見出し画像

ジョージ・オーウェルの証言

「労働者階級が権力を握っている町に来たのははじめてだった。ほとんどすべての建物が労働者によって選挙され、その窓からは赤旗と、アナーキストの象徴である赤と黒の旗が垂れていたー教会はみな破壊され、聖像は焼かれていたー商店やバルは、どこも共同所有に移された旨の貼り紙があった。靴磨きさえ箱を赤と黒に塗っていた。給仕や店員も客を自分たちと同等に扱い、卑屈な言葉使いも形式張った言い方も姿を消した。チップは法律で禁じられていた。エレベーターボーイにそれをやろうとしてホテルの支配人に叱られた」

 1936年の暮れに、ジョージ・オーウェルはブーツを肩にかけてバルセロナにやってきた。自費で、何のつてもなく。彼は独裁者フランコに対抗するカタロニア自治政府のために前線で戦う決意をしていた。彼は偶然のいきさつでPOUM(マルクス主義統一労働者党)に加わることになった。戦いは絶望的だった。物量で圧倒するフランコ軍に共和派は敗れた。オーウェルは喉を撃たれて戦線離脱を余儀なくされ、どうにか帰国する。

 「それは奇妙なことだった。ぼくらは最初は民主主義の英雄的な擁護者だったのに、最後は警官に追われてこっそり国境を越えた」

 だがそのおかげで後世はスペインの真相を知ることができた。『カタロニア賛歌』の刊行は1938年のことで、そこには驚くべきことが記されている。

 「スペイン外のほとんどの者がまだ理解していないグロテスクなことは、共産主義者が一番右寄りで、自由主義者よりも熱心に革命支持者を追跡して捕らえ、一切の革命的考えを踏みにじったという事実だ」

 その幻滅が後年の彼に『動物農場』を書かせ、『1984』を書かせた。

カタロニア讃歌 (岩波文庫 赤 262-3)

https://x.gd/TozE7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?