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軽めにしばった三つ編み

唐突に思ったが今の俺の生活にはスノッブが足りない。

まず白状すると俺は今までほとんど勉強をしてきたことがない。両親が教師であることからも、なんとなく勤勉なイメージを持たれやすいがまったくそんなことはない。これは幼い頃からで、中学・高校時代も勉強に関しては「やってる感」だけをただひたすら醸し出しながら実はずーーーーっとゲームや漫画に耽っていた。取り立てて非行に走るほどの度胸もなかったあの当時、テスト期間中に興じるスマブラほど楽しいものはなかった。それは親の目を盗んで、というわけではなく、そもそも友達への接し方や言葉遣いなどのいわゆる礼儀に関すること以外には全く厳しくない家庭だったので、俺は人生でただの一度も「勉強をしろ」と親に言われたことがない。今思えば本当に恵まれた環境だった。

そして大人になった今も尚、本は年に一冊読むか読まないかだし、イギリスとイタリアがどこにあるのかすら全然分からん。勉強するという習慣がついぞ身に付かないまま、教師の息子とは名ばかりの教養からは著しく縁遠い人間になってしまった。以前、「たなりょーさんの文章は難しい言葉を使わないから読みやすいです。」と言ってもらったことがあるが、俺はなにもみんなが理解しやすいようにあえて簡単な言葉選びをしているのではない。本当に簡単な言葉しか知らないのだ。俺はブルーハーツではない。

ただこれは自慢風自慢と受け取ってもらって構わないが、地頭はそれなりに良かったので、そこそこの大学にも何の苦労もせず合格できた。この辺が俺のズルいところである。科目としての国語が得意な奴がよく言う「文章の中に答え書いたあるやん」という感覚はもちろん持った上で、「でもそんなん正直に言うたらアホが傷ついてまうやん、アホちゃうか」と思える優しさも併せ持っていたので、現代文ならびに古文の成績はすこぶる良く、友達が多かった。しかし当方、筋金入りの文系であるため、理系の方々がままおっしゃる数学の面白さに関してはこれは皆目分からない。数学より絶対キメラ=アント編の方が面白い。


さて、そうこうして某大学に入学した生粋のハリボテ男こと俺だが、大学生活もこれまでと同じように美味しいところだけ味わって、適当なところで要領良く切り上げ、パッと見の真面目さと持ち前の「やってる感」を武器にそこそこの企業に就職でもするんだろうな、などとなんとも雑な4年間を構想しながら軽音楽サークルに入部したところで一人の同級生に出会った。

そいつは男にしては小柄で、特にセットしているようでもない髪はだらしなく長く、しかし身なりは質の良さそうな衣服で整えられた、野暮ったさと清潔感が同居したいわく形容しがたい人間だった。一見するといわゆるオタクという雰囲気なのだが、周りにいる友人や先輩と話す時の態度は極めて尊大で(特に先輩に敬語を使わないという点が強烈であった)、これまでの世渡りに特化した18年間で培われた俺の観察眼をもってしてもそいつをどういう人間だと解釈していいのかまったく分からなかった。

とはいえ遠巻きに見ていたのは最初だけで、そいつとは割とすぐ話すようになった。出会って3秒で、とはいかなかったが独特の乱暴な口ぶりでさえも案外心地が良かったことからあっという間に仲良くなり、くだらない冗談を言い合う仲となった。(コインを宙に弾き、両手を交差してキャッチした後「どっちが右手だ?」と聞くネタが一年生の時に流行った)

大学の軽音サークルというのは、入部と同時に楽器を始める者が多いため、高校から少しドラムをかじっていた俺はその素人に毛が生えた程度の技術でも当時は割とチヤホヤされていた。その為、いろんなバンドに頼まれて後ろで叩くことが増え始めた一年生の秋、文化祭にて先輩に誘われ特に何の思い入れも無いスキマスイッチ(好きな人はごめんなさい。どっちかというとトータルテンボスの方が好きです)のコピーバンドでの俺の演奏を観たそいつが「お前天才やな。一緒に邦楽界に風穴開けようや。」とバンドに誘ってくれた。そんな面白いこと人生で一度も言われたことが無かったから二つ返事で「開ける」とこたえ、俺はバンドを組んだ。

その日のうちに、そいつは自分が作った曲の弾き語りデモが入ったCDをくれた。4曲入りだった。家に帰ってそれを聴いた時の気持ちは今でもはっきり思い出せるが、あまりに陳腐な表現になりそうで悔しいから書かない。そこは別に誰かに分かってほしい感情ではないのだ。

それからというもの、そいつは「英才教育や」と言って毎日俺に洋邦問わず大量のCDを持って来た。とりあえず俺はそいつから借りたCDを片っ端から実家の処理がめちゃくちゃ遅いPCでiTunesに取り込み、「くるりだけで100曲以上あるやんけ!」などと家で一人愚痴りながらも、いきなり広がりを見せた世界に気分が高揚していた。それまで音楽といえばなぜかQUEENとBUMP OF CHICKENしか聴いてこなかった俺にとって、NirvanaやJoy Divijonですらこの時ようやく存在し始めた。「ZAZENのやつな。そもそもWeekendってバンドがおるねん」「へー」

そしてそいつの「英才教育」は音楽だけに留まらず、漫画、アニメ、映画、2ch、ニコニコ動画、などおおよそ思いつく限りのサブカルチャーの全てを俺に押し付けるように吸収させた。(個人的には黒田硫黄やおおひなたごう、新井英樹などを薦めてくれたことに特に感謝している)

バンド自体はそこからライブハウスに出演するようになっていくのだが、解散したり色んな人と出会ったりと書くことが多すぎるので別の機会に書くことにする。


まあ要するに俺の大学4年間はスノッブであるそいつから供給されるもので半ば強引に、自動的に彩られたサブカル的青春だったのである。そして、いざそういう人物がいなくなって数年経った今、ある程度の審美眼を身につけ、能動的に得る情報のみで十分成り立ってしまう現状にやや物足りなさを感じることがたまにある。たまにやで。いつもじゃないで。

どこか無理やりにでも俺に知識を押し付けてくる輩はいないだろうか。そんな風に飢えている。ちなみに「ミイラ取りがミイラに〜」よろしく俺自身がスノッブになるのはどうか、とも一瞬考えたがこれはあり得ない。なぜか。俺はただ人にいいものを教えてもらっていい思いをしたいだけなのだ。甘えるな。優れた文化や作品をあなたたちに、ましてや世の中に伝えていきたいなんて気持ちは一切無い。俺の心は阪急中津駅のホームほどの広さも無い。あとちょっと高いとこにある。阪急中津駅のホームのように。


まあいつまでも駄々をこねていても仕方がないのでこの辺にします先生。ってかいい加減普通に勉強でもしてみるか。暇やし。靴に似てる方がイタリアやっけ?

ってわけでメリークリスマス!



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