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【書評】与謝野晶子訳・注解 紫式部日記

 「今自分のいる部屋というのは、黒く煤けた一室で、十三絃の琴と七絃の琴とか時々弾かれるものでありながら、自分の不精からアメの二には気をつけて琴柱を倒しておけと侍女達に命じることもしないでいるので、塵がいっぱいに積もっている。琵琶はまた置棚と柱のうしろへ上のところを突込んだまま一つは右に倒れ、一つは左に倒れている。大きい一揃いの置棚の上へ隙間なしに置かれてあるのは、一つの方は歌書と小説類の古い本で、もう紙魚のすのようになっている物ばかりであるから、手に取ると離れ離れになって散乱する恐れがあって開いて読もうとする者もいない。片一方の棚はそこへ漢文の本ばかりを選って積み重ねた良人が亡くなってからは、それにも手を触れる人が別段なくなった」

 そんな場所で式部は『源氏』を書き綴った。作家の部屋はこんなありさまで、作家の心情も日常の煩いごとの範囲を超えない。だが仕事はたしかにそこでなされた。
 晶子はこう語っている。

 「紫式部日記は、同じ作者の源氏物語のように洗練された文章ではなく、ほんの徒然の慰めに書いた物にすぎませんけれど、天才紫式部の日常生活とその思想感情とを直接にしろうとするには、この書によるほかはありません。道長を中心とする平安盛期の文明生活を知る史料としてもまた一つの宝庫です」

 たしかに式部は宮中作家だった。女官であり、その生活は皇位性のメカニズムに律された。ハーレムでの継子産出。天皇に娘を差し出す貴族。皇子を宿せば官位もついてくる。すべての宮廷人が縁故と血筋をめぐって策動する世界だ。書かずにはいられなかったろう。それが残った。千年の時を経て。

与謝野晶子訳 紫式部日記・和泉式部日記 (角川ソフィア文庫) 文庫 ? 2023/6/13

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