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昔の暴力教師

これまで自分の体験、中学での不登校を書いてみたのだが、先に述べたように当時の社会は子供の福祉や人権なんて、あまり考えてなかった気がする。 まあトシがばれるので大雑把な記述になるが、許していただきたい。 日本刀に使う鉄は叩けば叩くほどよくなるものだが、それをまねて 「子供はたたけばたたくほどよくなる」 という信仰に似た考えが、社会の中にあったのではなかったか? 僕の通っていた中学では校内暴力という生徒側からの暴力が盛んだったが、一方で体罰と言う教師側からの暴力も盛んだった。

    • 今の子供たちの将来?

      もう人の親くらいの年齢になると、子供の気持ちなんて本当に分からなくなる。最も自分は親ではないし、子供もいないけど。 けど、自分が子供だった頃の記憶は絶対に忘れない。 うつになってからもう10年以上になるが、当時の記憶が大人になってからの嫌な記憶をプラスされ、毎日のようにぐるぐると頭の中をめぐり回る。 本当は忘れて快適な人生を送りたいのだが… で、話は不登校(本当は忘れたいのだけれど、未だにこだわり続ける)と、今の子供は大変だなぁという話になります。 現在の不登校児童・生

      • クラス替えで人生詰んだ 10.卒業後

        中学3年へ進学しても2年同様に様々なことがありましたが、ここではあえて省きます。 3年になっても学校へは行ったり休んだりと、不登校は続いていました。 不登校に対し後悔はありません。ああいった環境ならば、なって当然です。 もしあったとすれば(以前にも述べたが)中学入学時に私立・国立中学の存在を知らず、受験しなかったこと。 不登校になって、他校への転校を申請しなかったこと、です。 自宅が市域の端にあったため、どうしても他の市町へ越境通学になってしまい、不可能、もしくは面倒な手

        • クラス替えで人生詰んだ 8.いじめ自殺事件

          これまで自分の年齢が分からないよう、年代についてあいまいな表記にしてました。 けどこの事件について書けば、知ってる人なら年齢がばれてしまいます。 ちょうど中学2年の3学期、巷では東京中野区の中学生がいじめにより自殺して、大ニュースになりました。 同学年です(犠牲者は早生まれなので1つ下)。 彼をいじめた人物に対しては、当然「死ねばいい、もしくは罰して殺してしまえ」と考えていました。 多分、全国各地の同様な中学生も同じことを考えていたはずですよ。 僕はいじめられて自殺するこ

        昔の暴力教師

          クラス替えで人生詰んだ 9.修学旅行は行かなかった

          中学3年生になりました。 学校に行くこと、特に教室へは行けなかった。相変わらずの保健室通学です。 あと保健担当が変わり、まだ経験が無かったのか少し頼りない感じで、それでひどい目にあったこともありましたが、以前の担当の方と同様、親身になってくれたと思っています。 4月末、修学旅行(東京と日光)がありました。もちろん行きませんでした。 そもそも教室へ行ってないので同級生がだれなのか分からなかったし、いくら同級生とはいえむしろ「敵」くらいに思っていたので、行くはずありません。 ま

          クラス替えで人生詰んだ 9.修学旅行は行かなかった

          クラス替えで人生詰んだ 7.不登校になって

          2学期の11月、文化祭の終了以降、僕がクラスに行くことはありませんでした。保健室には行くことができたので、いわゆる保健室通学で気が向いた時に行っていたと思います。 前に書いたように修了式の日、1時間程度ほどクラスに居ましたが、自分の居場所とは思えない物凄い居心地の悪さを感じました。 担任は「みんな心配している」と教室に来るよう説得していましたが、僕は「(不登校になって)クラスのみんな喜んでいる」と反論してました。 担任の先生は何とも言えない表情をしていたと記憶しています。

          クラス替えで人生詰んだ 7.不登校になって

          クラス替えで人生詰んだ 6.最悪の文化祭

          夏休み終了後、生徒会の任期切れ(出てないのでもう他人事)・体育祭(欠席)など、2学期は精神的に追い詰められながらも、学校へ出たり休んだりを繰り返していました。 本当は行きたくなかったのですが、ここであきらめれば来年の高校受験に響くという恐怖もありました。 そして11月3日は「文化の日」で文化祭。この年は日曜日でしたが、月曜を振休として開催されました。 実はこれまでも書いていた「変なこだわり」で、林間学校も体育祭も出てないのに、文化祭は「合唱コンクール」というのがあって、それ

          クラス替えで人生詰んだ 6.最悪の文化祭

          クラス替えで人生詰んだ 5.生徒会

          生徒会にあこがれていて念願の役員になったものの、不登校になり、結局, 生徒会活動が満足にできませんでした。 任期は半年でしたが、最終的には生徒会の行事への参加すらできなくなってしまうという情けない状態になってしまいました。 ここで一緒になった1学年上の生徒会長(多分以前も生徒会をやっていた人物。なお会長は役員内の会議で選ぶ)という奴が嫌な男で、やはり自分をいじめていた連中と同じでした。 いじめの内容はここでは避けますが、生徒会は明らかに内申点目当てだといえます。 こいつの鼻

          クラス替えで人生詰んだ 5.生徒会

          クラス替えで人生詰んだ 3.荒れた中学

          当時の僕が尋常でなかった(今も尋常ではないけど)エピソードを一つ。 中学2年になってしばらくし、女子Dからいじめを受けた(と思っていた)。これは、職員室で担任との会話中、担任が席を外した時に見た生活指導の資料(担任は学年生活指導担当、ちなみにこの資料は極秘扱いで、読んでいたら先生に軽く注意されました)に、Dが自分の悪口を陰で言ったことが書かれていたので、もう「敵だ!」と思って恨んでいたことによります。 Dが他人と別人の悪口を言っていたらそれが自分だと思い、手にしたタオルで叩

          クラス替えで人生詰んだ 3.荒れた中学

          クラス替えで人生詰んだ 2.運命の日

          で、中学2年の始業式の日になります。 ①いじめられていた ②生徒会役員になっていた ③荒れた中学を何とかしたいと思いっていた こういった思いを抱えての、不安と期待の進学でありました。 中学2年始業式、まさに「運命の日」となります。 自分を激しくいじめた人物(仮にAとする)が同じクラスになってしまった。ああ…。 そして、同時に自分が嫌いな人物(仮にBとする)も、同じクラスになった。あああ…。 また、一緒にはなりたくなかった人物や、後に暴力事件を起こして、学校で2回目の新聞沙汰

          クラス替えで人生詰んだ 2.運命の日

          クラス替えで人生詰んだ 1.運命の日の前

          春、4月は学生にとっての進学、進級の季節。 僕も何十年前はしがない中学生で、2年に進級した時のことです。 ああ、クラス替えで人生詰んだ…。 そこで中2になるまでの経過について。 前提として、私は発達障害(いわゆるアスペルガー症候群)でした。まあ、それを知るまでその後何十年もかかってしまったわけですけれども…。 で、いじめられていたわけです。 いじめられる理由としては、子供のころは非常に自己主張が強く、かなりわがままだったからです。 幼稚園ではあまりにも自由に動き過ぎて、親

          クラス替えで人生詰んだ 1.運命の日の前

          クラス替えで人生詰んだ 4.恐怖の林間学校

          というタイトルですが、結局、夏休み中に行われた林間学校へは行きませんでした。 中学2年になると、夏休みに林間学校(わが校では「キャンプ」と呼んでいた。けどテントを張ったりするキャンプではない)へ行きます。 個人的には海と触れ合う臨海学校の方が良かったのですが。 ここで最初『1.運命の日の前』に述べた小学校5年の時に行われた3日間の林間学校(これも「キャンプ」と呼んでいた気がする)について述べます。 なぜなら、自分へのいじめがひどくなったのは、これがきっかけではないかと。

          クラス替えで人生詰んだ 4.恐怖の林間学校

          初noteです

          はじめまして 原 健二です よろしくおねがいします。 うつ病を患った発達障害者で、いい歳した大人ですが、半人前のまま一生を過ごすことになりそうです。

          初noteです