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「映画かよ。」の解説かよ。 Ep54 トワイライト|それでいいのだ

(写真は全て駒谷揚さんから提供)
 3シーズン目に入っている、駒谷揚制作・監督によるYouTube短編映画シリーズ、「映画かよ。」。Ep54「トワイライト」が配信されている。

Ep54「トワイライト」

 美帆(RISA)は映画オタクの友人、亜美(森衣里)から、司法試験の勉強の息抜きにと薦めれたヴァンパイア映画、トワイライトシリーズにハマってしまう。友人の玲司(田中涼)とトライライトの話で盛り上がるものの、さらに深い話をしたいと思い始める美帆。ただ日頃から非オタを自認しているため、「トワイライト」にハマったことを亜美には知られたくない上、シリーズ公開から年月が経っていることもあって、ちょうどいい話相手が見つからない。そんな、もどかしさが募り、勉強に身が入らない美帆は、あるとき「トライライト」ファン、穂乃果(あじの純)と出会い、ハードコアなファンの集まりに誘われるが…。

かつては恋敵として対立した玲司は、今や美帆の良き理解者

 何かをきっかけに唐突に夢中になる。それが、誰も傷つけない映画鑑賞という趣味であればなおさら、それを誰に何を言われようが、余計なお世話。ただ、みんなが夢中になっていた時期と違っていたり、興味を持つ年齢が早すぎたり、あるいは遅すぎたり、男なのにとか、女なのにとか、世間体や自分のイメージを気にしたり、こんなものに夢中になっているの? と揶揄されるのが嫌だったり、プライドが邪魔したり…。たかだか映画だが、そうした幾重にもラベルがを貼られたり、あるいは理解しにくいものを面白がっていると怪しまれ、説明を求められたりするのも正直、面倒臭い。映画評論家ならば、好き嫌いを越えて、作り手や役者、文化、時代など、作品を分析して、より理解を深めるための解説をするのだろうが、評論家じゃないのならば、ただ「好き」でいいではないか。

 同じものを同じ時期に観て、面白がり、同じように感じ、同じようにリアクションが求めれる。バカバカしいと思うが、そういう同調圧力とでもいうものに人は弱い。映画ファンの間で、「観なくちゃいけない」映画、なんていう言葉を聞くが、その言葉にすごく戸惑う。映画を観て、面白くて、好きになるだけで十分。「お薦め」ならば分かるのだが、「観なくちゃいけない」という言葉は、世間一般に酷評されているものを面白かったと言いにくくし、絶賛されているものをつまらなかったともいいにくくさせる同調圧力と同じ臭いを感じる。

亜美、実、君たちが美帆を肯定しなくてどうする?

 今回の事の発端は、美帆の自意識が邪魔している部分もある。とはいえ、深読みしすぎかもしれないが、本来ならば、自分たちが好きなものを好きと言っている立場である亜美や実(伊藤武雄)の映画オタクコンビが、美帆の気持ちを理解して肯定してあげるべきではないか。なのに二人は同調圧力を象徴するような役割を果たす。美帆がメインの回は、亜美と実は、美帆の常識人的な立ち位置を際立たせるために、悪役に回りがちではあるのだが、今の時代、表向き、多様性を尊べと声高に言う人でも、みんなと一緒でないものに対して、結局のところ排他的ということを表しているようにもみえる。だから、なおさら、観る者が、「好きなら好きで、嫌いなら嫌いで、それでいいのだ」と叫びたくなる仕組みになっているのかもしれない。

 これも深読みしすぎだろうが…。映画の原作となった小説「トライライト」のファンであるE・L・ジェイムズが、ファンフィクション(二次創作)として書き、映画化もされたのが、今回のエピソードの中でもちらりと名前が出てくる「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」。「好き」を突き詰めれば、こうしたものが生まれてくる、という意味で、「トワイライト」というテーマは、美帆の物語と二重構造みたいになっていて、「それでいいのだ」と肯定しているようにも見えた。そもそも「映画かよ。」自体が、映画が好きすぎる者によるファンフィクションでもあるのだから、好きって、素晴らしいことなんですよ、という三重構造になっているのは、いうまでもない。

「映画かよ。」のリファレンス

【「映画かよ。」公式YouTubeサイト

「映画かよ。」ウィキペディア

【「映画かよ。」note】

駒谷監督はこんな人↓

駒谷揚監督インタビュー(Danro)

「映画かよ。」に関するレビュー↓

トリッチさんによる
カナリアクロニクル」でのレビュー

Hasecchoさんによる
「映画かよ。批評家Hasecchoが斬る。」
YouTube「映画かよ。」のコミュニティーページで展開

おりょうSNKさんによる
ポッドキャスト「旦那さんとお前さん」

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