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自分軸で生きる

こんにちは!たんこぶです。

「あなたが尊敬する人はどんな人ですか?」と聞かれたら、みなさんはどう答えますか?

僕は、「自分軸がある人」と答えます。

僕の中で「自分軸で生きる」とは、「自立した人生を生きている人、自分に正直に毎日を生きている人」です。

高校生の時は、「自分軸で生きてる」大人は割といるんだろうなと思っていました。両親や学校の先生は仕事を毎日頑張っていて、未熟な僕には到底思い付かないような素敵な言葉で人生を語ってくれました。

しかし、20歳のいま、僕は自分軸のなさに唖然としています。

僕自身に自分軸がないと考える理由は、他者から与えられた指標でしか自分を規定できないからです。僕は「大学生」であり、「カフェのバイト」であり、「INFJ」であり、「イケメンではないにせよ顔は整ってる男」であり…

今挙げた言葉は全て僕を表す言葉ですが、他者から与えられる指標です。

逆に自分が設定する指標で自分を語るとはどういうことでしょうか。僕はコーヒーが好きで、読書が好きで、一人の時間を大切にするけど人と話すのは好きで…

このように自分で自分を語る言葉は意外とたくさんあります。しかし、だからと言って自分軸があるとはいえないと思うのです。今の自分にとっては、これらも他者によって規定される指標に過ぎません。

私たちは社会の中で生きています。もし世界に僕しかいなければ、自分軸も何もありません。自分軸とは、他者がいて初めて意味を持つ言葉であり、他者に表明される必要があります。

私たちは他者を理解するとき、無意識にタグをつけています。僕なら、#大学生 #カフェバイト  #INFJ    #読書好き みたいな感じです。

そして、他者とのコミュニケーションにあたっては、僕たちはどんどんそのタグに染まってしまいます。「きみは読書好きだから〜」みたいな会話では、僕は「僕自身」ではなく「読書好き」の人というタグが期待する役割を無意識に演じてしまっています。

これでは、他人から規定された自分を生きているに過ぎません。

本当の自分軸とは、相手に自分をさらけだした時、カテゴリー化されたタグに甘んじないことだと思います。しっかりと自分を主張すること。

そう考えると、結局は「愛」なのかもしれません。カテゴリー化されない自分を愛すること。そして相手をカテゴリー化しない愛を持つこと。

自分軸で生きるということ。その意味を深く考えてみたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。これからも応援よろしくお願いします。

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