東トルキスタンのイスラム人口は?
・イスラエルの赤十字がダビデの赤盾(マーケンダビド)を使用し始めた正確な年月日は?
・赤新月を現在扱っている正確な国数は?
・p26に載っている星条旗が描かれている絵の詳細は?
・伊藤博文がサンフランシスコのグランドホテルでスピーチを行った正確な日付は?
・2021/08/01から2024/04/15までに台湾と外交を絶った3カ国の名称は?
・中華民国が青天白日満地紅旗を掲げて日本軍と戦争をした正確な期間は?
・独立関税地域をわかりやすく説明するとなにか?台湾は中国とは違う関税を敷いている?
・競争政策委員会とは?そしてこの委員会に台湾がオブザーバー参加した正確な日付は?
・以下の引用の、正確な日付は?

また台湾は2007年4月に、台湾の名称でWHOの正式メンバーとして加盟申請を行うと発表したが、翌月に行われたWHO総会の採決で議題として取り上げられなかった。同年9月の国連総会で台湾の友好国が台湾の国連加盟を議題にすべきという提案をしたが、議題にすべきでないという意見が多数を占めたため正式な審議はできなかった。

Q19

・第19回のニューデリーで行われた赤十字最高会議の正確な日付は?
・図89の横の配色の比率は?
・Q22、津田梅子が帰国した詳細な日時は?
・Q23、アメリカ本土最大のテキサス州の2倍もの面積をロシアが所有とあるが、いつの時代のことを言っているのか?
・ロシアがアラスカを買った正確な値段は?
・Q24、国旗の正確な制定年月日と年表は?
・図116、図117の正確な使用期間は?
・Q26のパナマ、CRWFの説明では国旗が3枚あったことになっているが?そして考案されたばかりの国旗が今の国旗と部位が入れ替わっている理由は?
・Q26、レセップスがパナマ運河建設に携わり始めた正確な年月日は?(1881/03/03は信憑性に欠ける)
・テキスト46pのQ27、間違っていたジブチの国旗は見つけられるか?
・オーストラリアのカントン下部の星が7芒星になった年月日は1908/12/19で合っているか?
・図144、他に下記に示すものが見つかったが、どちらか?

受賞デザイン

・テキスト50p、Q29の東亜日報のもう1枚の写真は見つけられるか?
・柳寛順の正確な生誕年月日は?
・Q32、デンマークの国章、16世紀のハートが9個と定められたものは?
・Q32、デンマークの国章が考案された月日は?
・Q33、ビザンツ帝国の1395~1453の月日は?
・図168が使われていた正確な期間は?
・Q33、清とブータンとウェールズの国旗採択の月日は?
・図176、ドミニカ共和国の国章変更日はいつか?
・Q35、ソマリアのアフリカ北東部3カ国はソマリランド、プントランド、連邦政府で合っているか?
・図179はこの手描きのようなデザインでなければいけないものか?
・ロンドンとリオのそれぞれの五輪の旗のプロトコルは?
・筆者が見つけたリオ五輪のチェコとロシアの逆掲揚国旗は見つけられるか?
・Q38、タイの国旗に関する法律の条文は見つけられるか?
・現ベナンのダホメ王国の建国年月日は?
・縦掲揚の星条旗のカントンが左上に来るように、なにで規定されている?
・Q45、三叉に分かれていても、燕尾旗と言える?
・アルゼンチンとネパール国旗の正確な比率は?
・Q47、チャベス大統領の一声の出典とされる文言は見つけられるか?
・Q49、旧約聖書に77回出てくるレバノン杉のカウントは正確か?
・2000年から2010年までの国旗の変遷で、トルクメニスタンは比率が変わっただけか?
・日本でコートジボワールと呼ぶようになった正確な日付は?


終わりに

 さて、如何だったでしょうか。以上で後編は終了です。再編集はすると思います。なかなかに情報量と関連させたリンクが多いので人によっては読みにくいと感じられる部分があっても全然おかしくはないです。ただ、前編と同じように情報量が不足しているWikipediaはおそらく使っておりません。私が容易にいじることのできないウェブサイト及び文献です、私が書いた記事以外は。
 
それでは、また別の記事でお会いしましょう👋


ツールと参考文献、ウェブサイト

🔧ツール🔧

1.Cent Browser
2.フォトコンバイン - オンライン画像編集ツール集
3.Windows標準搭載のペイント3D
4.DeepL翻訳:高精度な翻訳ツール
5.Excel
6.オンライン分度器、角度測定ツール
7.Desmos | 関数電卓
8.Google Maps
9.Glosbe辞書 - すべての言語が1か所に


📚️参考文献、ウェブサイト💻️

1.国際知識検定 国旗テキスト 後編
2.Wikipedia
3.学研キッズネット
4.José Manuel Ramos-Horta | World Leaders Forum
5.世界データ
6.各国の国旗の図形的解釈、及び分析|tantado_(子記事か記事)
7.各国の国旗の図形的解釈、及び分析の暗記特化版|tantado_(子記事か記事)
8.国際知識検定 国旗 公式テキスト前編のまとめ|tantado_(記事)
9.コトバンク [ 辞書・百科事典・各種データベースを一度に検索 ]
10.【あつまれどうぶつの森】フリジアぼうの入手方法と使いみち【あつ森】 – 攻略大百科
11.旗の大図鑑 | 書籍 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
12.Pinterest(図14)
13.世界の国旗と国章大図鑑 苅安望
14.最新版 国旗と国章図鑑 苅安望
15.外務省ホームページ(日本語):トップページ
16.幸田町東京2020オリンピックホストタウン事業 第7回 ハイチ革命 - 黒人奴隷が自力で独立を成し遂げた稀有な国 - 幸田町公式ホームページ
17.サンマリノ共和国大使館 日本語 | Embassy of San Marino Japan
18.Kingdom of Serbia/Yugoslavia* - Countries - Office of the Historian
19.Historical development(モンテネグロ)
20.Музеи Московского Кремля: ГЛАВНАЯ(クレムリン博物館)
21.untitled(愛知県国際交流協会タジキスタン)
22.アングロ・アメリカ植民地とラテン・アメリカ植民地の比較史 宮野啓二
23.Encyclopedia Britannica | Britannica
24.Encyclopedia.com | Free Online Encyclopedia
25.#今日は何の日?ボヤカ戦勝記念日8月7日 | TRANSIT
26.祝祭日 | コロンビア - 中南米 - 国・地域別に見る - ジェトロ(ボヤカ戦勝記念日)
27.ベネズエラ・ボリバル共和国|東京都立図書館
28.jk06_03.pdf(中米地域を対象とした対地域協力支援の取り組み、中米連邦独立)
29.Mexican Influence in Central America, 1821-1823 | Hispanic American Historical Review | Duke University Press
30.Rafael Carrera: Defender and Promoter of Peasant Interests in Guatemala, 1837-1848 | The Americas | Cambridge Core(グアテマラの中米連邦からの分離)
31.American Colonies - El Salvador(諸説あるエルサルバドルの中米連邦からの分離)
32.El Salvador - Global Financial Data(エルサルバドルの中米連邦からの分離)
33.Independence of Nicaragua -Info-Nicaragua.com- Nicaragua online-(ニカラグアの中米連邦からの分離)
34.Honduras Key Dates – Aeroflight(ホンジュラスの中米連邦からの分離)
35.The U.S. officially begins construction on the Panama Canal
36.国際知識検定 国旗 公式テキスト前編のまとめ|tantado_
37.Embassy of Japan in Slovenia
38.世界各国の国家の日のリスト
39.Independence and Unity Day | GOV.SI
40.マオリについて | ニュージーランド留学センター
41.豪、留学生・低技能労働者のビザ規則厳格化 移民受け入れ半減へ | ロイター
42.New Zealand votes to keep flag in referendum - BBC News(図45)
43.サー・ジョン・キー - WSD - 世界開発協力機構
44.国際知識検定 国旗検定・国旗選手権のための知識 旗章学・紋章学|tantado_(固定記事)
45.あらゆる旗章と紋章とその他についてのメモ|tantado_
46.Ottoman Empire | Facts, History, & Map | Britannica(図47)
47.memo_0000000738.pdf(トルコ革命)
48.トルコ共和国建国100周年記念:日本のフィルムメーカー・ジャーナリストのためのガイド | ニッポンプロダクション
49.清泉女子大学学術機関リポジトリ(チュニジアのベイ・アフマド)
50.ICC テュルクランチ ~知られざるテュルクの魅力~(4/24) – 早稲田大学 ICC(異文化交流センター)
51.メリーランド州グレン・バーニーの CRW Flags Inc. ストア
52.Millət fədaisi Həsən bəy Ağayevin anım günüdür(ハサン=ベイ・アーエフ)
53.November 9 is the National Flag Day in Azerbaijan - AHIK(アゼルバイジャンの国旗の日)
54.Azərbaycan Xalq Cümhuriyyəti Parlamenti (1918-1920-ci illər)(アゼルバイジャンの国旗変更の詳細な日付)
55.Holidays » AZERBAIJAN » Official web-site of President of Azerbaijan Republic(アゼルバイジャンの祝祭日)
56.Ali Hüseyin (Hüseyinzâde) Turan(アゼルバイジャン国旗考案者)
57.Flag lore of all nations : Whitney Smith : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive(アゼルバイジャンの国旗の詳細)
58.「血筋を絶やし、ルーツを絶やせ」: 中国政府による ウイグル他テュルク系ムスリムを標的にした 人道に対する罪 | HRW
59.PowerPoint プレゼンテーション(赤十字加盟国)
60.アルバニアの独立運動に関する一考察 下浜啓子
61.露土戦争(1877-78)による小銃 拡散と「武装化」 火器史の「近代」の解明に向けて 小澤一郎
62.IHL Treaties - Geneva Convention Wounded and Sick, 1929(ジュネーヴ条約)
63.C0613001S イスラーム・中東トピックス(イラン革命)
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65.Red Cross, Red Crescent, Red Crystal(8p、レッドクリスタル)
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68.★せきじゅうじ きっず!★(図62)
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79.What Countries Were Part of the Soviet Union? | HISTORY(図69)
80.会津藩 隊旗 - 戦国武将 旗・馬印 旭青工
81.初校(マシュー・ペリー提督)
82.幕末と会津藩~武士の誇りを守った人々 – Guidoor Media | ガイドアメディア
83.川越藩:埼玉県/ホームメイト
84.彦根藩| 彦根城博物館|Hikone Castle Museum|滋賀県彦根市金亀町にある博物館
85.島津斉彬|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館
86.歴史編|みんなで学ぼう!偕楽園|日本三名園 偕楽園
87.旗の文化考|車止めや旗ポール等の製造販売なら株式会社サンポール
88.第1代 伊藤 博文 | 歴代内閣 | 首相官邸ホームページ
89.中学3年生「日露戦争」【要点資料】
90.-明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~
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116.渋沢栄一 津田梅子 北里柴三郎の新紙幣 発行開始は2024年7月3日~一万円札“渋沢”五千円札“津田”千円札“北里”の功績とは~ | NHK
117.新しい日本銀行券特設サイト|新しい五千円札について
118.津田塾の歴史|津田塾大学
119.山川 捨松 - 福島県男女共生センター
120.tuda3ryugaku.pdf(岩倉使節団に随行した5人の女性)
121.もう一人の女子留学生瓜生繁子はどう生きたか – 22世紀アート(永井繁子)
122.ブリンマー カレッジ (ペンシルベニア) | アメリカ留学(津田梅子の母校)
123.Tsuda Ume: Pioneering Education for Women and ELT | JALT Publications(津田梅子の帰国日)
124.The White Plum: A Biography of Ume Tsuda, Pioneer of Women's Higher Education in Japan on JSTOR(津田梅子の再訪米月)
125.ハワイ(アメリカ合衆国)受け入れ国・地域の紹介 | 海外教育旅行のすすめ
126.アラスカ州の観光:アクティビティ、文化、旅行情報 | Visit the USA
127.What Happened on August 21, 1959 - On This Day(ハワイ州昇格)
128.Alaska Statehood | Eisenhower Presidential Library(アラスカ州昇格)
129.アドベンチャーと見所がたくさん詰まった街、ジュノー | GoUSA
130.世界の頂点に立つ小さな空港 米アンカレジ(1/2) - CNN.co.jp
131.Milestones: 1866–1898 - Office of the Historian(ロシアのアラスカ売却)
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135.Pearl Harbor Attack, December 7, 1941 | The National WWII Museum | New Orleans(真珠湾攻撃)
136.March on Washington for Jobs and Freedom | The Martin Luther King, Jr. Research and Education Institute(ワシントン大行進)
137.S. 50. STATEHOOD FOR HAWAII: PASSAGE. -- GovTrack.us(ハワイの立州化運動の連邦上院の投票)
138.S. 50. SENATE VERSION OF HR 4221, HAWAIIAN STATEHOOD BILL. -- GovTrack.us(ハワイの立州化運動の連邦下院の投票)
139.ドワイト・アイゼンハワー…:アメリカ大統領の系譜~日米開戦から現代 写真特集:時事ドットコム
140.英語表現アラカルト ロワー46 / アッパー46 | 啓林館(lower 48)
141.Hawaii Statehood | Eisenhower Presidential Library(ハワイの州昇格日)
142.「番外編」世界旗章図鑑 / 苅安 望【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
143.Paulet Episode, 1843 - Ka‘iwakīloumoku - Hawaiian Cultural Center(ポーレット事件)
144.ハワイ共和国|ハワイ州観光局公式ラーニングサイト
145.2011年のミャンマー テインセイン新政権の船出,改革路線への転換 工藤 年博
146.カレン族問題とビルマの苦悩 飯島茂
147.カチン ポータルサイト
148.Kayah – Ministry of Hotels & Tourism Myanmar(カヤー族)
149.ラカイン族(Rakhine)
150.Chin State | UNICEF Myanmar
151.Shan in Myanmar - Minority Rights Group
152.Microsoft PowerPoint - 民族と言語PDF.pptx(41p、図118)
153.ハマスと連帯 イエメン反政府勢力フーシ派 紅海周辺で船舶攻撃 スエズ運河を回避し喜望峰ルートへ迂回する物流業界は | NHK
154.フェルディナン・ド・レセップス Ferdinand de Lesseps - NOEMA Images Archives
155.(9) Bad Decisions in History: France fails at attempt to build the Panama Canal | LinkedIn(Q26、一度は失敗に終わったパナマ運河開通工事着工日)
156.【1999(平成11)年12月31日】米国がパナマ運河返還 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア
157.Vexilla Mundi
158.【数学】三平方の定理が成り立つ三辺の比:最重要7パターン ~受験の秒殺テク(5)~ | 勉強の悩み・疑問を解消!小中高生のための勉強サポートサイト|SHUEI勉強LABO
159.volume-1102-I-16922-English.pdf(2p、ジブチ独立日)
160.Flags and anthems manual : Tokyo 2020 = ... / The Tokyo Organising Committee of the Olympic and Paralympic Games - Olympic World Library(図141)
161.Jervis Bay Territory governance and administration | Department of Infrastructure, Transport, Regional Development, Communications and the Arts
162.How the Australian National flag was chosen | Australian Flags booklet | PM&C
163.Home » Flag Day Australia(オーストラリアの国旗の日)
164.フツ族ツチ族とは?ルワンダ内戦に至った歴史を解説 | ELEMINIST(エレミニスト)
165.goo辞書 - 国語・英語・四字熟語のオンライン辞書
166.Sabah State Library - Malaysia Day(マレーシアデイ)
167.10907533_02.pdf(マレーシアのケダ州)
168.セランゴール州政府観光局 | 公式サイト(マレーシアの州)
169.ジョホール/ジョホール・バル | 【公式】マレーシア政府観光局
170.Pahang River(マレーシアのパハン州)
171.在ペナン日本国総領事館(マレーシアの州)
172.マラッカ | 【公式】マレーシア政府観光局
173.サバ州政府観光局
174.サラワク州の保護区における熱帯雨林の生物多様性多目的利用のための活用システム開発プロジェクト | ODA見える化サイト
175.シンガポールの歴史を紹介 - Visit Singapore 公式サイト
176.Singapore separates from Malaysia and becomes independent(シンガポールのマレーシアからの離脱)
177.実際に行って確かめた!クアラルンプールで絶対行くべき  おすすめスポットベスト20(前編・観光スポット) | マレーシア旅行・ボルネオ島旅行|MRC JAPAN
178.광복절(クァンボッチョル)=「光復節(韓国の独立記念日)」 | TODAY'S韓国語|韓国旅行「コネスト」
179.2-27 日韓併合 | 史料にみる日本の近代(日韓併合条約)
180.創立者・初代校長 | 大学案内 | 拓殖大学(桂太郎首相)
181.Surrender of Japan in Korea(図147)
182.日本の古本屋 / 前近代の日本を理解するために、漢籍を知る
183.京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 易経 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
184.韓国展望所 | スポット | 【公式】長崎しま旅行こう-長崎の島々の観光・旅行情報ならココ!(図149)
185.National Museum Of Korean Contemporary History(韓国と北朝鮮分断)
186.A Short History Of The Korean War - The Cold War | IWM(朝鮮戦争の開戦と休戦)
187.独島, 大韓民国 朝が始まる最東端
188.大韓民国 国歌「愛国歌(애국가)」 - YouTube
189.大韓民国 国歌 | 一般社団法人 国歌の輪
190.駐大阪韓国文化院 Korean Cultural Center(乾坤坎離)
191.独立記念館|天安(大田・忠清道)の観光スポット|韓国旅行「コネスト」
192.<b>柳寛順</b> l KBS WORLD Japanese
193.切手に見るソウルと韓国 第97回 女性独立運動家・柳寛順 郵便学者 内藤 陽介 氏 | トピックス | ニュース | 東洋経済日報(柳寛順の生誕年月日)
194.平昌2018 冬季オリンピック - アスリート、メダル&結果
195.December 24: Libyan Independence Day(リビア独立)
196.The Jamahiriya Experiment in Libya: Qadhafi and Rousseau on JSTOR(リビア国名変更日)
197.When Sadat went to Israel|Arab News Japan(サダト大統領イスラエル訪問)
198.Sadat Assassinated at Military Show - The Washington Post(サダト大統領暗殺)
199.History of Egypt’s flags, national anthems - EgyptToday(エジプト国旗採択日)
200.Jerusalem Way / Jerusalem Way: Walking to Jerusalem - Jerusalem Pilgrims - Pilgrimage Way: The Third Crusade(第3回十字軍)
201.Third Crusade(第3回十字軍)
202.世界史の窓
203.外務省: 「アラブの春」と中東・北アフリカ情勢
204.リビア統一政府、タルフナ奪還 ハフタル氏 西部の拠点失う 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
205.リビア:ハフタルLNA総司令官のロシア訪問 | 公益財団法人 中東調査会(リビア国民軍)
206.anzen.mofa.go.jp/info/map/2020T085_125_InfectionDetailPart.html(リビア東部のキレナイカ地方)
207.東西に割れるリビア、全国民の心つかむ英雄は再来するか:日経ビジネス電子版
208.ハンス・クリスチャン・アンデルセン(作品一覧・著者プロフィール) | 絵本ナビ:レビュー・通販
209.ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 みにくいアヒルの子
210.アンデルセン「マッチ売りの少女」の絵本 | マッチの世界
211.雪の女王 アンデルセン童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>
212.海の泡にはならなかった? アンデルセン童話『人魚姫』のあらすじ・登場人物・教訓まとめ。 | HugKum(はぐくむ)
213.手作りフリップ:モスクワから約1000km…ロシアの飛び地「カリーニングラード」その成り立ちと鉄道規制で高まる緊張|サンデーモーニング|TBSテレビ
214.神聖ローマ帝国の不思議
215.フランス皇帝ナポレオン一世の生涯
216.What Happened on August 6, 1806 - On This Day
217.双頭の鷲の旗の下に / J.F.ワーグナー - YouTube
218.辛亥革命100周年
219.世界一しあわせになれる国、フィジー | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
220.Fiji to change its flag, replacing colonial symbols - ABC News(フィジー国旗変更)
221.フィジー共和国基礎データ|外務省
222.ドミニカ共和国の紋章 ポスター | Zazzle.co.jp(図175)
223.アンゴラ基礎データ|外務省
224.Puntland profile - BBC News(ソマリアのプントランド)
225.Somaliland Official Government Website – The Republic of Somaliland(ソマリアのソマリランド)
226.ソマリランド(ソマリア)を旅する③ 首都「ハルゲイサ」〜世界一危険な国『ソマリア』を歩く〜 / コジマ先生アフリカへ行く(図178)
227.Designating Entities Linked to Russia’s Malign Activities in Africa - United States Department of State(ロシアとCAFとの関係)
228.Redesign of the proposed flag for Angola at 2003 for easier construction and standardization : r/vexillology(図180)
229.【TBSスパークル】1958年5月25日 第3回アジア競技大会(昭和33年) 3rd Asian Games - YouTube
230.東京オリンピック1964|オリンピックを知る|JOC - 日本オリンピック委員会
231.田畑政治(たばた まさじ) 偉大なる「ガキ大将」 - オリンピック・パラリンピック 歴史を支えた人びと - スポーツ 歴史の検証 - 知る学ぶ - 笹川スポーツ財団
232.公益財団法人日本水泳連盟
233.第96代 安倍 晋三 | 歴代内閣 | 首相官邸ホームページ
234.インド・モディ首相とは|NHK
235.日印首脳会談|外務省
236.G7広島外相会合の第1日目の模様ダイジェスト 2016-4-10 - YouTube
237.Error made in color of Italian flag on poster and flyer for meeting of foreign ministers | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター(図183)
238.日本で起こった国旗の逆掲揚 | タディの国旗の世界(図185)
239.Indian flag upside down at Modi-Abe meet - The Hindu(図186)
240.1992 World Series - Toronto Blue Jays over Atlanta Braves (4-2) | Baseball-Reference.com
241.タイ王国 国歌「タイ国歌」(เพลงชาติไทย)日本語訳/National Anthem of Thailand - YouTube
242.Thailand celebrates its national flag
243.Remembering the Flood of 1916 | French Broad Adventures(タイの1916年の洪水)
244.国旗の対称分析|tantado_
245.Flags | Flag shop – because the first impression counts
246.asahi.com : ニュース特集 : イラク情勢(図199)
247.National Flag and Anthem | Pakistan Embassy Tokyo Japan(パキスタンの国旗縦掲揚禁止)
248.Flags and anthems manual London 2012 : SPP final version / London Organising Committee of the Olympic Games and Paralympic Games - Olympic World Library
249.Flags of the World
250.トップページ | 国立競技場 | JAPAN SPORT COUNCIL
251.幕張イベントホール | 幕張メッセ
252.ガンジー  | ソニー・ピクチャーズ公式
253.1931 Flag of India | Adopted by The Indian National Congress in 1931. First hoisted on 1931-10-31 Flag | Landscape Flag | 0.06m² | 0.65sqft | 20x30cm | 8x12in for Car Flag Poles : Amazon.com.au: Garden
254.英辞郎 on the WEB
255.Jainism(ジャイナ教)
256.Religion in India: Tolerance and Segregation | Pew Research Center(図209)
257.インド人口、中国抜き世界最多に 今年半ばに14億2860万人=国連 - BBCニュース
258.インドの先住民族 : アムネスティ日本 AMNESTY
259.アジア地域言語紹介・ウルドゥー語
260.カンナダ語・日本語辞典[外国語辞典-その他の言語-]|辞書は三省堂|#カンナダ語 #インド #ローマ字付き #カナ発音付き
261.コンカニ語-言語か方言か Konkani: a language? 児玉 望 Kodama Nozomi
262.グジャラート語に関する興味深い事実
263.サンスクリット語文法概略 千葉大学大学院 人文社会科学研究科 教育・学修支援研究会 石井正人(千葉大学教授) 千葉大学 人文社会科学教科書シリーズ No.2
264.タミル語と日本語 大野晋
265.ようこそ - みんなのテルグ語勉強会 telugu caduvutaa !
266.外務省: チャレンジ41カ国語~外務省の外国語専門家インタビュー~
267.マラーティー語教室・学校 | DILA ディラ国際語学アカデミー
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269.仏旗・法輪・三帰依文 | 全日本仏教会
270.アショーカ王とは?ダルマで統治し今も石柱の残るインド最強の王・仏典を結集し仏教を世界宗教に
271.「一般教書演説」とは? « American View
272.インド四大仏跡を巡る旅 【サルナート ストゥーパ】
273.梵天勧請と初転法輪の意味するもの 衽衲瑜伽行派の立場から衽衲 佐久間秀範
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275.考古学博物館 サールナート出土品を展示 | ビーエス観光アショカツアーズ(図214)
276.なまぐさ坊主の聖地巡礼 インドの至宝・獅子柱頭(図215)
278.アショーカ王の亡霊 "今"と"過去"をつなぐ世界史(7) 前400年〜前200年|みんなの世界史(図217)
279.文京区・茗荷谷に、日本人を快く迎える「シーク教寺院」があった(室橋 裕和) | 現代新書 | 講談社(1/3)
280.印パ分離・独立から70年 混乱、傷痕、そして遺産 - BBCニュース
281.The India-Canada rift: Sikh extremism and rise of transnational repression? | International Centre for Counter-Terrorism - ICCT(シク教過激派)
282.What Happened on December 30, 1906 - On This Day
283.QUAID-E-AZAM MUHAMMAD ALI JINNAH | Pakistan Embassy Tokyo Japan(アリ・ジンナー)
284.National Assembly of Pakistan
285.祝祭日 | パキスタン - アジア - 国・地域別に見る - ジェトロ(アリ・ジンナー生誕記念日)
286.Jinnah: Hero or Villian? | The York Historian(図221)
287.Kasthane Explained: The National Sword of Sri Lanka(スリランカのカスターネ)
288.7時限目 セイロンティーって? | 教えて!紅茶のこと | ブルックスBeauTEA
289.Black July: A Tamil Genocide – People for Equality and Relief in Lanka(スリランカの黒い7月)
290.Timeline: Sri Lanka conflict | Sri Lanka | The Guardian
291.祝祭日 | スリランカ - アジア - 国・地域別に見る - ジェトロ
292.アルゼンチンの国旗 | 南アメリカ | 世界の国旗 - デザインから世界を学ぼう -
293.五月広場 (観光情報) (観光情報) | アルゼンチン観光 VELTRA(ベルトラ)
294.Embassy in Japan | アルゼンチン独立記念日
295.H-Net Reviews(緩衝国のウルグアイ、Buffer State)
296.Uruguay | SpringerLink(ウルグアイ独立記念日)
297.Senado de la Nación “Biblioteca de Mayo”佐藤 純(アルゼンチン上院刊行「五月文庫」)(リオ・デ・ラ・プラタ連合州)
298.ウルグアイ基礎データ|外務省(ウルグアイ独立記念日)
299.シスプラチン戦争(ウルグアイ独立)
300.国旗の比率一覧|tantado_
301.Swiss Maritime Navigation Office SMNO(図230)
302.韓米日首脳がAPECに合わせ会合 3カ国協力を確認 | 聯合ニュース(図231)
303.オリンピック基礎知識|オリンピックスポーツ文化研究所(クーベルタン)
304.【LIBERTY大学紹介】ソルボンヌ大学|TOEFL・IELTS スコア |LIBERTY
305.インクジェット?レーザー?違いを押さえたプリンター、複合機選び
306.TIME Magazine -- U.S. Edition -- September 5, 1960 Vol. LXXVI No. 10(図234)
307.TIME Magazine -- U.S. Edition -- September 19, 1960 Vol. LXXVI No. 12(図235)
308.世界の国章、州章、紋章、その他の旗に登場する動物|tantado_
309.ウゴ・チャベス | Venezuela(元ベネズエラ大統領)
310.Flag's Day 2024 in Venezuela(ベネズエラの国旗の日)
311.Flag’s Day in Venezuela in 2024/2025 - When, Where, Why, How is Celebrated?
312.古代四大文明を育んだ大河1 わくわく大百科 サントリー「水育」
313.アフリカ ナイル川 | NHK for School
314.黄河R
315.ARDEC54号:ティグリス・ユーフラテス川を巡る 国家間水紛争と水資源管理の課題
316.ノーベル平和賞|ノーベル賞2023 NHK NEWS WEB
317.アルベルト・シュヴァイツァー|玉川学園について|(学)玉川学園
318.水と原生林のはざまで - 岩波書店
319.「ピトン管理地域」放送内容│TBSテレビ:世界遺産
320.Piton View | Dreaming of warmer times again! When we got bac… | Flickr(図251)
321.Pitons Management Area - UNESCO World Heritage Centre
322.「カリブ海ってどんな地域?」2分で学ぶ国際社会 | 読むだけで世界地図が頭に入る本 | ダイヤモンド・オンライン
323.Pitons Management Area - UNESCO World Heritage Centre
324.レバノン杉 |素材|NHKアーカイブス
325.カラハリ砂漠 瀬戸際の生態系 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
326.世界最大級のダイヤモンド鉱山(ボツワナ共和国への旅)第2章 | COCCO
327.ボツワナの鉱業 | 在ボツワナ日本国大使館
328.bw.pdf(ボツワナの独立日)
329.09.pdf(世界最貧国グループ)
330.世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング・推移(IMF) - GLOBAL NOTE
331.天皇皇后両陛下のご日程:平成19年(4月~6月) - 宮内庁
332.上皇ご夫妻 バルト3国訪問 苦難の歴史と文化に触れた旅【皇室 a Moment】|日テレNEWS NNN(図258)
333.ダイアナ妃 / Princess Dianaに関する最新記事 | Vogue Japan
334.ブランドアンバサダー 小平奈緒 | 相澤病院 | 長野県松本市 | 社会医療法人財団 慈泉会
335.スピードスケート 李相花 写真特集:時事ドットコム
336.私の呟き 「改めて小平選手の人柄に感銘!! 」 - EEKの紀行 春夏秋冬(図259)
337.【電子版】トランプ大統領「エルサレムは首都」 大使館移転を指示―米正式発表 | 政治・経済 ニュース | 日刊工業新聞 電子版(図261)
338.海洋辞典Ocean Dictionary, 一枚の特選フォト「海 & 船」Ocean and Ship Photos, 利根川水系高瀬舟の3種の構造図・船体部位名称図、 千葉県立中央博物館大利根分館(図261)
339.HIV・エイズって何?|HIV検査・相談マップ
340.気象庁|過去の気象データ検索
341.東京都の年間降水量(順位)一覧│ランキングと都市データ 【OCN不動産】
342.カサネ  |  EMBASSY OF BOTSWANA, JAPAN
343.1 BWP から JPY | Botswana Pule を 日本円 に換算 | Xe
344.国名呼称の変更(グルジア)|外務省
345.Cambridge Dictionary | 英語辞典, 訳 & 類義語
346.大阪万博 EXPO'70 写真特集:時事ドットコム
347.アフリカ唯一の絶対君主が国外逃亡か、当局は否定 エスワティニ - CNN.co.jp
348.「これで世界史は大きく変わった」アレクサンドロス大王を32歳で早逝させた"ある飲み物" とにかく異常な量を飲み干せた | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
349.Macedonia officially changes its name to North Macedonia | North Macedonia | The Guardian
350.2006年~現在のカタルーニャ独立運動を分かりやすく解説 | 2024年 バルセロナ観光 フリープランなら【カタルーニャ観光】
351.Remarks by President Barack Obama at Suntory Hall | whitehouse.gov
352.縦横比の統一 | タディの国旗の世界(図280)
353.チャリティコンサート「1+235本のトランペット大集合」記念Tシャツを限定販売 | 日本生まれの国際NGO AAR Japan [難民を助ける会](図281)
354.瀉血による自損行為の1例

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