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母として今できること。

 私が自分の子どもに対して今できることは、自分にも子どもにも厳しく強くいることだけです。

 そして本当の意味で自分を大切にすること。本当の意味で子どもを大切にすること。

 厳しく、優しく、強くいること。
 それしかないと思っています。

 お金やものを与え合うことよりも誠実な気持ちを向け合うことの方が大切だと心から思うからそうしたい。

 きれいごとかもしれないけれど、だからこそそうしたいんです。

 だからまず私が仕事で自活して、大切な夢も叶えて、子どもにもがんばりなさい!って言い続けられる母親にならないといけないと思って、ものすごくめちゃくちゃな先輩に暴言を吐かれても、その人がどんなに怠けていても、その人の態度に傷つきすぎて痩せたり動けなくなってしまっても、とにかく仕事ができるようになって自活することで子どもが甘え過ぎて人として駄目になってしまわないようにがんばらないといけないと思って努力を続けています。

 要領よくサクサクと前に進めたらいいのに不器用につっかえつっかえコツコツと進むことしかできなくて仕方なくそうしています。
 書き上げて作り上げたい文章もたくさんありますが、それにはたくさんの時間がかかりそうです。

 私がもうとっくの昔に終わって、方がついていると思っていたことが他の人の中ではまだ終わっていなくて、現在進行形の状況であるのかもしれないと思ったときに感じたのは恐怖だけでした。

 その人たちが、自分たちに都合の良いように勝手に決めつけて捏造したことを理由に私を傷つけていないと見られなくなってしまったことに対する大きな恐怖の気持ちしかありません。

 自分たちに都合の悪いことは全部棚に上げておいて、私を悪いと決めつけて信じられないようなひどいことを繰り返しているその人たちに対して感じ続けているのは恐怖です。

 その恐怖を押し退けてでも大切にしたいものがありました。

 それは子どものしあわせです。

 子どもをしあわせにしてあげることが、私にとって唯一の強くあろうとした理由でした。

 それは今も同じです。

 だから後に引く事はできません。

 子どもを追いかける気持ちはありません。

 それよりも自分が着いた暮らしをすることで、自分が叶えたい夢を叶えることで、本当に大切な人と暮らせるようになることで、自分が納得できる人生を送ることができるようになることで、子どもにも同じように独立した生活をできるようになる努力をしてほしい。自分の努力で自分の人生を作れる人になってほしいと言う私の望みを伝え続けていきたいのです。

 だから、諦めないで頑張り続けるしかありません。

 私がしっかりしないと、しっかりしていないと、子どもの人生が歪んだものになってしまうような気がして、人から見たら不毛に思えるような今の努力を辞めるわけにはいかないんです。

 それをただお金のためだと思ってしまうような人とは通じ合えません。

 そう考えてしまうような人って、きっと物事をただお金でしか見ていないような気がして、すごく怖いから付き合うことはできません。

 それよりも、自分の努力で自分の希望を叶えようと努力している人は日々の努力に心が向いていて、自分以外の人と自分を比較することよりも、自分の目標や希望に向かっていくために具体的に自分自身がどんなふうに努力すればいいのか、そればかり考えているような気がするのです。
 誰かを傷つけて何もかもを奪い取ろうとか、相手に対する怒りの気持ちを具体的に相手を傷つけることで晴らそうなんて考えもしないような気がします。

 そうやって、相手を傷つけることに集中している人は自分で努力して希望を叶えていくことを最初から諦めてしまっているような気がするのです。

 自分にはできるわけないって。

 諦めないでコツコツと努力を続けていくことでできることって意外とあるような気がするんです。

 だから私は諦めません。

 だからといってその人人たちが諦めてしまったことを否定する気はありません。

 それは私とは関係のないことで、そのことについて考えることは全くないからです。

 私にとって大切なのは、私が自分の努力でどこまで自分の希望を叶えていくことができるのかということだけで、それは私以外の人には関係のないことだからです。

 私が夢を持っていて、それに向かって努力していることは私だけのことであって、周りの人とは関係がないからです。

 ただ、その人たちがおかしな理屈をつけて私を傷つけてくることをやめてほしいと思っているだけです。

 私を解放してほしいと思っているだけです。

 もういい加減に自由になりたいから。

 子どもにも自由になって欲しい。
 そのためには、経済的に自立して欲しい。精神的にも自立して欲しい。そう思ったから、子供を自由にさせてあげようと思いました。

 子どもがきちんと自立できるようになるまで、大変なことの連続だと思います。
 苦しいことや、辛いことや、どうにもならないことの連続なんだろうなぁと思うとともに、それでもあきらめないで、自分の生活を自分で作ることのできる人になっていってほしいと思っています。

 そのために、そのためだけに、長い時間、苦しい努力を続けてきました。

 そして、これからも同じことを別の形で続けていくだけです。

 私が母親として子供に対してしてあげられることはそれだけです。

 それはどんな状況にいても同じです。
 外から見える形が違っていても、私の気持ちはいつでも同じです。

 子どもには自分で自分を守れる人に、自分で自分を立たせていくことができる人になってほしいと思い続けてきました。

 それはあくまでも本人のためで、それ以外ではありません。

 そしてそれ以上に特別なことなんて何も求めていません。

 ただごく普通の生活を普通にできる人になってくれれば問題ないと思っています。

 そして自分も特別なことなんて、自分に望んではいません。

 ただ、思い切り書きたい。
 自分の中に浮かんできた物語や文章を思い切り書いてそれをいろんな人に読んでもらいたい。
 そうすることで何か新しいものを作りたい、そういう気持ちは強くあります。

 自分が自分として思いきり生き抜きたい。
 自分自身の表現をたくさんの人に見てもらいたい。

 noteを始めて続けてきたのはただただそのためでした。

 目立ちたいとは思わないし、特別でありたいとも思いません。

 だけど表現は思い切りしたい。
 思い切り書いて読んでいただけるようになりたい。

 そういう気持ちはものすごく強いです。


 だからがんばります。



 そして子どもに対しては厳しく強くいられるように、苦しくても逃げないで頑張る。私を見せたいです。

 それが今私が母親としてしなくてはいけない1番大きなことだと思っています。


 とりあえず終わります。







ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。