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53 日本地図と京都丹波の話

ふと

たしか

日本地図完成させた

ってことは、

この辺りにも来た形跡があるはずやんなー

って思ったのが始まり

伊能忠敬さん

しっかり来てたがな

疑ってすんません。🙇

ふるさと亀岡の道P9参照

亀岡に来た時69歳!

日本地図作ろうと思い立った

パイオニア精神

かっこよすぎ👍

最初は日本地図作成が個人事業だったそうな(笑)ロマンに溢れとるな

『篠山から園部町埴生で宿泊し、東本梅赤熊から亀岡に到着です。』
って篠山から飛脚を使って連絡している

篠山はしっかり地図まで作成してた

この前たまたま篠山行ったら発見💡

アンテナ立てると発見できる法則は間違いない(笑)普段ならシースルー

ここのバイキング待ってたら👆発見


亀岡に泊まった時のお品書きもしっかりあって、亀岡の飲食店で是非復元して欲しい

京都丹波人も日本地図作成にしっかり協力してたと思うと、日本地図にさらに愛着湧くなー

伊能忠敬は自分の歩幅を計測し、毎回同じ歩幅で歩けるように訓練した上で、歩数から指定区間の距離を計算していて一歩の歩数は69cmだったとそうな

天文学を勉強していたそうで、夜は天体観測したと書いてありました

そして、やはり計測には数学がつきもの

忠敬の地図作成メンバーにいたのが算聖 関孝和を開祖とする一大流派、関流のメンバーたちがいたから地図が完成したといわれているそうな

小さなワクを広げて
ワクワクにして
ワクワク✖️ワクワクになるように
ワク算するかは現代社会の若者たちに
必要な流派かもしれない

学歴なんどうでもいい
楽歴と楽力ある人に惹かれてきた

最近影響受けたのは岡本流

〜トラブルに巻き込まれた時は
上から自分をみる
すると、解決の道が見える〜

大きな壁に見えても
俯瞰で見たら、壁に近すぎるだけやった
みたいなことはほんとによくある

96歳でまだまだ楽しみあって
寝る前に色々妄想するそうな

師匠まだまだ学ばせてください🙇

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