雇い止めされた

医療系の研究施設で働いている。身分は派遣社員だ。任されたミッションは重い。老朽化した施設の不安点を洗い出し、その解決策を模索するのだ。これが赴任当初から僕に課せられた職務なのである。

例えば、村にある老朽化した信号機。それを壊れる前になんとかしたいとする。その場合、予算をつけて付け替えることがセオリーだろう。

だがそれでいいのか疑問は残る。予算を付ける程のことなのか。そこから問い直す価値はあると思う。

そもそもだ、信号機は何のためについているのか。答えはその交差点での事故を未然に防ぐことだろう。つまりは事故を未然に防ぐことが出来れば信号機でなくてもいいわけだ。

交通量が少ないのであれば、信号機を廃止にしても都合はいい。むしろそうするべきだ。信号機は直さず、代わりに一時停止の標識を掲げれば良いのである。

そんな意味合いの案を上長のマスオ課長には提示した。もちろん複数の別案を用意することも忘れない。一灯式信号機にする案と、右折を禁止にしてロータリー式の交差点にする案も提示した。

わけの分からない例え話で申し訳ない。だがしかし僕もサラリーマンだ。いろいろと察してもらえるとありがたい。

マスオ課長は迷うことなく一時停止の標識案に賛同してくれた。さっそく上にあげるという。おそらく施設改修を見込んだ予算が組まれていたのだろう。だがこの案が通れば人件費だけで済んでしまう。これが僕の狙いだった。いたずら心が騒いだ結果なのである。

そして案は通った。やるべきことは各部屋の再調査と書類作成。それはすべて僕の仕事となった。すこし時間は掛かったがすべて上手くいったのである。

この件で増えた仕事はあるが、それも手軽に誰でもできるようにデザインしておいた。おそらく僕の派遣元である委託会社の仕事になるからだ。

再調査と書類作成。その件で多くの人に関わり、そして喜んでもらえた。また、オーナー会社の大事な書類に僕の名前が多く掲載された。大変恐縮である。噂はすぐに広まった。『あのタモツ君を上手く使ったらしい』。

デジャヴであろうか。どこかで聞いたことのある類の噂話である。僕の上役であるカツオ兄さんの株があがったのだ。

上司の手柄は上司のもの。部下の手柄も上司のもの。でもそれでいい。それですこしでも恩を返せればこちらとしても御の字だ。

しばらくするとオーナー会社の”わけあり社員”がカツオ兄さんの下に集まってきた。やはり彼は無口である。高学歴なのだが、ひたすら鈍くさかった。かわいく小さなお姉さんもやってきた。彼女はこちらが恥ずかしくなる程のあざとさを抱えていた。

僕は彼と彼女のサポート役となった。正直しんどい。彼は一生懸命なのだが、いまいち空回りしている。彼女はとろいが優しい。他部署の男性社員からの評価は高い。けれども僕と二人っきりになると彼女は豹変する。高圧的な姉貴になるのだ。

女性は怖い。もといめんどくさい。おそらく僕は口が固いと思われているのだろう。そのとおりだ。怖くて彼女の真の姿は誰にも言えなかった。

派遣社員も増えた。こちらはお姉さん2人。1人は英語ペラペラのキャリアーウーマン。海外から訪れた見学者の通訳もこなしていた。でも、かなりつんつんしている。

だが、僕にはいっぱい喋ってくれた。世間話を永遠と聞かされる。あまり興味を持てない話を永遠と。僕は相槌しかうてない。けれどもそれでよかったみたいだ。いつも話最後に「ありがとー」と言ってくれる。お役に立ててなによりだ。

もう1人は美人な人だった。多くの部署を掛け持つスーパーサブ的な位置に着いていた。礼儀正しく言われたことは嫌な顔せず淡々とこなす。

けれども彼女も裏の顔を持っていた。僕の縄張りである実験室での振る舞いを、多くの人は知らない。「タモツ君でんわー」。電話が鳴ると、一番遠くにいる僕を顎で使うのである。

結局ワカメ姉さんが一番やさしかった。たまにお菓子をくれる。夏の暑い日にはアイスをくれたこともあった。事務室にある僕の机も定期的にきれいにしてくれる。”カビぱん”事件のあとずっとだ。感謝してもしきれないのである。

そんな平和な日も長くは続かなかった。派遣社員の雇用が無くなるらしい。噂ではマスオ課長が関西弁の部長に怒られたそうだ。「派遣に頼り過ぎるな」と。

考えてみればそうだ。他の2人は分からないが、僕はここで色々と成長させてもらった。オーナー会社からしてみれば損失である。外部の人間を育てたのだから。そこは社員を育てるべきだったのだ。

噂は本当だった。派遣社員の再契約はされなかった。ただ、次の職場が決まるまではそのままここで働いてもらうという条件も付いていた。さすが一流企業である。

それでも派遣社員は任期満了で1人づつ減っていった。派遣社員のお姉さん2人は「めんどくさーい」とは言ってはいたが、オーナー会社に恨み辛みの類は無いようだった。そして最後に残ったのは僕である。たまたま契約期間が一番長かったのだ。

僕も契約が切れても派遣元の正社員なので痛くもかゆくもない。仕事だってある。同じ施設のお掃除係に戻るだけだ。とくに未練もない。やるべきことはやりきった。良い経験をさせてもらったと思っている。

そしてうちの会社の営業部の部長がやってきた。おそらく異動の話だろう。今回は密談もしない。居室で皆がいる前で行われた。本当か嘘か分からないが、マスオ課長は僕に対して未練があるらしい。ここで働いていたら顔を合わせることもあるだろう。だから異動してみたらどうかという話だった。

実は行ってみたい事業所があった。そこは陸の孤島と呼ばれているところだ。かなりの田舎。観光地だが人口は少ない。おまけに独り現場という。喋らない奴な僕にとって相応しい仕事場と思っていた。

ダメもとで部長に言ってみた。おどろく部長。係長も言葉を失う。周りの人もドン引き。すこしの沈黙の後、部長は静寂を破った。「いってみるか」。係長も続けて言葉を発する。「タモツ君ならどこ行っても大丈夫」。

こうして僕の異動が決まった。次は独り現場だ。しかも初の独り暮らし。不思議と不安はない。わくわくしかないのである。

その後、派遣元と派遣先で別々に送別会を行ってくれた。だがしかし僕の気持ちはすでに陸の孤島に行っている。人生がこんなに楽しさで溢れてていいのか? 不安があるとすれば、その思いだけであった。この楽しさが怖いのである。


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