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風たちはどう去りぬか

たとえば「小さなことでくよくよするな」というような叱責をよく耳にすることがあるが、あれはかなり違和感に塗れているものである。
なぜなら大きなことの前では人は自分の力ではどうにもならないからと迷う暇も無くそのままを受け入れていることがほとんどで、あるいは事態や現況そのものに疑問を抱き、数少ない糸口からその大きなことを打破できる選択を見つけるような奴はその時点でもう迷ったりしていない為、くよくよできるタイミングというのはそもそも小さなことを前にした時しか存在しないからだ。
しかしくよくよって凄いな。ゲシュタルト崩壊のタイムアタックがあれば相当いい記録が出るんじゃないか。くよくよ。くよくよて。くよくよは四つ集まると消えるのだろうか。それならばその一つ一つを「くよ」と呼ぶのが正しいのではないのか。

もとい、
むしろそういった小さな葛藤にこそ人生の機微があり、だからこそ人はくよくよすべくしてくよくよしている。
現に俺は今日の昼食をチキン南蛮弁当にするか、季節の天ぷら定食にするかで大いにくよくよした。
くよくよにくよくよした。
くよくよのうえにくよくよをおくように。

そして結果選ばなかった一方に思いを馳せながら、目一杯くよくよした割には大した味でもない弁当を頬張り横目で観るワイドショーのなんて世俗的だこと!天晴れ!いや、喝っ!いややっぱ天晴れ!

私、思うんです。
そんな風にくよくよがもたらす確実に走馬灯にはノミネートされないような無意味なモーメントをば、ただ唾棄せず、愛し続けてきたからこそ人はジャンケンやあみだくじを生み出し、ひいてはNintendoゲームキューブを開発するに至ったのではないのでしょうか。そうでしょう。ゲームキューブの後は知りません。あそこがピークやろゲームって。多分。

ここまで書くと「いや、僕(私)は大きなことを決定する時にだって慎重に判断していますよ!」というような世迷言を言ってくる輩が出てくるかもしれん。いやここは出てくるかもせんと言わせてもらおう。出てくるかもせん。ほら言わせてもらった。
君のような勘のいいガキはあっちで遊んできなさい。ほら、ニーナとアレキサンダーいるから。
あ、ハガレンって最終話が本誌に2回掲載されたらしいね。知ってた?

話が脱線しました。戻しません。
新曲が出ました。みんなよろしく!
『お願いダーリン』という俺達にとってめちゃくちゃ大事な曲です!


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