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吉本隆明の疎外概念

 それはおそらくマルクスに由来する。『経済学・哲学手稿』の一文を引く。
 「人間の肉体的および精神的生活が自然と連関しているということは、自然が自然自身と連関していること以外のなにごとも意味しはしない。というのは、人間は自然の一部だからである」
 つまり疎外とは、自然の一部でありつつ、ひとつの精神でもある人間の矛盾だ。精神すなわち意識は、意識的存在以外の何ものでもなく、存在は意識なくばただの存在。そこまで詰めれば、存在が意識を規定するという解が導き出され、それが「下部構造が上部構造を規定する」というマルクスの言葉になる。
 吉本はそう読んだはずだ。そこから考えを広げていった。彼の『共同幻想論』は、人間が頭の中でく組み上げた法や国家と、彼が生きる現実の社会や自然との逆立疎外について論じたもので、それはテクノロジー市場の進歩史観を否定している。吉本はこう言う。
 「科学が発達し、技術が発達し、未来が描けるというような考え方というのは、ほんとは部分的なものにすぎないのに、それが全体性だと思っているところが一番問題になると思うんです――社会の経済的な、あるいは生産的な、あるいは技術的な発展というものと別に人間の幻想というものが同行するわけでもないし、それはひっくり返ってみたり、逆行してみたり、対抗してみたり、また先に進み過ぎてみたり、いろんなしかたがありうるわけです」
 この吉本にだれかが「現代左翼の条件は?」と聞いた。答えは
 (一)すべてを疑うこと
 (二)天然自然よりもよい自然は造ることが可能と考えること
であったという。


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