たもさん@人生は死ぬまでの穀潰し

プロコーチ。自分ひも解きセッションを生業にしています。興味のある方は連絡ください。 ネ…

たもさん@人生は死ぬまでの穀潰し

プロコーチ。自分ひも解きセッションを生業にしています。興味のある方は連絡ください。 ネガティブ・ケイパビリティを生きる。

最近の記事

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」をアマプラで見て、妖怪について考えてみた。「妖怪は人間から責任を押し付けられるための存在だった説(思いつきの自論)」

オレは妖怪が好きだ。妖怪はなんの役にも立たない。たまに悪さをする。無数の種類がいる。 子供ながらに水木しげるの妖怪事典を見ながら、「妖怪あずき洗い」の絵は目のぎょろついた頭のハゲたジジイが川で小豆を洗っているだけの絵だったし、「妖怪まくら返し」は朝起きたら枕が足元にあるのは「まくら返し」の仕業であるというだけだった。 「妖怪〇〇」と頭に妖怪とつけないとまったく妖怪の名前とは思えないもの多かった。 「妖怪垢なめ」「妖怪油なめ」「妖怪天井なめ」、、、なめているだけの妖怪たち。

    • Dragon AshのDeep impact を急に朝から聴きたくなった。

      20代のとき巷で大流行りしていた。ラップ界のことは今でもよくわからないが、山嵐もなんとなく聴いていた。社会を、常識をぶち壊してくれそうな彼らの曲に救いを求めていた。 今日こうしてDeep impactの音を聴きたくなったのも、何かそんな思いが出てきたのかもしれない。 彼らの曲とセットで思い出される映像がある。それは北九州市の小倉の夜の風俗街だ。当時は年に1〜2回小倉までドライブに行っていた。お金がなかったから風俗に入ることは滅多になかった。 夜、車で1時間以上かけて小倉

      • 怖れや不安はない。興味関心からくるワクワクがあるだけだ。コンフォートゾーンはただの幻想。

        失敗するかもとか、うまくいかないかもかもしれないとか、できないかもということを動物や小さな子供たちは考えていないように思う。基本的にうまくいく、できるという前提で動いているように見える。 思考より先に行動ありきで、そもそも失敗も、うまくいくも、うまくいかないも存在していない。 まずは行動する、維持・継続する、繰り返す、やり直す、再挑戦する、やめて違うことをする、飽きて違うことをしているように思う。 彼らは不安や心配などの思考をしない。 コンフォートゾーンが広いんじゃなくて

        • それだけで十分なのかもしれない。

          朝散歩という名の、夜明け前のスロージョギングを毎日の習慣にしている。 ときどき走っていると急にテンションが数分から数十秒くらい上がるときがある。高揚感、幸福感、すべてを肯定したくなるような気持ちになる。そのままの気持ちよさをそのままウッファーっと感じる。 自分が気持ちよさそのものになっている感じだ。 走りながら両腕を広げ胸を開き、空気をいっぱいに吸い込むと同時に血液が身体中、とくに上半身に流れ込む。ホルモンが勢いよく巡っているのがわかる。たぶんアドレナリンやドーパミン、セ

        「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」をアマプラで見て、妖怪について考えてみた。「妖怪は人間から責任を押し付けられるための存在だった説(思いつきの自論)」

          時間の輪郭がぼやけるとき、さっきまでのあれは本当にあったのだろうかと確信が持てなくなる。

          夜明け前の散歩ジョギングから帰ってきて、部屋でストレッチをしリラックスしているとき、ふと、さっきまで走っていた現実が幻想のように思えた。 昼間の暑さに慣れてきた体は、逆に朝の冷え込みに対応できなくなっている。数週間前は朝の冷んやりとした空気が心地よかったのに、ここ数日は寒いと感じ体を早く温めようと走るスピードを上げる。 スピードを上げると多少きついが、体力がついてきたのか数分間はそのスピードをキープし、そしてスローペースへと戻す。 寒さとキツさのストレスを味わいながら、い

          時間の輪郭がぼやけるとき、さっきまでのあれは本当にあったのだろうかと確信が持てなくなる。

          アニメを見ているとき、生きていくことがめんどくさいとか考えていない。それは集中しているから。その瞬間にいるから。

          オレは何度も、いつも言っていることだけど、生きていくことがめんどくさくて苦痛だ。自分が存在してしまっているということに残念だと思う。とはいって希死念慮はあるが、自分で積極的に人生を終わらせたいという気持ちは毛頭ない。 だから人生を、めんどくささを、苦痛をどうにかやり過ごす方法を見つける必要がある。とにかくひたすらいろんなことを学び、もがき実践してきた。知識もスキルも能力も経験も確実に積み上げ、少しずつその答えに近づいている感触はある。 あるときAmazonプライムでアニメ

          アニメを見ているとき、生きていくことがめんどくさいとか考えていない。それは集中しているから。その瞬間にいるから。

          オレの中で起こっている様々な現象を全部バラバラの生きものとして捉えたら

          動物たちの行動はとてもシンプルで理にかなっているように感じる。カラスやカナヘビ、蝶々やダンゴムシ。 それに比べて人間は複雑だ。というか面倒だ。素直ではない。 脳が発達し過ぎたせいで、高度な思考が生まれ、言葉がつくられ、時間がつくられ、意味がつくられ、意志がつくられ、責任がつくられ、恥がつくられ、いろんなものがつくられてきた。 しかし、動物も人間も同じ生きもので、目的は一緒のはずだ。それはできるだけ死なずに生き延びること。そのために痛い目にあわないようにすることだ。 そも

          オレの中で起こっている様々な現象を全部バラバラの生きものとして捉えたら

          オレは文章を書くとき、それを読むかもしれない誰かを考えてしまうと、何も思いつかなくなる。

          誰かに何かを伝えたくて文章を書いているのかもしれないけど、文章を書いているときは兎に角「伝わる/伝わらない、意味がわかる/わからない」は置いといて、思いつくがままに筆を進めないと1行も書けない。 いまそれに気づいてようやく筆が進み出した。 それまでの1時間ちょっと、1行を書いては消し、書いては消していた。自分が何を書きたいのかわからなくなっていた。 「こんな支離滅裂な文章を書いても伝わらないぞ。」「書こうとしていることが抽象的すぎて誰にも理解されないぞ」、と読み手を想定し

          オレは文章を書くとき、それを読むかもしれない誰かを考えてしまうと、何も思いつかなくなる。

          思考、感情、衝動、行動(肉体)を同一化させない。別々の生き物として扱う。

          夜明け前4時15分に目覚ましに起こされる。「起こされる」と言っても自分でセットしているのだが。「眠たい。明日から4時半起きにしようかな。あと15分だけ寝たい」と思考や衝動に誘惑される。 頭でそんなことを考えながらも、もうひとりの自分である身体は、目覚ましを止め朝の決められたルーチンを進めていく。 目覚ましが鳴ると3秒以内にはテーブルの上の目覚ましを止める。部屋は暗いままテーブルの決められた位置に前日から用意しているサプリを水で流し込む。その間30秒から50秒。その頃には誘惑

          思考、感情、衝動、行動(肉体)を同一化させない。別々の生き物として扱う。

          聞こえている音、見えている映像、皮膚が感じている感覚、体の内部の感覚、考えていること、これらの実体に違いはあるのか?

          夜、明かりを消した部屋で布団の上に結跏趺坐(けっかふざ)で座り、肩・首・肩甲骨のストレッチを日課にしている。ストレッチをしながら五感から入ってくる刺激に意識を集中していた。 家の前の道を走る車の音が聞こえてきた。 そのときふと思った。 聞こえている音ってなんだろう? 聞こえているってなんだろう? “音”が“聞こえている”の両方ともの実体が、そもそもつかみどころがない。 目を閉じていても、見えている暗闇やチカチカしたものや明暗のグラデーション。この見えていると思ってい

          聞こえている音、見えている映像、皮膚が感じている感覚、体の内部の感覚、考えていること、これらの実体に違いはあるのか?

          肉体からくる感覚からすべてははじまる。オレはそれを言葉にするために文章を書く。書くことで生み出されていく自分。

          オレの口から発せられる音声としての言葉と、頭の中で思考している言葉が違うことが多い。音声の言葉と頭の中の言葉が同じ方向性なら問題はないが…。 人と話していて、自分が声にした言葉が“自分のものでない”と感じるときがある。ぽろっとオレの口からこぼれ落ちたその何気ない言葉に対して、“誰が喋っているんだろう”と思うときがある。 肉体の外で起こった出来事を五感が感知して、その情報が脳に送られる。その情報を無意識が処理する。脳は危険か安全か、快か不快か、損か得か、好きか嫌いかなどを、

          肉体からくる感覚からすべてははじまる。オレはそれを言葉にするために文章を書く。書くことで生み出されていく自分。

          野良猫たるもの

          夜明け前にジョギングに出る。コースはいつも同じだ。東の空がいつも視界に入る農道をジョギングのコースにしている。車が真横を走ることはなく、心地よくリラックスして走ることができるお気に入りの道だ。 アスファルトで舗装された農道に入って数メートル、農道端の草に野良猫が丸くなって寝ていた。身を隠す壁もなければ、朝露を凌ぐ天井もない無防備で寒々しい場所で、野良猫たるものが寝ていた。 1メートルとない至近距離でその野良猫に気づき足が思わず止まった。その野良猫は白地に茶トラ色の大きな丸

          ダンゴムシはなぜコンクリートの上でひっくり返り死んでいくのか?

          ダンゴムシが軒下のつるりとしたならされたコンクリートの上で、ひっくり返り起き上がれなくなり死んでいく季節がやってきた。 無数に足のあるダンゴムシがそんなところでつまずくはずもないと思うが、なぜそんなに多くのダンゴムシたちがひっくり返り死んでいくのか不思議だ。 自殺願望のあるダンゴムシが、敢えて自らひっくり返り死にゆくとは思えない。そもそもひっくり返り返ったダンゴムシは、うつ伏せになろうと必死にもがきつづけている。そして力尽きて死んでいく。 オレはいつも息のあるダンゴムシ

          ダンゴムシはなぜコンクリートの上でひっくり返り死んでいくのか?

          すると決めているので雨が降っても朝散歩。どうするか考えると迷う。迷うとだいたいしない。だから考える余地を与えない。

          雨音が聞こえる。雨が降っている。しっかりとした雨だ。しかし土砂降りではない。土砂降りでないのなら朝散歩をすると決めているから、迷わずに外に出る。 いつもと違うのは化繊のハーフパンツに履き替えることと、濡れてもすぐに乾くシューズを履くこと。小雨なら傘を差さずにスロージョギングだが、傘があるときは早足散歩になることぐらいだ。 「雨の日は嫌だなぁ」という気持ちはまったく起こらない。雨の日には雨に日にしか出会えない風景がある。肌感覚、音、景色、匂い。そこから出てくる思考や感情、衝

          すると決めているので雨が降っても朝散歩。どうするか考えると迷う。迷うとだいたいしない。だから考える余地を与えない。

          自動化された身体の動きの完全さに憧れ、思考もそうであって欲しいと願う。

          多くの人がまだ寝静まっている朝4時半に起きる。不思議とアラームのメロディが最初の音から聞こえている。まるでアラームが鳴る前から起きているかのように。 3秒後には布団から出て、這ってテーブルの上にあるスマホを手に取りアラームを止める。 眠たいという思考が出てきても0.01秒で無視する。「眠たい…」と感じる時間を与えない。だから「もう少し寝ていたい」と一切迷わない。少しでも考えると誘惑に負ける可能性が格段に大きくなる。 思考停止。全自動。自分を単純な作業をする機械と化す。

          自動化された身体の動きの完全さに憧れ、思考もそうであって欲しいと願う。

          夜明け前があまりにも美し過ぎる。地球のどこかで常にこの美しさが生まれつづけている奇跡

          暗闇の中にポツリと浮かび上がっている街灯に照らされた小さな空間。 夜明け前の淡いオレンジから透明な水色、そして藍色へとグラデーションしていく空。 アオサギが古代の翼竜のように低空を優雅に流れていく姿。 鳥たちが夜が明けることに歓喜し、自分の歓びで世界を埋め尽くそうと鳴き叫ぶ音のシャワーを浴びながら、スロージョギングをする。 冷んやりとした、少し湿り気のある空気を顔で感じ、やっぱり今日も早起きをして外に出ることができて良かったと思う。 夜明け前のこの瞬間は、いましかないと

          夜明け前があまりにも美し過ぎる。地球のどこかで常にこの美しさが生まれつづけている奇跡