見出し画像

書店で本を買って読む意義とは

今さらながらのハナシなのかもしれませんが、思うところあって書く。

電子書籍やweb雑誌、無料動画などが幅を効かせる昨今において、
わざわざ「書店で本を買う」だけでなく「書店で本を買って読む」と
動詞を重ねてしまうだけの意義はどこにあるのだろうか。

自分の場合、いわゆる電子系の出版物はほとんど購入していない。
ゼロではないのだが、それは出版物の特質としてweb上でしか手に入らないものばかりであって、同人誌も含めてできるだけ紙媒体を購入する。
雑誌や書籍なら尚更のことで、たとえ数百円安いケースがあったとしても電子書籍に食指を動かしたことは、ない。

紙媒体は場所を取るし、かさばるし、量が膨大になると、重い。
持ち運ぶのにも労力が要るし、管理も実はなかなか大変だ。
(この件については別途、書いている)
電子書籍のようなものであれば、データ容量の確保と端末さえ所持していれば、電力事情に課題がない限り上記の問題は解消するように思われる。
もちろん、購入する以上は著者や出版社にもいくらか貢献もできるはずだ。

ならば、「買って読む」ことに関してはwebで完結してよいのか。
少なくとも現時点の自分視点からすれば、答えは「よくない」なのだ。

自分の場合、購入する書籍・雑誌の8割は書店で購入している。定期購読する雑誌やコミックスもその都度、書店に足を運ぶ。
残りの2割はいわゆる通販サイトであるが、こちらの利用は以下の3パターンに限定されている。
1つは、まとまった巻数・冊数のセットを購入する必要がある場合。
経験上、少し発売時期がずれてしまうと大型書店でも必要とする全巻が
一気に揃うことは稀になっていて、取り寄せになることが多くなっている。
通販サイトや書店のweb発注であれば、在庫が確認できる場合は
店頭取り寄せよりも早く揃う傾向がある。
また、最近は紙袋も有料となっており、7~8冊を超えると袋も1つでは足りなくなることもままある。そして何といってもレジを長時間占有することになるため、あとの利用客を必要以上に待たせることになるのを嫌う。
2つは、その印刷物の性質上、ふつうの書店にはまず並ばないもの。
他地域の教科書ガイドや補助教材は近隣の書店で購入することは難しいし、特定の楽曲のピアノスコアやバンドスコアは取り寄せも時間がかかる。
そして3つは、別の買い物でたまったポイントをまとめて消化したい場合。
大声では言えないが、その出版物に対する期待値が低いときにこの手を使うことが多い。実は音源(CDやDVDなど)もここはほぼ同じ考え方である。
参考までにCDやDVDは発売前予約のものは馴染みのCDショップで買うが、
発売日がかなり経っているものや流通が少ないものは通販頼りとなる。

ではなぜわざわざ書店に足を運ぶのか。いよいよ本題だ。

急ぎの用事でない限り、書店の滞在時間はおそらく人より長い。
数フロアある大型書店であれば、1~2時間はざらである。
何をしているかと言えば、単純に「どのような本が出ているか見ている」だけなのだが、これが単なる時間つぶしではなく、色々な情報がザブザブと体内に入りこんでくるのが実はたまらない。
図書館でも同様のことはできなくもないが、やはり売れ筋のものであるとか、ひとしきり最新刊の状況を知るには書店を練り歩くのが効率的だ。
そして書店だからこそできるのが「手に取って見る」こと。CDで言うジャケ買い、いわゆる“表紙だけ見て買う”のであれば通販サイトに充分軍配があがるのだが、内容を概観するのであれば本の現物に敵うものはない。一部の通販サイトでは「立ち読み」などで最初の数ページ(多いと40ページほど)を見ることができるのだが、全体でどのくらいのボリュームなのか、価格的に割が合う内容なのかは「立ち読み」では判断できないところがある。
コミックスなど一部の書籍については、袋に入れた状態で並べられている書店も多くなったが、買う公算が高いものであれば、店員に申し出れば特殊な規格や袋とじのようなものでない限り、袋から出して確認することができる。

ここまでが「書店で買う」部分の内容となる。
あとは「書店で『買って読む』」理由だ。

前述したとおり、「買う」だけなら通販サイトなどでもいいわけだ。
なぜ「書店で買う」だけでなく「買って『読む』」までいくのか。

本や雑誌を紙で読む理由は2つある。1つは読む場所の制約が少ないこと、もう1つは「再読」の際の手軽さにある。前者は電気を使う問題と端末の重さ、それに加えてバックライトの明るさが案外場所を選ぶ。後者は電子書籍などでもしおりを残す機能や一部抜粋する機能もあるが、数ヶ月以上経ってから再び読んでみようと開くときに、紙の本であれば好きなところから開くことができるが、電子書籍などの場合は最後に読んだところからのスタートとなるか、「最初から」の選択になるかになるケースが多く、しおりを複数はさんだ場合でもそれをダイレクトに選べるかというと、未熟なところがまだまだある。
いわゆるハウツー本や百科事典的な内容のものであれば、この傾向は更に顕著なものとなる。

そして何といっても書店で買って読むことを通じて得られる収穫は、定期的に書店に足を運ぶことで、それなりのトレンドに関心が行くようになることと、同じ書店の利用者となれば、多少のイレギュラーにも対応してもらえる幅が少しばかり大きくなるところにある。例えばこちらが定期的に雑誌やコミックスを購入していることを店員が把握している場合、「来月は発売日が少し早い」ことや「別冊や短編集などの発売がある」ことなどを教えてくれるような店舗もある。このようなサービスは通販サイトにもあるように思えるが、ピンポイントで本人に「刺さる」内容である情報であるかどうかとなると、やはり現時点では「何度もやりとりをしている人間」がまだ強い。
さらに言えばこの国の場合、まだまだ本の世界は紙媒体が中心で回っている。書店が更に数を減らし、通販サイトが中心の流通になってしまうと、不特定多数の利用者が目を向け、手に取ることができる場所が少なくなることから、取扱点数が少なく広告宣伝費が出せない出版社や新人無冠のほとんどの著者による作品は、今まで以上に陽の目を見る機会が失われてしまう。
いくら本を読む人が減っているといえども、「ついで買い」は本の世界でもまだまだ健在だ。もっと言えば「ついで買い」で買うだけ買っておきながら、それを読まずに時間だけが経過するというのは、おそらくその人にとって本を読む時間が十分確保できないほど多用であるのか、もしくは残念ながらその本との縁が希薄だったに過ぎないのではないかと考える。つまり、「書店で買って読む」という一連の行動は、【読書】を完結させる重要な行動のつながりであり、ひいては出版社や多くの著者の活動をいい意味で支援・継続する行動なのだとも言える。

最後にひとつ。紙の書籍や雑誌は絶版すると一気に入手するのが難しくなる。図書館を頼りにするにも、そもそもの出版数が少なくなると図書館でも購入できなくなる可能性が高まるし、本が少なくなれば書店はおろか図書館すら存続が難しくなる。もちろんそれを扱う人員も減ることになるから、頼りになる本のプロフェッショナルが限られた人数になってしまう。
電子書籍やデジタルデータは、いつ読めなくなっても不思議ではないツール。それを念頭に置くと、多少嵩張って面倒でも、紙媒体がまだまだ優位。

だからこそ、「書店で本を買って読む」ことを大事にしたいのだ。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

サポートをお願いいたします。いただいたサポートはたまなび倶楽部の運営費として活用いたします。