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筒井康隆「わたしのグランパ」読書感想文

官本を借りてからは「せいれぇつ!」となる。
「いっちにぃ!」と行進してグランドに。
「休憩はじめぇ!」となった。
独居の受刑者が自由に話せるのは、この30分だけだった。

ベンチに座ったり、地べたに座ったりして輪になって話すのだけど、晴天のその日は、途中でスッと間が空いた。

そのとき、757番の上田君が、砂粒をつまんで投げながら「ああ、子供に会いてえぁ・・・」とつぶやいた。

気持ちはわかる。
でも、その類のつぶやきは、心の膠着状態を崩れさせる。
もちろん、良くないほうにダダ崩れするだけで、気持ちが暗くなるからタブーみたいなものだった。
たちまち皆に笑い飛ばされた。

「海外出張にいっている」だなんて子供だって察する。
とくに女の子だったら、5歳にもなっていればわかる。

「じゃあ、どうすりゃぁいい?」と、上田君はいうが、誰もどうすればいいのかなんてわからない。

「脱獄しようか?」と621番の江口君がおどけたが、誰もが「あーあ」とうなだれて黙っただけだった。

そのときに、次の官本はの「わたしのグランパ」を借りようと思っていた。


出所と社会復帰

筒井康隆は知っている。
名前だけ。
どんなものを書いているのかまでは知らない。

「わたしのグランパ」を読書ノートに書き込んだのは、文庫本の巻末にある目録ページを目にしてだった。

刑務所を出所した祖父と、孫の女の子を描いた小説と、短く紹介されていた。

出所者は、どのようにして子供と接したらいいのか?
どのようにして、社会復帰していくのか?

この小説には、当然にその辺りが深く書いてあるはず。
出所者の苦悩が描かれているのかも。

読めば、なにかわかるかもれない。
いや、解決できるかもれない。
そうでなくても、なにかひとつ得れればいい。

官本にあるのもわかっていた。
出所までには読もうと、マークしていた1冊だった。

文庫本|2002年発刊|152ページ|文藝春秋

単行本:1999年発刊 文藝春秋

感想

ちょっと、ちがうぅぅ。
ぜんぜん深くないぃ。

152ページだし、字も大きいし、3時間もあればスイスイと読めてしまう。
昭和のドタバタ劇といえばいいのか。
苦悩なんてかけらもなかった。

でも不思議だ。
でもおもしろい。
期待していた内容とスコーンとかけ離れているけど、楽しく読める。

通常だったら、このように期待が大きく外れたものなら、やってもうた感で取り乱す。
が、この本はそうならない。

最近では、期待を外すのも慣れてきて、是非にあらずと落ち着けもするけど、この本はそうにもならない。

なにが、おもしろく感じさせるのだろう?

話自体はありきたり。
どころか、えらく陳腐すぎる。
次から次へと人物が登場してくる流れも、はっきりいって嫌いなはずなのに。

文体なのか?

でも、これといって文体には特徴もない。
不思議なまま読み終えた。

筒井康隆のおもしろさとは?

すると巻末の解説で、納得がいった。
解説者は久世光彦
よくわからない人だけど、ともかく久世氏は解き明かす。

それによると、筒井康隆の作品は「声に出して読みたい小説」が多いとある。

美文や名文とはちょっと違った意味で、気持ちがいい文章だという。

楽な呼吸で、とても素直に読むことができる。
句読点も、声にしたときの生理で打たれている。

あの樋口一葉森鴎外と比べてもいる。
それらは “ 見て ” 美しい文章だけど、“ 聞く ” 文章となると筒井康隆のほうがいいと絶賛している。

どうしてか?
筒井康隆は、もともとは役者だったからではないか?
なんてたって、筒井康隆は声がいい。
きっと声を出しながら書いているに違いない。
声と文章は有機的に関わっているのだろう、と久世氏は推測する。

だからなのか、とすごく納得できた。

結局は、出所者については何もわからかったけど、別の部分でひとつの発見をした読書だった。

ネタバレあらすじ - 五代珠子の手記風

囹圄の人

私が “ 囹圄 ” という文字を見たのは8歳のとき。
盗み読みした、父の日記のなかにあった。
「父は囹圄の人であり」と書かれてあった。

父が父と書くのだから、それは祖父のことだとはわかった。
祖父は、ずっと家にいなかった。
東南アジアにいるとか、南米にいるとか、周囲からは聞いていたが、その字の意味が知りたかった。

辞書の引きかたも知らなかったので、こっそりとノートに書き写して、翌日には学校の先生に聞いてみた。

先生は「レイゴ」と読むのは教えてくれたが、どこにこんな字が書いてあったのか尋ねただけで、意味までは教えてくれなかった。

どうしても知りたかったので、思いきって父に訊いてみた。
日記を盗み読みしたのは少し怒られたが、考えるための時間稼ぎのような気がした。

すると母親が「囹圄の人っていうのはね、気むずかしくて扱いにくい人のことよ」と教えてくれた。

無表情なままだったが、それでも美しい神経質そうな顔が少し引きつったように見えた。

本当の意味を知ったのは、小学5年生になってから。
思いついて、国語辞典を引いてみると「囹圄 = 牢屋、獄舎」とちゃんと載っていた。

グランドパパ、略してグランパ

祖父が出所したとき、私は中学1年になっていた。

グランマ、・・・私は祖母のことをグランド・マザーを略してグランマと呼んでいたが、グランマは「会いたくない」と親戚の家に引っ越してしまった。

その祖父とは、学校の帰り道で会う。
大人から生意気だといわれることも多かったので、祖父から好かれる自信はなかったが、すぐに打ち解けれた。

祖父は殺人をして、刑務所に15年間いたのだった。
中での作業は、刺繍をやっていたと笑っていた。

翌日には、クラスの皆に、そのことは知られた。
いじめ相手は「人殺しの孫娘」などと言ってきたが、こんなことは絶対に祖父に言ってはいけないと、私は心に決めた。

祖父のことは、グランパと呼ぶことにした。
グランド・パパの略だ。

不良グループに、校内暴力に、暴力団に

グランパは、毎日どこかへ出かけていた。
夜には、スナックで飲み歩いているようだ。
カメラも購入している。
両親を旅行に行かせたりもしている。
が、お金はどうしているのか、皆、不思議がっている。

私へのいじめも、止めてくれもした。
不良グループを懲らしめて、校内暴力もやめさせた。
手荒なことになって、パトカーを呼ばれもしたが、それほど酷いことはしてない。

が、そんなことよりも、もっと大きな問題がおきた。
地上げの暴力団と、なんかやらかしたのだ。
そもそもが、グランパが人を殺したのだって、暴力団とモメたからだった。

が、もっと驚くこともあった。
グランパは、屋根裏にお金を隠していたのだ。
1億9千万あるという。
もう1000万使った、と平気な顔をしている。

グランパがいうには、20年前に、暴力団に手形で騙されてか会社が倒産した。
その報復として、武器取引の代金を奪ったという。

私は震えた。

黒塗りのベンツに、拉致監禁に、機関銃に

その夏の日。
いきなりだった。
学校帰りに、私はさらわれた。
友達も一緒に、黒塗りのベンツに押し込まれたのだ。

そのまま、山の中の工場で監禁された。
相手は暴力団で、グランパの件なのはわかっていた。

1晩たってから、グランパの車が工場まで来た。
手ぶらではなかった。
相手の暴力団の娘をさらってから、やってきたのだ。

しかも、バーのマスターと、私の先輩も一緒に連れていて、みんな機関銃を持っていると手下が騒いでいる。

銃撃されて、工場の窓ガラスは割られた。

私と友達は、すぐに解放された。

グランパの死

グランパが死んだのは、中学2年の夏休みのとき。
川でおぼれた女の子を助けたはいいけど、力尽きて、そのまま流されたのだった。

私は泣いて、泣いて、泣いた。
翌日の葬式でも泣いていた。
グランパには、なにもしてあげられなかった。

葬式には、驚くほど多くの人が弔問にやってきた。
どういう知り合いなのか、まったくわからない人たちもたくさんいた。

グランパは、死にたかったのかもしれない。
いま思うと、死に場所を捜していたみたいだった。

ラスト2ページ

グランマは、家に戻ってきて暮すようになった。
日常が戻った。
それは、祖父が現れるよりも平穏だった。

また、暴力団がくるのかもしれないと恐れたが、どんなクサビを打ち込んでおいたのか、彼らはやってこなかった。

私には、ひとつの夢が生まれている。
美術部の友人と語り合う将来の夢だ。

いずれ大学を出たら、一緒に広告制作の会社を設立しようという計画である。
私の先輩も力を貸してくれる。

そのときには、グランパが残していった、あの屋根裏の巨額なお金が役に立ってくれるはずだった。

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