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夜美女

言うてる間に正月ですね。田中です。

月1の更新が余裕になってきた。作文に慣れてきたのかもしれないし、手を抜いているのかもしれないが今はまだ知る由も無いのであった。

9月は自分の誕生日があるのでもちろん思い入れはある月だが、英訳でのSeptemberはともかくとして旧暦、和風月名における「長月」という呼称に関しては前々からこれはどうなんだと思っている。睦月、如月、弥生、と中学生的感覚で見るとバカ格好いい名前たちが並んでる中、突然何の変哲も無い長月。ダサ…。なんやねん長月って。何が長いねん。長月?何を伸ばしとんねん。どこを伸ばした結果の長月やねん。顎か。また、卯月、皐月と、ひたすらええ感じの月から水無月とかいう超格好いいサビを経過してからのおまけのようなクソダサ長月。そして待ち受ける大サビのような佇まいの神奈月。どないやねん。わしゃCメロか。めちゃくちゃハモったろか。Cメロは一番キザにせえ。コブクロを舐めるな。なんや長月って。そもそも9月長くないし。30日までしか無いし。もう許さん。猛烈に業腹のため改めて調べてやったところ長月の元々の由来は「夜長月(よながつき)」だったらしい。絶対そっちの方がええやん……。なぜ夜を削ぎ落とした……。なにを急に早寝早起きしようとしとんねん。中学生やったら夜更かししてサンテレビのちょっとエロい番組観ろや!ほんで無駄に元気やから翌日の朝練も行け。アホか。誕生日を祝ってくれた皆さんありがとうございます!

昔からじじい扱いされることが多い俺としては、「また一つ歳をとってしまったわい。」くらいのことで、そもそも太陽と虎の風次さんによると「同じ時代に生きてる時点でみんな同期。先輩っていうのは信長とかあの辺のこと。」だそうなので、よりおっさんになる事には殊更何も感じないが、年々祝ってくれる人が増えているのには只々感謝である。この御恩は必ず何か柔らかいものでお返しします。

おっさんといえばさっきちょうどラーメン評論家の方が書いたブログが炎上しているというニュースを見た。一応、当該のブログも読んだが、まあ思った2、30倍気持ち悪かったことを置いとけば、ほぼ予想してたようなベクトルの内容だった。「倫理観をアップデートせよ」という周囲の意見もまあそりゃそうだわな、としか思わんし異論も無い。が、時代遅れの気持ち悪いおっさんが糾弾され尽くして世の中の形が舗装されていく過程でたまに寂しくなることもある(セクハラは大嫌いだしそれを助長しているわけではありません)。

たとえば「ダウンタウンがとんねるずと違って今もテレビの世界で生き残っているのは前者が時代の感覚にアジャストする能力により長けていたからだ」というような意見を聞く時にも思うのだが、過激な振る舞いを過度に改めることは、それはそれで大きな喪失でもある気がする。昔は良かったな〜なんて話ではなく、過激な瞬間の中にたしかにあった痛快ささえも、その危うさのみに着目して芽を摘んでしまうことが一概にアップデートとは言えないんじゃないかと感じるわけである。俺はダウンタウンもとんねるずも大好きだ。

例のラーメン評論家の文章が正しいもの、まして痛快なものであるとすら俺は思わないが、あの人自身が憧れている振る舞い方や、こう見られたいという理想像くらいはなんとなく想像できる。悪い人でもないと思う。めちゃくちゃ気持ち悪くて不快なだけで。要するに「ミスってる」だけだ。アレは。言い換えるならその芸風をやる才能が無いのだ。

才能が無い人が才能のある人を真似するのは珍しいことじゃないが、この方面ではミスやトラブルが起きやすいのは事実で、その結果、才能がある人のこれからの行いにまで影響が及んだりする。そこでようやく俺は寂しさに気付くのだ。才能がある人の持っていた痛快さ、また、才能の無い失敗したおっさんの憧れはどこに行くのだろう、と。


見ず知らずのおっさんのせいで必要以上に暗くなったので最後に思い出話を。

大学時代のめちゃくちゃイケメンの友達が、気に入らない後輩の話題が出た時に「あいつはあかん。面構えがしょうもない。」と言ったのが大好きでいまだに覚えている。そもそも美醜についての言及じゃないんだが、そいつ自身がなまじイケメンなせいもあり、ルッキズムに対しての声が大きく上がるようになった今ではこの発言も突っつく隙だらけだろうなと思う。俺としてはこれくらいの歯切れの良さは世の中のどこかに残っていってほしいものである。あいつの誕生月は1月だったな。睦月か。ええなぁ。


BGM 「はたらくおっさん」- フジロッ久(仮)


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