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ル・コルビュジエの遺物

 「わたしは多くの国々に行き、多くの人々と語り合った。わたしには理念があり目的があった。わたしは多くの病める声を聞いた。貧困があり階級があり差別があった。わたしは解放の唯一の道を説いた」
 この言葉は革命家ではなく建築家が発したものだ。彼の名前はル・コルビュジエ。強い社会変革の意思を持ち、それを建築によって具現化しようとした。その彼が労働者のための集合住宅を設計することになった。
 マルセイユに<ユニテ・ダビタシオン>が建てられたのは1953年である。広さ3.5ヘクタールの丘陵地に、長さ165メートル、幅24メートル、高さ56メートルの巨大な「巣箱」が出現した。337世帯1600人がそこに住んだ。
 それは今日、硬直化したモダニズムの遺物となっている。「建築は住む機械だ」とコルビュジエは言い、最新のテクノロジーをそれに注入した。その結果、居住者たちは巣箱に封じ込められた。
 「住む機械」は数理と企画に律された空間となり、家族の生活を解体させ、コミュニティを縮滅させた。思想的には左翼を任じていたコルビュジエだったが、建築と権力の類縁には全く無自覚だった。
 彼の仕事をさかのぼれば、代表作と言われる「サヴォア邸」の官製は1931年のことだった。パリのロイズ海上保険会社に勤めるサヴォア氏が、夫婦の週末住居を郊外にと依頼した。その住まいは「水晶のように純粋で、効率的で、健康で、気品があり、静澄なひとつの道具」であることを求められたのだが、夫妻は「とても住めたものではない」と訴訟を起こした。
 彼は何者だったのか?労働者にもブルジョワにも奉仕できなかったこの男はいったい何をしようとしたのか?

ル・コルビュジエ:みずから語る生涯 | ジャン・プティ, 田路 貴浩, 松本 裕 |本 | 通販 | Amazon

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