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40代サラリーマン、アメリカMBAに行く vol. 9 〜起業家に聞く3

バブソンMBAでの授業とは別に、ボストン・日本人・起業家をテーマに、起業家に会って学ぶ活動。今回はボストンでがん治療に取組むShin Mukaiさん。Mukaiさんはハーバードメディカルスクール勤務をきっかけにボストンへ移住され、ボストンの製薬会社を経た後にアメリカで起業された。

がんを倒したい
その思いが起業へ導く

Mukaiさんは、現在New Wind Therapeutics L3Cという会社をスタートし、副作用の少ない新しい抗がん剤の開発に取り組まれている。がんの中でも膵臓がんの治療に注力されている。膵臓がんは5年生存率が約10%という特に治療が難しい病気。そのがん治療に対して、経口投与できる治療薬を開発されている。現在は、資金調達に取り組みつつ、 がん治療にどのように取り組むかをデザインしている段階。がん幹細胞という、がんの元になる細胞に発現するタンパク質をターゲットとし、このタンパク質の働きを阻害すれば、そのがん幹細胞の活動が制限されて小さくなり、最終的には完全になくなる。そのための化合物の開発に取り組まれている。

起業に至ったきっかけは、学生時代にお父様をがんで亡くされたところまで遡る。新しいがん治療薬の開発に挑戦したいという想いから有機合成化学の世界へ。有機合成化学とは、様々な化合物を作る学問。アスピリンのような経口投与薬の多くは有機合成で作られている。京都大学で有機合成化学の分野で学士と修士を修了後、Ph.D.取得のために西オーストラリア大学パース校へ。そこでは主に有機合成化学と生物化学を学ぶ。日本に戻り、慶應義塾大学医学部で博士研究員として勤務。動物実験や製薬会社が作った薬のテストなど、生物学の研究を行う。そしてボストンのハーバードメディカルスクールで博士研究員として働き始める。心臓病の薬などに応用できる免疫細胞マクロファージの活性化について研究された。しかし起業を見据えていたため、ボストンの製薬会社へ。アカデミックな経験ばかりを積んでこられたことを考えての判断だ。製薬会社では生物学、免疫学に関する研究を進め、アトピーなどの皮膚炎に対する治療薬の開発に取り組まれた。そして2023年の8月に本腰を入れて起業に取り組むことになる。

がんを倒したい、無くしたいという思いが全て。だからこそ企業形態にもこだわった。ビジネスメインの株式会社といった形態ではなく、L3Cを採用。L3CというビジネスモデルはNon-ProfitとFor-Profitの特徴を併せ持つ存在。事業拡大や利益のために事業を運営するのではなく、本当にがんを撲滅するために活動したいという彼の想いにL3Cはぴったりだという。しかしL3Cという事業形態はアメリカでもまだまだ新しく、すべての州で事業登記ができる状態ではない。L3Cに詳しい弁護士を見つけることから始まり、ワイオミング州ならL3Cで会社の登記ができることがわかる。事業活動自体はMukaiさんが拠点を置いているボストンで行われている。

自分にしかできないことがあるから
迷わず起業に打ち込める

「有機合成化学、生物学、免疫学。これらの組み合わせが私の最大の強み」Mukaiさんはご自身の強みをはっきりと述べる。有機合成化学、生物学、免疫学の全てにおいて研究を行い、論文を出してきた人というのはなかなか世界的にも少ない。それがMukaiさんをユニークな存在にする。自分にしかできないことがあるということが、起業を進める上で大きな支えになっているという。しかし最初からこのキャリアを計画的に築いてきたわけではない。はじめは単にがんの薬を作りたいという想いから研究に取り組み始めた。しかし、新しいことを学び続けるうちに専門分野は有機合成化学から、生物学、免疫学へと広がっていった。製薬業界には、薬を作る人と、その薬をテストしたり病気のメカニズムを解明したりする人がいる。これらの分野は通常は別々に存在し、交わることはほとんどない。生物学を研究する人は薬の製造に携わらないため、その分野については分からない。しかし、薬のデザインと、薬のテストの、両方の分野を理解し、統合して考えていかなければ、新しい治療薬の開発を早く進めていくことはできない。そうしたことを理解していく上で、薬をデザインして生産する有機合成化学だけでなく、薬のテストや病態の解明に求められる生物学も免疫学も学ぶようになっていった。この両方ができるということがMukaiさんの特殊な部分であり、強みだ。両方の実験を経験しているので、両分野の研究員の視点を理解することができる。「この実験がなぜ遅れているのか」や「いったい何が難しいのか」など、異なる分野の人々には理解が難しいことも、Mukaiさんは理解し、相手に説明していくことができる。一連のプロセスを理解していることで、製薬を進めるリーダーシップポジションに立てるわけだ。

Mukaiさんが設立したNew Wind Therapeutics L3Cは現在ファンドレイジングのステージにいる。2023年2月に会社を立ち上げてから今までは自己資金によって事業を進めてこられたようだ。しかしL3Cというビジネスモデルがまだまだ投資家の間で浸透していないこともあり、資金調達の上で課題になっているいう。それでもMukaiさんに焦る様子はない。ボストンの製薬会社勤めと並行して起業の準備もできたはず。会社を辞めて起業に専念する時、資金的な不安はなかったのか。

「不安はもちろんあります。しかし、自分のビジョンとアイデアに強い思いと自信があるので、行動を起こさないと後悔すると思いました。成功するビジョンしか描いていません。失敗することは考えていません。失敗を想像すると、足がすくみ挑戦ができなくなるので、前向きに考えています。父の経験も影響していると思います。人生は一度きりなので、やらずに終わるのは後悔すると思いました」

後悔するという言葉が印象的だ。Amazonを創業したJeff Bezos氏がAmazonを創業する際に「Regret minimization」というアプローチを使ったことを思い出す。彼がニューヨークの金融企業を退職して本当に起業するかを考えた時、もし今起業しなかったら80歳になった時に後悔するかどうかを自問して、起業する決断に至った。

がんを倒したいという思い。そしてそれを実現するためにこれまで築いてきた独自の強み。この二つが不安を乗り越え、スタートアップに全力を注ぐことを可能にしていることが伝わってきた。なおMukaiさんは取材後、アメリカで発刊されているIndustryWired誌の2024年1月号にて「10 Best Entrepreneurs To look out in 2024」に選出され、表紙を飾られている。

※TOP画像はFreepik.comのリソースを使用してデザインされています。
著作者:senivpetro、出典:Freepik

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