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ポルトガル一人旅で子どもがうまれた話

子どもが年長に進級した。このままいけば、来年ランドセルを背負うことになるだろう。いつの間にか赤ちゃんを卒業し、少女へと歩を進める子を見てふっと不思議な気持ちになる。

わたしは一族郎党のほぼ末っ子として育った。つまり身近に赤ちゃんがいたことがない。そのせいかずっと「子ども嫌い」というより「子ども苦手」——いや、いい人ぶらずに言えばやっぱり「子ども嫌い」だったかもしれない。赤ちゃんが無条件にかわいい、という感覚がよくわからない。子どもとどう接すればいいのかわからない。無駄に道化となり疲れる。「犬に興味がない人はわたしの愛犬に対してこんな気持ちなんだろうな」とぼんやり思っていた。

だから、「自分の子ども」も、まったくピンとこなくて。

やりたいことはたくさんある。仕事もがんばりたい。自分のペースで過ごして、ふらっと旅に出る。疲れたら飲んで帰ればいい。夫婦ふたりプラス愛犬で楽しくやっていこうよと肩を組んでいた。

子どもができたら、そんな自由と可能性の日々を失ってしまう。……にちがいないと一歩引いていた。夫は子どもを欲していたので「悪いなあ」と思ってはいたけれどそれは結婚前にも伝えていたしと、つまり、あまり譲る気もなかったのだった。

そんなわたしが、なぜ妊娠したのか。きっかけはポルトガル一人旅だった。

2016年9月、少しばかり鬱屈としていたわたしは、思い立って2週間後のリスボン行きのフライトと3都市分の宿をポチポチと取った。なぜポルトガルだったのかは自分でもよくわからない。行ったことがないとか治安がよさそうとか理由はいろいろあるような気がするし、適当だった気もする。

でも結果的に、そのときのわたしにとってポルトガルは最良の国だった。リスボンやポルト、ギマランイスにアベイロ。どの街も華美ではなく、それぞれにそれぞれらしく美しく心地よい。お隣スペインに比べて洗練されすぎてもおらず、弱った心への刺激としてほどよい。フォトジェニックさからかけ離れた郷土料理は、しかし、どれもこれも見た目よりずっとおいしかった。

田舎のほうでは日本人はめずらしいらしく、わざわざ車を減速して顔をまじまじと見られたけれどいやな気持ちにならない。あるのは純粋な興味だけで、ネギを背負った太ったカモのように扱われたトルコやエジプトとは違ったから。面倒は困るけれど100パーセントほうっておかれたくもないという、ひとり旅特有のわがままにフィットしたのだろう。

11世紀にできた城砦から夕陽を眺める。川沿いでワインを飲む。ポルトガル発祥の地を眺める。ひたすら街を歩き道をつぶす。寺院の歴史にふれる。ちいさな焼き菓子を買う。鬱屈とした気分は日ごと抜けていった。途中で熱を出したり捻挫で歩けなくなったり、コンドミニアムでお金がなくなったりしたけれど、それまでの平和で健康な日々よりぜんぜん元気だった。

自分の立ち位置や方向性をたしかめるとき、占いをあてにする人やメンターに話を聞いてもらう人がいる。わたしはそれが一人旅なのだと思う。かつて大失恋したときはスペインに飛んでいた。転職するか悩んだときにはベトナムに。頭がいっぱいになったら、外へ、外へ。

嗅ぎなれないにおい。見慣れない植物。聞き取れない言葉。日本では見かけない野良犬。いることすら知らなかった、そこで暮らすひとの顔。レストランでウェイターが気づいてくれないときの、取り残されたような気持ち。夜道、神経を張り巡らせながら宿に帰る感覚。

日常にはない刺激を全身に浴びながら、自分で決めて、自分が動く。意思決定のたびに自分の輪郭がはっきりしていき、エネルギーを取り戻していくようだった。

そうして過ごした10日ばかりの旅の帰路。シャルル・ド・ゴール空港での長い乗り継ぎの間にふと思った。

おもしろい仕事をして、お酒を飲んではしゃぎ、犬を愛で、興味のあることに首をつっこんで、DINKSを謳歌する。わたしはそんな「幸せの成功体験」に縛られているのかもなあと。子どもを産めばおそらく、人生で最高レベルの変化が起こる。いまのバランスは崩れる、それはもう強制的に。

だから気が進まなかった? 無意識に現状維持を選んでいた? それを正当化するために「子ども嫌い」を自認していた? いや、それは露悪的すぎかも。わからない。でも……。

「子ども、いてもいいのかもなあ」

そんな手のひら返しを抱え、家に帰った。「子どもがほしい!」と思ったわけではない。けれど不思議なことに、息つく間もなくひとり授かったのだった。「この瞬間を逃したらまたああだこうだ言い出しますな、この女は」という、神様からのギフトだったんだと思う。

授かったとわかったとき、一瞬だけ複雑な気持ちになった。「自由や可能性を失う」ということがいよいよリアルで。

でもそのとき、「いままでの人生もそうだったじゃん」と気づいた。高校で文系に進んだとき、建築分野への淡いあこがれにふたをした。大学で文学部に入ったとき、医師への道は遠のいた。いまの夫と結婚したとき、腐れ縁のアイツと結婚することもなくなった。

わたしはいつだって無数にある可能性を捨てながら、あるいは保留しながら、選んだ道で愉快な人生をつくってきた。それと同じじゃん。そう思ったら、「やってやろう」と明るく挑戦的な気持ちが湧いてきた。

それから6年半。世に出てくるまで「ポル子」と呼ばれていた娘は、来年小学生になる。ひとつ間違いないのは、一度たしかに崩れたバランスはまた「子どもがいる暮らし」というあたらしいバランスを取っていて、それはなかなか、最高だということだ。

先日、子どものパスポートを取った。群青色のページはどこもまだ真っ白。わたしを新しい世界につれてきてくれたこの子に、今度はわたしが世界を見せる番だ。

ただ、もし、親のエゴをぶつけていいのならば。

いつかこの子をポルトガルにつれていきたいと、ひそかに思っている。

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