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こんなんジャンジャン焼きちゃうで

2022年9月。栃木県のモビリティリゾートもてぎにて、3年ぶりにバイクの世界選手権MotoGP16戦日本GPが開催された。

Moto2クラスでは小倉藍が勝った。ホームグランプリでの日本人優勝は実に久しぶりの快挙である。素晴らしい。16年ぶりらしい。いや実に素晴らしい。

特別な舞台。

2005年の全日本選手権の後半戦のスタートとなるSUGOラウンドでサプライズがあった。2005MotoGPもてぎラウンドの前座で、我々のGP-MONOのプロモーションのためのデモンストレーションレースが開催されるという。SUGOのレースウィークに緊急招集されて概要を伝えられた。そこから3週間後。

2004年から試験開催されていたGP-MONOクラス。世界的環境問題の流れで、環境に厳しい2ストロークエンジン125ccを4ストローク250㏄に代替しようという目的で、世界に先駆けて日本発で新設されたカテゴリーだ。MotoGPもてぎラウンドは、日本のバイクレースの統括団体MFJが、日本発信のGP-MONOをアピールして世界標準にしたいという目論見だ。実際には、GP-MONOは世界選手権の主催者のFIMにはガン無視されて、Moto3というクラスが新説されて世界選手権の2スト125㏄クラスの代替になったのだが。

願ってもないチャンスだ。だが問題は過密スケジュール。3ヶ月に5戦はしんどい。

8/28全日本SUGO 
9/18MotoGPもてぎ
9/25全日本鈴鹿  
10/16全日本岡山 
10/30全日本もてぎ

MotoGPもてぎにエントリーしてしまうと翌週は全日本鈴鹿だ。仕事をしている時間が無い、というか仕事にならない。でも腹は決めた。

急遽組み込まれたエキシビジョンレースということで、我々の目的と役割と注意事項が知らされた。

要約すると、とにかくやらかすな、ということ。
無理矢理お願いして捩じ込んでもらったイベントで、我々がオイルぶち撒けたり、大きなクラッシュをしたりして、コースを汚したりタイムスケジュールを狂わせたりすることのないように念を押された。

前日のフリー走行も各クラスの公式走行後に組み込まれた。メインストレートはピットウォークなどイベントの関係で走れないため、コース後半のショートカットコースだけの走行だった。翌日の日曜決勝レースは第1レースで、5周のスーパースプリントになっていて、おまけに初めて走るフルコースである。ぶっつけ本番で初コースを走るのである。

これでやらかすなだと。

無茶苦茶だ。でもまたとない素晴らしい体験だった。

世界選手権用にピカピカに整備されたコース。コースサイドの白線は引き直され、縁石は新品のように塗装し直されていた。コースサイドの芝は綺麗に刈り取られ、コーナー手前の100m、50mにはブレーキの目印になるラインも引いてある。

しかもある程度走行した後なので、コーナーへのブレーキ開始地点と、立ち上がりにはくっきりとブラックマークが残っていて、それがライン取りの目安になるので、コースに馴染むのは比較的容易かった。

特に登りのS字の立ち上がりは、くっきりとブラックマークが残っていた。左右と切り返して加速しながら、次の左の低速コーナーに向けてきっちり右に寄せなければならない。スキーの滑降のようなイメージといえばいいのだろうか、アスファルトにはリスキーでハイスキルな加速と向き変えの痕跡が刻まれていた。

あいつら200馬力のマシンでこんなにリスキーな走りをしているのか。戦慄し尊敬の念を抱いた。

そしてやつらの走り。
速いことは速い。だがもっと驚いたのは、駆け引きとリスク管理。彼らは死ぬか生きるかを闘っているのである。じっくりなんて言葉はなく、最初から本当にギリギリまで攻める。プライドなんてかなぐり捨て駆け引きし必死で喰らいついていく。武士ではない、これがグラデュエーター達なんだな。そんな事を感じた。

そんなグラデュエーター達と闘う、野武士のような日本人ライダーたちを思った。

一方、世界選手権の前座を走った我々はお祭り気分を満喫していた。離れ島(我々は隔離されていた)の真っ暗なパドックでささやかな宴を楽しんでいた。

京都からきたチームが鈴鹿亀山名物の「ジャンジャン焼き味噌」を持ち込んで焼きパーになっていた。
山盛りキャベツの乱切りと豚バラ肉の味噌焼きである。なんかジャンジャン焼きちゃうけどまあええわと予定調和しだしたころ、お呼ばれしてきた奈良のチームのおっさんが叫んだ。

こんなんジャンジャン焼きちゃうで!!

我々のレースは無事終わった。晴天のピカピカのコースを大観衆の中走れたことは、またとない貴重な体験だったのだが、あくまでもオマケで走らせてもらっただけである。観衆はどう感じたのであろうか。

こんなんわいらが大枚はたいて観にきたレースちゃうで!

だがこの我々のデモレースの中のひとり、中上貴晶は世界選手権にまで昇りつめ、この2022年の同じ場所で走ったのだ。

全てのスケジュールが終わり帰途に着こうとしたが、大混雑で車は身動きできない。やれやれと思っていると、特別なパスをつけた我々のトランポーターを見つけた警備員が誘導してくれた。大本営の隠された地下道のように、緊急用のゲートから我々は喧騒と余韻の非日常の舞台から脱出できた。

脳裏に焼き付いていたピカピカのもてぎサーキット。また印象残っていたのは、前日のベテランライダーとの駆け引きだ。そのライダーは短い走行でコース攻略するために、ホームの速いライダーを待っていた。そこへ僕が追いつき抜こうと思ったのだが、ハンドゼスチャーで「おまえは下がってろ、邪魔すんな」言わんばかりに制された。そこでしばらく着いてくと、速いのが現れて抜き去っていき、それで一気にペースアップしトレインになった。

もう南無三で先頭に喰らいついていく。かなりリスキーではあったが一瞬で多くを盗めるやり方だった。

ちょっとした自信になったと同時に、そのリスクも再認識したのだった。

月曜日にホームで片付けをすると、木曜日の晩にはまた次のレースの鈴鹿へ出かけなければならない。はっきり言って何もできない。予想よりかなり過酷だった。世界選手権の連中はこれを世界を股にかけ日常にしているのである。

古は日々を旅にし、旅を住処とし、古人も多く旅に死せるあり
松尾芭蕉『奥の細道』序文要約

奥の細道のような生き方の世界選手権のライダー達。自分はそんな生き方をする訳にはいかないと、身の程を案じたのだった。

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