勉強の意味が分からなくなった17の昼

お掃除系の会社で働いている。毎回このワードから始まるタモツの物語だが、いまいちどこのワードに注目してほしい。お掃除"系"の会社であって、お掃除会社ではないのだ。

その実態は医療系の実験補助業務を請負う会社なのである。基本的には誰でも可能なお掃除系の仕事なのだが、稀に専門的なスキルを要する仕事を任されたりもする。

詳細については物語が進む中で明らかにしていくつもりだが、ここでは一つだけその内容に触れておこうと思う。

資格が存在するのだ。とは言っても国家資格ではないので、持っていたら何かができるという代物ではないのだが、ある一定の知識と技術は持っているという証明にはなるので、会社でも取得を推奨している。

実は資格取得のために定期的な勉強会も実施されていた。これが苦痛でたまらない。僕は勉強が苦手なのだ。それは単に”嫌”ということもあるのだが、テスト勉強自体を無意味だと思ってしまう節もある。はじめてそう思ったのは17歳のときだった。

中学生時代の成績は中の下。そのため高校は地域の下から二番目の公立校へ入学。ヤンキーもいた。入学そうそう廊下で消火器をぶっ放す奴がいるような高校だった。

成績は中の中。けれども僕は落ちこぼれであり優等生でもあった。高校2年生の時、はじめて赤点を取ってしまったのである。

教科は英語。次の試験でも赤点を取ったら留年が見えてくる。さすがにやばいと思い必死に勉強した。3日間ほど。英語のみ。平日はもちろん休日も。寝る間を惜しむほどの勉強時間ではなかったが、起きてる時間はテスト勉強に費やした。

おかげで赤点は免れた。けれども平均点には及ばず。成績が優秀だった友達は言う。「勉強の仕方が悪いんじゃない?」。

けれども、そのときの僕の数学の点数は98点でクラストップ。テスト勉強はしていない。授業中はノートもとらずに先生の話を聞いたり教科書を読んでいただけだ。

頑張った教科は平均点以下で、頑張らなかった教科はクラストップ。友達のくれたせっかくの言葉も、耳には入らなかったのである。「勉強ってなんだろう」。

いつも数学の点数が良いわけではない。10点台のときもあった。そもそも数学は好きではない。物理と化学の方が好きだった。けれどもその教科も高得点のときもあれば低得点のときもあった。

周りは大学進学を勧めてくれてはいたが、僕はやめることにした。科目の選択制の影響で「生物」だけは手つかずだったので、それを学ぶために専門学校への進学に変更。大学でそれを学ぶためには偏差値があまりにも足りず、それを乗り越える覚悟も無かったからである。

専門学校は楽しかった。結局物理学や化学よりも生物学が好きになった。あいかわらず語学は駄目で、ついには学年ビリの称号も手にしてしまった。追試で落ちたのは僕だけのときもあった。もちろん裏では化学系のテストで学年トップをとっている。テスト勉強の仕方も高校時代と変わらなかった。

僕がテスト勉強自体を無意味だと思ってしまう理由はこれだ。受かるテストなら勉強しなくても受かる。逆に落ちるテストはいくら勉強しても落ちる。

幸いこの資格試験は勉強しなくても合格できそうなものだった。法令だけ覚えれば満点も狙えそう。得意な生物学、細胞工学、微生物学、遺伝子工学、免疫学あたりの問題が占めていたからだ。

これは天から僕への贈り物だと思っている。人と上手く喋れない僕への贈り物だと。案の定、試験はすんなり合格した。社内での合格率は約80%。残りの20%に入らないで済んだのである。

この資格を持っていることも、オーナー会社への出向の条件に入っていたそうだ。そう、僕は出向する。委託業務から派遣業務へ切替わり。このために会社は派遣業の資格を取ったそうな。

そして今まで僕に良くしてくれた先輩たちを、今度は使う側に回るのだ。大変恐縮する。

高校生のときに聞かれた将来の夢には「白衣を着る仕事」と適当に答えていたけれど、それも現実に。専門学校生のとき、成績優秀な人は実験補助の仕事に就いたけれども、僕もそこへ。

すべては天から僕への贈り物のおかげなのである。

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