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ひそみ日記 ムラの田吾作と農業革命

ムラの田吾作か太郎か隣のムラの次郎か権兵衛くらいしか独り身が確認できない時はサイゼリヤで悩まなくてよかったのにな。

というのは「サピエンス全史」の農業革命についてかかれているところにも近い。

農業革命(麦を植えるようになった)ことにより、人口は増えたが、狩猟採集の時と比べて「不作」「争い(貯蔵できる、麦を育てるのには場所が必要)」「飢え(人口が増えすぎた)」に悩まされることになった。
単一の食べ物ばかりから栄養をとろうとすると、麦がかかる病や大量の害虫、冷害なんかがきたら一気にごはんがなくなってしまう問題がある。

恋愛も、年頃で独身で同じ文化を共有する者が数人しかいないなら、不仲には悩んでも「知らん土地や独り身と比べてどうか」と考えた時に諦めがつく場合も多くありそうだ。
今恋愛は自由化がすすんで、大学生であろうが棺桶に片足つっこんでようが、文化が違おうが、付き合っていけるようになりつつある。
インターネットや各種サービスによって、普段通勤して勤務して退勤して、ほどほどの余暇時間を過ごしているだけでは出会わない人にまでコミュニケーションがとれる。
私がマッチングサービスを使うたびに体調が悪くなるのは、東京に住む成人男性ではあるが「同じムラの田吾作」ほど相手の情報は明らかになっていないし、同じムラで育ったわけでもなく、なんなら相手は、相手が不都合な情報は秘密にしようとする。
そんなコミュニケーションを一気に五人くらいとしようとするのだから、コミュニケーション苦手な人類代表みたいな自分にはとても負担なのだろう。

「ムラの田吾作」と結婚する気はないが「ムラの田吾作」みたいな人と付き合いたいという無理難題をマッチングサービスに問いかけているひとを見かけては「つかれんべ」と声をかけたくなる。
選択肢が多いことがイコールで豊かで自由ではないのだと、農業革命とマッチングアプリが教えてくれる雪の夜。

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