神様は最善のタイミングでその御手を動かされる
彼女とは中学生の頃から教会で一緒。1学年下でクリスチャンホームの子だった。お茶目で、おっちょこちょいで可愛い子だった。
教会に同世代がそんなに多くはなかったし、一緒に学んだり教会のキャンプに行ったりすることが多かったから、思春期の男女がお互い好意を持ちあうのは自然なことだった。
携帯もスマホもない高校時代、時々彼女がくれるイラスト入りの手紙に心をときめかせていたっけ。
でもお互い真面目だったんだな。お付き合いもどきのような、ほぼ日曜日に教会で会うだけのような関係で、それ以上のことはないまま自然とそれぞれの道に進み、家庭を持ち大人になっていった。
後で本人から聞いたところによると、彼女は結構大変な人生を歩み、信仰生活も安定せず、教会から離れる期間も長かった。
しかし数年前から時々また教会に来るようになり、自然と普通に同じ教会のメンバーとして会話するようになっていた。
とは言っても私が神学校を卒業し、教会で色々な奉仕をしているので、彼女は「先生!」
と呼ぶ。やめてくれと言っても頑なにやめないから、もう好きなように呼んでもらっている(苦笑)
そんな彼女が礼拝後、
「先生に相談がある」
と声をかけてきた。
それは彼女の娘さん(成人済み)に関する相談であった。
ひとしきり話を聴き終わると、
「今日の礼拝のメッセージは心に刺さりました。」
ポツリ呟いた。
私たちは自分の生活の中で直面する状況にたじろぎ、一喜一憂してしまう。いわゆる「朽ちる食物」をどうするのかに心をすり減らしてしまう。
彼女は私に相談しながら、礼拝メッセージで語られた内容に心探られ、自分の悩みの持って行きどころは「朽ちない食物」を与えて下さるキリスト以外にないことに気付いたのだ。
不思議なもので傾聴に徹すると、こちらがあれこれアドバイスする前に、人は自分自身で答えを見つけることが出来るものだ。
これは神様が人にお与えになった能力なのだと思う。
だから人の話は聴き尽くすべきである。
それでも彼女は私にアドバイスを求めるので、示されたことをシンプルに伝えると、安堵したように
「これからゴスペルの準備があるのでしょう?お手間取らせてごめんなさい。」
と話を終えようとした。
「もし時間があるなら出ていけば?賛美すると気持ちがスッキリするよ」
反射的に私の口はそう動いていた。この日の午後はゴスペルシンガー・松本優香さんがディレクターをしてくれている私の勤務先のゴスペルクラブのリハーサルがあったのだ。
そこで賛美された一曲は、優香さんのアルバムにも収録されている「みつめつづけます」。
そして私はこの賛美に関連して、有名なマーガレット・パワーズさんの詩「あしあと」を紹介しつつ、この詩のバックストーリーも含めてメッセージさせていただいた。もちろん思いつきではなく、事前に準備していた内容である。
私たちの神様は、あなたから決して離れず愛することをやめない。なぜならばそれはイエス・キリストご自身の約束だからだ。
賛美の途中から、メッセージの最中まで彼女の目から溢れる涙が止まることはなかった。
彼女にとって悩み苦しみの中で足を運んだ主の日の教会。
神様は最善のタイミングでその御手を動かされ、今の彼女に一番必要なことを語って下さったのだ。
これはあなたの人生にも当てはまる。イエス・キリストのもとに行こう。
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