見出し画像

【第1回】障害児とその家族のあれやこれを話してみよう

スピーカー:マコさん(M)、たまき(T)

今月から視覚障害でピアニストの息子さん(リュウイチさん)をお持ちのマコさんとゆるーく月一くらいでXのスペースを開催することにしました。障害にまつわるいろんな方の声が聴けたらと思います。皆さんの障害に関する情報交換や障害に関わらない方も情報が聴けるような場になればと思うので、お気軽にご参加ください。

1.マコさんの障害児育児の工夫(学校編)

(M)息子が2歳のころ、ひよこがピヨピヨ鳴くおもちゃが好きでよく遊んでいた。5曲くらいの音楽がなるピアノのようなおもちゃで、その音に合わせて音が出せるようになった。(↓ こんな感じかな?)


(M)発達の遅れはあった。小学校にあがるまで繰り返しの言葉しか発しない子だった。加配で公立の小学校に通わせた。 
目が悪いなら、他の身体の機能を育てようと情報を取りに行った。盲学校の幼稚部に通わせ、耳で聞いて覚えるように育てた。発達はゆっくりでも、その子のペースでなんらかの成長はしているから大丈夫!

(M)小学校の高学年から、ライトハウスから派遣された先生がきてくれて、理解してくれる先生に初めて会えた。ライトハウスにも行って発達につながることをしてくれた。カセットを使ってテストを実施してくれたり。特殊学級でも、体育は一緒にやる、他は個別に関わるようにしていた。
全部点字に置き換えて頑張って同じ教科を受けている家庭もある。ボランティアで点字翻訳してもらっているみたい。

2.マコさんの障害児育児の工夫(幼児編)

(M)2歳半で1歩出るようになってた。歩行器で家を移動してた。抱っこマンだった。今はしゃべれるようになったけど、普段はあまり話さない。脳性麻痺でも、文字盤で詩を書いている子もいる。

(M)話せなくても、聞いてるから心は育っている。何かしらの伝える手段はある。同じことを繰り返し言い続けて、壊れたラジオみたいだった。
お尻高這いしてゴロゴロしたり、かみかみするおもちゃをくびにぶら下げて遊んでいた。寝てる目線と座っているときで、音の伝わり方は変わってくるから、座位の姿勢は大事にしたほうがいい。

(M)喋れない代わりに、手を握ったり、背中トントンするというコミュニケーションをしていた。歌ってあげたり、抱っこも嫌な時はのけぞって反応があった。

(M)ペットボトルの中にビーズを入れて、シャカシャカなるようなおもちゃを作ったり、歯固めで遊んだりしていた。太鼓も好きだった。 
全然笑わない子だった。感情はゆっくりなタイプ。泣いたり怒ったりはしていた。水は好きでよく遊んでた。

(M)5歳くらいで下の子が生まれて、手で触って自分と同じ顔があるねと教えていた。小学校低学年で下の子が走れるようになって、自分ができないことができることを知って、目が見えないことを認識したみたい。

(M)体を接触するジェスチャーをよく取り入れていた。抱っこするときのジェスチャーはこれ、手を握る数で相互コミュニケーションをとったりしてた。2回握ると2回返してくれるなど。例えば、おはようのあいさつを体で握ると認識したり、将来的には指文字になるかも。おはよってわかってるじゃん!それで通じ合ってると思えた。溜めてたんだと思う。人の話はよく聞いてた。
ヘルパーさんとか、信頼している相手なら、自己開示して話してる。どんな子でも、ゆっくり成長はしていくもの。わかるようになったら手を出してくれるかも。

(M)本は山盛り読んだ。幼児教育、公文の本、モンテッソーリ教育も参考にした。指先はむずかしかったけど、音が変わるものを取り入れたり。固いものは苦手だけど、やわらかいもので取り入れたり。視覚以外の感覚で遊ぶもの。触るのは苦手だったので、歌と音を中心に。

(M)食べるものも限定されてた。形のあるものが嫌いで、小学校6年生でやっとポテチが食べれた。やわらかいものはOKだけど、せんべいとかはNG。ヨーグルト、プチダノンは好きだった。

(M)成長の過程2、3歳で歯固めはよく使ってた。

落ちないようにする紐もいろいろある。パチッと止めるやつとか。

赤ちゃん歯ブラシも歯固めになる。

七田アカデミーのCDもよく聞かせていた。

(M)学校に相談に行ったり、中途失明の人に話を聞いたりした。
でも、中途と先天、しかも重複だと全然対応方針が違くて、この子にはこの子の支援が必要なんだってまなんだ。

3.『心の目で見よう』サークルを立ち上げた過去について

(M)『心の目で見よう』というサークルを以前に立ち上げた。20-30人は集まった。水頭症の子とか視覚障害だけでなく発達や重複障害を持っている子もいた。(マコさんが)新聞の切り抜きなどを収集して、広報誌などを作って情報発信をしていた。地元の小学校や大阪の支援学校の人とつながった。悲しいことがあったので、自然に解散してしまったけど、コミュニティがプラスにもマイナスにもなることもある。

(M)地域によって、支援や価値観の格差がすごい。慈悲してしまう人もいる。弱視の方には弱視の悩みがあるし、家庭環境にも差がある。お母さん1人で抱えちゃうことが多い。(マコさんは)がんばるぞ!とあつまっちゃったけど、それが負担になってしまう場合もある。だから一緒にがんばる仲間も大事だけど、一緒に泣ける仲間ももっと大事。(リュウイチさんの弟さんが)未熟児で生まれるかもというタイミングで、コミュニティ自体は自然消滅してしまった。

(M)(弟さんは)5歳離れている。いつかお姉ちゃんの言ってることがしげきになる

4.社会から受けた偏見について

(T)障害理解を拡げるための事業を起こそうと検討しているのですが、生活をしていて、社会の理解が得られなかったり、偏見を持たれたりした経験はありますか?

(M)めちゃくちゃたくさんありますよ。まず、家族から理解が得られなかったです。「かわいそうな子」っていつも言われてました。この子は全然かわいそうな子なんかじゃないのに。

(M)入園で地元の保育園にいけなかったり。「そういう学校に行きなさい」とも言われました。それが社会だと認識してました。

(M)小学校低学年までは、みんなが見ているところで、同じことをさせるのはかわいそうじゃないか、と先生から言われることが多くて。誰かからかわいそうといわれるのは気にしなくていい、と伝えてもわかってもらえなかったですね。

ただ、うちの子は盲学校では経験してないことがいろいろ経験できたとはお思います。いいこともわるいことも含めて。

障害があるから遠慮しなきゃいけない、って場面には本当によく遭遇しました。でも、外に出れば100人いたら1人理解してくれればいいと思ってます。それでも、見える子の中で経験を積ませたかったんです。盲学校行ってたら今のようには育ってなかったと思う。

5.ピアニストとしての活動について

(T)息子さんの将来について、どんな道に進んでもらいたいな…とかってあったりするんですか?

(M)アーティストとして拡げられたらいいなと思ってます。

(M)一坪ボックスというものも始めました。 今後は施設に回れるように活動していこうとおもってるんですが、営業活動頑張らないとですね。
7月には関東のほうでもイベント参加できたらいいねって話してます。

さいごに…

来月以降も、こんな感じで情報共有やゆるーくお話できる場を設定したいと思っています。
マコさんはリュウイチさんの音楽活動、たまきは障害理解の普及についての起業の進捗についても、お伝えしていけたらと思うので、ぜひみなさんのご意見もお聞かせください。日程詳細について決まりましたら、Xにて周知いたします!お気軽にお越しください☆彡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?