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8歳の頃の私へ「誰より面白い人生」

小学生の頃、モテる女子、目立つグループは決まってて、私はそのグループから外れていた。

「みんなが憧れるA子ちゃんみたいになれたらいいのに」

なんの変哲もない「普通の」人生に嫌気がさしていた8歳だった私は、初詣や神棚で手を合わせる時はこう願うようになった。

「どんな困難も乗り越えるから、面白い人生をください。
どんなに辛くても乗り越えてみせるから、神様は空から見守っていてください」

そんな安直な願いが、本当に叶う人生になるとは、当時は微塵も思ってなかった。


文字通り「普通」の人生を歩んでいた8歳の私へ。

1.発達障害の娘を持つ

スイが癇癪を起こすようになった。
これまでスイは、いつもケラケラ笑う、ほぼ手のかからない子だった。そんな彼女が、ちょっと気に入らないことがあると、怒り狂って頭を打ちつけて暴れる。話に聞いていた強い拘りが症状として現れ始めてるのかもな。今はその情報があるだけ、心の準備ができて有難い。


スイが「全盲です」と診断された日。
ほとんどダメージを受けなかったのは、その直前まで「死」の可能性を示唆されて、生きてさえいれば、障害なんてどうにでもなると思ったからだ。


当時はもちろん障害のしの字も知らない私。
これから先の苦労なんて想像もできない。
でも何故か、私にはどんな困難も乗り越えられる自信があった。

2.人生で死を選ばなかった理由

皆さんは、長く付き合った男が妻子持ちだった!(時効だと思ってる)という経験をしたことはあるだろうか?
もう私の人生なんて、こんなもんなんだろうという人生の底辺をその時理解したし、
「また経験したことのない困難なステージに入ったのだろう」
何があってもそんな心持ちだ。

周りの障害のある子のママが大変そうだし(こんなこと言ったら怒られそうだけど)
私はこの困難な人生の一片くらいにしか考えてない。人生障害だけでなく、困難なことはいっぱいあるし、障害があることで得られる幸せもいっぱいあると思う。

人一倍誰かの優しさに触れられ、その分自分が優しさを分けられたら、困難な人生は光を浴びることができるんじゃないかな。


これまで多くの困難な中でも、死を選ばなかったのはなんでだろうな。私は、父に、母に、両親の命以上に愛されている自信だけはあった。


誰かの「死」以上に自分が愛されていることを信じられる時、人は自ら「死」を選べないのかもしれない。
これまで死にたいと思ったのは、自分の子を失ったその一度きり。もちろん人それぞれだと思うけど。

両親を心から尊敬していたかというと、蔑んだことを伝えたこともある。両親以上に尊敬している人も沢山いる。

でも、両親以上に、私のことを愛してくれている人はいない。これだけは、間違いない。

この自信が、この想いにだけは絶対に応えなきゃいけない何かが、無意識レベルで命に宿る。
両親の存在は尊大で、掛け替えのない。自分は子供たちにそんな存在となれているだろうか。

3.障害を持つ兄妹が尊いと思える時代に

私には、3人の子供がいる。なんて幸せなんだろう、という感情に何度も遭遇する。

目の見えない、恐らく知的にも障害のある娘。
その娘が妹だと伝えた将来に、姉兄の人生において傷つくような将来が待ち受けていないだろうか。

周りから偏見の目を向けられ、罵られたり、結婚を破談にされたり…そんな未来が待っていないだろうか。

私みたいな傷つかない程ネジの外れた人間ではなく、純粋に傷を受け止める彼らに、そんな境遇を経験させるのは、親として不毛だ。
私はそんな未来を望んでないし、そこはせめて母として守るべきところだと思っている。

世間にいる7%の障害者とその家族が、周りの偏見を気にして、外に出ないなんて世界じゃなくて、

これだけあなたとは違う妹がいる私ってすごい経験をしてると思わない?

特別な選ばれた存在だと思わない?

人生普通以上に楽しんでると思わない?

なんて、自信を持って言えるように。
せめて私は世の中に、この態度を示し続ける。本心でそう思ってるし(笑)
そして、私の子たちが誇らしく妹の尊厳を想えるように、育てる、社会を変える。
そう誓って岩手の地に立った。


未だに、初詣ではこう願う。

「どんな困難があっても、私は私で頑張るから、天国にいる小さな我が子を守ってあげてよ。
私はこっちの自分の子たちを守るからさ。
それだけは、宜しくお願いします」

と神様と約束をしている。

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