『頑張ると報われる』という願い

努力すれば、スキルを磨けば、新しいことができるようになれば、報われる。
そういう願いが、誰かを『報われない』ループに走らせる。


「努力すれば報われる」
「報われないのは、努力していないから」

この二つのならびが間違いだと認められなくなる。
本当は、努力以外にも色んな条件で『報われる』か『報われないか』が決まるということを受け入れられなくなる。

整体師に、スキルは必要だ。
しかし、スキルはとても曖昧だ。
触り方ひとつ、手順ひとつ、圧のかけ方、知識、喋り方、どれがどれだけ相手の満足に繋がるかわからない。
そこには性別、体の大きさ、声質、見た目という、施術に一見関係ないものまでが関わる。
『こうすると良い』が他の人からすると『これはやってはだめ』になる可能性もある。
目的が『リラクゼーション』なため、相手がゆったりとする気分にするためにすることに答えはない。
治療と違って『相手が満足すれば100点』なので『ずっと身体をさすっていたら満足した』という答えである可能性もある。

頑張ったら、持っている技術を全て発揮したら、身体がほぐれたら、100点ではない。
身体がほぐれたら100点という人がとても多いだけだ。


「あの人は、技術も稚拙なのに自分より仕事をもらっている」
「自分の方が指名をいただけているのは、自分の技術力が高いからだ」

その言葉は、自らを刺す。
全部ぜんぶが、努力でどうにかなるなんて、それが理論として破綻していることは明らかでも。
『努力している人は、努力しない人を許せない』が、自らに刺さる。
人気業で『報われること』は難しい。報われ続けるのはもっと難しい。
でも、走り出したらもうその足を急に止められない。

それでも。
私は努力している人は美しいと思う。
『報われる』とはいわないが、報われても報われなくても、気高い行為だと。

それなのに。
私は『努力は報われる』とも『報われない人は努力が足りない』ともいわない。
私は明日からもできる程度にスキルを磨くだろうし、やれる範囲で整体師を続ける。
美しくなくても、気高くなくても、整体師はできる。




この『整体師』の場所には他の言葉がはいるかもしれない。



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