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【童話】司書さんと初恋のゆきさき

 ちょっぴり田舎の小さなみなと町に、あるとき二十五年ぶりの大雪がふりました。古いと新しいがまざりあう町なみは、きれいな白一色にうもれて、おひさまがもどると、みなとの向こうにひろがる海は青くひかりました。空と海のさかいめには、うすい雲がとおい雪景色をながめるように寝ころんでいました。
 いっぽうで、町に暮らすひとたちは、のんびりしている暇はありません。てんてこまいで雪かきをしました。大はしゃぎの子どもたちもお手伝いをして、どうにか会社や学校まで行けるように道をととのえました。
 ところが、あっちこっちで “すってんころりん”。なにせ雪がふることすら珍しい町です。ほとんどのひとが雪道になれていません。

 小学三年生のみすずちゃんも、学校に行くとちゅうで転んでしまいました。怪我はありませんでしたが、「ズボンにしなさい」と言ったお母さんに反抗して、むらさき色のスカートに黒いタイツをはいていたので、うしろを歩くお友達にはずかしい格好を見られてしまいました。運のわるいことに、そのなかには隣のクラスのたいしくんがいました。みすずちゃんがひそかに思いをよせる初恋のひとです。
 もうお家に帰りたい。
 そんな気持ちをがまんしたのは、家族に心配をかけてはいけないと思ったからです。いつもどおりに授業をうけました。やすみ時間も教室にのこり、お友達と雪あそびをしませんでした。

 みすずちゃんが学校から帰るさきは、いつもおじいちゃんとおばあちゃんの家です。お父さんは古本屋の店長さん、お母さんは図書館の司書さんをしていて、どちらも忙しいのです。おばあちゃんは “ともばたらき” をよく思っていません。若いころのお父さんは、とっても勉強ができて、いっぱいお給料をもらえる会社につとめていたからです。
 そんな話をおばあちゃんがすると、おじいちゃんは「そういうことを言うもんじゃない」などと言ってむすっとします。みすずちゃんはどちらの気持ちもなんとなく理解して、お父さんの話をしないようにしています。
 他のことはおしゃべりになんでも話すのですが、転んだその日はちがいました。こたつから浮かない顔を出して丸くなり、ぼんやりテレビを見ていました。
「すずちゃん、お茶だよ」
「うん。あとで飲む」
「どうかしたの?」
「雪でつかれちゃった」
 おばあちゃんもテレビを見てこたつにすわっていましたが、障子にうつる影は庭でかっぱつに動くおじいちゃんでした。さく、さく、と雪をかく音がきこえてきました。

 いつの間にか眠りに落ちたみすずちゃんは、しょぼしょぼと目をさましました。部屋の明かりがついていました。おかってにおばあちゃんがいて、暗い庭からお母さんの笑い声がきこえて、さえぎる障子をあけると、夜空と “はんぶんこ” したお月さまがあがっていました。白い庭にこんもりと “かまくら” ができていました。その横に立つおじいちゃんは、おでこにライトをくっつけて、大きなスコップをもっていました。
「どうだ、すごいだろ。おじいちゃんが作ったんだぞ」
 お母さんはランプにてらされた雪穴のなかでした。とても小さな折りたたみ椅子にちょこんとすわり、子どものように嬉しそうでした。
「みすずも早くおいで」
 ぱっと明るい顔になったみすずちゃんは、おばあちゃんの作ったはんてんを着て、いそいで玄関から靴をもってきました。そうして、雪穴のなかにかがんで入ると、もう一つあった折りたたみ椅子にすわり、お母さんとランプをはさんでならびました。
「なんだか楽しいね」
「ほんとにね」
「ナイショのお話ができそう」
「それね、お母さんも思った」
 見あわせた二人は、しししと笑いました。おじいちゃんは気をつかって家のなかに入りましたが、その顔はよろこぶ二人を見て満足そうでした。

 お母さんが話しはじめたのは、今のみすずちゃんとおなじ小学三年生のころの思い出でした。家族でこの町にひっこしてきたのです。
 それまで暮らしていたのは、もっと田舎にある山あいの村でした。お店もひとも少なくて、不便なことばかりで、大きな建物は図書館しかありませんでしたが、本好きのふみのちゃん――かつてのお母さん――には、それで十分でした。図書館は子ども向けの本がいっぱいあったので、毎日のようにかよった場所です。親切にしてくれた司書のお姉さんにあこがれました。だから家の事情でひっこすときは悲しくて、はじめてのお別れを経験しました。二十五年前の冬です。
 ひっこした新しい家のそばには、図書館がありませんでした。前よりずっと建物もひとも増えたのに、学校の図書室は小さくて、ものたりない気持ちでした。ひとみしりがあったので、お友達とすぐには仲良くなれず、はじめのころは学校から一人で帰りました。びっくりするような大雪がふったあとも。
 ふみのちゃんは雪道になれていました。お気に入りの赤いながぐつをはいて、すべりにくい歩き方ができていました。だてに山あいの村で育っていません。たんけんはお手のものでした。
 そんな帰り道のわきには、かいた雪が高くつみあがり、線路の土手ぞいにも雪の山がつらなっていました。そのなかにぽっかりと、子どもしか入れない小さな “かまくら” がまぎれこみ、雪穴から青いふしぎな明かりがもれていました。見つけたふみのちゃんがなかをのぞくと、土手の向かいがわは見えませんでしたが、どこか遠くにつながっているような深さがありました。

「お母さんね、そのかまくらをとおって、べっせかいのおもしろい図書館にかよったの。雪がとけるまでの一週間くらいかな。そこの司書さんもすごく親切で、ちょっとおじさんだったけど、すてきなひとだった」
「もしかしてそれ」
「お母さんの初恋のひと」
 見あわせた二人は、しししとまた笑いました。
「お父さんにはナイショだね」
「うん。言っちゃダメだよ」
「だって、お父さんの初恋のひとってお母さんだもん」
「そうね。お母さんは覚えてないんだけど、いっしょのバスで幼稚園にかよっていたことがあるみたい」

 それは、たった三か月間のことでした。実は、お父さんもお母さんとおなじ山あいの村で生まれましたが、一つ年上のお父さんは、幼稚園のとちゅうでお母さんよりもさきにひっこしました。
 再会はなんと、十五年後の春。どちらも大学生のときでした。

「お父さんは運命だって言ってた」
「お母さんもそう思っているよ。初恋のひとじゃなかったけど」
「私はどうかな。初恋のひとが運命かな」
 みすずちゃんは転んだことを思い出して、不安そうな顔をしました。それを見たお母さんはやさしくほほ笑みました。
「たいしくんが運命だといいね」
「え!? なんで知ってるの?」
「さいきん、たいしくんのお話ばかりするんだもの」
 みすずちゃんは顔をかあっと赤くしました。
「大丈夫。これはお母さんと二人だけのヒミツ」
「うん。ナイショだよ」
 二人は “ゆびきりげんまん” をすると、かまくらの外に出て、あたたかい家のなかに入りました。お父さんが待っている家に帰らなければいけないのですが、その前にちょっぴり、むかしの写真が入ったアルバムを見ました。ひっこしてきたころのお母さんは、ながい髪をみつあみにして、まるいメガネをかけていました。

 次の日から、みすずちゃんはしっかりしたズボンをはいて、より道をして帰るようになり、お母さんに教えてもらった線路の近くを見てまわりました。雪のない線路下の “ふつうの” トンネルをとおり、土手の向かいがわにも行ってみました。足もとに気をつけながら、線路ぞいにもっと遠くまで、たんけんしたこともありました。
 ところが、べっせかいへの入り口を見つけられないまま、おひさまの力によって、ひにひに雪はとけてゆきました。

 ある夜、みすずちゃんは明かりを落とした部屋のお布団のなかで、お母さんとナイショ話をしました。お父さんがお風呂に入っているすきです。
「線路の近くでいっぱい探したけどね、見つからなかった」
 お母さんはくすっと笑いました。
「きっと、みすずはもう恋をしているからだね」
 みすずちゃんはため息をつきました。
「私も会ってみたかったな。お母さんの初恋のひと」
「今夜は夢のなかで会えるかもしれない」
「じゃあ手、つないで寝る」
 お母さんはみすずちゃんの手をぎゅっとにぎりました。
「なんだか夢だった気もするの。もう二十五年前か。誰かと遊んでいるうちに、雪にうもれてメガネをこわしちゃったんだけど、本当のことを言うとね、他はあいまいな記憶でしかないの。初恋のひとの顔も、あの小さな図書館の風景も。夢のような出来事って忘れやすいのかな」
「お父さんのことも覚えてなかった」
「そうね。だからお父さんの言うように、まるで夢のような、すてきな出会いだったんじゃないかな」
 みすずちゃんはその出会いを思いえがいて、とっても幸せな気持ちになり、お母さんと手をつないだまま眠りにつきました。

 いつしか、道ばたにまとまった雪がなくなりました。ひなたの土に春のきざしがありました。
 たんけんをやめたみすずちゃんは、スカートとタイツの女の子らしい服装にもどり、お父さんのお店がある方に足を向けました。お仕事のじゃまをしないように、営業中のお店に行ってはいけないのですが、もしもお客さんがいなかったら、この本とっても面白かったよと、すぐに言いたい気持ちがありました。それはお父さんのオススメとして、二日前に手わたされた本でした。
 なだらかな坂道をあがった見はらしのよい場所に、むかしながらのコーヒー屋さんとクリーニング屋さん、それとお父さんの古本屋さんがあります。黒いかわら屋根の下、ひかえめな看板には “古書奉行しんちゃん” と書いてあります。こしょぶぎょうしんちゃんと読みます。しんちゃんの本当の名前はしんいちで、お父さんの叔父さんにあたるひとです。店内はとても古いものから新しめのものまで、ところせましと本がならんでいます。
 みすずちゃんは玄関のひき戸に手をかけました。ちょっぴりあけて様子をうかがうと、赤いながぐつをはいた子どものお客さんが、椅子にすわって本を読んでいました。その女の子はまるいメガネをとおして、みすずちゃんをちらりと見ました。ながい髪はみつあみでした。みすずちゃんは思わず口に手をあてて、目をぱちくりさせました。
 もしかして、むかしのお母さん?
 そう思いましたが、ただのそっくりさんかもしれません。みすずちゃんは勇気を出して話かけました。迷惑にならない声の大きさで。他にお客さんはいませんでしたが。
「はじめまして。私はみすずと言います」
「何年生ですか?」
「三年生です」
 メガネの女の子は嬉しそうに笑って立ちあがりました。やっぱりその顔はお母さんのおもかげがありました。
「それならいっしょだね。私はふみのって言うの」
 なぜだかみすずちゃんは、しししと笑ってしまいました。ふふふとふみのちゃんはこたえました。すると、店の奥からお父さんがひょっこり顔を出して、ぴたっと目のあったみすずちゃんに、へたっぴなウインクをしました。
「みすずちゃんはよくここに来るの?」
「たまに来るよ」
「どんな本が好き?」
「わくわくするお話。さいきんの一番はこれなの」
 みすずちゃんはもっていた可愛らしい表紙の本――お父さんのオススメ――を胸の前にかざしました。
「あ、それこの前、私が借りた本。すっごく面白いよね」
 みすずちゃんがさっとレジの方を見ると、お父さんはひらいた本で顔をかくしました。
「今日はね、これを借りようと思ってるの」
 ふみのちゃんは目をキラキラさせて、さっきまで読んでいた高学年向けの本をみすずちゃんに見せると、足の向きを変えて、聞いてないふりをしているお父さんに近づきました。レジのある横長のテーブルには、赤いランドセルがおいてありました。
「司書さん、これを貸してください」
 お店のスタンプカードとともに本をさし出すふみのちゃんは、ここが図書館だと “かんちがい” していました。お父さんは司書さんではありません。本を売っている店長さんです。
「おじょうさんは実にお目が高い。これはすばらしいお話ですよ」
 お父さんはにこっと目をほそめました。そうして、スタンプカードに小さく日づけを書き入れると、表紙のうらにそれをはさんで――
 やっぱりお金をとりませんでした。
「貸出きかんは二週間ですが、明日もいらっしゃいますか?」
「はい、来ます。この本は読むのに時間がかかりそうですけど」
「お話に来るだけでいいですよ。いつでもお待ちしています。そちらのおじょうさんも。お母さんにナイショでいらっしゃい」
 お父さんは気づいていませんでした。むかしのお母さんが目の前にいることを。お母さんの初恋のひとがお父さんであることも。
 むすめのみすずちゃんだけが、夢のような出来事を知りました。

「ほんとは私、べつのせかいから来たの。みすずちゃんにだけ教えてあげるね」
 いっしょにお店を出た二人は、おそろいのような赤いランドセルをせおって、海の見えるひらけた場所からとおざかり、とけのこった雪の多いわき道をゆっくりのぼってゆきました。
「まだ雪があるときはズボンの方がいいよ」
「うん、そうだね」
 すなおに返事をしたみすずちゃんは、話のはしはしにお母さんらしさを感じていました。おなじ三年生なら、十一月生まれのお母さんより、五月生まれのみすずちゃんの方がちょっぴりお姉さんですが、それらしい方は逆でした。
「ほら、あそこだよ。木と木のあいだ」
 そこは木の影が折りかさなり、とても静かな場所でした。あたり一面がなぜか白くふりつもったばかりのように、やわらかいままの雪でした。小さな足あとで作られたひとすじの道がのびていました。そのさきにあったものは “かまくら” です。雪穴に青くすきとおった明かりをだいていました。
「いっしょに行こうよ」
「うん、行ってみたい」
 二人は手をつないでふしぎな明かりのなかに入りました。そうして、かがんだまま奥にすすもうとしたとき――
 穴のなかがぐにゃっと曲がるようにゆれて、またたく間に雪のてんじょうがくずれ落ちました。
「お母さん!」
 みすずちゃんは目をとじて、つないだ手をつよくにぎりしめました。にぎりかえしてくれたと分かりました。
 ところが、ぺしゃんこになったかまくらから、つめたい雪をはらいのけて出てきたのは、みすずちゃんだけでした。その手には消えないぬくもりと一冊の本――ふみのちゃんがお父さんから借りたもの――をもっていました。
「むかしのお母さん、さようなら」
 頭上の枝からひらりと、雪がこぼれ落ちました。みすずちゃんはちょっぴりさみしそうに笑って、のこされた宝物のような本を両手で胸にだきました。

「今日はお母さんに、オススメの本を貸してあげます」
「なあにそれ、司書さんごっこ? でもすごい。これお母さんの知らないお話だよ」
「読みおわったら、お父さんに返してください」
「あ、また貸しはダメなんだぞ」
「理由はナイショですが、この本はお父さんにお願いします」
 見あわせた二人は、ふふふと笑いました。
「はい、司書さん。二週間でお返ししますね」
 その運命の一冊が、お母さんにとって二十五年ぶりの再会だと知っているのは、未来のすてきな司書さんです。
 いつでもいらっしゃい。
 笑ってそう言える大人になろうと決めていました。

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