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対岸の火事

-エイプリルフール 12日目-

みんなおはよう!私です。あの時助けていただいたナナフシです。

次のライブまでまだ2週間弱あるので余裕をかまして平日の日も高い時間帯からアイスを食べて昼寝をしていたらこんな時間である。羨ましいだろう。っていうかことわっておくが俺の辞書に曜日感覚なんて文字は無い。責任感なんて文字も無い。課すな、タスクを、俺に。

さて、昨日Twitterで「俺は今までの人生ずっと楽しかったから『教室の片隅で青春を過ごした自分を救ってくれたのは音楽だけだったんだ』と標榜するバンドには全く共感できない」という旨の発言をしたが、まあこれは紛れもなく事実である。俺自身ももちろん音楽に救われた経験はあるが、この文面に関して反省をする気は皆無だ。俺の辞書に反省なんて文字は無い。俺の辞書はVジャンプの攻略本くらいの厚さしかない。

ハッキリいって俺のようなリアル生活ド充実野郎は、いかに音楽が好きであっても、友人の一人もいないコミュ障が学生時分にどんな感覚であったのかについてはこれっぽっちも分かってあげられようがないのだ。ただ、これもTwitterで書いたようにそういった鬱屈した人間が音楽でもってようやく市民権を得るという、ある種の成り上がりストーリー自体には大いにロマンを感じるし、そもそもそれを否定する気は全くない。(まぁこんなことみんな賢いから言わなくても分かってるだろうが文章の組立ての為に必要な気がするから書いておく)

俺が携えているのは実体験としてそういう孤独の季節が無かった為に本当に共感ができないという素直な主張と、実際にそうであった人へのちょっとした羨ましさ、そしてそれを不謹慎だと思う居心地の悪さである。


話は少し逸れるが、今世の中は久方ぶりのエヴァンゲリオンフィーバーである。例に漏れず俺も公開初日に観に行った。シンプルにめちゃくちゃ面白かった。細かい感想を書くとキリがないので短く済ませるが、庵野秀明という人間があそこまで「説明」をしてくれたということにひどく感動した。8年ないし25年という歳月を見事に、赤裸々に作品に落とし込んでくれたと思う。みんなあのおじさん好きやね。

芸術鑑賞において、感銘の質や量は鑑賞者の境遇によって大きく左右されるものである。ごって当たり前のこと言うけど。俺のめちゃくちゃ好きな友人に「エヴァンゲリオンは旧劇でとっくに完結している。興行や娯楽に成り下がった新劇なんか許せないし観る気も一切無い。」とずっと怒っている奴がいる。俺はそいつのそういう所が好きだし、自分が楽しめた作品だからといってそいつに「意地張らずにとりあえず観ればいいじゃん」などと言う気もない。むしろその怒りには先ほども書いたがちょっとした羨ましさがある。

エヴァンゲリオンとは俺にとって、対岸の火事である。遠くの方で燃えさかる炎である。遠くで燃える炎は綺麗に見えるし、昼間の火事は実際よりも近くに見えるらしい。俺はその火元が憎悪であれ憐憫であれ嫉妬であれ愛情であれ、エヴァンゲリオンという炎が造る灯りの美しさに感動しているだけだ。自分の人生に関係の無い一大事にはそのスケールと色彩に感動するくらいしかできない。ところが聞けば、件の怒れる友人は自身の家庭環境の特殊さや孤独さを(旧劇までの)エヴァンゲリオン作品の中に照らし合わせ、まるで友や家族、自分自身を描いたもののようにそれを感じていたという。そんな彼にとって当時のエヴァとはまさに自らが住む家で起こった火事であったのだろう。その炎の中では本当にもう取り返しのつかないものや、会えなくなった人、帰ってこない感情があったはずだ。それはもう思い入れなんていう言葉では表しきれないほどの心の蠢きだと思う。それを安全な場所から遠巻きに俺みたいなアホが「あれ綺麗やな〜」と感動していて、あまつさえ同じようなアホが「またあの炎見たいから、もう一回別の家燃やそうや」と提案してリメイクされたりしている始末なのだから、その感動や絶望の差は埋め切れるものではない。


完全に話を戻そう。冒頭に書いた、音楽だけしか救いが無かったバンドマンも同様に俺にとっては対岸の火事の被害者達である。友達に薦められて音楽を聴き始めた俺はそれが人と人を結ぶものであるという原体験を持っている以上、いかに同じ音楽を聴いていようと逃避の先を一つしか持っていなかった人達の寂寥や痛みを共有することが出来ない。そしてそれはくどいようだがお陰様で友人各位に恵まれ倒した俺にとっては今後一生持ち合わせない属性である。世の中には自分がどれだけ願い、請うても得られない性質というものが当然存在する。たとえば「げんしけん」という漫画を読んだことがある人は分かるだろうが、オタクになりたいなどと願う人はどれだけ願ってもオタクにはなれない。ただ残酷なまでに何かを好きであるという純粋な気持ちの差に打ちのめされるだけだ。

最後になったが、ここに挙げたような属性や性質を持つ当の本人達は特段それらを誇っているわけではない。むしろひどく傷付いたり、恥じたり、絶望したが故に持ち得たのであり、決して他者に羨ましがられるようなものではないと思っているはずである。俺が自分の持つ羨ましさに常に付き纏うような不謹慎さを感じるのはその為だ。

全部嘘やねーん!ごめん!

こちらからは以上です。

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