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IDENTITY AS AINU 文様の意味

 樺太アイヌの祖父が亡くなって5年以上経つ
2015年くらいから立て続けに祖父母3人が旅立っていった。グレーの瞳で、骨太でがっしりとした体格で日本人と言うよりも、北の欧州地域のご老人と似ていた。

火葬した後に、火葬場の方に
"しっかりした立派なお骨ですね とても珍しいです。 "

と言われたが、火葬場は何度か立ち合って来たけれど
たしかにボロボロになってる骨もないし、THE BONEって感じで日本人とは思えない,しっかりしたお骨だなぁと感じた。

 隠しても、見た目で日本人っぽくないって言われちゃってきた。それは祖父たちや、母の家系の皆に言えることであるが、いじめられるからと歴史を教えられず
自分達が何者なのか?を知らずして旅立つのは悲しい。

しかし、確実に自分の血液に混じる"民族の意思"みたいなものは、きっと有ったのだろうと思う。

TATOO 文様 民族文化


今年、ふっと通勤の際に目に留まった
大島托(おおしま たく)さんのTATOOの写真。
(トップの写真も展示の一部)
瞬時に心を掴まれた。
子供のころに民俗が物凄くカッコいいなと思っていた。
ヨシダナギさんの写真とかも好きだし、民族文様をTATTOOで入れてる写真などもよく見てきた。

 アイヌのTATTOO文化も、きちんと教えられることはなくて、女性の口の回りに入れる刺青を知ったのも数年前だ。
それまでは若い頃は、アイヌ文様が単純に可愛い! と感じつつ、自分のIDENTITY を示すもののような気がして、時折アクセサリーを身に付けていたくらいだった。

"時折アクセサリーを着けていた"
というのは理由がある

アイヌのネックレス


20代前半だったと思うが、私はカメラで撮影をちょっとだけしていた時期があって、沖縄に撮影にいかないか?と言われた。当時は札幌に居たので、喜んでYES!
 と高須クリニック!ばりにノリノリで参加することにして、気合いを入れていたのだ。

そして機材チェックを出発の一週間くらい前にしていたら、カメラのシャッターが下りなくなってた。
中古のNikonのカメラだったので、購入したお店に持っていくとオジチャンが、『うーん?すぐには直らないね。』と言ってきて、修理に出したのか?
たしか何とか直った様な気がしたが…
 
記憶が曖昧なのは、その帰り道の出来事のせい。
自転車に乗っていたとき、私が身に付けていたアイヌのペンダントがぷちーーーん!と突然切れたのだ。
どこか軽く引っ掻けてしまったのか?? やんわりとしか覚えてないのだけど、こんなことでちぎれる筈がないと思って『なんだか不吉だな』と強く思った。

ペンダントが しかも大事なアイヌのペンダントがちぎれたなんて、後にも先にもこれくらいで
それくらいビックリした。

これは撮るなって言ってるのかしら?とも思った。

沖縄で訪れた場所

1週間後に沖縄に行く事になって、撮影の依頼主さんがレンタカーをしていろんな場所で撮影をしたりしてたのだが、当時は沖縄って戦争があった場所という印象が強かったけど、琉球王国とかユタとかそういう知識はほぼなくて御嶽とかも出来るだけ行かないでおこうと言うくらいしか知識はなかった。

後で行った場所の名前を知ったのだが、依頼主さんが
浜比嘉という場所に車で向かった。
沖縄本島と海中道路で繋がっていて、晴れた日で物凄く綺麗で!海の上を走る光景に感動したものだ。
   しかし、その途中で朽ちたバス停みたいなものがあって…不気味だなと思いつつ『入らせて下さい』と車中からお願いをした。
  浜比嘉に着いて海に少し飛び出している島に行こうと言われたので、やっぱり『写真を撮らせてください』と心でお願いをしてそこに向かった。
   海に飛び出た小島は歩いて入ることができて、ビーチから2分ほど進むと、白い大幣が飾られている場所があったので挨拶をさせて貰った。

うーん なんだかでもいい気持ちはあまりしなかったというか、なんだろう?とは思いつつ口にも態度にもださず、写真を撮ってその日を終えてホテルに戻った。

私は夢を見た

その夜だった。私は夢を見ていた。
あーーーーーー と夢の中で私は思っていた。
やってしまったなと思った。

白い何もない空間で、また人が争っている夢だ。
この夢を見ると大抵よくないことが起きる。
 やっぱり来ては行けなかったのか?と思って
うーーんと夢の中で思いながら目を覚ますと、
物凄い寒気がして  熱を測らせて貰うと40℃近い熱が出ていたのだ。

救急で沖縄の病院に連れていって貰い、点滴などを受けて、一週間くらい沖縄に居る間に何度か病院に行く事になった。しまいには沖縄から札幌に帰る飛行機で、飛行機中で熱が上がって座れなくなって羽田で下ろされた。医務室で点滴の刑になり、羽田に泊まるわけも行かないので札幌に帰ったが代償で中耳炎にもなるという散々な感じだった。

現像

札幌に戻って数日間で、体調がぼちぼち回復して
やっと会社に行けるようになった。
当時は撮影場所があるような会社にいたので
スタジオにカメラのアドバイスを貰ってたり、フィルムを見て貰ったりしていたので、沖縄で撮ったフィルムをそこでチェックをしたところ、浜比嘉で撮った写真だけが真っ黒になって撮れてなかったことが解った。
 浜比嘉の前までが普通に撮れているのに、浜比嘉だけが撮れていない。。。

やっぱり撮ってはいけなかったのだなと反省し
アイヌのネックレスがやはり何かを教えてくれていたのだと強く感じた。 今となっては、アイヌの文様が魔除けだったりする事もあるというので、やはり守ろうとしてくれていた気がする。

ちなみに、その時に撮影した写真だが全国的なコンペで
かなりいい成績を残して、物凄いビックリした。

文様の意図

それ以降、あまり大切なアクセサリーは着けないようにしてる。なぜならそれ以降も大切にしていたパワーストーンの数珠が突然プチーーーンと ちぎれてしまったり何度かしているのもある。なんとなくこれは力が有りそうって思ったものが、大抵壊れてしまう。

生前、祖母が『水晶だと霊が寄ってくるから木念珠の方がいいよ』と言って木念珠をくれたのは、あながち間違いでもないのか?と思って、現在はパワーストーンの数珠と木念珠と1つづつ合わせて着けている。

ここ1年くらいは誰に言われた訳でもないのだが、
万が一ブレスレットに守って貰っても、自分が強くないと意味がないかも?と思って 何も着けない日も増えた。

それにしても、私がアイヌの血をひいてるから
あのネックレスは私に何かを伝えてくれたのだろうか?
純血の日本人が着けていたらどうなんだろうか?
同じように持ち主を守ってくれるのだろうか?

そう考えると、民族に引き継がれるTATOO文化というのは、自分の民族のIDENTITYを示すだけではなく、民俗が長年引き継いできた願いや、種を存続させるための守りの呪術的文様の一面も少なからずあるのでは?と感じる。

TATOOは時と共に身体の一部となり、その人の個性となり、また民俗の証となり、その人たちを守り続けたりしているのではないだろうか?
私は温泉さえ入れたら、TATOOは迷わず入れる。
きちんとAINUの文様を入れる。 
 IDENTITYとして、TATTOOを入れてる人も居るのだから温泉に入れて欲しいと幼稚なことも書いてみるが
TATTOOについて考え直していい時代になったと私は感じてる。



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