夜のコラム「猫ケ島の猫の幸せとは」
宮城にある、犬ケ島ならぬ猫ケ島
ウェス・アンダーソンの「犬ケ島」から連想して、いつも島の名前を思い出せなくて、検索するとき「猫ケ島」と入力してしまう。
その島の正しい名前は宮城県石巻市にある離島「田代島」だ。
石巻市からフェリーに乗って50分くらいだと思う。とっても小さな島で、人口は50人もいない。猫の数が人の数を上回る島だ。
島には「猫神様」を祀る「猫神社」がある。島全体で猫を世話している。猫の為に、猫以外の動物は一匹もいない。猫のための島、かな。それでも猫も、猿の惑星の猿たちのように人間を支配するなんて考えている訳ではない。「共存」してる、そんな印象だ。
私は昨年末頃、以前から訪れてみたかった、私の中の猫ケ島こと田代島へ向かった。久しぶりのフェリー。とても風が気持ちいい。
島に着くと、海の色はエメラルドグリーン。私が知っている三陸の海の色とは全く違った。田代島や網島は昔は東北のハワイと呼ばれていたそうだ。
田代島の発着所に降り立ち、周囲を見渡すと、子猫やその親猫、ポツリポツリと猫がいる。のんびりあくびをしたり。地面に身体を擦り付けたり。自由気ままに伸び伸びと。
衝撃的に可愛かったのは、田代島のおじいちゃん同士が軽トラックを止めて立ち話していると、トコトコとトラックのタイヤの下に歩いて行き、タイヤで爪研ぎする子猫。小さい!キュンとなる。
私ものんびりのんびり歩いて猫神社を目指す。人が少ない島だから、音といえば波の音、風の音しか無い。まるで映画のロケ地みたいだ。「島に上陸する映画といえば...」をひとりで連想しながら歩く。
昼寝してる猫、植木鉢に隠れている猫を横目に、島の人に声をかけて立ち話をしてみる。以前は小学校も中学校もあったらしい。
「人口が1000人以上いた事もあったの」
話をしたご婦人に教えてもらった。学校の建物は取り壊され、今では「島のえき」という食堂になっている。
ここでは食事をする事も出来て、決まった時間になると、お店の方が猫の餌を準備、掛け声をかけると近隣に潜んでいた猫たちが一斉に集まってくる。その時で50匹くらいいただろうか。
猫好きの方たちは、その姿を写真に収めようと遠方から訪れている。
私も小さい頃から猫と暮らしていたので猫が大好き。猫は家族として育ったので、猫たちの餌やりが見せ物になっているのは最初すごく違和感があった。だけど田代島は猫が島の名物になっている、分かりたいけど、腑にも落ちなくて、なんだか難しいな、と思った。
猫が餌を食べて、その場面をカメラに収めようと待ち受ける人たち。私も
「写真撮っていいのよ」
と言われたものの、並んで餌を食べる猫の写真を積極的に撮るのが少し気が引けた。まだ、少し違和感があった。
猫の在り方
最近だと、街中の野良猫は「地域猫」としてボランティアの方々が、ワクチンを普及させてあげたり、避妊手術を助けてあげたりして、割と頭数が管理されていると聞く。
田代島の猫は、ワクチンもしていない、避妊手術もないそうだ。本当に生まれたまんまだ。最初は驚いた。だから頭数はどんどん増えるし、ケガをしたり、病気になれば自然と弱って亡くなってしまう。
「どちらが幸せなんだろう?」
飼い猫、地域猫、島の猫。私は考えて、周囲の猫を見回した。するとその中で、伊達政宗みたいに右目が潰れてしまっている猫と目が合ったので、その子の側に行ってじっと顔を眺めた。お世話をしていた方が
「その子は年長さんでここにいる子のほとんどの子のお母さん。たくましいのよ、ケンカして目が潰れたの、勇ましいでしょ」
と仰った。
片目の雌猫は誇らしげに、身体を舐めながら、私を片目で見つめてきた。撫でると、少しゴロゴロと喉を鳴らした。
「勇ましくてかわいい」
「なかなかかわいい」
私はそう思ってその子の生きてきた時間が急に愛おしくなった。どこで生まれて、どんな風に生きるかは、猫でも犬でも人でも選べない。けれど、命が燃え尽きるまで勇ましく生きることは美しい。命を全うする事は素晴らしいなと思った。
自然のまま生まれて生きるならこんな姿なんじゃないかな
田代島は猫が観光の要で、猫神社が島を守るように猫が人間を守っている、だから人間は餌を与える、成り立っているならそれでいいのかなあと思えた。
自然に増えて、寿命がきたら自然に亡くなっていく、それこそ本当に自然の摂理だなあと感じた。
そんな田代島、また散歩したい。自由気ままな猫達にまた会いに行きたい。
(MacBook)
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