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「異彩」とはを改めて考えるきっかけになった


ヘラルボニー #障害者を消さない https://emergency.heralbony.jp/

1.能登半島地震から改めて考えたこと

能登半島地震にてヘラルボニーさんが発信した内容を読んで、改めて考えていたことを文字に起こそうと思いました。

2.娘の発達障害について

私の次女は発達障害があります。恐らく知的障害もあるのではないかと医師から言われていますが、まだ小さいので実際はわかりません。発達がゆっくり。もうすぐ3歳になりますが、歩けない、言葉も話せない、独立して座るのも難しい状態です。目が見えないので、周囲への関心が低いこともあり、前に自立してハイハイすることもできません。そのため、横に転がって移動することが彼女の移動手段になります。

3.奇声を発する人を見て何を思いますか

時々電車などで見かけることがあると思います。「発語」ではない奇声を発している方。うちの子も、発語ができないので、時々電車に乗ってテンションが高いときなんかは「キャーキャー」声を発しています。これが、成長が遅いためなのか、知的障害によるもので成長後もこの状態が続くのかはわかりません。彼女が奇声を上げるときは、やはり周囲の人が彼女を方をじっと見ます。その視線を私たちは、見て見ぬふりをしながらも感じ取っています。

4.障害者の家族が思っていること

ただ一つ言えるのは、私たち家族は彼女がその声を上げる理由を言葉を通していなくてもなんとなく理解していて、いまこんな気持ちだからこんな声をあげているんだよね、というのがわかるので、電車の中でたとえ彼女が奇声を発しても、それに対して不愉快に感じたり、周囲の目を感じることに卑屈に思ったりすることもないんです。すべての障害を持つ家族が同じ気持ちであるとは言えないですが、少なくとも私たちは彼女がこうして声を上げることは彼女にとっての表現方法で、感情表現だから、普通と異質かもしれないですが、彼女のコミュニケーションだと認識しているんですね。

これが、障害のある家族を持つまでは理解できなかった感情です。遠くで奇声を上げる人をみたら、「大変そうだな」「可哀想だな」とどこかで思っていた自分がいたと思いますが、当人や家族はそんなこと気にしているわけではないんです。ちょっと声が大きかったな、と思ったら周りに配慮して、「声おっきいよ~」と注意したフリもしますが、実際は悪いとも正直思ってないです。それが表現方法だから。

5.被災地における障害者の家族の思い

今回、能登半島地震でこうした状況の際に、周囲への気を使って避難所から去る人がいる事実を知りました。理解はできます。その声を聴いて、もしかしたら不快に感じたり、怖く感じたりする人もいるかもしれない。そうしたら、胸を張って居られないのもわかる。この避難所の様子が、まさに島国である日本を投影しているようにも思えました。普通と異質だから受け入れたくない。そういう人はもちろん一定数はいて、多様性を受け入れにくい国民性があって、それを変えようという動きがあって。『避難所』という更に狭いコロニーだからこそ、その動きが加速してしまうのもあるんだろうなと。でも、それが国民性だから、と言って目を瞑ってしまうのはどうかな。。私は家族として娘の障害にかかわったからこそこうした考えを持つようになったのは間違いないのですが、だからこそ何かできることがあるなら、行動に移したいとは思っています。

6.ヘラルボニーさんの声明

#障害者を消さない

そんな中、活動や発信をしているヘラルボニーさんには、非常に共感しました。共感した想いを寄付という形にできることにも感謝です。これからも活動を応援したいと心から思いました。

最後に、能登半島地震でお亡くなりなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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