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駆込み訴え

申し上げます。申し上げます。文春さま。あの人は、酷い。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。はい、はい。落ちついて申し上げます。
あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。社会的に殺して下さい。

私は今まであの人を、どんなにこっそり庇ってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。あの人は、自分がお笑いの天才であるかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。

ライブに出してもらうには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、チケットだって自分で売らねばならないんだ。あの人に一体、何が出来ましょう。私がもし居らなかったらあの人は、30歳の今頃でも、あの無能で貧乏な同期たちと、高円寺の築60年1LDKでシェアハウスしていたに違いない。

売れない同期に何が出来ますか。ピストルとイルカ、青春段ボ、ピノズ、でいだら、学生お笑いの吹き溜まり、学生お笑い界で神格化されたあの人について歩いて、脊筋が寒くなるようなお世辞を申し、M1優勝だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、そうなったなら、あいつら軍団扱いでテレビ出演でも狙っているつもりなのか、馬鹿な奴らだ。

私は昼職と夜職を掛け持ちし、その金であの人のパチンコ代を出し先輩との飲み代を出しライブのチケットを自腹で買いこみ、中野駅徒歩40分の公民館開催のライブでも欠かさず駆け付け、テレビ業界のツテと見ればおもしろ荘のスタッフと繋がるまでは絶対に離さぬ、寝技だろうがなんだろうがしてみせる、あの人を売れさせようと身の芯まで捧げたのに、私に一言のお礼も言わない。

私はあの人が何回コンビを解消しようが、先輩との約束をすっぽかしてライブ出禁にされようが、インスタでファンの女と飲みの約束をしようが、あの人を一言も責めませんでした。まあ、責める筋合いもありません。私が好きでやっていたことですから。
あの人は夜2時に私のマンションに泥酔して現れ、つけていたテレビに映った大学時代のサークルの先輩を見て、「まあ女ファン多いしな。女に受けて売れてもしょうがないわ」と言い放ち、勝手に私のベッドを占領していびきをかき始めるのです。彼は週に2、3回は、中野坂上の私のマンションに泊まりに来ました。連絡は特にありません。合鍵を持っているので、それで勝手に出入りするのです。ええ、鍵は私から渡しました。「いちいちめんどくさいし、使っていいよ」告白のようなつもりで、でも何でもない風を装って渡した鍵を、彼は「ありがたき幸せ」と大袈裟に受け取って、無造作にコートのポケットに突っ込みました。

あの人が着てきたコートは、見るからに高そうでした。新しそうでした。きっと、私が袖を通したこともない難しい名前のブランドの新作でしょう。私が彼に貸した金は、とうに100万を超えました。
私が好きでやっているのです。他に目当ての芸人がいて訪れたライブで、彼は一番輝いていました。一目ぼれでした。絶対に売れる、と思いました。
SNSで彼と仲の良さそうな芸人と繋がって、彼の出るライブ後の飲み会に呼んでもらいました。「お笑いわかってる」感と「めんどくさくない」感を演出し、話について行けるようどんな小さな劇場へも一回は足を運び、彼がやがて親しい芸人仲間との飲み会に私を呼び出してくれるようになるまで、半年がかかりました。それからはや5年が経ちます。わたしは31、彼は30です。付き合っているのかはわかりません。身体の関係はあります。周りは、彼と私の関係をなんとなく察しています。お金は、彼のために稼いでいるのです。やがて彼がテレビに出て、賞レースで勝って、その時にはきっと私の献身を顧みてくれる。
それでいいと、思っていたのです。

お聞き下さい。1年まえのことでした。あの人も少しずつ、深夜帯の番組の特集枠や、収録の前説に呼んでもらえるようになりました。ライブの出番も、最後の方になることも増えました。あの人が出たジュンジョーのライブ終わりの飲み会に、見ない顔の女子がいました。大学生ぐらいでした。可愛い子でした。その女が、あの人に向って、「すごい面白かったです!座王出てほしいです!」私は咄嗟に「地上波にはアク強すぎるでしょ」と言いました、すると、あの人は、私の言葉を完全に無視して、「今度深夜のハチミツ出るよ」あの人の頬は幾分、赤くなっていました。あの人は私の隣の席を立ち、その子の隣に座り、何か熱心に話し込んでいました。私はそれを見て、そっと席を立ち、別の卓へと移りました。
その後、近くにいた人伝手に聞きましたが、その子は大学お笑いで頭角を現したホープで、卒業後は一般企業で働きながら並行してお笑い活動をしているということでした。
そして、その飲み会の一か月後、彼は私の家に置いていた私物を、全て持って帰りました。
「そろそろ家賃払わんと申し訳ないし。ありがとうな」
それが、最後の会話でした。

そうだ、私は口惜しいのです。私は自分の二十代のほとんどを、あの人が売れるために費やしてきました。ネタだって私の意見を参考にして、チケットも私の伝手で売って、そんな男が、一人でやっていける訳ないのです。彼の芸人仲間からも、「お前が推すやつは売れるな」と言われたことがあります。私があの人を磨いた部分が少なからずあるはずなのです。
私は、口惜しいのです。あの人が、おそらくはあの女と付き合いだしてから一年の間に、番組に呼ばれることが増え、賞レースでも結果を残し、ネタもぐんと面白くなりました。あの女も、可愛くて面白い新世代芸人として取り上げられているのを見ることが増えました。まだ私ぐらいしか気づいていないと思いますが、インスタでは匂わせ投稿もしています。付き合っていることが世間に知られるのも時間の問題でしょう。そして、お似合いとして祝福されるのでしょう。順風満帆です。

だから私は、彼がキングオブコントで決勝に進んだこのタイミングで、あの人を売るのです。
ざまあみろ! 私はあの人がひどい女遊びをしていたことを知っています。なんなら、あの人以上に詳しいのです。LINEやインスタの履歴は全て持っていますから。ええ、スクショしていました。なんのために?証拠?いえ、ただ持っていただけなのです。夜、あの人が寝た後、そっとスマホのロックを解除し、トーク画面をスクショしていました。いえ、あの人は知りません。ただ、私だけがあの人の罪を知っています。それだけが、私に許された優越でした。ちょっと待って、はい、これです。後でまとめてzipで送りますね。はい、はい。私の名前?……A子でいいです。どうせあの人、私の名前なんて覚えてませんから。


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