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美容、それは「知らんがな」の集積

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髪の毛の手入れが好きだ。基本的にたっぷりとつやのある状態が理想だけれど、うねりっ毛で乾燥しやすいわたしの毛は、ほわ、ぱさ、となりやすい。でもひとつに結んだときのほどよいカール感も好きなのでストレートはかけたくない……というわがままと、自宅ケアを継続する意志が弱い、という圧倒的ずぼら性のもと「およそ1ヶ月に1回、美容院で髪質を整えるトリートメントをかける」というやり方に落ち着いている。だから正しくは「手入れしてもらうのが好き」なのかもしれない。

収入に対して過課金であることは否めない。けれど、ほわ、ぱさ、という状態を見ると悲しくなる。自分を悲しくさせないためにできることがはっきりしているのだから、やるしかない。自分の機嫌は自分で取れ、それがおとなのたしなみだとやあやあ言われているではないか(あまり好きな言葉ではない)。それにトリートメントしたてのつる、しと、と吸い付く髪に指を通すと、いまだに毎回スキップでどこかに寄り道したくなる。それだけで上々でしょう。

そういえば中学生のころはいまよりずっとくせが強かったから、毎朝時間をかけてストレートアイロンを入れてスプレーで固めていた。緑のケープの消費量がすごかったけれど当時は縮毛矯正がほんとうに高かった。同年代の人はわかってくれると思う、「かけたい」とお母さんに言い出せないくらい高かった。体感、いまの10万円くらい。清水の舞台感。

それに比べると縮毛矯正はずいぶん安くなったし、あと自然なストレートになったよなあと思う。傷まなくもなった。技術進歩はすごい。以前ヘアケア製品メーカーのミルボンさんに取材させていただいたことがあるけれど、取材準備をしながら、ああこんな研究が……ありがたい、おおこの製品使ってる……ありがたい、とほぼ念仏を唱えていた。取材先の製品を使いつづけるのはライターあるあるで、ミルボンのトリートメントは断続的にだけれどずっと継続している。日々、髪を研究してくれていることへの感謝の気持ち。緑のケープでどうにかこうにかしようとしていた幼い自分からの感謝だ。

さて、そんなこんなで昨日はトリートメントデイだった。塗布の時間も放置の時間も原稿を書くことに決めているのだけど、それは、両方ともタイムリミットを感じるせいかものすごくはかどるから。「パソコン使っていいですか」からcommand+Sを押すまでの時間、ニッチながらけっこう好きな時間のひとつだ。

……と、ここまで書いたけれどわかっている。個人の美容話なんて、それが「売り」の人以外、読み手にとってはまるっと「知らんがな」の話であることを。だって、自分の、自分による、自分のためのケアなのだ。それが他人にとって「知らんがな」なのは仕方がない。

それでも書きながら、だれの役にも立たない、自分だけの取るに足らないひとつひとつのルールたちが愛しくなってくる。「知らんがな」と一蹴されるようなこだわりこそが、だれよりも長く付き合ってきた自分への愛なのかもしれないな、なんて思うのだ。

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