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【ピリカ文庫】アイとユウ

ユウがまた教科書を借りに来た。これで3日連続、記録更新。

「中学生にもなって、また忘れ物?前の日にちゃんと確認しなさいって、いつも言ってるでしょ!」
「はぁい。ごめんなさい、お母さん」

お互いなかなか良い演技だったので、途中で声を出して笑ってしまった。

「今日はラクガキしないでよね!」
「ふふ。するかしないか、おたのしみに」
こらぁ!とアイが叫ぶと、ユウは笑いながら走り出した。ふざけるユウをアイが怒るお決まりのパターン。ふたりは小学生の頃からの友達だ。

アイの元に戻ってきた教科書には毎回ラクガキが書いてある。少しなら良いのだが、偉人の顔に勝手にヒゲを付け足すのはやめて欲しい。昨日はページをめくった瞬間に吹き出してしまい、めちゃくちゃ恥をかいた。
「真面目」とか「優等生」とよく言われるアイを、飽きもせずからかってくるのはユウくらいだ。

アイとユウは正反対の性格をしている。
嫌なものは嫌だと、はっきり言うユウ。自分の心に正直な自由人で、いつもふざけてばかり。
対してアイは、真面目な世話焼き気質。毎年クラス委員などに推薦されては、断れずに引き受けてしまう。やりがいは感じるけれど、他の子から『アイは何でもできるから』と、当たり前のように任されるのは正直しんどい。
だけどユウは、アイが困っていると必ず隣にやってくる。冗談めかして、押し付けがましくない絶妙な距離感で。
ユウの隣にいると、ふっと肩の力が抜けるような、そんな感覚になる。自由なあの子が、心底うらやましくて、まぶしい。アイは時々そう思っていた。

5時間目、教科書を開くとまたラクガキが書いてあった。完全におちょくられている。しかし今回は修正テープで消してある部分があった。

(わざわざ消すなんて、何書いたんだろ?)

ちょっとしたイタズラ心が膨れ上がる。よーし、見てやる!と、アイは修正テープの端を爪で削り始めた。読みにくいけれど『し』と書かれているようだった。秘密の暗号を解くような気分でワクワクしながら、さらに削っていく。カリカリカリ……

全て削り終え、書いてある言葉の意味に気付いた時、アイは頭の中が真っ白になった。ドクドクと心臓が波打つ。
居ても立っても居られず、アイは授業終了のチャイムと同時にユウのクラスへ走り出した。

ユウが机の中に手を入れると、教科書が無かった。鞄やロッカーの中を探しながらウロウロしていると、教室のゴミ箱にボロボロになった教科書があった。強制的に心がシャットダウンする。
もういいや。このまま捨てる。

「無反応かよ」「あいつほんとつまんない」「うざ」

後ろから声が聞こえてくる。
自分は『いくらでも傷付けて良いんだ』『軽く扱って良い存在なんだ』と他人に思われているのが、しんどい。
きっかけはたぶんアレ。何だったかは忘れたけれど「一緒に行こ~」と声をかけられ、興味が無かったので「ごめん」と数回断った。それだけの事。

「せっかく誘ってやってんのに」と言われた次の日から、些細な嫌がらせが始まった。
私そんなに悪い事した?と反撃したいところだが、正直それも面倒くさい。でも嫌がらせは日に日にエスカレートしている気がする。

教科書に人付き合いの心得とか、嫌な事をされた時の対処法とか、そういうの全部書いてあったらいいのに。

(教科書、どうしよう……)

みんなが使う『困った時のアイ頼み』。自分は使いたくなかった手段だったけれど、こういう時に頼れる友人がアイしか思い浮かばなかった。
休み時間、ドキドキしながらアイのクラスへ行く。できるだけ自然に、いつも通りに。

「あのさ、英語と社会の教科書、貸してくれない?」
「ん、忘れたの?いいよー」
アイがいつも通りの調子で微笑むから、ユウは不覚にも泣きそうになった。

開いた教科書には、キレイにマーカーが引いてあった。真面目で真っ直ぐなあの子らしいな、と思う。教科書に書き込んであるアイの丁寧な字を見ていると、なぜか安心した。
さりげない気遣いでみんなをフォローするアイ。いつもふざけているユウにもキチンと接してくれる。人に対して誠実で、誰にでも優しい。どうしてそんなに優しいんだろう、と心配になるくらいに。

ユウは授業中、アイを笑わせてやろう!と思い付き、教科書のおじさんの顔に極限まで長いヒゲを付けてみた。
あとでものすごく怒られたが「もー!これとか傑作!」と笑ってもらえたので良しとする。
アイが笑うと嬉しい。シャットダウンした心がまた動き始める。

大丈夫。無視されても、ものを隠されてもへいき。陰口を言われても、嘘を吐かれても。『私』の真ん中さえ傷付かなければ、平気。
そう思っていたのに。

次の日もアイに借りた教科書で授業を受ける。
社会の山本先生が『安政の大獄』について説明していた。ここテストに出るぞーと言いながら、赤いチョークで板書をしていく。

たくさんの人が処刑されちゃうんだ。……それってどういう気持ち?
歴史に興味なんてなかったのに、おかしいな。考え始めたら止まらない。
どうしてだろう。なんでみんな自分の正しさを押し付けあうんだろう。人が人を攻撃して得られるものって何だろう。
心がどんどん重くなる。
いつもそう。嫌な事を考えると体が石になったみたいに重たくなる。もっと軽くなりたいのに。もっと自由でいたいのに。

もっと、もっと、もっと。

気付くと、ユウは教科書に文字を書いていた。
赤ペンでくっきりと。

『しにたい』

え、なんで?
動揺と焦りで目の前の赤がゆらゆらと揺れて浮かび上がって見える。自分で自分が信じられなかった。どうしよう、消せない。上から線を引いてみたけど、まだ読める。

どうしよう。アイには、知られたくない。

ユウは急いで修正テープを文字の上に貼り付けた。

(どうか気付かれませんように)

そう祈りながら、ユウは何でもない顔をしてアイに教科書を返した。

死にたいなんて嘘だよね?いつもの冗談だよね?
早く確かめたくて、アイはユウのクラスに駆け込んだ。

「あの!ユウいますか?」

「何?」「あいつに友達なんていたんだ」
ユウに会いに来ただけなのにクスクスと笑われる。

ああ、そういう事か。とアイは思った。
黙って教室を見つめるアイに気付いて、別の子が「具合が悪かったみたいで、さっき早退したよ」と教えてくれた。

まだ学校は終わっていなかったが、アイは先生にも友達にも言わずに外へ飛び出した。
今すぐユウに会わないといけない気がした。

走る。
木も花壇も建物もビュンビュン横を通り過ぎていく。
あてもなく誰かを探すという事が、こんなに心細いものだとは思わなかった。心臓が痛い、苦しい、つらい、悲しい。ネガティブな言葉ばかり頭に浮かんでは消えていく。

毎日教科書を借りに来るくらいだ、何か理由があるのだろうとは思っていた。でもアイには、ユウに詳しい事情を聞く勇気がなかった。
ユウは自由でまぶしいけれど、危ういと感じる子でもあった。バカバカしい事をしてふざけていると思ったら、時々ふと冷めた大人みたいな顔をする。小学生の頃からそうだ。いつもヘラヘラ笑って、かわして、大事な部分を教えてくれない。
風が吹いたら飛んでいってしまいそうなくらいの軽さで、些細なきっかけで消えてしまいそうで、怖かった。
だったら一緒にバカなふりをして、楽しく笑っていたかった。

ユウが線路の前にいるのが見えた。
カンカンという音と共に赤い光が点滅する。下り始めた踏切の側で、ユウはボーッと電車が来るのを見つめていた。
アイは背中がゾクリとした。だめ、やだ、まって。
「ユウ!!」
こっちを向いて欲しくて、全力で叫ぶ。

ガタンゴトン……

電車が通り過ぎ、いつも通りの様子でユウが笑う。
「アイもサボり?めずらしー」
ゼーゼーと呼吸が乱れて止まらない。何か言おうとして咳き込むアイの様子を見て
「なによ~そんなに私に会いたかったの?」
と、ユウがおどけて言うから、アイはついカッとなった。

「会いたかったよ!!」

目から次々と涙が溢れてくる。
「え?!なんで泣いてんの?」
「あんたが、いなくなったらっ、どうしようって、思って」
その言葉に、ユウの顔が曇った。
「……もしかして、見た?」
アイがコクリと頷く。
「あの、あれはね、手が滑ったというか、魔がさしたというか、こーぼーも筆の誤りというか……」
いつもふざけているユウが、一生懸命よく分からない説明をするから、思わず2人で笑ってしまった。

ああ。どうして、こんなに胸がぎゅうっと痛むんだろう。
「……自分の事で泣いてくれる人がいるのって、こんな気持ちなんだね」
「なによぉ!早とちりしてバカみたいだって、からかうつもりでしょ」
「ちがうよ」

アイが涙を拭きながら顔を上げると、目を真っ赤にしたユウがつぶやいた。

「私、アイがいてくれて良かったなぁ」

時々、自分とは正反対なあなたに救われたような気持ちになるんだよ。
問題は全然何も解決していない。きっと解決はしない。
それでも生きて、笑って、大人になりたいと思う。できれば あなたと。

(3620字)



『教科書』がテーマの物語に挑戦させていただきました。
まさかまさかのピリカ文庫です🙏光栄の極み……!ピリカさん、素敵な機会をいただきありがとうございます🙇✨とても嬉しいです。

今回は、自分が今まで出会った人たちの事を思い浮かべながら創作しました。
表現が分かりにくい部分もあったと思いますが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました🙏

#ピリカ文庫

今までいただいたサポートを利用して水彩色鉛筆を購入させていただきました☺️優しいお心遣い、ありがとうございました🙏✨