Kazuya_Kinoshita

✏️KoeMo🎤 〜ザックリ3万人のインタビューをオンエアに載せた 地味で昭和だけど熱量…

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✏️KoeMo🎤 〜ザックリ3万人のインタビューをオンエアに載せた 地味で昭和だけど熱量だけはある元ローカル局アナウンサー 木下一哉が KoeとMojiでお届けするデュアルブログ〜 音声部分はstand fmで聴けます🎵

マガジン

  • さかな検定2級アナ「寿司といえば、富山」応援

    私の住む富山県は「寿司といえば、富山」のキャッチフレーズを掲げ、全国世界の皆様にお寿司=富山という印象を持っていただこうと発信しています。日本さかな検定2級の私としては、お魚ファン、お寿司ファンの立場で、この流れを応援すべく、私なりの発信をして行こうと思います。

  • シニア起業のリアル

    富山県の民放ローカル局で32年間アナウンサーを務め、55歳で退職しました。同時に株式会社を設立しフリーアナウンサーとして再始動しました。似た境遇の方の情報が少なかったので、私の体験がお役に立てばという思いで発信しています。声と文字の両方を楽しめるKoeMoというタイトルです。

  • 世界の街角でKoeMo

    ライフワークである海外渡航中に、その街で見たり感じたりした事を、言葉で残す取り組みをしています。現場の空気感も含め、スタジオ収録の整った音とはひと味違った海外現地リポートをお楽しみください!

最近の記事

ニシンの糀漬け なぜ小矢部

富山県西部 石川県との県境にある小矢部市の田悟農産(でんごのうさん)の、田悟敏子さんの話が印象に残りました。ここでは平成の頭頃から、ニシンの麹漬けを製造販売していて、小矢部市の特産品にも認定されているのですが…何故海に面していない小矢部でニシンなのでしょうか? その答は北前船にありました。江戸時代の交易として知られる北前船が富山に帰港する際、北海道から昆布などの海産物、その中にあった身欠ニシンが大もとと言われています。そのニシンを港から内陸に運ぶのに、笹舟を使って小矢部川を

    • 負け組の逆転劇 サクラマス

      富山名産ますのすしは、江戸時代に富山県内の河川を遡上していたサクラマスの身を使って作られた押し寿司です。 このサクラマスはヤマメという、渓流に住む模様の美しい魚の降海型、つまり本来渓流に住む淡水魚であるヤマメのうち、海に下って外洋で成長し、生まれた川に戻ってくる魚です。成魚になって産卵のために海から川へ遡上してくるのが、桜の開花時期なのでサクラマスと呼び、少し遅れて5月ごろに遡上してくるのが、アマゴの降海型のサツキマスと呼ばれます。 生態に興味が湧いたので、富山県にある魚

      • ホタルイカは海苔の鉢巻で

        私の住む富山県は「寿司といえば、富山」のキャッチフレーズを掲げ、全国世界の皆様にお寿司=富山という印象を持っていただこうと発信しています。 日本さかな検定2級の私としては、お魚ファン、お寿司ファンの立場で、この流れを応援すべく、私なりの発信をして行こうと思います。 富山県射水市(旧新湊市)にある江戸一という寿司屋のおやじ=五十嵐 繁久さんの呟きが面白いくて、よく食べに行きます。腕はいい、気前もいい、けど口下手なのが難点…という、何とも愛すべき田舎のおやじさんなのですが、ぼ

        • シニア起業のリアル【6】 名刺管理アプリは福音

          noteで書いている内容を音声でもお聞きいただけます。ラジオ番組風に編集してありますので、よろしければどうぞ ↓ 仕事をしている方は、何かしら名刺をお持ちでしょう。主流はまだまだ紙の名刺ですが、デジタルでやり取りする時代にもなってきています。私は紙の名刺を手渡しで交換し、頂いた後速やかにスマホで撮影。名刺管理アプリの力を借りてそのデータを持ち歩いています。 名刺管理アプリって私にとって福音でした。毎日のように生放送の番組でお迎えするゲストの方のうち、例えば二度目にお会い

        ニシンの糀漬け なぜ小矢部

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        • さかな検定2級アナ「寿司といえば、富山」応援
          3本
        • シニア起業のリアル
          6本
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          2本

        記事

          シニア起業のリアル【5】今年に入ってある物を食べてない事に気付いた

          今回は「出社しなくなって4ヶ月間で感じた事」というお話をしてみます。 ↓ 記事の内容をラジオ番組風に仕上げています(^o^) 2024年1月から有休の消化で実質的にほとんど出社しなくなり、3月末で退社した後の1ヶ月を含めた、いわゆる2024年第一四半期となる4ヶ月間を過ごしました。大型連休に入り、ふとこの期間を振り返ってみたところ、ふたつの大きな変化があったことに気がつきました。 ひとつ目は「カップ麺を食べなくなった事」。はい?っと思う向きもあるでしょうが、私はサラリー

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          海外渡航先から発信 KoeMo World from 台湾 2 牛肉麺食リポ!

          今回のKoeMoも、前回に引き続きWorld編! 私のライフワークのひとつが海外渡航です。これまで31の国と地域88都市を旅してきました。中でも飛び抜けて渡航回数が多いのが台湾、今回で52回目の渡航となりました。 そんな実家へ帰省するような感覚で訪ねた台湾の、王道的グルメのひとつが牛肉麺=ニュウロウミェン。牛肉や牛すじを具材に、スープも牛骨で出汁を取るコクのある麺料理で、日本人の味覚にもストライクなグルメです。 今回は新北市にあるHilton Taipei Sinban

          海外渡航先から発信 KoeMo World from 台湾 2 牛肉麺食リポ!

          海外渡航先から発信 KoeMo World from 台湾 1

          海外渡航中にその街で収録してきたリポートをお届けする声のblogをやってみようと思います。海外渡航好きで喋ることを仕事にしてきた「空旅アナ」ならではの発信スタイルになるか、少しずつチャレンジしてみたいと思います。 今回お届けするのは台湾中部の港町 鹿港=ルーガンです。鉄道ファンには有名な扇形機関庫がある事で知られる彰化駅からさらに路線バスで30分ほど移動した小さな町です。赤煉瓦が美しい細い路地が迷路のように張り巡らされた老街=古い町並みがあり、その一角にひっそりと佇む古本屋

          海外渡航先から発信 KoeMo World from 台湾 1

          シニア起業のリアル【4】会社を辞める自分の見え方

          会社を辞めるのにおめでとう!だなんて。とてもじゃ無いけど、そんな雰囲気の会社では無いと私は思っていました。表向きは「応援するよ」と言いつつも「うちを辞めて成功するとでも思ってんのか」と言う、裏切り者感が見え隠れする人がいたように感じていました。 実際に「うちのお陰で得た人脈やスキルで商売するなんて、恩を仇で返すのか」と言う空気を感じたことも、正直ありました。でも自分の会社しか知らないから、世の中がみんなそんなもんだと思い込んでいました。 ところが、いざ独立起業します!と宣

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          シニア起業のリアル【3】時間の感覚が変わった

          32年放送局のアナウンサーとして働いていた間、基本的な時間の単位は「秒」でした(笑)これ、おかしいですよね。日常生活で秒を意識する場面ってそれほど多くはないと思いますが、アナウンサーは毎日秒単位で仕事をしていました。これ本当です。 秒単位というと、何かセカセカした印象で、心の余裕がないように思えます。その通りで、秒が基本の仕事って、なかなかにストレスフルでした。でもそれが当たり前な中で生きてきたので、振り返ってみるとそこまで苦しかったとは思わないから不思議です。 もうひと

          シニア起業のリアル【3】時間の感覚が変わった

          シニア起業のリアル【2】フリーアナウンサーがやってない意外な事を敢えてやる

          まず最初に取り組んだのは、自分がどういう仕事をしたいかを定めること。起業の手引書的なものに必ず書かれている大事なことでした。私の場合は、アナウンス業務という得意技を生かして、企業や組織、地域や社会に役に立ちたいということでした。 そこから考え出したのが会社の名前である talkONEという言葉です。経営理念というと大袈裟ではありますが、私は企業活動の意義を「talk=話すことで ONE=ひとつになれる」と定めました。その上で、局アナ時代とは仕事の方向性を大きく変えました。

          シニア起業のリアル【2】フリーアナウンサーがやってない意外な事を敢えてやる

          シニア起業のリアル 【1】独立を決心した経緯

          Koe=声とMoji=文字のデュアルblog  KoeMo 音声でお聞きいただくことができます ⬇️ 2024年(令和6年)4月に、私はtalkONE(トークワン)株式会社を設立しました。1992年に富山県の日本テレビ系列 北日本放送にアナウンス職で入社して32年間、テレビ・ラジオのアナウンサーとして仕事を続けてきましたが、55歳の時に決断し退職をしました。 独立起業を決心した理由はシンプルに「自分のスキルと情熱を社会のために役立てたい」からでした。 会社員である局アナ

          シニア起業のリアル 【1】独立を決心した経緯